ちょっと小柄なその兄ちゃん、とてもラフな服装で、上は地味なグレーのシャツ1枚で胸元ははだけ、下は紺色のチノパンで裸足にサンダル、右手に持った紙袋から、これまた右手で神田精養軒のマドレーヌが巨大化したような菓子を器用に取り出しては頬張りながら、左手の親指と人差し指で600ccペットボトルのウーロン茶を持ち、これを飲みながら更に左手の薬指と小指ではさんだタバコを吸っている。何だか干潟の蟹のようだ。菓子の包み紙は当然のように路上にポイ捨て、口をモグモグさせつつタバコも吸うという、中国のちょっと田舎に入ればごく普通のスタイルの人なのだが、これから訪問する準国営企業がこの人を迎えによこしたとすれは、正直言って身なりや態度に違和感があったし、そもそもこちらの顔を知っているはずがないので、この兄ちゃんに誰を迎えに来たのか言わせてみた。
・・・全然違う(爆)。でも日系企業の名前を言ってたな。おそろしい。
なお、こういう時は自分から名乗らず相手に言わせるのが鉄則ですからね。次いでに、海外の空港などで上司を迎える時に例えば「○○常務、こちらです」と名前や肩書きを大声で言うのもダメ。名前が知れたりエラい人だと分かると、様々な犯罪のターゲットになる恐れがあるので。
それにしても、確認もせずに「さあどうぞ」と車に乗せようとした同行の伊T忠商事スタッフも適当なら、全く悪びれず「ははは、気にすんな」と食・飲・煙の同時攻撃をしながら去って行った兄ちゃんも適当なもんだ。
そんな江西省南昌市、干潟の蟹兄ちゃんの話はどうでも良くて、言いたかったのはこの地域の美声ぶり。空港だからタクシーの呼び込みや客の奪い合いがあるのは良くあることして、その呼び込みや喧嘩(に聞こえる)の声の通ることと言ったら、まさにわが耳を疑った。イタリアかと思った(笑)
車道をはさんで100メートルも離れたところからビンビンに響いてくる。それも一人や二人ではなく20人や30人が揃いも揃って、テノールからバリトン辺りの音域で声を飛ばし合っている。こういう声の連中だから、数人で談笑しているのもまるで喧嘩のように聞こえるし、ちょっと遠くの人に声をかける時なんか、山古堂主人が歌をやめたくなるような美声でイチローの強肩レーザービームよろしくフォルテを飛ばしてくる。いや、ホントに驚いた。しかもその声で携帯電話を使うものだから、携帯はすぐに壊れてこの国の買い替え需要が大きい(嘘よん。でもフィンランドのノキア製品が壊れにくいのでシェアを伸ばしてるのは事実)。
で、これが東京・新宿は歌舞伎町の呼び込みよろしく南昌空港近辺のタクシー関係者だけの特殊事情かと思ったら、そうでもない。今度は訪問先の企業でまたも美声に遭遇。そこで会った3人のうち、普通なのが1人、あとは喋る時もカミソリのような倍音を常にまとっているテノール、そして声帯に牛タンを移植したに違いないバリバリのコントラバス、座ってる椅子がビリビリ言う。
面談後に行ったレストランは、個室だったので周囲の喧騒は分からなかったが、ここで注文を取りに来た若い姉ちゃんもまた、話し声こそ大きくないが京劇みたいに「芯」だけで喋っている。要するにみんな「閉じた声」してるわけよ、だからあとは呼気を当ててやればビンビン。付言すると、体格はさして大きいわけでもないが、体の厚みや筋肉は、確かに現代の日本人よりは立派な感じがする。首回りの筋肉も何となくしっかりした感じ。普段からデカい声で喋ってるからそういう体格になっているのかも知れないが、それはどっちが先か良く判らない。とりあえず、美人の少ない省だそうです。
それにしても、いやぁ、こんなのあり? って感じでした。中国はまだオペラ観劇の文化が根付いておらず、合唱もまだまだマスゲーム・プロパガンダの手段であって、そういう意味では韓国ほどの声楽熱も無いが、もし将来、本格的に「中華人民共和国立アカデミー・チャイナ合唱団(「国立中華芸術院合唱団」なんでしょうか)」でも立ち上げたら、欧州一流歌劇場の合唱団を凌駕するのではないだろうか。
そんなことで、話は欧州。欧州の主要な歌劇場において、合唱団員は勿論、主役級においても中国・韓国・台湾人が増えている、という話を耳にした方も多いかと思います。この現象は今に始まったものではないが、特にここ10年の進出は著しいという。推測するに、これらアジアの国々での声楽教育の環境が整ってきたこと、そして欧州進出のノウハウを国として蓄積しバックアップしていることは勿論、過去に生じていた、言語由来の問題で元来の美声を生かせないという問題を、ひと昔前の日本のように、若いうちから欧州に居住することで克服してきたのではないか、と。
2005年5月の朝日新聞Web版に掲載されていた記事を要約すれば、
ドイツには100を超える歌劇場やオペラ・アンサンブルがあるが、そこで専属契約を結んでいる日本人が減少の一途を辿っている。一方で韓国人・中国人の進出は目立っており、主役級も珍しくない。
その理由は教育にある、という。例えば韓国では「オペラ大国は、実はイタリアではなくドイツだ」として、1980年代からドイツへ進出する歌手が出始め、これが刺激となって、最近では高校の段階で留学先をドイツに定めてドイツ語を勉強したり、ドイツの音大を受験したりする人も増えている。他方、日本ではドイツの音大を受験する人も減っているし、いつまでも日本の音大に留まり、いざ本場で学ぼうとした時にはもう時遅しで、具体的には年齢相応の表現技術に欠けていたり、日本での教育内容が現地にそぐわず逆に障害になっている。実際に、歌劇場などのオーディションでも、実力から見て日本人より韓国人・中国人を採用する、という。
ちょっと補足すると、韓国は日本の半分の人口なのに、世界中の主要都市での駐在員数が日本人と同じか、むしろ多い場合もあるのである。一時期ほどではないにせよ、幼少の頃からの学歴志向・競争社会でもあり、そのくせ国内の労働需要が頭打ちだから、海外で働くことも含めた自身のキャリアアップ設計を若いうちからきちんと考えている人も多い。そんな風潮の中で、国内で普通に稼ぐのが難しいとなれば、「手に職」志向も当然生まれて来るわけで、芸術系やスポーツ系の早期教育も相当熱心だ、と上海駐在の韓国人に聞いた。
言語についても少し補足すると、中・韓・台の歌手の声は、一般的に言って、やはり母国語の影響で欧州人とは少し響きのポジションが違う。中国語でいうと、タイほどではないが少し平べったい発音で、声の芯は強いが、その芯を歯・舌・唇で複雑な加工をして発音していて、イタリアのような単純母音での開放的な話し方でもなく、かといって早口だから質量の大きい喉や首の筋肉に頼らず、西欧のようにノドで喋っている訳でもない。敢えて言えばロシア人に少し近いかも知れない。抽象的な言い方しか出来ないが、響きの回し方が違っていて、後頭部や前頭部方面経由ではなく鼻・顎方面に充満させている、という感じ。この「ひと癖」が、以前は欧州進出の妨げだったのだが、最近はそれを克服し、欧州主要劇場で立派に主役を歌い上げる人も出て来ている。山古堂主人が学生の頃、台湾出身のウィリアム・ウー氏がヴェルディ「オテロ」「アイーダ」のタイトルロールなどをやっていて、僭越ながらも今思い返して論評すると、確かに声は素晴らしく出るが、でも少し東洋的な(京劇とまでは言わないが)響きであって、イタリア語としては少し違和感があったものだ。しかし、最近日本でも活躍中の韓国人バリトン(名前を失念)とか、有人宇宙船「神舟」帰還成功記念TV番組で歌っていた中国人ヘルデン・テノールなどは、そういう違和感が全く無かった。
逆に言えば、その国特有の発声(と一口で片付けることはともかくとして)のクセを知ることで、その国の言語をよりNativeに近く話すことが出来る、ということでもある。例えば米語なら鼻にかけて喋るとか、イタリア語なら常に額に当てて口を広めに開けて喋るとか、ロシア語ならノドのポジションを低くして口をあまり動かさずに喋るとか。合唱やってる人は、そういう違いを聞き分ける「耳」と、それを声楽的に再現する技術を持ち合わせている人が少なくない。
かくいう山古堂主人、こちら上海の中国語教室に通い始めて5ヶ月、先生から、意訳:「あんた、授業はドタキャンばかりだし語彙は増えないし、文法もやる気あんのかねぇのか分かんないけど、発音だけは見事だね」だって(泣笑)
ついでに、やや恒例マンネリ化してきた中国ネタ。
◆龍ネタ・続編
まずは「龍」。今回の「龍」は象形文字から来た「竜」の方ですが、中国の中央政府が進めている学術用スーパーコンピュータ国産化計画が「超竜計画」で、これに使われる独自技術の中央演算処理装置、いわゆるCPUの名前が「竜芯3号」なのだそうです。
この国の人は龍が好きなんですよ、要は。 龍は水神で、豊穣と暴れる河の象徴だから、こういう自然のチカラへの憧れと畏敬とで皇帝の象徴として使われ、一方で龍を見下すことで人知の優秀さを示すことにつながるから、「西遊記」とか文芸作品では龍がとっちめられる描写も少なくない。「超竜」も「竜芯3号」も五穀豊穣に役立つならともかく、暴走氾濫しなきゃ良いんですけど。特に軍事用に使われた場合にね。
◆鉄道マニア垂涎
広東省広州市~チベット自治区・ラサ(拉薩)までを結ぶ特急列車が、今年から運行開始となるそうです。
国家プロジェクト「西部大開発」の一環で2001年に着工し、現在までの累計投資額は198億元(2,800億円弱)という大事業。この線路は恐らく貨物輸送と兼用でもあると思いますが、旅行用特急列車に関して言えば全行程4,980Km、58時間(2泊3日)というから凄い。「駅すぱあと」Web版によれば、北海道稚内駅から鹿児島県枕崎駅までで全行程3,141Km、29時間だそうな。そりゃあ距離ではシベリア鉄道にはかないませんけど、アメリカ横断とほぼ同じ距離、と思って下さい。ということで、とりあえず下記をお読み下さいませ。
現時点では隔日運行の予定で、朝に広州を出発して3日後の夕方にラサ着。車両は新型16両編成で、一等寝台が2両、二等寝台が8両、一等席が2両、二等席が4両。恐ろしいのは中国語の表記で、
一等寝台=軟臥、 二等寝台=硬臥
一等席=軟席、 二等席=硬席
・・・二等寝台/硬臥と一等席/軟席、どっちが良いか微妙~~。
高山病に対応するため、全席に酸素マスクが用意され、また青海省に入ってから後には、崑崙山や唐古拉山など9箇所で観光用プラットフォームを用意するとのこと。なお、運賃は未だ決まっていないそうです。
ちなみに、広州~ラサは中国南方航空を使えば波音757(Boeing757ですね)で5時間、往復費用で2,500元(35,000円くらい)。
この鉄道、7月1日から試運行が始まるのだそうです。この鉄道の高地部分の名称は青海省と西蔵(チベット)を結ぶから「青蔵鉄道」。特に標高の高い「格爾木(ゴルムド)~拉薩(ラサ)」区間では、乗客の酸素不足をできるだけ解消するため、車内酸素拡散と酸素マスクの2方式で酸素が供給されるのだそうです。
この「青蔵鉄道」、全長1,142キロのうち、960キロが標高4千メートル以上。唐古拉(タングラ)山の最高地点は標高5,072メートルにも達し、世界一の標高を走る鉄道になるそうです。年間平均気温は摂氏0度以下で、酸素濃度は平地の半分だそうです。建設を手がける青蔵鉄道公司の副社長によると、低い酸素濃度の区間について、快適な「内部環境」の構築に全力を尽くし、車両内に2種類の酸素供給システムを用意することにしており、1つはエアコンに似た拡散式の酸素供給システムで、全車両内の酸素濃度を平地の80%以上に保つようにし、もう1つは座席の側にある酸素マスクで、酸素不足を感じた乗客がすぐに利用できるようにするのだそうです。しかも応急処置も行えるように、各便には医師と看護師が1人ずつ同乗するということです。・・・うーん、そこまでしますか、やっぱり。
報道を見る限り、とりあえず不安が少し(笑)解消されますが、ここは中国ですからね。例えば、その医師と看護師は果たして低酸素の環境に強い人を選んであるのでしょうか? あるいはエアコン風の酸素拡散機は付けたけどエアコンがついてなくてチョー寒かったりとか、エアコン風の酸素拡散機は付けたけど車両の気密性が悪くて意味無いよとか、更には食堂車に関する言及が無いので、食事は駅弁を買ってくれ、とか言われてよく分からない動物の干し肉を高値で売りつけられたりとか。
まあ、この国は行き着くとこまで行っちゃう国なので(※)、中国発の有人宇宙ロケット・神舟1号航天機のような、航空宇宙技術の粋を集めた車両になるかも知れません。実際、世界唯一の商業運転をしている上海リニアモーターカーも、ちゃんと気密性が保たれていますし、ちゃんと最高時速431キロで飛ぶように走ってますしね。ただこのリニア、最近は地盤沈下の影響か、走行中の揺れが大きくなっているので、「乗るなら今のうちに乗っといた方が良いよ、そのうち本当に飛ぶよ」というのが、こちら駐在員の笑えないジョークになっていますけど。
(※)産業革命以降の技術革新については、中国は日本同様に外国技術の摂取に励んでいる訳ですが、日本や韓国などが割合に根本的で独創的な工業手法や製品を編み出しているのに対し、中国はそういった他国の発案なり技術なり製品をお手軽に(笑)導入して、中国風にかつ徹底的にその上無意味にその機能(の一部)を高めちゃう、という気がしています。やや抽象的なので具体的に記すと、例えば電動機付き自転車(電動アシスト自転車とも言う)。
◆で、超電動自転車(超伝導ぢゃないよ)
中国では原付自転車、いわゆる50ccエンジン級のスクーターがそこらじゅう走っていますが、良く見ると排気管のないのが物静かにウィ~ン(音楽の都ぢゃないから)とか言いながら走っている。それが電動機付き自転車で、原則として足漕ぎ用のペダルが付属していますが、そんなものは取っ払っていて、見た目はまさにスクーターそのもの。免許も要らないしガソリン代もかからないし、充電するにも電気は結構安いしで、ここ2年程で国産メーカーが増え爆発的に売れ、街中を縦横無尽に走り回っています。が、ほとんど音も無く近づき、交通法規も守らないので結構危ない。
で、最近話題になったのは、この電動機付き自転車が爆発的に売れていることだけでなく、その能力を徹底的に高めたのが出てきて、何と最新技術のリチウムイオン電池を2つ搭載して最高時速120キロ! という報道。日本の50cc級スポーツバイクより凄いじゃん!!
思わず買おうかと思った(笑)。ここまでするか? ・・・ということで、電動機付き自転車による事故が急増していることもあって、さすがに性能に制限を付ける法令が出たそうです。
ちなみに、一般的な性能(笑)のスクーターもどきだと、安いのは1,200元(17,000円)から高級なのは6,000元(84,000円)くらいまで、本当に自転車の形をしているのは最安値で600元(8,400円)程度からあります。そして、これまたこの国の常ですが、その充電池の性能にばらつきがあるのでした。寿命も、出力も。
長文ついでにもうひとつ。
5/13(土)、上海音楽庁ホールにおいて、ヘルシンキ大学男声合唱団のコンサートがありました。上海公演の後、翌14(日)に蘇州、15(月)に南京、そして19(金)だったかな、にシンガポールで公演をするというアジアツアーです。山古堂主人としては2003年10月に東京・紀尾井町ホールで聴いて以来ですが、そもそも日本にもなかなか来ない訳で、今回の巡り合わせはまさに奇跡と言う他はありません。
ホールなかなか綺麗でクラシックな造り、1階600、2階400の1,000人位かな? で、招待席やS席は1階の前半分。380元(5,000円強)払って前から2列目でした。ヘル大メンバーは70名程度、最後列中央にいるコントラバスの顔ぶれのうち、少なくとも4人は東京公演の時と同じでした。他にも日本公演の際に徹夜で飲んだメンバー(後述)がちらほらいて嬉しい。客席はほぼ満席。1階の前半分に金髪の人が20名位、これは演奏会のスポンサーであり、ヘル大団員も何人か籍を置いている「ノキア」の関係者や、大使館員、そしてヘル大関係者でしょう。(ノキア:フィンランドの携帯電話メーカーで、中国では最強・36%のシェアを誇る。中国の携帯メーカー約50社のシェア総計より大きい。)
その他、韓国人が数十名、日本人が十数名、そして中国人が数百名。聴衆のマナーはそんなに悪くなかった。携帯の電波がブロックされたホールだったことも大きいが。でも演奏中に客席でしゃりしゃりとスイカ食べてる中国人のおばちゃんはいましたけど。
ちなみに演奏は、数曲ごとに指揮者のマッティ・ヒョッキ氏が解説をし、同時通訳がつくと言う形で、結構客席を掴んでました。最初のシベリウス2曲「Sortunut ääni(失われた声)」「Terve Kuu(月よ ごきげんよう)」はとても荒れ気味、しかも全音上げてたからコントラバス調子悪いのかな、とか、正直どうなるかと思いました。その後もあまり精度は高くなかったのですが、それでも充分にヘル大の持ち味を出しており(後半ではちゃんとLo-Bも鳴ってたし)、聴衆も皆満足したようです。全般的に、東京公演より出し気味にして、また東京みたいにマニアックな客層を対象に演奏の精度で聴かせるというよりも、より派手にケバく(笑)演奏したような感があります。正規ステージというより「お座敷」みたいな、というと言い過ぎか。中国人の熱狂と言うのは一度始まると歯止めが掛からないから、演奏会の最初の方でヘル大メンバーの一人が中国語で挨拶したあたりから、もうすっかり虜(爆)。
指揮のマッティ・ヒョッキ氏が「ニイハオ」「シェシェ」なんて言おうものなら、それだけで熱狂的拍手だし、中国民謡を歌ったらそれはもう歌い始めから大喝采。ちなみに客席の8割以上を占めた中国人聴衆、そのうち半数はヒョッキ氏の英語の解説で同時通訳を待たずに笑ったり頷いたりしており、ハイソな方々が多かったみたい。最後は団員が客席に降りてきて「セレナード」そして「フィンランディア」と定番の締め、客席熱狂のスタンディング・オベイションでお開き。
前回東京では、なにわコラリアーズのメンバーでヘル大団員資格を有する前川裕さんがいて下さったおかげで、山古堂堂員も総出で演奏会打ち上げに参加し、品川の居酒屋でヘル大メンバーと徹夜で飲めや歌えやの絵にも描けない素晴らしい体験をしたのですが、今回は前川氏もおられないので、ヘル大メンバーと飲むことも叶わず、ただ指揮者のヒョッキ氏に1969年の第2回世界大学合唱祭ライヴ・ダイジェスト盤をデジタル化したCDをお渡ししただけでした。これ、ヘル大が出演していて、2曲収録されているのですが、前回東京で飲んだ際に後日の郵送を約束しながらすっかり放念しており、今回やっと江戸の仇を上海で討つことが叶った訳です。
合唱ストーカーの名に恥じず終演後に楽屋口で待ち構えてヒョッキ氏に話し掛けたら、「ああ、東京で会ったこと覚えてるよ」と例えウソでも嬉しいことを言って下さり、「前川氏がよろしくと言ってました」と言ったら、少し目を細めて満足げに頷いて、肩をポンポンと叩いてくれましたよ。
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2006年3月。
林先生、福永先生、関屋先生、そして北村先生までがこの世を去ってしまわれた。
山古堂主人としても大きな喪失感が埋まらないまま、しかし語り継ぐべき記録として、往年の音源を聴き続けるしかない。
「同志社グリークラブ 定期演奏会 '65」のライナーノーツ冒頭に、下記の言葉が記されている。
レコードが記録(レコード)であった時代は遠く過ぎ去った。音楽の純粋さが
アマチュアの演奏にだけ残っているとすれば、その記録がここにあり、この
盤面にきざみこまれたものは、想い出だけではなく、歌のそして音楽の魂で
あると云い得る。そこにこのレコードが我々みんなの座右である理由がある。
福永 陽一郎
山古堂でデジタル化してきた音楽もまた、「我々みんなの座右」としてありたい。
<第34回東西四大学合唱演奏会>
(1985/06/09 東京文化会館大ホール)

VICTOR PRC-30463~5
恐らく合唱録音について知見を蓄えた録音エンジニアが育っていたであろうビクターの手による録音制作で、ダイナミクスの圧縮を強めにしていることを除けば、音場整理も各種バランスも手の行き届いた、とても聴きやすい模範的録音。
このダイナミクスの圧縮はサジ加減が難しくて、何にも手を加えないと弱音部分が聴き取れなくなってしまうし、かといって圧縮すると当然強弱の差が無くなり、クレシェンドの醍醐味が薄れたりする。後述するが関西学院グリー「かみさまへのてがみ」クライマックスではこの圧縮がいまいましい。が、レコードを聴く者全てが高級ステレオ装置で再生する訳でもないから、制作サイドとしては仕方ないことでしょう。
なお、この演奏会のプログラムには記されなかった言葉だが、レコードジャケットにおいて、初めて「The Four Majour」という、「四連は特別だぜ」的な表現が出てくる。これが後に昂じて「四連小僧」というマスコットキャラクターを登場させ「四連Tシャツ」を販売したり(第36回)、「The Big Four」と演奏会プログラムの表紙に大書きする(第38回でしたか?)といった、筋違いのマーケティングにつながっていく。このあたり、各団全員の総意と言うより、才気走った(と言えば聞こえは良いが)四連担当マネージャーの仕掛けによるところ、大である。
1.エール交換(同志社・早稲田・関西学院・慶應) |
当日は雨でも降ってましたっけ? 関学以外は四連に対するテンションとして少々違和感がある。
同志社、内声がややポジション低いのでピッチが下がり気味。結果としてハモリ感に薄く、ちょっとブルーな感じ。モチベーションの問題か? 単独ステージで更にその度合いが増してしまう。
早稲田、テナーとベースでリズム感が違う。というか、走るテナーを横目に「絶対合わせてやらない」と意地を張るベース、みたいな。早稲田グリーが歌った山田耕筰編曲の校歌としては、20世紀中の録音の中で最も揃いのよろしくない演奏。
関西学院、自然な風合いで詩が生きており、個人的にはかなりの好感。10回四連の「Old Kwansei」と双璧かも。特筆すべきはトップテナーで、いつもの揃えて合わせて、という方向と異なり、頭声できっちり張る人が何人かおり、彼らを前面に出しているから、パートバランスがとても良いようだ。
慶應、ブレスの位置やフレージングを従前と変えて来たが、その練習が不足しているのか、今ひとつこなれていない感じ。特にトップテナーがパワー配分、というかどの部分に気合を入れて張るのか/張れるのかを探りながら歌っている様子で、張ってもフレーズの終わりまで持たなかったり、山かけて張ってる人がいたり、いつもの重厚なうねり感が薄い。
2.同志社グリークラブ |
「MISERERE」-詩篇51より- 伴奏付男声合唱のための(日本初演)
作曲:Gaetano Donizetti
編曲・指揮:福永 陽一郎
Pf:山本 優子
曲としては珍品に属するかも知れない。ここに収録した演奏は、本来の混声オリジナルから男声版に編曲され、更に演奏時間の都合で一部を割愛の上で演奏された、とのことである。
第32回東西四連で「奇跡の復活」と言われた同志社だが、その演奏レベルがこの年にも継続しているのは、福永陽一郎氏の絶対の信頼を得ていた学指揮・神谷伸行氏を中心とした技術陣の指導力があり、また各パートに優秀な歌手がまだまだ揃っていたこともあろうか。
但し、エール交換の項で記した通り、「何だか気乗りしない」感じの演奏に聴こえてしまうのも事実。これは、先走って言えば第36回四連の慶應ワグネル「月光とピエロ」を聴いた時と全く同じ感想である。一聴して同志社グリーと判別出来る音色ではあるものの、全体としていつになくポジションが低めで、例えばトップテナーもいつものような頭声の華やかな響きがやや少なく、あまりこういう言い方は好きではないが音楽を奏する事への「精神的な支え」が弱いように感じられる。
さてこの「MISERERE」、原曲を聴いたことは無いが、この男声編曲は大きく4章とコーダから出来ており、構成感のあるしっかりしたものであって、弱音通奏部分と躍動的な部分の対比というか乖離を大きくせず、常に同じテンションで歌えれば演奏効果は非常に大きい。そういう観点では、この同志社グリーの演奏は、弱音通奏部分において時折ピアノが休み、暫くアカペラが続いた後に再びピアノが入る、というケースにおいて、ことごとく合唱の音程が下がっており、その反対に躍動的な部分では同志社らしい豪快なサウンドがきっちり立ち上がってくるので、聴いている方もマインドにムラが出来てしまう。大体ドニゼッティなんだから派手なところは放っといても派手なのよ。とすればこの「MISERERE」、勝負どころは何なのか、難しくない問いだと思うのだけど。まあ、それがなかなか出来ないのよね、実際。
では、この演奏がひどいのかと言うと、そんなことは無くて、切れ込みの小気味良さや弦楽アンサンブルのようなハーモニーとバランスなど、イタリア的な音楽としてなかなか良い雰囲気も出ています。惜しむらくは前述の通り、マインドとしての音楽ドライヴ感ということでしょうか。
3.早稲田大学グリークラブ |
「ことばあそびうたII」-男声合唱とピアノのための-
1)かっぱ
2)うとてとこ
3)たそがれ
4)さる
作詩:谷川 俊太郎
作曲:新実 徳英
指揮:井上 道義
Pf:久邇 之宜
前年の早稲田グリー第32回定演における「祈りの虹」の熱演を聴いて感極まった新実徳英氏が大いに期待し、それに充分応えた燃焼度の高い演奏である。天才・井上道義氏のドライブする音楽は非常にスリリングで、特に終曲「さる」ではアンサンブルの多少の乱れなど吹き飛ばされ(笑)、聴衆は熱狂の拍手を送った。
演奏会パンフレットに寄せた久邇氏の文章が振るっていて、「こんなシャルマン(=フランス語、チャーミング)な難曲を男声合唱のスタンダードに送り込んだ新実徳英氏は、天使の衣装をまとった悪魔にさえ見える。」 ・・・早稲グリは河童の皮をかぶったサル?
当時のメンバーによると、井上氏が暗譜で振ると聞いた学指揮・新井康之氏/1986卒が、あわてて団員に完璧なリズム暗譜を徹底し、案の定本番で振り間違えの多かった井上氏を尻目に、団員と久邇之宜氏で勝手に盛り上がったのだ、という話もある。加えて悪戯のようなプチ・アンコールも楽しい。
・・・という公式見解に、山古堂主人の見解を蛇足ながら記しておく。
まず、この作品の演奏は数あれど、ほとんどの演奏が第27回四連の関学グリー初演のような安全運転で、時に高音をきちんと張れるテナーがいて部分的に楽しめることがあったりしても、基本的にはリズム進行に囚われて、特に「さる」が面白くない。そうなるとスローな2・3曲目との関係で作品全体のメリハリがつかず、詩に文学的な意図があるわけでもないから、聴衆は「なんか難しい曲だけど良く歌ったな、(そういう意味で)スゴイな」だけで終わってしまう。その点については、早稲田グリーの演奏はホントに凄いのである。後日レコードで繰り返し聴けば、低声系の僅かな遅れやセカンドの平べったい母音や、音程の乱れも散見されるが、総じて言葉遊び・リズム遊びが出来ていて、聴いていて引き込まれてしまう。大体あの「かっぱ」冒頭、ピアノ伴奏が入ってからの鼻息アクセント付きハミングで、大抵の聴衆は持っていかれてしまったことでしょう。こういうところは「ノリだぜぇ」の利点である。
他方、学生指揮者・新井康之氏の性格によるものか、割合細かいところもきちんとしていて、2・3曲目も破綻が無い。つまり、前年「青いメッセージ」の粗さとは様相がやや異なっている(逆に、東京六連「九つのフランス民謡」では粗さが目立ったりするが)。
ただ、前年の演奏で言及した通り、基礎的なところで個人的な技量のばらつきがあったり、発声の不統一があるのも確かで、この作品ではそういう部分があまり目立たないが、それでも例えば「うとてとこ」でトップテナーが「いねむりだ」と歌った後のセカンドテナーによるエコー「いねむりだ」に顕れる平べったい発音や、レコードでは判然としないが、声質が揃わないため共鳴作用が薄くホール鳴りを得られず、実はフォルテが聴感上で他団より大きくなかったことが、その端的な例かも知れない。山古堂主人は、あの時の早稲田グリーのフォルテを「ハリネズミ」と表現している。即ち、ステージからてんでばらばらな方向に鋭い針が伸びているイメージ。金属製の海胆(ウニ)ともいう。
いずれにせよ、この作品で良い演奏を聴いたことが無い、とお嘆きの方や、1981年のコンクール全国大会における京産大グリーの演奏は素晴らしかった、とお慶びの方に、この早稲田グリーの演奏をお聴かせすると、みなさま一様に興奮して「いっやあ~、凄い、面白い」と仰って頂ける演奏なのでございます。
4.関西学院グリークラブ |
「かみさまへのてがみ」-男声合唱とピアノのための-
1)かみさまへのてがみ
2)わたしはあんしんです
3)てんごくってどんなかんじ
4)てんごくってどんなかんじ
5)終曲
訳詩:谷川 俊太郎
作曲:高嶋 みどり
指揮:北村 協一
Pf:浅井 康子
今、改めて聴き、北村先生の颯爽とした背中を思い出しつつ。
過去3回の四連では、委嘱作品の完成遅れとその要求する高度なアンサンブル技術のために、「背水の陣」に近い状況に置かれ、それを見事に撥ね返して名演を重ねてきた関西学院グリーだが、この年の演奏は、余裕を持って万全の練習を重ねてきたことが窺える。
関西学院グリーが東西四連の場で100名を超えたのは、プログラム名簿では第31回の102名、第32回の114名、第33回の103名、そしてこの第34回の101名である。これ以降減少の一途を辿り、第52回ではついに30名を割り込むのだが、この関西学院グリーの変遷はそのまま大学男声合唱界の盛衰を顕わしているかも知れない。
但し、他団と決定的に違うのは、演奏技術や演奏クオリティの維持について、人数に拘わらず揺るぎないことである。関西学院グリーの演奏スタイルは、これまでに何度も言及してきた通り、演奏方針が統一され、また互いに音程を聴き合い各パート内の音色を揃え、正確な和音を鳴らすことで倍音を味方につけ、ホールを自然体で鳴らすのが真骨頂であり、舞台の人数から想像される以上に音圧を創出せしめることが出来るのだが、そのスタイルがこの「かみさまへのてがみ」では最大の効果を顕わしたように思う。レコードでは再現出来ない質感なのだが、終曲のクライマックスでは練り上げられたフレージングで音楽を途切れさせずに構築して行き、その最後のひと押しのクレシェンドをかけるところまでのVocalise約1分間は、直感的な表現をするならば、東京文化会館大ホールが和音と倍音で完全に満たされたのである。当時客席で聴いていた山古堂主人は、例えるならアニメ「はじめ人間ギャートルズ」のように言葉と和音が質量を持って東京文化会館の5階席まですっ飛んでくる感覚に驚愕した記憶が、今でも鮮やかに蘇って来るが、ともかく、前述の通り鋭い矢が舞台から全方位に放たれているような早稲田のフォルテとは、全く異なるものであった。同じくこの演奏を客席で聴いていた、当時立教大学グリークラブ2年生で後の学生指揮者・前川屋本店御主人も、「あれ以前も以後も、「おおきい」(歌詞は「おおきくて」でしたか)という言葉を、あそこまでハッキリと、理屈ぬきで、なんの誤解もなく感じさせてくれたうた、音楽はありません」との感想を述べておられ、この言葉が全てを的確に物語っている。
だから1曲目冒頭で高めに歌い始めちゃって、後でピアノが入ってきて「あれ? ズレたよ」なんてのは、モチロンご愛嬌で聞き流せますから。
ともかく、こんな曲(失礼)でもここまで演奏されてしまったら名曲である。関学グリー、凡庸な作品を名演して名作に聴かせてしまうのも得意なのである。具体的には、「かみさまへのてがみ」であれば、第51回四連の早稲田グリーの演奏と聴き比べれば、全てが解ります。その他、例えば第51回リサイタルで演奏した「川よと(自主検閲)」。
・・・告白すれば、山古堂デジタル化プロジェクトで唯一、録音中にフェーダー(入力ボリュウム)をいじったのが、この「かみさまへのてがみ」終曲クライマックスのクレシェンドである。実演では強烈なクレシェンドがかかり、ホールを音で完璧に充満させたのだが、レコードの制作では逆にフェーダーを漸次下げていてクレシェンドを相殺している。だから、伴奏ピアノの音がどんどん小さくなっていく、という言わば滑稽な録音。もちろんレコードを聴く者は良く分かっていて「ここでクレシェンドがかかっていたんだな」と想像で補うのだが、あのクレシェンドの質感をなんとしてもデジタルで残したかった山古堂主人は、ここで邪道に走ったのである。即ち、伴奏ピアノの音量があまり変化無いように聴こえるようなレベル(ホントはピアノもクレシェンドしていたのだが)を維持するように、フェーダーを少し上げて行き、この結果としての最大音量を0dBに置いた。これに伴い、2・3曲目の弱音が非常に小さくなってしまっているが、これが実際の音量だと御理解頂きたい。
5.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 |
「Lieder eines fahrender Gesellen さすらう若人の歌」
1)Wenn mein Schatz Hochzeit macht
2)Ging heut' Morgen über's Feld
3)Ich hab' ein glühend Messer
4)Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
作詩・作曲:Gustav Mahler
編曲:福永 陽一郎
指揮:畑中 良輔
Pf:三浦 洋一
かつて早稲田グリーに所属した者の筆なので、そこは御理解頂きたい(笑)。
御自身が歌手であり、歌曲の指導者でもある畑中氏が、ドイツリートなどを合唱に編曲した作品を演奏する場合、時として意図的に、独唱では出来ないような長大な連結フレーズを創出したり、男声合唱独特の響きである最弱音のロングトーンや、或いは小節線を越える際にリテヌートを多用するケースがある。加えて、1970年代初に確立された本来のワグネルトーンが1980年代までに変質し、低声系を中心にやや過剰にデックング(ワグネルでは正しくデッケンという)を意識した重質な声が支配し、かつ、特にドイツ語では子音の一音一音に時間をかけて歌うようになった。これらの帰結として、重厚で粘液質(笑)の歌い方が「ワグネルトーン」だと自他共に理解されるようになる。東西四連の場で言えば、第37回「シューベルト男声合唱曲集」や第38回「Liebeslieder」などが極端な例である。、
今回の演奏も、極端とまでは言えないがそういった例の一つであり、ピアノのリズム感や前進力が合唱と噛み合わないケースが多々生じている。別にピアノが走っているというのではなくて、前奏のリズムが合唱が入ることによって急に抑制される、というようなケースがとても多く、三浦洋一氏のピアノが合唱と折り合いを付けるために右往左往しているのが、聴いていてやや痛い。そういう合唱とピアノとの「確執」は前年の「Nänie」ではあまり感じられなかったので、楽譜としては難しくない作品ゆえに発生した、歌唱技術というより団員各個人の意識の問題だろうと山古堂主人は理解している。具体的な技術論で言えば、「口の動きの立ち上がりの遅さ」「音符一つ一つでブレスを張り直す」といったことが原因で音楽が流れない。唯一バリトン、というか当時3年生の堀内康雄氏の歌唱だけが際立って粒立ちが良い(ので突出して聴こえる)。
この曲はマーラー23歳の作品で、若者の失恋と苦悩、そしてその昇華を歌った自作詩・自作曲である。そのことを畑中氏も熟知しておられ、この福永陽一郎氏編曲の男声合唱版を初めて御自身で指揮された際にも(慶應義塾ワグネル第91回定期演奏会、1966/12/10,11)、心の痛みが、若さのゆえに、清冽な抒情と激情を、哀歓と共に溢れかえさせているこれらの四つの歌。そのいのちを、今日ここに、ぼくの中に、君の中に、そしてあなたがたの中に燃え上がらせたい。若いきみたちにとっては、かけがえのない〈無垢の青春〉を、そして、その青春を過ぎたぼくたち、あなたたちにとっては、ふたたびかえらない〈青春の郷愁〉を、この二十分たらずの中に、永遠の時間として刻み込みたい。」と演奏会プログラムに稿を寄せ、その初演の演奏は瑞々しいテンポ運びであり、歌唱である。
ここまで記しておきながら厚顔無恥にも書いてしまうと、現在慶應ワグネルのHPでここに言及した音源を全て聴くことが出来るので、ご関心ある方は聴き比べてみると良いでしょう。山古堂主人としては、リズムやフレージングに関すれば第29回四連のコバケン&早稲田グリーの演奏が、失恋したドイツ人の若者の心情を最も良く顕せていると思いますが、別にそれを押し付けるつもりはありません。
そうそう、某大学グリーの学指揮がその昔、「この若人は最後に死んじゃうんです」と言い放ち、思わずのけぞってしまったことがあります。・・・そのお方、今や世界的な歌劇場の正指揮者であらせられます。
6.合同演奏 |
「デュパルク歌曲集」
1)旅への誘い
2)恍惚
3)ロズモンドの館
4)フィディレ
作曲:Henri Duparc
編曲:北村 協一(1,2,4)、藤森 数彦(3、Pf)
指揮:三林 輝夫
Pf:田中 瑤子、中野 明子
精神を病み、多くの自作譜を破棄してしまったというデュパルクの数少ない作品からの編曲。フランス物、というカテゴリーで括ってしまえばそれまでだが、独特の湿度や陰影があって、個人的には結構好きな作品であり編曲である。編曲の一翼を担う藤森数彦氏は、1980年卒のワグネルOB。また、指揮の三林輝夫氏はフランス物に造詣が深く、また木下保氏亡き後の日本女子大学合唱団常任指揮者でもある。
作品が作品だけに、個人レベルで闇雲な歌唱をしたり、各団が張り合うということも無く、良い意味で合同演奏らしくないまとまりある好演と思う。ただ、本来はこんな人数で歌うと、雰囲気が死んでしまう作品でもあります。
ピアニストの一人、田中瑶子氏は、超一流のアンサンブル・ピアニストであり、東京混声合唱団を始めとする数多くの合唱団と共演し、圧倒的かつ確かな技術を以って、古典から現代作品に到るまで素晴らしい演奏を聴かせた。特に三善晃氏の作品においては他の追随を許さなかったし、田中氏が弾くというだけで、観客動員が増えるほどの人気があった。山古堂主人としても最高にお気に入りのピアニストの一人であったが、残念ながら、1999年9月11日、肺炎のため67歳で逝去された。
ステージストーム
1)同志社 :Zogen einst fünf wilde schwäne(詩:不詳/曲:Friedlich Welter)
2)早稲田 :Ave Maria(Josef Anton Bruckner)
3)関西学院:U Boj
4)慶應義塾:Heilich(Franz Schubert)
同志社、ここまで来てまだ吹けが悪い様子。重厚な曲だし、悪くない演奏なのだが、「ゆうやけの歌」ばりに思いっきし同志社サウンドで行ったれば最高に盛り上がったのに。
早稲田、この曲を選んだ気持ちは良く判りますし、恐らく狙いも正しかったけど、これが最後の四連だ、という思いが最前列のSoliの方々から溢れ過ぎちゃって、合唱アンサンブルの自己修復が追いつかない。個人合唱主義の一つの類型かも。
関西学院、「U Boi」は関学グリーの十八番でありながら、演奏会のクロージングやストームで歌われる場合がほとんどであるため、声や雰囲気が荒れていたり、音程が不安定であったりして、実は万全の録音が極めて少ないのである。この第34回四連ストームもその宿命から逃れられてはいないが、それでも比較的良い演奏となっており、この年の関西学院グリーが仕上がりの良いことを感じさせる。その分、特に4回生は入団してから卒団するまでたっぷり苦労したのでしょう、この年の第54回リサイタルで演った「ディズニー名曲集」の「星に願いを」では、テノール独唱が涙でボロボロになっちゃったりするのでした。そして次期学指揮・太田務氏による同リサイタル・クロージングの「U Boj」は、リサイタル音源の中でも有数の好演となっています。
慶應、うーん、粘度の高い演奏。シューベルトというよりブルックナー、HeilichというよりZum Sanctus・・・あ、ぢゃあ正しいのか(笑) でもね、多分シューちゃんの意図したのは「ミズスマシ」の如し、この演奏ぢゃ「油すまし」だと思いますよ。
この回、というか恐竜絶頂期末の総括。
第34回四連は、第32・33回という「超獣時代」を経験して来た世代が上級生に上がっていることもあって、「凄い演奏」そして「良い演奏」それぞれへの認識がこなれていたように感じられる。勿論、作品毎にアプローチは違うから、例えば早稲田のライヴ感、関学の市販レコード並みのクオリティと、団によって聴いた印象の違いはあるにせよ、前2回の四連から大きく路線が外れない演奏を展開したと言えよう。
他方で、ギラギラした感じや剥き出しの自己顕示欲が少し薄れたとも言え、それを「落ち着いちゃった」と感じる3年生が、翌年の選曲・演奏とも少々荒れ模様な第35回四連を導くことになったのではなかろうか。詳しくは次回に記すが、コバケン・マジック以外の何物でもない早稲田のワガママ40分超ステージ、トップ個人技を前面に押し出すと言う珍しい選曲をした関学、大砲2門を正面に据えた慶應、そして、福永先生の体調が絶不調で当日朝も本番の指揮をするかどうか決まらないという苦境下、グリーメンが異様な精神的結束を見せて、素晴らしい、というか本当に凄い演奏をした同志社。
今から書いちゃうけど、同志社の「ドイツ民謡集」は最高に良いですよ~~。技術的云々はこの際関係ないです(笑)。山古堂主人、手元の全ての大学男声ライヴ音源の中でもこの「ドイツ民謡集」は屈指のお気に入りで、今でも良く聴きます。ちなみに1番のお気に入りは、これも同志社グリーで第76回定演(1980)の「雪と花火」。多分500回は聴いてますが、今、出張先の南京からの帰途・真っ暗な車の中でも、いつもの如く4曲目の最後「アイスクリームひえびえと~」からの一連、この藍色のハーモニーに目頭を熱くしておりますです。ええ、技術的にどうこうぢゃない、このテナー、この音色、この音楽。同志社とは、藍色のハーモニーとはこれなんだよ、突っ込みドコロ満載だろうがバリトンの音程がデタラメだろうが、この演奏にケチをつけるチンケな奴とは付き合わないことにしてますから。敬愛する木谷誠氏(1982卒)のオーロラの如き倍音をまとった美声テナーも響き渡ってますし。