昭和36(1961)/06/18 東京文化会館大ホール

現存する最古の東西四大学合唱演奏会の音源である。
オフィシャルのダイジェストレコードと、裏モノ(笑)のオープンリールの2つの音源があり、それらの相互補完によって、この第10回東西四連の全体像を9割方復刻させることが出来た。
以下、レコード/オープンリールのそれぞれの収録内容と解説など。
<レコード>ダイジェスト、東芝LRS 9/ステレオ
1.エール交換(関学・早稲田・同志社・慶應)
2.関西学院グリークラブ
「Messe Solennelle」より「Credo」
作曲:Albert Duhaupas
指揮:亀井 征一郎
3.早稲田大学グリークラブ
「ヘーガー作品集」より
1)In den Alpen
2)Totenvolk
作曲:Friedrich Hegar
指揮:山本 健二
4.同志社グリークラブ
男声合唱組曲「在りし日の歌」より
1)米子
2)閑寂
3)骨
作詩:中原 中也
作曲:多田 武彦
指揮:浅井 敬一
5.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団
「MISSA MATER PATRIS」より
1)KYRIE
2)BENEDICTUS
作曲:Josquin Des Prez
編曲:皆川 達夫
指揮:木下 保
6.合同演奏
「枯木と太陽の歌」より
1)第2曲 花と太陽の会話
(テナー独唱:同志社4回生・中島英嗣氏)
2)第3曲 冬の夜の木枯しの合唱
3)第4曲 枯木は太陽に祈る
作詩:中田 浩一郎
作曲:石井 歓
指揮:木下 保
Pf:辻 敬夫、村主 一彦
現在のような「ライブ完全記録」でなく、1枚に収まるように演奏が抜粋されている。レコードの名称が「第10回東西四大学合唱祭記念レコード」とあり、 ジャケットは小磯良平画伯の描き下ろしで、四大学各校のイニシャルや一部団旗デザインまで取り込まれた抽象画である。東西四連として初のレコード作成であり、抜粋ながらも当時最新技術のステレオ録音ということで、レコードの盤質こそ40年前のものゆえノイズがあるものの、当時の演奏が悠然と湧き上がってくる。
大卒初任給が1万3千円程度であったこの時代(昭和36年)に、このレコードの販売価格は千円である。
現代の大卒初任給を18万円とするならば、単純比例で行けば1万4千円のレコードということで、当時の学生には易々と手が出せるものではなく、従って発売枚数も少なかったであろうし、現存し再生に耐え得るのはせいぜい20-30枚というところではないか。
この第10回は「一時は解散しかかった連盟がとにかく10年続いた記念」ということで、東芝に依頼してレコードを制作したが、高価な事もあって、毎年制作する、という話にはならなかったそうである。現実に、次にレコードが制作されたのが3年後の第13回東西四連で、これはモノラル・ダイジェストでありその翌年の第14回がやっとステレオ録音だがダイジェスト、第15、17、18回は制作されない、等となっており、第10回はあくまで記念カスタムレコードとの位置付けである。昨今のようにどんな演奏会でもCDが簡単に制作されるのに比べると、文字通り隔世の感、ということであろう。
今回の収録に際しては、まず早・慶・合同のオープンリールが見つかり、これの指揮者等の確認のために早稲田大学グリークラブOB会に連絡を取った際、この第10東西四連の抜粋による記念レコードが制作されていたことが判明した。そこでOB会に協力を仰ぎ、加藤晴生先輩及び辻田行男先輩(共に1962年卒、この第10回東西四連に4年生で出演)の御厚意でこの貴重なレコードを2枚お借りすることが出来た。このCDは、その2枚からスクラッチノイズの少ない部分を採用している。
その後、エール交換と関西学院のオープンリールが発見された(正確に言うならば、第15回東西四連との表書きなのに収録内容が第10回東西四連の一部だったのである)こともあり、今回の都合3枚組という形になった。
これより古い東西四連については、そもそも録音がされていない、とのことであった。
1950年代では民生用の録音機材自体が珍しい。
まさかレコード用のダイレクトカッティングマシンのような精密機械を演奏会場まで移動してアマチュア合唱団ごときのライヴ録音に使うなど、あり得ない話だし、かといってオープンリールはというと、海外製品は業務用の高嶺の花ばかり、日本初のオープンリールデッキが東京通信工業(現ソニー)から発売されたのが1950年で、大卒初任給が6千円の時代に16万8千円などというケタ違いの高値と20キロを超える重さであるから、買えないし、買ってもクルマでなければ運べない。1954年に発売されたポータブルタイプでも7万5千円と、やはり大卒初任給の半年分を超える。
そういう意味で、この第10回東西四連のオープンリールが、残念ながら同志社の単独ステージが紛失されてはいるものの、よくぞ割愛も無く収録され、保存されていたものだと感嘆しきりである。このオープンリールを録音した方々に敬意を表し、第10回東西四連についてはレコードとオープンリールの両方の音源をデジタル化し保全するものである。
演目や演奏の解説等は次のオープンリール版に記します。
<オープンリール>モノラル
1.エール交換(関学・早稲田・同志社・慶應)
2.関西学院グリークラブ
「Messe Solennelle」より
1)Kyrie
2)Gloria
3)Credo
4)Sanctus
5)Agnus Dei
作曲:Albert Duhaupas
指揮:亀井 征一郎
3.早稲田大学グリークラブ
「ヘーガー作品集」
1)In den Alpen
2)Schlafwandel
3)Walpurga
4)Totenvolk
作曲:Friedrich Hegar
指揮:山本 健二
4.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団
「MISSA MATER PATRIS」
1)KYRIE
2)GLORIA
3)SANCTUS
4)BENEDICTUS
5)AGNUS DEI
作曲:Josquin Des Prez
編曲:皆川 達夫
指揮:木下 保
5.合同演奏
「枯木と太陽の歌」
1)枯木は独りで歌う
2)花と太陽の会話
(テナー独唱:同志社4回生・中島英嗣氏)
3)冬の夜の木枯しの合唱
4)枯木は太陽に祈る
作詩:中田 浩一郎
作曲:石井 歓
指揮:木下 保
Pf:辻 敬夫、村主 一彦
第10回東西四大学合唱演奏会は前述のとおり、ダイジェスト盤としてステレオレコードが制作されているが、その録音とは異なる音源がオープンリールで早稲田大学グリークラブ事務所に保管されていた。
つまり、残念なことに同志社のステージを録音したオープンリールは紛失されていたが、その他はエール交換から合同演奏に至るまで割愛なく収録されたオープンリールが存在したのである。
その結果、モノラルながら同志社以外については全曲を復刻・収録することが出来た。
音質はあまりよろしくないが、当時の演奏レベルを判ずることは充分に出来る。経年劣化に応じ、160Hzと3.15KHzを中心としてイコライジング処理を行ってデジタル化した。

第9回東西四大学合唱演奏会までは、各校2ステージと合同演奏の計9ステージであった。
そのため合同演奏会を持つ意義に欠けるという声もあり、この第10回東西四大学合唱演奏会からは各校1ステージと合同演奏の計5ステージとし、演奏内容の質の向上を図った、とのことである。
ちょうど1949年の清水脩「月光とピエロ」によって、一つのテーマに基づいた小品集=合唱組曲という様式が提示され、その後に1954年の多田武彦「柳川風俗詩」、1956年の石井歓「枯木と太陽の歌」などといった合唱組曲が続々と登場し、東西四連においても単独ステージの多くにこれらの合唱組曲が採用され、磨き抜いた演奏が披露されるようになる。
また演奏会場は、1961年4月竣工の後、東京都の公的行事しか乗せなかった東京文化会館である。
第10回東西四大学合唱演奏会は、この極めて優秀で巨大なホールを一般行事に開放した実質的な柿落としの一環であり、学生団体では初の公演でもあった。
この時期、関西学院・同志社・早稲田は合唱コンクールで鎬を削っており、独立自尊の慶應も交え、この演奏会のマネジメントでもさまざまな意地の張り合いがあったような話も聞くが、演奏については、既に各団の個性が存分に出ており、ある意味では安心して聴くことが出来る。
<エール交換>
関西学院は「Old Kwansei」。これを聴いただけで鳥肌が立つ。それ程までに、既に現在と変らないスタイルが完成されているのである。
各パートがきちんと整理され、縦横を合わせ、倍音を味方につけ、どんな状況下でもハーモニーを崩さない、そしてあの独特のバスの鳴り。この伝統には敬意を表する他はない。
早稲田はやはり2番に入って展開してからの和音が何とも微妙(笑)。テンポはかなり遅めで、本来の行進曲の範疇からは外れているが、声量とあいまって荘厳さ(笑)を醸し出しており、悪くない。
むしろ最近の速い演奏や、特に2003年の「解釈」、すなわち2番に入って冒頭「あ~」をたっぷり3秒は伸ばしてから、急に1番より40%もテンポを上げるというテンポ設定に比べれば、遥かに校歌として相応しい。
同志社の「Doshisha College Song」のテンポ運びやフレージングは、正直に言って異様(笑)。
あえて表現すれば、演目とは一切関係なく合唱団の機能として、異常な切れ味の良さ・切れ込みの鋭さ・。ギラギラした声を備えていて、後年の同志社でもそういう部分はあるが、どうにも極端なまでにその「機能」を見せ付けてくる。
これは単独ステージも同様で、この年だけがそういう演奏のようである。
また、慶應ワグネルは北村協一氏編曲の塾歌で2番まで歌っているが、異様に太くて立派な声のテノールが一人いて、あの編曲の2番の最後に及ぶまでヘタれないのは大変に立派(笑)。
<Messe Solennelle>
この「デュオパの荘厳ミサ」は、関学OB・林雄一郎氏の秘蔵曲であったが、戦後関西学院が演奏してから、他団の演奏会やコンクール自由曲などで取り上げられる様になった。ちなみに1957年の合唱コンクールにおいて同志社が関西学院を初めて破り、しかも審査員全員が1位をつけて「完全優勝」した時の自由曲も、この「荘厳ミサ」から「Gloria」である。
演奏は、この当時としても、また現代の尺度で見ても、大変に完成度が高く、
オープンリールのノイズの向こうから聴こえて来る「Agnus Dei」は特に美しい。
指揮は4回生の学生指揮者、亀井征一郎氏(後年清一郎と改字)。
<ヘーガー作品集>
早稲田はこの年のコンクールもヘーガー「Totenvolk」で臨んでおり、まさにヘーガーに明け暮れた年であった、とのことである。
早稲田はこの翌年、昭和37年(1962)から「定期演奏会に集中するため」としてコンクールへの出場をとりやめるのだが、この時期は常に160名を超える団員を有しており、演奏レベルもコンクールに出場していただけあって、かなり手入れの行き届いた演奏である。
ヘーガーの作品は昨今ではほとんど演奏されないが、1960年台にはドイツの本格的男声合唱曲として、いくつかの実力派合唱団で歌われた。
東西四連ではこの第10回の早稲田の他、第15回(1966)に慶応ワグネルが歌っている。
指揮は昭和31(1956)卒のOB、山本健二氏。戦前から戦後暫くの間、早稲田グリーはOBに指導を請うことで学生団体としての自立を図り、指揮や声楽のプロを指導者に招聘する風潮と一線を画していたが、その中心的な人物が故・磯部俶氏/昭和17(1942)卒であり、山本健二氏である。
<在りし日の歌>
多田武彦氏の作品を演目に取り上げる男声合唱団は非常に多い。しかし多田作品の中には結構な難曲がいくつかあって、「在りし日の歌」はその筆頭の部類に属する。初演は1950年代末の東京コラリアーズのようだが、学生団体が取り上げたのはこの第10回四連の同志社が最初ではないだろうか。
演奏はエール交換の歌い方と同様で、少なくとも「叙情性」に欠け、誠に申し訳ないが、この曲とはなじまない奏法である。
指揮は4回生の学生指揮者、浅井敬一氏(後年敬壹と改字)で、後年に京都エコー・住友金属合唱団・同志社混声合唱団こまくさを率いて合唱コンクールを席巻した、日本を代表する合唱指揮者の一人。
<MISSA MATER PATRIS>
慶應ワグネルの「MISSA MATER PATRIS」は、恐らく現存する最古の録音であり、もしかしたら皆川編曲版の初演かも知れない。慶應ワグネルはこの後も数年に一度は必ずこの曲を演奏しているが、それは欧州文化への理解と、ポリフォニーの感覚を養わんとする故・木下保氏の信条による。
前年の昭和35年(1960)3月から畑中良輔氏を指導陣に加えた慶應ワグネルは、この後10年ほどで急激な変貌を遂げ、「ワグネル・トーン」の絶頂期を迎えるのである。
<枯木と太陽の歌>
残念ながら、合同演奏1曲目の冒頭で数秒のテープ欠損がある。
合同以外のステージのテープは再生した回数もわずかなようであり、保存状態も良好であったが、この「枯木と太陽の歌」は随分聴き込まれた様子で、取り扱いも雑であったと推測される。
すなわちテープが随所でちぎれ、それらを普通のセロファンテープで補修してったりする。
冒頭部分の欠損も、再生を繰り返すうちにテープ先頭がちぎれて行き、そのまま無理に録音部分をも消費したものと推測される。誠に残念である。
2曲目「花と太陽の会話」の素晴らしいテナー独唱は、同志社1961年度幹事長、中島英嗣氏。
数ある大学男声ライブの「枯木と太陽の歌」の中でも最高の独唱と言っても過言ではない。「枯木と太陽の歌」に限らず、ただ美声に任せて歌い飛ばすソロは数あれど、きちんとした楽曲として聴かせるという歌手は誠に少ない。
そういう観点でも、まさに大学男声史上屈指の名歌手である。
なお、ピアニストが連弾となっているが、「枯木と太陽の歌」は本来は連弾譜ではない。当時のOBに話を聞いたところ「あれは早稲田と慶応でそれぞれ推薦するピアニストがいて、どちらも譲らなかったから連弾になったんだよ」とのお話。
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