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合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


第18回 これまでの補遺、それから20回代の東西四連(第29回)

東西四連なんかの古い音源を発掘しCD化していると言ったって、ヨソ様の所蔵品に頼ってるだけだしワグネルOB様のようにWebで音源を公開出来ている訳でもないし、「山古堂」なんて偉そうなサイトで文章を書き散らしてるのだって、関係者の方々の貴重なお話をパッチワークしたりしてるだけで、所詮は山古堂主人、他人のフンドシを担いでいるだけなのである。(本当のところ、山古堂主人だって誰かがCD化してくれたのをお手軽に聴いたり、誰かが書いてくれたオモロい文章をWebで拾い読みして、適当にツッコミ入れたりしたいのである。でも誰もやってくれないんだもの。)
そんな訳で、このサイトで文章を掲載した後、誤りの訂正や様々な御指摘、そして更なる情報の御提供が少なからずあります。これ、大変にありがたいことでありますので、これからも御指導御鞭撻・叱咤激励をお願い申し上げます。
で、誤りについては都度訂正して行くとして、今回は3点、貴重な情報などをまとめておきます。

まず、「第12回 20回代の東西四連(第22回と第23回)」の項に関する情報。
第23回東西四連の合同演奏「十の詩曲」について、その邦訳詩が「安田二郎」の完全オリジナルではないことを指摘しましたが、この詩のオリジナルについては楽譜が行方不明で分からない、と記しました。
この件について、第21~24回東西四連のレコードをお借りしました早稲田グリーOBの渡辺正美先輩/1976卒より、下記の正確な情報を頂きました。

革命詩人の詩による「十の詩」op.88

発行 : 音楽之友社 OGT502
初版 : 昭和30年 8月 5日
解説 : 井上頼豊
邦訳 : 井上頼豊、桜井武雄、合唱団 白樺、の共訳
    (「森の歌」の邦訳も同じくこの三者です)

井上頼豊(1996没)氏は本業はチェロ奏者(桐朋音大教授)、ショスタコビッチ研究家、昭和30年代の「うたごえ運動」特に合唱団白樺の音楽的バックボーンとしても有名です。桜井武雄氏は合唱団白樺の指揮者でした。
つまりこの邦訳は合唱団白樺を舞台にして行われたようですね。

(中略)

ただ、井上版はたぶんに歌いにくい点(短音符への詰め込み、高音でのi音等)があり、福永版はこれを是正して歌いやすくしたと言えます。


上位以外にも当時の事情背景・オフレコ話を御説明頂きました。ありがとうございます。

次に、合唱連盟創立史について。
「第5回~第7回 東西四連って何?」の項で東西四連成立の過程を記した際、東京六大学混声合唱連盟についても記しましたが、これに関し早稲田大学混声合唱団OB・鈴木克己様/1984卒から情報の御提供を頂きました。

東京六大学混声合唱連盟が発足するきっかけは、1957年の冬に法政大学混声合唱団の渉外である荒川という人が、早混の定期演奏会の際、楽屋を訪れて私どもの当時の責任者に「男声六連にならって、混声合唱団による六大学の連合組織をつくりたいのだが、ひとつ早稲田が主体となって話をまとめてくれないか」と働きかけをしたことによります。

当初は、野球の六大学と同じ構成校を考えていたそうですが、その頃、早混とジョイントやチャリティーコンサートで付き合いのあった慶応ワグネルと立教グリーからは「うちは、混声を主体とした活動ではないから」との返事があって参加は実現しませんでした。原加盟団体が揃うまでのどの時期に「路線変更」に踏み切ったのかは記録もはっきりしていないものの、第2回の話し合いが法政、早混、東大柏葉会で持たれた際に(男声から混声に改組して間もない)青山学院大学のグリーン・ハーモニーが加わっている状況から見て、比較的早い時点で野球の六大学にこだわらず「混声の実力派を新たに揃えた組織」を目指すことで話が進められたようです。で、明治混声について交渉があったのかどうか、これは記録になかったのですが先に拝見した男声六連の成立史から判断すれば、当時「明大を代表する合唱団」として男声六連に既に参加していたので、混声六連への参加は断られたか、勧誘を差し控えたかのいずれだったようですね。

結局、上記4校の手で参加校を募集したところ、ICUグリークラブと玉川大学合唱団が趣旨に賛同することとなり、1959年に東京六大学混声合唱連盟が結成され、同年12月に事実上の第1回定期演奏会である結成記念演奏会が早大大隈講堂で開かれています。

<東京六大学混声合唱連盟 第1期(順不同)1959~>
 法政大学混声合唱団
 早稲田大学混声合唱団
 東京大学柏葉会合唱団
 青山学院大学グリーン・ハーモニー合唱団
 国際基督教大学グリークラブ
 玉川大学合唱団

ところが、60年安保の政治状況の中で法政大学混声合唱団の内部では「うたごえ運動」に共感を抱いて対社会的な活動を進めようとする流れと、これに反発する流れが対立し、62年に芸術重視派の学生が指揮者の福永陽一郎氏を擁して法混を脱退し、新たに「法政大学アカデミー合唱団」を設立するという分裂状態に陥ります。本家・分派ともに混声六連加盟校としての権利を主張して譲らなかったため、1年間の冷却期間を設けた上で、他の5団体は63年11月に両団体ともに除名という形で決着を付け、翌64年2月に慶應義塾大学混声合唱団楽友会を加盟させることになります。

<東京六大学混声合唱連盟 第2期(順不同)1964~>
 早稲田大学混声合唱団
 東京大学柏葉会合唱団
 青山学院大学グリーン・ハーモニー合唱団
 国際基督教大学グリークラブ
 玉川大学合唱団
 慶應義塾大学混声合唱団楽友会

ところが、こうした流れに何らかの影響を受けたのか、同年11月に今度はICUグリークラブが「内部事情」を理由に混声六連を脱退し、翌65年1月に法政大学アカデミー合唱団が加盟することになります。その後、混声六連のあり方に不満を抱いた玉川大学合唱団が69年10月に脱退し、70年11月に明治大学混声合唱団が参加したことで、現在の混声六連の姿が成立しました。このように加盟団体が1970年代までの間に頻繁に入れ替わってしまった背景には、男声合唱と異なり、男女共学が実施されて日も浅い時期では、サークル活動としての混声合唱団が十分には育ち切れていなかったという事情があってのことだったと思います。

<東京六大学混声合唱連盟 第3期(順不同)1970~>
 早稲田大学混声合唱団
 東京大学柏葉会合唱団
 青山学院大学グリーン・ハーモニー合唱団
 慶應義塾大学混声合唱団楽友会
 法政大学アカデミー合唱団
 明治大学混声合唱団


情報を御提供頂きました早混OB・鈴木様とは、偶然にも共通の知り合いが何人かおり、合唱界の決まり文句「この世界狭過ぎて悪さ出来ないね」であります。
なお、早稲田大学混声合唱団のWEBサイトにあります「Library」は、創立からの経緯などや関係する用語が大変に良く整理されており、見習うべき点が多分にあります。

最後に、「レコード入手・CD化しました!」情報。
「第10回 最古級の大学女声合唱の録音」の項で、日本女子大学合唱団の演奏記録について御紹介しましたが、その際、

<実は、この他にもう1枚伝説のレコードが存在していて、それは木下保氏が亡くなられる1ヶ月前、1982年10月の日本女子大学合唱団第27回定期演奏会のライヴレコードで、客席で聴いていた早稲田グリー・慶應ワグネルの面々を唸らせたと言う女声合唱組曲「蝶」が収録されています。>

と、このレコード探索を広く呼びかけました。
結果として、早稲田グリーOBの笹原優樹様/1984卒から日本女子大合唱団OGの方に連絡を取って頂き、遂にこのレコードをお借りすることが出来ました。このOGのお方は女性ですので、一応念のために名前は伏せさせて頂きますが、本当にありがとうございました。

このレコードには「シューベルト合唱曲集」「三つの抒情」「イタリア歌曲集」「蝶」が収録されており、既にCD化した第7回定演と合わせると、奇しくも「三つの抒情」については故・木下保氏による初演と、そして最期の演奏が揃ったことになります。

日本女子大学合唱団第27回定演における演奏は、率直に申し上げれば、第7回が個人レベルの声や瑞々しい生命感という点で秀でているのに対し、この第27回は総合力と統一感で秀でている、と感じます。「蝶」は、合唱コンクールでそつのない演奏を聴いたことは何度もありますが、しかし一貫した意志の強さに支えられた第27回定演の演奏は、聴く者を音楽的にも文学的にも説得する力があります。

レコードの最後、ステージストームとして「恩師を讃える歌(詩:大谷 智子/曲:團 伊玖麿)」が収録されていました。普通の時に聴けば「先生はいつも厳しく正しかった、先生ありがとう」というような歌詩で、小中学校の卒業式でも歌われそうな平易な歌なのですが、レコードジャケットにある、椅子に座って指揮をされる木下先生の写真や、レコードに収録されている、「蝶」の演奏後に客席に向かって作曲家・中田喜直氏を呼ばれる木下先生のすっかり老いたお声、そしてこの演奏会の1ヵ月後に木下先生が逝去されたことを思うと、平易な歌ゆえにこそ何とも胸迫るものがあって、CD化のチェック段階で何度も繰り返して聴きました。恐らく当時舞台で歌われた合唱団員の方々も、一期一会の予感があったのではないか、と推察します。

日本女子大学合唱団第27回定期演奏会に関係した皆様で、かつCDに関心のある方は、当方宛に直接どうぞ。
tmohki@fides.dti.ne.jp

ということで、前回同様に目頭を熱くしつつ、まるで付け足しのように(笑)

<第29回東西四大学合唱演奏会>
1980/06/22 大阪フェスティバルホール


東芝EMI OL4036~38/ステレオ

手元のレコードは、元々早稲田グリーの部室に保管されていたのだが、当時からレコードや楽譜の散逸が著しく、管理担当者であるステージマネージャーにお願いして、手元での保管を許してもらったものである。(案の定というか、白熱の名演「祈りの虹」を収録した第32回定演(1984)のレコードなどは、山古堂主人の学生時代には新品が20枚以上あったのに、数年前には既に在庫が無かったとのこと。販売したのでもないらしいし、誠に残念である。) 幸いこの第29回四連レコードの盤質はほとんど新品で、スクラッチノイズがほとんど無い。

録音はかなり優秀。合唱と伴奏楽器/合唱と独唱の音響的な分離や、どの団の演奏も各パートの音量が均一過ぎるなど、ミキシングエンジニアの恣意的な音場作りが少々感じられぬでもないが、ライヴをレコードで聴くという観点で言えば、それも悪いことではない。適度な残響と、舞台マイク・吊りマイクのウェルバランスによって、フェスティバルホールの当日の響きを感じ取ることが出来る。また、各ステージ終了後の拍手をかなり長めに収録しているのも面白い。恐らく誰かがそういう指示をしたものと確信してます(笑、後述)。

実は山古堂主人、この原稿を書くにあたり、第29回四連のデジタル化をやり直したのであります。
というのも、過去にCD化しておいた音源を再聴したのだが、当時使用したレコード針「DENON D-103R」は再生するレコードによって少々ビビリが出ることがあって、まさにこの第29回四連のレコードがそれに当たってしまい、例えば関西学院「レクイエム」の伝説のソロでも「見よ、東を」などでビリビリという音の汚れが顕著なため、我慢ならぬものがあった。そのため意を決し、違う針「Audiotechnica AT33PTG」で録音し直した。そんなこともあってサイト更新が遅れてしまったが、リマスター盤の音質は大変にクリアで、そもそものレコードの盤質や音質を極めて忠実に再現することが出来た。

1.エール交換(早稲田・同志社・慶應・関学)

早稲田、マルカートで声を当てることでしか声量を稼げない1980年代中盤以降の未熟な発声とは異なり、歌い始めのユニゾンから落ち着いた風情で、div.した後でも「幾つかの音符を張り上げることに気合を入れ」たりしていない。この統制の利いた校歌を聴いていると、これはイケるかも(笑)、と単独ステージへ期待を膨らませてしまう。バリトンにとても芯の強い声の方がいて、独唱で充分行けそうな立派な声帯だが、コーラスでは少々浮いてしまう。それが独唱の声というものなのですけどね。

同志社、トップでハイノートを綺麗に頭声に乗せている人、そうでない人、ヴィヴラートのかかり具合やその振幅など、人数が増えた分だけそのモザイク模様が増しているかな。トップ主導の上ずりなどはやや喉や腹筋が温まってない感じで、全体的な揃いも今ひとつ。緊張しているのか緊張が緩んでいるのか、良く分からない。

慶應、良くも悪くも発声至上主義ゆえ、発声の統一感はピカ一。バリトンは80年前後を代表する太い声で、やや張りに行ってしまうきらいもあるが、トップも太いのでバランスが取れちゃうのがワグネルらしいところ。例年通り、校歌は一番上手い。

関学、例年にも増して「美しく聴かせよう」という方向のフレージングになっていて、強弱やアゴーギグを上手く設定し、校歌と言うよりは一つの合唱作品として聴かせる。音色は分厚い低声系に声帯を薄く使った高声系を薄く乗せるいつもの響きだが、1人?トップに強い声の方がいて、この方が母音によって響きにムラがあるので、フレーズが一つに聴こえない部分がある。

2.早稲田大学グリークラブ

 「さすらう若人の歌」
  1)いとしいひとがとついでゆくと
  2)この朝 野をゆけば
  3)私は灼熱した刀をもっていた
  4)いとしいひとの青いひとみは
  作詩・作曲:Gustav Mahler
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:小林 研一郎
  Pf:久保 晃子

「コバケン・早稲グリ・さす若」という組み合わせは、この第29回四連の他、第38回・第47回四連と3回あり、期せずして9年周期で登場している。小林研一郎氏が「むやみにレパートリーを増やすな」と他の曲をあまり引き受けないこともあるだろうが、この第29回四連の演奏によって「コバケン・早稲グリ・さす若 =早稲グリ伝家の宝刀・必勝パターン」というイメージになったからか、数年に一度は東西四連の客演指揮者&演目として候補に上がるようである。但し、これら3回の演奏のスタイルは、年次が下るほど重く遅くなっていく。

この第29回四連での演奏は、畑中良輔氏と慶應ワグネルにより普遍化されたテンポよりずっと速く、表現も直截的で鋭い。「若者は、懸命に考え実行しても所詮は未熟なものよ」、というと言い過ぎかも知れぬが、そんな風情すら感じ取れてしまうのは演奏者が早稲田グリーだからか? しかしそれがむしろ良い方向になっている。個人の声や歌い回しの癖を抑え込んでいないことから、合唱機能としては後年の四連に比べ若干の粗い部分があるものの、全体を通じて精神的なデリカシーを失わず、テンポ運びやフレージングでも詩と曲の持つ本来の若さを前面に打ち出していて、山古堂主人が聴いた演奏の中では最もマーラーの意図に近い演奏ではないかと思っている。・・・と言っても、マーラーに直接確認した訳はなくて、下記の根拠による。

この歌曲には、バリトン独唱:ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ、ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/フィルハーモニア管弦楽団、1952年・ディースカウ27歳の伝説の演奏があり、現在でもCDで入手可能である。ブライトクランク式擬似ステレオ録音のため、やや強弱に誇張が入るが、この後40年にもわたってこの曲の演奏解釈を縛り続けた、歴史的名演である。この演奏のテンポがフルトヴェングラーゆえに(爆)結構ゆっくりなもので、当然というか、福永氏による男声編曲版の演奏においても、そのテンポが採用されるケースが多い。また、ほぼ同じ時期に活動したハンス・ホッターの独唱でも、やはりゆっくりしたテンポで演奏されている。

他方、19世紀末に登場したいわゆるロールプレイ・ピアノという自動演奏ピアノで、当時の有名な作曲家や演奏家が「録音」した演奏というシロモノも存在する。簡単に言えばトイレットペーパーみたいな長い紙に穴を空ける事で鍵盤の動きを記録し再生する、というオルゴールみたいな仕掛けなのだが、このトイレットペーパー、もとい「ピアノ・ロール」に、マーラーがこの「さすらう若人の歌」第2曲のピアノ・スケッチを自演したものが残されており、これを再生した演奏のCDが市販されている。これを聴くとテンポは一般的な男声合唱のそれよりも速く、全く清々しいものである。無論、再生機械が速く動いているのではない。それが証明されるのは、同じく交響曲第5番第1楽章のピアノスケッチ自演も同じ残されていて、これはこれで決して速くない・おかしくないテンポで再生されているからである。

「さすらう若人の歌」は、失恋と、その苦悩を昇華させ道を歩んでいく若者の歌であって、失恋した若者を諭す老人のモノローグではない。従い、山古堂主人としては、まず傍証としてのマーラー自演ロールプレイ・ピアノと、詩・曲から受ける印象とによって、小林研一郎氏の演奏スタイルを一つの有力で自然な解釈と位置付け、その上でこの演奏スタイルに従って音場を創出したこの小林研一郎&早稲田グリーの演奏を第一に推すのである。但し、フルトヴェングラーが創出した「後期ロマン」チックな演奏スタイルを是とした上で、慶應ワグネルの演奏を絶賛する方もおられるし、声の整い方やフレージングなどから第38回四連における早稲田グリーの演奏を絶賛する方もおられるが、それは個人的見解の相違なので、好き嫌いは言わせて頂いても、特に否定するものではない。

とは言え(笑)、この早稲グリの演奏、綱渡りのような繊細さと慎重さを要求される部分に限って、御自分の声やスタイルを聴かせ過ぎるごく少数の団員がおられて、ちょっとやり過ぎかな、という部分も4箇所ほどありますけどね。玉にスリ傷。

それと、ピアニストの久保晃子さん、素晴らしいです。今回の再録でほぼ完璧に聴き取れるようになった音の一粒一粒、その全てに意味と表現がある。特に1・2曲目は改めて感動しました。

3.同志社グリークラブ

 「Die Tageszeiten」
  1)Der Morgen
  2)Mittagsruh
  3)Der Abend
  4)Die Nacht
  作詩:Joseph Von Eichendorff
  作曲:Richard Strauss
  指揮:福永 陽一郎
  Pf:伊吹 元子、 山本 優子
  Horn:山本 昭一
  Timp:三島 輝司

「Die Tageszeiten」のオーケストラ付きオリジナル初演は、早稲田大学グリークラブによるもので、創立70周年第25回記念定期演奏会(1977/12/04 東京厚生年金会館大ホール)において指揮/福永陽一郎、オーケストラ/東京交響楽団によって行われた。
これ以前にピアノ伴奏なり、小編成の楽器群なりで演奏されているのかも知れないが、現時点ではそういう情報を入手していない。

この「Die Tageszeiten」のピアノ伴奏版は出版されていて、そのピアノ譜に付記されたいくつかの楽器指定に拠って、オプションの楽器を加えることが可能だが、この第29回東西四連における同志社グリーの楽器編成は、恐らく福永陽一郎氏がフルスコアから適宜楽器を抜粋して加えたものと思われる。

故・福永陽一郎氏による演奏会プログラムによれば、R.シュトラウスは多数の男声合唱を作曲したが、そのほとんどは第二次大戦後に絶版となっており、この作品が今日入手出来るほとんど唯一のまとまった作品、というような記述や、「オリジナルの男声合唱曲の乏しい現状に、今回の試みが、プラスの効果を持つことができれば、こんなに嬉しいことはない。」という記述がある。
(ちなみにメンデルスゾーンの作品に「Antigone」と「Oedipus」というオケ付き男声合唱の大作があって、今演奏すれば「Antigone」はオケ付き本邦初演、「Oedipus」は純粋に本邦初演ですぞ。)

トップのハイトーンは、エール交換とは大違い(笑)、もはやお家芸で他の追随を許さない、文字通り「芸」になってます。それに寄り添うセカンドも概ね(笑)トップのトーンに揃えていて綺麗に聴かせる。加えて、ヘタすると吼えまくりのバリトンも、中高音のデリケートな歌唱を多く要求されている作品ゆえに吼え場が少ないからか、全般的に丁寧に音を紡いでいる。これらの結果、全曲を通じて各声部や伴奏楽器が上手く機能していて、ややもするとゴチャゴチャしがちなこの作品が、すっきりと、しかもロマンチックに聴かれる。(ロマンチックというのは単にアゴーギグや強弱で曲を揺らし聴衆の心を揺らす、ということだけではなくて、均整や統制とその対極としての半音階進行や不協和音をきちんと処理していることも含んでいる。)

演奏会プログラムのメンバー表で言えば、早稲田:73名、慶應:67名、関学:72名(そしてこの時既に約60名という一回生を獲得している!)、という中で同志社は53名という最少人数で、無論少なくはないが、ホルンとティンパニとピアノ2台を向こうに回して、数箇所で合唱がはっきり聴こえなかったりしているのが、やむを得ないとはいえ、少し残念。

4.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

 「JAGD LIEDER」
  1)Zur Hohen Jagd
  2)Habet Acht!
  3)Jagdmorgen
  4)Fruhe
  5)Bei der Flasche
  作曲:R. Schumann
  指揮:木下 保
  Horn:古田 耕造、松本 浩、小谷 宏一郎、桜井 広一、太田 柾幸

慶應ワグネルは、これまでにも記したとおりだが、第14回、第21回四連でもこの「Jagdlieder op.137」を採り上げている。

初めてこの音源を聴いた時は、まさに度肝を抜かれたし、今でも畏敬に値する演奏だと思っている。

本場欧州の男声合唱団による演奏では、ワーグナー歌劇場合唱団系ではなくてウィーン少年合唱団系の軽い声で颯爽と演奏されるが、慶應ワグネルはまさしく前者、良くも悪くもワーグナー的な重さでグイグイと押してくる。ドイツ音楽のリズム感を理解する上で、操馬の「軽速足」という感覚は重要なのだが、ここではむしろ純和風の鎧武者が鎧騎馬で揃い踏み、と言った力技の感が強く、舞台袖で聴いていた早稲田グリーのメンバーが「あいつらも大変だよな」とつぶやいた演奏である。山古堂主人は現在この演奏を「モビルスーツによる狩の歌」と表現している。

狩り。生きとし生けるものを存続させてきた根源的な営み、と大上段に振りかぶる必要もないだろうが、とにかく狩猟は食料調達の普遍的な手段であり身近な仕事であり、貴族のスポーツであり続けてきた。現代の先進国を考えても、狩る人・さばく人・調理する人・食べる人という職業区分が明確になってからまだ200年経っていないと思うし、世界的に見れば自分で狩って自分で食っている人はたくさんいるだろう。大きく農耕民族・狩猟民族、と分けるならば、西ヨーロッパは狩猟民族だから、ロベルト・シューマン(1810-1856)も狩りの文化に違和感は無かったろうし、季節になればパトロン貴族のお付き合いでそこいらの森に行って鹿だかキジだかを獲り、ありがたくご相伴にあずかっていたはずである。そんなことを理解した上で私見を展開するならば、いくら芸術とは普遍の営みから抽象化し純化し、あるがままの姿から一線を画したものだ、と言ったって、狩りの歌に男のロマンとか野趣とか攻撃本能とか、そんな生々しいものが表現されていなければ聴く者の賛同を得られないに決まっているので、シューマンがホルン4発付けて馬のトロッタリングのテンポを使い、或いは霧にまかれた不安を楽譜にしているのを、発声一本槍でなくもっと想像力を逞しくして表現しても、そして過去2回の演奏スタイルから脱却した演奏を求めても良いのではないか。別に舞台で動物を放って狩りをしろと言うのではなく、狩りってこんな風情なのだよ、という雰囲気を聴衆に伝えて頂きたいのである。

ということで、この慶應ワグネルの演奏からは、重機械で重装備で、無意味にカッコ良くて現実感のない1990年代アニメのモビルスーツが連想されたのでした。

上記、あくまで山古堂主人の個人的で高級な願望なのであって、この演奏の価値を認めない訳ではない。この点、別に媚を売るのでもなく明確にしておく。確かに演奏スタイルは本来シューマンが意図したものとは異なるかも知れないが、四声のバランスやドイツ語のさばき方、フレーズの作り方はどこを切っても破綻しないし、最後まで緊張感を保ち発声を保持し、木下氏の解釈に一体となって演奏するスタイルは、慶應ワグネルの面目躍如である。慶應ワグネルの狩りとはこうである、ということで、演奏終了後の客席からの拍手は、関西学院の次に大きく長い(爆)。

5.関西学院グリークラブ

 男声合唱と二台のピアノのための「レクイエム」
  1)第一楽章
  2)第二楽章
  3)第三楽章
  作曲:三木 稔
  指揮:北村 協一
  Pf:浅井 康子、 戎 洋子

この「レクイエム」でバリトン独唱をしているのは、この年度のバリトンパートリーダー・大田薫氏。録音で判る通り、バックコーラスに声が埋もれず音域も広いので、学生ながらこの難しいソロを任されている。当然、現役時代には化物と言われ、また卒業後も全日本合唱コンクール全国大会・職場の部の常連である、某名門合唱団で歌っておられる、とのことである。ちなみにこの年度の第49回リサイタル(1981/01/25 大阪フェスティバルホール)において、同じ顔ぶれでこの「レクイエム」全曲を演奏している。

第二楽章冒頭の高速変拍子や第三楽章の「急げ急げや」のテンポが安全運転気味であまり速くないことなどは、いつもの関西学院セオリーなのだが、第27回四連の早稲田グリーの演奏と違ってピアノ連弾がきちんと揃っていること(爆)、テナーが例年より芯と声量のある歌唱をしていること(これ、録音ミキシングの所為もあるかも知れないのだが)、ベースがしっかり鳴っていること、関学グリーの伝統に従って合唱が縦横きちんと揃えて演奏していること、4声部のバランスが取れていること、母音子音のさばき方が統一されていること等々、どれをとっても「きちんとした演奏」であり、合唱演奏としてほとんど非の打ち所がない。早稲田グリー的見地から言えば、「この部分はもっと激しくて然るべき」だとか、「ここはもっと泥臭く歌うべきだ」、なんて指摘も出来ようし、好き嫌いで言えばいろいろな好みの方もおられようが、何と言っても楽譜に書いてあることを全てしっかりやれていて、それに加えて独唱が学生、しかも学生離れした歌唱なのだから、20回代の四連の中でも屈指の演奏と言って良い。

演奏終了後に、四連ライヴ記録として初めて「ブラボー」が数発飛び、続く拍手は1分50秒間収録されている。無論、本番ではもっと長いアプローズだったろうが、普通ならはせいぜい長くて30秒程度しか収録しない。ちなみに他団での拍手の長さは、慶應1分32秒、早稲田54秒、同志社41秒、ということで、二極化しているのが何とも可笑しい。こんなことをレコード制作業者が独断で決めるはずもないので、東芝さんへの制作窓口であったステージマネージャーさんの全員か一部かが、合議なり独断なりでお決めになったのでしょう。

6.合同演奏

 男声合唱とオルガンのための「ミサ曲」ハ短調
  1)Kyrie
  2)Gloria
  3)Credo
  作曲:Franz Liszt
  指揮:林 雄一郎
  Org.:岡安 早苗

関西学院グリーを永く指導して来られた故・林雄一郎氏の指揮による演奏の記録。林氏は第5回東西四連で合同演奏を指揮しているが、現存する東西四連の音源の中では、林氏の指揮によるものはこの第29回東西四連のミサのみである。

リストは超絶技巧ピアニストとして鳴らしたが、晩年は宗教家として過ごし、宗教曲を少なからず作曲している。いくつかのミサは男声合唱用に作曲されているが、演奏されたと言う話はあまり聞かない。この「Missa C-Moll」は同志社グリーが第11回東西四連(1962)、早稲田グリー第18回定演(1970)で演奏しており、他には「Requiem」からの抜粋を関西学院グリーが第55回リサイタル(1987)で演奏しているが、これ以外はどれほど演奏されているものなのか。

リストの出身はハンガリーなので、リストの男声合唱ミサについては、かのハンガリー人民軍合唱団による録音がリリースされているが、これらを聞くと、ハンガリー人民合唱団にしか歌えないような、結構大変な作品だということが分かる。作品はどちらかと言えば地味な感じだが、低声系でも結構な高音を要求されたり、あるいは持続的な、長大なフレーズでフォルテを鳴らしたりするとなると、学生合唱団ではどうしても派手な演奏になってしまうことでしょう。

演奏は、265名(演奏会プログラムによる)が気合入れて張りまくり、と言った感じで、特に8分を超える「Credo」などはちょっとミサから逸脱しているような。全体的な音色支配は関西学院なのだが、トップテナーは各団のエース級が全力投球、セカンド以下3声もフォルテや高音が出てくるたびにトビウオの如く頑張っていることもあり、ややスポーツ的な感覚が支配して信仰心はほとんど感じられない仕上がり(笑)。そう言えば、この演奏に参加した方が「こんな人の良さそうなおじいちゃん(林先生)をそこまでいじめなくても、と思った」と仰ってました。まあ、声がなくちゃ演奏出来ない作品なのかも知れません。

7.ステージストーム
 
 早稲田 :最上川舟歌
 同志社 :Didn't My Lord Deliver Daniel
 慶應義塾:カリンカ(ロシア民謡)
 関西学院:U Boj

まあストームですからね。あまり目クジラ立てるものでもないし、若さゆえの過ちということで良いのではないですかね。
ということで、早稲田:高速テンポ、水中翼船で最上川下りですか。同志社:転調で崩れる辺りは期待通り。慶応:カリンカのソロで声がが割れちゃったらダメですよ。関学:大田さんの声がまだ聴こえますが、それより聴衆の大喝采に顕れる関学ビイキ、チクショー(爆)


ということで、恐竜時代へまっしぐらの20回代東西四連でした。このピリオドにおける各団の名演をあえて一つずつ、当方の感性において選んでみます。

早稲田:22回「日曜日」
慶 應:20回「コダーイ合唱曲集」
同志社:20回「Messe Solennelle de Sointe Cebile」
関 学:24回「水のいのち」
合 同:20回「Hymne An Die Musik(音楽への讃歌)」

演奏スタイルがやや柔軟性に欠け、音色も変化が無く、ややシリアス系のマッシヴな男声合唱で聴かせる、という演目であれば、この恐竜時代のスタイルは打ってつけなのだが、この20回代では恐竜スタイルに似合うテーラーメイドの作品があまりない。
そんなことで、20回代前半の演奏ばかりとなりました。だからといっては何ですが、次回30回代の「名演」については、実質的には20回代中盤から30回代にかけての名演を選択することになります。
というか、結果が見えてる気もするけど(笑)

・・・10回代についても同様に、当方の感性において選んでみます。

早稲田:13回「コダーイ合唱曲集」
慶 應:17回「メンデルスゾーン 四つの男声合唱曲」
同志社:18回「四つの仕事歌」
関 学:17回「蛙(堀悦子)」
合 同:14回「蛙の歌(南弘明)」
特別賞:10回合同「枯木と太陽の歌」における同志社・中島英嗣氏のテナー独唱
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  • 2006/06/23(金) 18:21:16 |
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