このあたりの四連になってくると、現在もOB合唱団の中核として歌っておられ、山古堂主人も顔を合わせる機会の多い先輩方の世代ですので、下手なことは書けません(笑)
しかしここでグッと踏みとどまってみましょう。
<第26回東西四大学合唱演奏会>
1977/07/26 東京厚生年金会館大ホール

RECORDING PROJECT LTD. MML-1071~73
収録としてはかなり良い感じで、ホールの残響もウィングの広がりもバランス良く捉えられている。
トップやバスのソリストが前に進み出て歌うと、さすがにレンジから外れてしまうが、それはやむを得ないか。
演奏も全体的に「マッシヴな男声合唱」そのものだが、一方で1960年代のような溌剌さというか個々人の自主性というか、そんな雰囲気を感じ取ることが出来、先祖返り率25%という感じ(笑)。
1.エール交換(同志社・早稲田・関学・慶應) |
同志社、復活!という感じです。平田耕造氏(早稲田グリー1981年度トップパートリーダー)の表現をお借りすれば「鋼鉄をギリギリとより合わせてヤスリをかけて磨いたような」トップテナーを中核に、芯の強い声で切れ味鋭く歌ってくる。
早稲田は、これも1960年代のような溌剌としたテンポで奔放な中にも統制感のある校歌。
校歌の歌い方では最後の「わっせだー、わっせだー」を「わーせだー、わーせだー」とテヌートで歌っているのが少々ぬる燗かも。
関学、珍しくテナーの上ずりにベースが付いて行かないので、少々裾が乱れているが、それほどまでにベースが不動の地位を築いているということか。
慶應、やはり発声がしっかりしていてカッコ良いが、低声系(バリトンか?)で速いパッセージに際して地声丸出しの人がいるのが少々ワグネル・ダンディズムの襟を乱している。
2.同志社グリークラブ |
「宝石」~組曲「葡萄の歌」より
作詩:関根 栄一
作曲:湯山 昭
「ゆうやけの歌」~男声合唱とピアノのための~
作詩:川崎 洋
作曲:湯山 昭
指揮:福永 陽一郎
Pf:久邇 之宜
「宝石」は、「ゆうやけの歌」1曲では10分程度で終わってしまうことから、このステージでのカップリングのためだけに編曲されたもの。
今は博物館に飾られ冷たい光を放っている宝石/富と権力によってその宝石を所有した者達も、もはや宝石の代りに山に埋もれ朽ちている、といった内容で、起承転結のはっきりした曲。
この同志社以外に演奏記録を耳にしたことが無いが、演奏効果も小さくなく、もっと再演されて良い作品と思う。
「ゆうやけの歌」は、前年に広島の崇徳高等学校グリークラブによって委嘱初演された作品。
楽譜の冒頭にある作曲者の一文「ブルガリアの怒涛の男声合唱」を日本人に求めたって、そりゃムリってもんです(邦人作曲家だってウィンナワルツや狩の歌は書けないでしょ)が、演奏効果のある作品だけに、声のある団体が演奏すれば聴衆を完膚なきまでに圧倒出来ます。
そういう観点からも、多少の荒れ球を配置しながら豪速球で仕留める村田とかどこに打つか分からない水谷とかがいた職人集団、昔のロッテ・オリオンズのような同志社には打ってつけである。
切れ味のある演奏。
まだあまり演奏回数を重ねていなかったから、聴衆もこの曲を知らない方が少なくなかったと見えて、最後にピアノが派手に鳴った後のlungaで拍手が起きてしまうのが微笑ましい。
後日同じ顔ぶれでリテイクされ東芝から発売されているが、そちらはマイクセッティングとか電気処理エコーのせいであまり面白く聴こえない。
蛇足だが、この曲の歌詩に「なんぞというくそったれのとしよりは、はやくしね」というのがあって、後年これをコンクール全国大会で演奏した崇徳高等学校グリークラブに対して「高校生にこんな詩を歌わせるなんて」と大減点した審査員がおり、そのために崇徳が金賞を逃した、なんて話がありましたね。
この曲の真髄は「何モノにも縛られないこと」だと思うのですけど。
3.早稲田大学グリークラブ |
男声合唱組曲「北斗の海」(改訂版初演)
1)Bering-fantasy
2)窓
3)風景
4)海
5)エリモ岬
作詩:草野 心平
作曲:多田 武彦
指揮:三品 智(学生指揮者)
早稲田グリーはこの東西四連までにも数回、学生指揮者で東西四連に臨んでいたが、この演奏会の三品氏は、特に1980年代の早稲グリ在籍者には伝説の存在である。現在も多忙な社業の間隙を突いて、数年に一度は早稲グリOB合唱団の指揮台に立つ、女子高生的に表現すれば「スゴくな~い?」である。三品氏のあと、早稲グリの東西四連での学指揮登場は14年後まで空く。
この改訂版「北斗の海」は、早稲田グリー第16回定期演奏会(1968/12/07&10)において委嘱初演された初演譜に、「4)海」を加えた5曲構成となっての初演である。
今後この曲を演奏する方の参考になるかどうか分からないが、少し詳しく見ていく。
「1)Bering-fantasy」の冒頭、確か楽譜には「速く激しく」というような指示があったかと思う。
が、早稲田グリーはそういう演奏をしたことが一度も無く、海底から湧き上がるかのように重く厳かに歌い始める。
これがすっかりデファクト(事実上の)スタンダードとなって、その後のどの演奏を聴いても、ほとんどが「重く厳か」である。
「1)Bering-fantasy」の中の歌詩「四肢」について、作詩の草野心平氏は「アシ」と読みを当てているが、早稲田グリーでは初演、再演(第19回定演、1971/12/05)、この第26回四連と一貫して「四股(しこ)」と歌っている。
市販譜の通り歌うように修正したのは、第37回送別演奏会(1988/03)以降である。
まさか偏差値70の学生さんが「肢」と「股」を誤認したとも思えないので、何らかの意図はあったと思うが、謎である。
「3)風景」の中の歌詩「微塵」は、この演奏では「びじん」と歌われる。このあたり、何が正解というでもなく感性の世界と思うが、山古堂主人としては柔らかい「みじん」より好ましい。
「5)エリモ岬」の中の歌詩「セピアの」は、この曲の冒頭と結尾の再現部で2回出てくるが、初演譜ではその両方を八分音符で「セピアの~」と歌い、現行の改訂譜ではその両方とも「セ」が四分音符になって「セーピアの~」となる。この26回四連では冒頭を改訂通り「セーピアの~」、結尾では初演譜の「セピアの~」と歌っている。
以上、楽譜に書かれていないことが実行された多くのアイテムのうち、いくつかを御紹介した。
当時オンステしたメンバーは口々に「あのステージは楽しかった」と仰る。OBを恐れずに記すが、「さもありなん、あそこまで奔放に解釈し奔放に歌ったのなら」というのが、録音を聴いての率直な感想。
ここでは多田氏の音楽でも草野氏の詩でもない、早稲グリの個性が最上位にある。無論、奔放といったって要所は締めているし一定の水準は超えているし、また再現性のないアマチュアライヴゆえ、そういう演奏の是非は問う必要もないのだろうが、あえて言えば、山古堂主人としては申し訳ないが「是」ではありません。いや、偏屈な山古堂主人にのみ上述のように聴こえてしまった、という事なのかも知れないし、ライヴでなくレコードで聴いたからかも知れませんが。
最後に、貴重な文献を御紹介しておく。早稲田グリー第16回定演の演奏会プログラムにある多田武彦氏の文章なのだが、白眉はむしろ草野心平氏の人となりが垣間見られることである。
多田氏の作曲に限らず、草野氏の詩を用いた作品を演奏する際に大いに参考になると確信している。なお、当時多田氏は1年を限って、「レクチャラー」として早稲田グリーの音楽指導を行っていた。
男声合唱組曲「北斗の海」委嘱初演
早稲田大学グリークラブ 第16回定期演奏会
1968年12月7日渋谷公会堂、および1968年12月8日東京厚生年金会館
指揮者:土屋信吾(学生指揮者)
演奏会プログラムの名簿では、T1=33,T2=37,B1=33,B2=21、計124名。
以下、改行含め原文まま。
「御挨拶」レクチャラー 多田武彦
私は子供の時から歌舞伎のほか色々な舞台芸術をみて来たが、物心ついてからは、その芝居の良し悪しを自分で確めると同時に、観客の反応をも感じ取る習慣をつけて来た。そして、観客の感動を呼ぶ芝居の場合には、ある独特の緊迫感と静寂間との繰り返しと、儀礼的ではない拍手のトーンが滲み出てくることを知った。音楽の場合にも、これが存在することも判った。
ところで、先般の早慶ジョイントコンサートでの早大グリーの組曲「雨」の演奏で、東京文化会館大ホールの客席には、前述の独特の雰囲気が滲み出ていた。これは、その日の好調さもあったであろうが、グリーの方々の努力の結果だと、私は信じている。
私は、昨年リサイタル直後から、私が最近機会ある毎に提唱している「楽譜に書かれていない表現方法」(世界第一級名演奏家達が忠実におこなっているところの「拍子の強弱関係の変化による表現」「音の開始時の硬軟の変化による表現」「残響型と持続型音型の使い分けによる表現」「子音に費す時間の長短による表現」「音色変化による表現」「先行するモチーフへの追随の変化による表現」等)を中心に、指導に当って来たが、メンバーの呑み込みが早く、一年も経たないうちに、この大綱をマスターし、前述の「雨」の好演や、演奏旅行での好評に結びつけてくれた。
しかしながら、こうしたことは、「頭で考えるだけで出来る」と思うのは大間違いで、こういう表現方法を知った上で数多くの練習を今後、充分に積み重ねていってほしい。野球にたとえるなら、考えなくても条件反射的に強烈なサードゴロをさばいたり、シュートとカーブでカウントをとっておいて勝負球はコーナー一ぱいの豪速球で三振に打ちとるような、早稲田大学グリークラブらしい実力を、蓄積していってほしい。
本年度早大グリーから委嘱を受け、今宵初演をしていただくことになった組曲「北斗の海」は、こうした早大グリーの伝統的な力強さを頭において作曲したつもりである。
はじめの約束通り、私と早大グリーとの付き合いも、このリサイタルで一応終るが、機能的に動きはじめたエネルギーを基盤にして、より水準の高い指導のもとに大きい発展をとげていただきたい。
今宵の演奏会のご成功と今後のご活躍を祈る。
「曲目解説」 多田武彦
詩人草野心平先生の家は西武線所沢から徒歩で30分位のところにある。まわりには、新興住宅がぽつぽつ立ちはじめているとは謂え、まだまだ欅や櫟が雑木林が散在し、雨上りの午後などには何ともいえない奥ゆかしさがただよっている。
(山崎注:欅=けやき、櫟=くぬぎ)
早大グリークラブからの委嘱作品をつくるに際して、私は、この団体の伝統的な力強さを念頭におくことにした結果選んだのが、草野心平先生の一連の海の詩である。結局、「Bering-fantasy」「窓」「風景」「エリモ岬」の4曲からの構成とし、この表題を頂くために先生のご自宅を訪問した。「北斗の海」というこの組曲の表題は、こうして草野心平先生ご自身の手で生まれた。
草野先生の家の庭には、先生が旅先でとってこられた小枝をさし木して育てられた色々な木が植えられてある。木だけではなくて、下草などにも、そういうものがある。名もない植物を小さいうちから育てて行くところに喜びを見出しておられるのである。
庭の手前には10平方米ばかりの池がつくってあって、そこには数十匹の大小の鯉が飼ってある。丁度餌をやる時間だったので、先生は「一寸、失礼」と言って台所に行くと、ありあわせのソーセージを細かく刻んで持って来られた。水面に先生の手がぴしゃぴしゃ動くと、鯉たちが一せいに先生の手を吸いに来る。「うなぎもいるんですよ」と言われるので見ると1メートルぐらいのが4、5匹もいた。 帰途、途中まで犬の散歩かたがた送って下さったとき、私が「この辺は武蔵野の風情が残っていていいですね」と言うと、「それもいいけれども、こういうのも、いいんですよ」と言って指差されたのが、雑草のそばに、一つだけ咲いていた松葉ぼたんであった。
「富士山」や「天」や「北斗の海」などのスケールの大きい詩を書かれる先生が、植物を育て、鯉を愛し、こうした人がかえりみない様な自然の寸景に感動される場面に接した私は、あの独特な低い声とともに、先生の別の一面を発見出来たような気がした。
草野先生の詩に惹かれて私が作曲した今迄の作品は、昭和31年の組曲「富士山」と、36年の組曲「草野心平の詩から」であるが、前者は精力的過ぎて、後者は音程等が難かし過ぎて、両方とも各大学グリークラブ泣かせの作品になってしまっている。にも拘らず両方とも広く愛唱されているのは、一に、草野先生の詩の偉大さと美しさによるものだと私は思っている。今回、組曲「北斗の海」を作るに当って、私は前2作の難かしさを何とか改めようと思ったが、草野先生の詩の真髄に近づこうとすればするほど、安易な表現方法は採れなくなってしまった。特に第1曲「Bering-fantasy」では吹雪をあらわすポルタメントの連続の箇所、第2曲「窓」では、終始感傷的な甘さは絶対許されない次元での透きとうる様な詩情の表現、第3曲「風景」では、短時間内の強烈な凝集美の表現、第4曲目「エリモ岬」では、溢れ出ようとする感動を、一歩手前で押えこんで、しみじみと表現しなければならない点、などにおいて、またまたグリークラブ泣かせの組曲となってしまった。
しかしながら、前2作は詩そのものだけを通しての制作であったが、今回は、前述した様な草野心平先生の姿や声を想い出しながら、先生が海にのぞんで此等の詩を考えておられる図を私なりに想定して作曲して行ったので、そう言った意味での親近感を、この組曲に対して感じる結果となっている。
4.関西学院グリークラブ |
合唱組曲「日曜日(ひとりぼっちの祈り)」
1)朝
2)街で
3)かえり道
4)てがみ
5)おやすみ
作詩:蓬莱 泰三
作曲:南 安雄
指揮:北村 協一
Pf:久邇 之宜
関西学院は第43回リサイタル(1975/01/19)でもこの「日曜日」を取り上げているが、この第26回東西四大学合唱演奏会では人数も増加し、音の厚さもグッと増して、より安定し洗練された印象を受ける。
あえて第22回東西四連における、同曲の早稲田グリーの演奏と比較してみる。
まず、この関学グリーの演奏は、曲の構造や輪郭がはっきりして、カメラのフィルムならフジカラー「ベルビア」、デジタルビデオならパナソニックの3CCD系、といった風情で、クッキリハッキリ鮮やか、逆説的に言えば虚構の世界/TVドラマのような印象が残る。
特に1曲目。
おとうちゃんおかあちゃんとおでかけするというので両親に支度をせかす子供の表現、そして現実にはその両親共に交通事故で亡くなっており、日曜が来るたびに両親と出かけたことを思い出す、という詩の構成が、悪く言えばあからさまなまでに構成美を以って演奏されている。
まさにTVドラマのカメラ割り・場面転換である。
この傾向は5曲全てに通ずるもので、北村協一氏が極め、多くの学生指揮者が半端に模倣したこのスタイルを山古堂主人は「テレビっ子時代の演奏スタイル(PAT.PEND)」と名付けるのだが、だからといってこれを否定するものでもない。
ツボにはまれば後年の伝説「ギルガメシュ叙事詩・前後篇」のように演奏効果炸裂なのである。但しこの組曲にはやや合わなかったかも知れない、ということであり、そう思ったのはその後、運悪く(?)早稲田の演奏を聴いてしまったからである。
わずかに距離を置いたり間接光のイメージで表現したり、あるいは障子や玉砂利に映る影で表現したりというのは、日本人の感性として重要なことで(これが行き過ぎると「ナーバスなピアニシモ」が多用されるのだが)、早稲田グリーの演奏は奇跡的に(爆)一貫して(驚)、障子の向こう側から8ミリを映写しているかのような、時間軸を喪失した名状し難い雰囲気を持ち、その結果、これらの詩・そして子供達がまだ解決されていない現実であることを、非常に丁寧に表現しているのである。
本来は関学グリーの方がそういう表現は得意なはずで、だからこそ多田武彦作品で名演がたくさんあるのだが。
そんな訳で、この関学グリーの演奏は決して悪くない、いや秀逸な演奏なのだが、題材が題材だけに舞台の上だけで完結してしまったところがやや惜しい。・・・
すっげえ高度なレベルの要求してますけど、四連ではそういう高度な演奏が本当にあるから、これくらいは言わせてもらいます。
<訃報>
2004年8月19日、関西学院グリークラブの伝統を文字通り支えて来られた林雄一郎先生が逝去されました。
第8回の項で記した林先生の御紹介を再掲します。
林雄一郎氏は関西学院グリーOBで、昭和9/1934年関西学院高商部卒。
関西学院グリーが戦前・昭和8/1933年の第7回競演合唱祭(今の全日本合唱コンクール)に初出場でいきなり初優勝した時の指揮者でもある。
東西四連では第5回(昭和31/1956年)と第29回(昭和5/1980)に合同演奏の指揮をされた。
山田耕筰に師事。
宗教曲にも造詣深く、1970~1980年代の関西学院グリークラブ・リサイタルでも本邦初演のミサをいくつか披露している。
また芦屋大学交換教授としてチャイコフスキー音楽院へ留学もしている。
林氏の指揮する関学グリーのミサを聴くと、恐らく関学トーンの基礎はこの方が作ったのではないか、と思われる時がある。
バスを厚くし、その上に精度の高い内声を作りこんで、更にその上に音色を整えた柔らかいトップテノールを乗せる関学トーンは、実は伝統的なロシア混声合唱のスタイルに酷似していて、林氏がそういうロシア合唱への造詣を深められていたのかどうかは存じ上げませんが、そのあたりに関学トーンのルーツがあるように思えてならない。
5.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 |
「シューベルト男声合唱集」より
1)主は我がまもり
2)矛盾
3)昔を今に
4)夜のささやき
5)森の夜の歌
作曲:F. Schubert
指揮:木下 保
Pf:川口 耕平
Horn:慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
独唱:砂川 稔(慶應義塾ワグネルOB)
誰がどう読んでいるか分からないのに書いちゃうと、この独唱の方は大変不思議な声の方で、ヴィントガッセンというドイツのヘルデンテナー(英雄的な役を演ずるとても立派な大声のテナー)の声色を真似しているのかしら? でも4曲目の終盤では完全にそのムリな発声のために声がヘタれてきて、完全に合唱のジャマになっている。ワグネルは時折独唱陣の選択でポカをやるのだが、その中でも取り分けこの独唱は、学生の1年間の修練を無にするシロモノである。こういうオトナは関西方面のピアニストだけでたくさん(爆)。対照的に5曲目のホルン付きの合唱はなかなか颯爽としており、変に重くなくて良い。全般的に少し前のワグネルに戻ったというか、若返りしたというか、ベタつきや粘り感が無くすっきりとした酢メシである。
6.合同演奏 |
「オペラ合唱名曲集」
1)僧侶の合唱 W.A. Mozart「魔笛」より
2)囚人の合唱 L.V. Beethoven「フィデリオ」より
3)巡礼の合唱 R. Wagner「タンホイザー」より
4)狩人の合唱 C.M.V. Weber「魔弾の射手」より
5)水夫の合唱 R. Wagner「さまよえるオランダ人」より
6)学生の合唱 J. Offenbach「ホフマン物語」より
7)Encore:J. Offenbach「ホフマン物語」より第1幕フィナーレ
指揮:エルヴィン・ボルン
Pf:中村 健
エルヴィン・ボルン氏については、当方の調査ではほとんど不明だったので、情報を募集します。
ドイツのオペラ指揮者で、たまたまこの時期に来日しており、畑中良輔先生の口添えで指揮が実現した、というようなことしか分かりません。
さて、その演奏はというと、やや学生の自主性に任せてしまい、あまり制御していないようにも聴こえる。特に舞台向って左側(要は高声系)の数名によるお祭り気分は時折うざったいものがある。
オペラ合唱は当然に声を要求されるから、そちらに意識が行ってしまいがちであり、アマチュア学生合唱では声を張り上げるのもやむなし、なのだが。かくいう山古堂主人も学生時代には「オペラは声を/第九はツバを飛ばすもの」という統制下におり、なんの疑いも持ちませんでした。勿論いまは違いますよ。
ステージストーム |
1)同志社 :Didn't My Lord Deliver Daniel
2)早稲田 :遠くへ行きたい(Pf:三品智)
3)関西学院:U Boj!
4)慶應義塾:塩田小唄
東西四連の演奏記録として、初めてステージストームが収録されている。あまり論評するものでもないが、同志社のボロボロぶりが頼もしい(笑)。WRCラリーとかでクラッシュしたマシンがなりふり構わずに爆走してるじゃないですか、あれですよ、あれ(爆)
その他、ステージストームで伴奏付きだったのは恐らく史上でもこの早稲田だけではないでしょうか。関学グリーは高声系と低声系でややニュアンスにズレがあるようだが、それでもDNAに染み込んだ曲の凄みがある。きっとカカトを付けずに歌った2回生は後刻反省会でシバカれたことでしょう。慶應は上手い。さすが。
とにかく、この演奏会は全般的に溌剌さというか個人の自主性というか、そんなものが割合と前面に出ていて、徹底的に磨き抜いた芸術品というよりも、もっと大衆的演芸という感じで、前後数年の東西四連とは少し毛色が違います。
キャンディーズとかピンクレディーとかが流行していた頃ですしね。