合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


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第1回 大学合唱最古の録音

さすがにエジソン型蓄音機やロウ管の音源は知りません。またラジオ放送用原盤のSPレコードもNHKなんかには保管されていそうですが、個人では入手出来ません。
ですが、市販されたSPレコードであれば、現在でも東京の御茶ノ水・神保町あたりのSP専門店で、意外と豊富に流通しています。

SP(Standard Play)とは

1)音溝を刻んだ直径25センチほどの円盤を
2)ゼンマイ式などの再生機(蓄音機とはよく言ったものだ)で
3)基本的には1分間に78回転させ(ポリドールは80回だったりいろいろ)
4)鉄や竹の太い針で再生する

というレコードで、片面にせいぜい5分しか録音出来ませんし、材質も塩ビではなくて落としたら割れるような樹脂を使い、音溝も50回も再生したら摺り減ってしまうというものでしたが、1950年頃にLP(Long Play)が出るまでは、唯一の音楽記憶媒体として流通していました。

山古堂では早慶明立(順不同)のSPを入手していますが、それにしても驚くのは、早慶明立(順不同)とも、昭和初期には既に学生管弦楽団を有していたことです。
なお、戦前のSPはほとんど全てが斉唱です。

(以下、順不同)


<ビクター50306A/B> 昭和3年(1928)
A管弦樂附合唱 早稻田大學校歌
  作歌:相馬 御風/作曲:東儀 鐵笛
  早稻田大學音樂會聲樂部及管弦樂部員
  指揮:橋田 洋

B管弦樂 早稻田行進曲
  編曲:前坂 重太郎
  早稻田大學音樂會管弦樂部員
  指揮:橋田 洋

早稲田はこの当時から「元気溌剌」で、管弦楽団も何か独特な編曲。軍楽隊の系統とも言え、例えばかの「軍艦マーチ」も何だか西洋っぽくないですが、ああいう系統の編曲であり演奏です。金管がしっかりしているあたり、ドイツ吹奏楽の影響がありそう。
斉唱は思い切り声を出していてよろしい(笑) 本来は慶應の校是であるはずの「独立自尊」を、むしろ早稲田で感じます。

校歌制定が明治40年(1907)ですから、教職員の中に「初演メンバー」がいた頃の録音です。

B面は管弦楽のみ。そういう意味では早稲田大学交響楽団の録音としても最古のもの、ということになります。


<ビクター51930A/B(3140-3141)> 昭和6年(1931)
A應援歌 早稻田第一應援歌
  作詩:五十嵐 力/作曲:山田 耕筰
  早稻田大學音樂部員
  指揮:平野 主水

B應援歌 早稻田第三應援歌
  作詩:西條 八十/作曲:中山 晋平
  早稻田大學音樂部員
  指揮:平野 主水

現在では早稲田大学第一応援歌といえば「紺碧の空」ですが、元々これは第六応援歌です。
戦前にあった第一~第五応援歌がその後歌われなくなったことから繰り上げられたようですが、確かに第一~第五応援歌は野球に特化した内容であったり、やや野暮ったかったりで、慶應の応援歌「若き血」に対抗するには「紺碧の空」を待つことになります。あ、早稲田の場合は校歌も応援歌に使われましたね(笑)

第一応援歌「競技の使命」は、2番は早慶(順不同)戦などで勝った時だけ歌うというもので、旋律やリズムはやはり何だか「軍艦マーチ」のような印象です。その上、結局末尾で早稲田早稲田と連呼する(笑)
連呼しない早稲田ソングはあんまりありません。

競技の使命 母校の名誉
心に銘じ 鍛え来(き)し
鉄(くろがね)の腕 試すは今ぞ 今ぞ

血は燃え肉躍る この意気この力
向かふ者 皆打ち砕く

勝利は我がもの いざ進め取れ(注)

早稲田 早稲田 早稲田 無敵の早稲田
早稲田 早稲田 早稲田 無敵の我が早稲田


注):野球の進塁・打球を意図した歌詞。 また、試合に勝った時は
   「勝利は我がもの いざ進め取れ」を
   「早(は)や我れ勝てり いざ挙げよ勝鬨(かちどき)」
   に替えて歌う。


第三応援歌「天に二つの日あるなし」は、文字通りお天道様は一つしかなくて、それが照らすのは勝者早稲田だ、みたいな歌詞。
やはり最後に「早稲田 早稲田 奮え早稲田」と入ります(笑)


<ビクター50307A/B> 昭和3年(1928)
A管弦樂附合唱 慶應義塾々歌(旧塾歌)
  作曲:金須 嘉之進
  慶應ワグネルソサエテイ部員
  指揮:大塚 淳

B管弦樂附獨唱 慶應義塾々歌
  作曲:金須 嘉之進
  獨唱:木下 保
  伴奏:慶應ワグネルソサエテイ部員(管弦樂)
  指揮:大塚 淳

慶應は、福沢諭吉翁が設立に関わった?東京音楽学校(今の東京芸大)と強いコネクションがあり、指導者や応援(いわゆるトラ)は全て音校生ということで、慶應義塾ワグネル・ソサィエティーという管弦楽・声楽の複合団体の創立に尽力しワグネルの父といわれる大塚淳氏も音校出身ですし、その大塚氏から最初はトラとして呼ばれた、ヴァイオリンも弾けるテノール歌手の木下保氏なども音校出身で、木下氏はその後永く慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団を指導することになります。
(余談ながら、その木下保氏がワグネル男声に紹介した畑中良輔氏もまた、東京芸大出身の歌手であります。)
かかる背景によって、慶應のSPを聴くと、まずオーケストラの編曲がこなれているし、楽器の奏法も他校の一段上を行っていて、特に弦楽器がきちんとしている。オマケに木下保氏の独唱まで収録されています。

この塾歌は、七五調四行詩を6回繰り返すもので、はっきりいって「もしもし亀よ」に近い牧歌風の旋律であり、「日本初の校歌」とはいえ、むしろ学生愛謡の風情。ちなみに詩は下記の通り、塾祖の理想を受け継がんという気風に溢れていますが、これを「もしもし亀よ」に当てはめて歌えば、だいたいイメージがつかめます。角田勤一郎作詩。

天にあふるる文明の/潮(うしお)東瀛(とうえい)によする時
血雨腥風(けつうせいふう)雲くらく/国民の夢迷う世に

平和の光まばゆしと/呼ぶや真理の朝ぼらけ
新日本(しんにっぽん)の建設に/人材植えし人や誰(たれ)

使命ぞ重き育英の/勲業千古に水長く
山より高き徳風を/偉人の跡に仰ぎ見る

心の花もうるはしき/宇内(うだい)子弟の春一家
独立自尊の根を固く/進取確守の果(み)を結べ

修身処世の道しるき/慶應義塾の実学は
両大陸の文明を/渾一(ひとつ)に綜べし名教ぞ

形勝天賦の国にして/起てよ吾友(わがとも)栄誉(ほまれ)ある
独立自尊の旗風に/広く四海を靡(なび)かせん




<ビクター50308A/B> 昭和3年(1928)
A管弦樂附合唱 慶應義塾應援歌
  作歌作曲:堀内 敬三
  慶應ワグネルソサエテイ部員
  指揮:大塚 淳

B管弦樂附獨唱 慶應義塾應援歌(同上、独唱バージョン)
  作歌作曲:堀内 敬三
  獨唱:木下 保
  伴奏:慶應ワグネルソサエテイ部員(管弦樂)
  指揮:大塚 淳

この応援歌は、現在「若き血」で知られる慶應義塾初の応援歌。
オールラウンドに歌い回せる、日本屈指の応援歌の名曲と言えましょう。

ワグネル百周年史に、この曲の完成を記念してSP録音を行ったとあるのが、まさにこのビクターのSP。
B面の木下保氏の独唱が颯爽としてカッコ良い。
木下氏が東京音楽学校を卒業して間もない24歳頃の録音。


<ビクター50620A/B> 昭和4年(1929)
A管弦樂附合唱 明治大學校歌
  作歌:兒玉 花外/作曲:山田 耕筰
  明治大學學友會音樂部員

B管弦樂附合唱 若人「明治」の歌
  作歌:畑 耕一/作曲:高階 哲夫
  明治大學學友會音樂部員

明治大学校歌は大正9年(1920)の制定。そのわずか9年後の録音。
明治は管弦楽の編曲がとっても変で、第一ヴァイオリンが常に主旋律をポルタメントで弾き、浅草オペラチックな感じ。
校歌の伴奏管弦楽は、コードも変えず同じ和声を常に1拍目に全強奏でぶつけてくることを延々と繰り返すので、催眠術にかかりそうです。斉唱も早慶(順不同)より練度が低く、もしかしたらこのSP録音のために急遽編成されたのかも知れません。

若人「明治」の歌は、途中に何拍子なのか全く分からなくなるところがあって、随分難しい愛唱歌だなあ、という感想。中間部に弦楽器のメロディアスな部分があり、管弦楽としてはちょっとドイツ後期ロマン派の影響を感じさせる作品。


<ポリドール629-A/B> 昭和6年(1931)
A校歌 榮光の立教
  作詩:杉浦 貞二郎/作曲:島崎 赤太郎/合唱編曲:辻 荘一
  立教大學グリー・クラブ
  立教大學管弦樂團
  指揮:西垣 鐵雄

B應援歌 立教大學應援歌(セントポールス・ウイル・シヤイン・ツーナイト)
  編曲:西垣 鐵雄
  立教大學グリー・クラブ
  立教大學管弦樂團
  指揮:西垣 鐵雄

「栄光の立教」は、永く立教グリーを指導してこられた故・辻荘一氏(1895-1987)の編曲。
管弦楽の編曲は、当時としてもあまり感心出来ないものです。
何か全楽器でユニゾンみたいな部分もある。

他方、有名な応援歌「St. Paul's Will Shine Tonight」は、恐らくアメリカに遊学した関係者が持ち帰った空気がムンムンしている感じで、当時としてもハイカラ過ぎ、現代ならギャグですが、アメリカの応援団よろしく2番まで歌った後に突然伴奏を消し、

  「R、I、K、K、I、O、rrrr(巻き舌)、rrrr、rrrr、rrrr、
   リッキョ、リッキョ、リッキョ」

と叫んだ後、トランペットがミュート付けて再びあの有名な旋律を奏するのでありました。
10回聴いて10回椅子から転げ落ちます。

驚いたことに、この応援歌はトップテノールがオブリガードを歌い、セカンドテノールが主旋律を歌うという、今流行のバーバーショップコーラスのスタイルで編曲されていて、演奏も立派な四部合唱です

校歌のSPシリーズできちんと多声部合唱を聴かせるのは、この立教の他には関西学院グリークラブの「Old Kwansei」(ピアノ伴奏。ポリドール、昭和6年/1931)しか聴いたことがありません。

ちなみに当時のポリドールは80回転。他社は78回転だから困りますが、実際には78回転で再生して音程が合います。
適当ですね~。


やや番外ですが、
<コロムビアA1131>昭和26年(1951)?
A慶應義塾大學塾歌(現在の塾歌/昭和16年(1941)作曲)
  作詞:富田 正文/作曲:信時 潔/編曲:服部 逸郎
  藤山 一郎
  慶應ワグネル・ソサイテイ合唱團
  コロムビア・ブラス・バンド

B慶應義塾應援歌 若き血
  作詞作曲:堀内 敬三/編曲:服部 逸郎
  藤山 一郎
  慶應ワグネル・ソサイテイ合唱團
  コロムビア・ブラス・バンド

戦前の東京六大学は、まだ共学になっていないので男声合唱です。
恐らく大学初の混声合唱の録音がこのSPと推測されます。
慶應の新しい(現在の)塾歌を、当時コロムビアで戦前から戦後にかけて人気絶頂のアイドル(爆)であった藤山一郎の独唱に、バックコーラスで慶應ワグネル男女声が歌ってます。
なお、SP盤というものは、日本では昭和27年まで製造され、その後LPとかドーナツ盤に道を譲っていますから、このSPはSP最後の輝きの頃のものということになりましょうか。


あとは法政と東大ですが、多忙なのと資金不足で最近神保町に行かれません。
状態の良いSPは5千円以上するのですよ。

<発声など>
どの合唱も、声質は丁度戦前のラジオアナウンサーのように芯を強くした硬い声で、現在のようにのどの奥を開けるという考えがあまり無い感じ。
もちろん当時の収録マイクやSPの特性で、低音や高音が極端に減衰するナローレンジの音域特性ということもあります。
だから、戦前のアナウンサーは機械特性に合わせた発音をしていたわけですな。
ただ、木下保氏の述懐でも、Gを張れる者など音楽学校生にもそうはいなかった、という通りで、高音は全く耳になじまない(笑)。溌剌とした健やかさとか自尊心みたいなものは明快に感じます。

<時代背景など>
大正時代といえば秀才は軍人か大学かということで、村一番の秀才が颯爽とマントをなびかせて大学に行く、というような時代ですから、大学というと現代では想像もつかない最高学府だったわけで、銀座のミルクホールの女中が学生にヨロめくのも不思議ではないのですが、そんな時代に早くも火花を散らしたのが早稲田と慶應(順不同)。
そうです、野球の早慶(順不同)戦。

明治36年(1903)に始まった早慶(順不同)戦から発展した東京六大学野球が初のリーグ戦を行ったのが大正14年(1925)の秋。
国民的人気を得て、昭和2年(1927)に全国ラジオ放送が開始されたことに伴って、かどうかは知りませんが、昭和初期に各大学の校歌や応援歌がまるでアイドル歌謡みたいに、SPで発売されたのでした。神宮に応援に行かれない遠隔地の人たちやOBは、さぞや中継に混ざって聞こえてくる校歌や応援歌に憧憬や懐かしさを抱いて、そういうSPを買い求めたことでしょう。

<合唱団草創期>
SPを吹き込んでいる各大学合唱団の創立は、その学校の学風とか学生の気質によっても異なるでしょうが、いずれにしても明治末期から昭和初期の頃で、推測するに、

1)ドイツ語を習う事が出来、ドイツ語でLieder-Schatzを歌う事を誇りと
  していた旧制高校や旧帝大の合唱倶楽部(東大・九大など)
2)ミッション系私立学校の聖歌隊の延長(関西学院・立教・同志社など)
3)欧州の文化を実践しようという学校・学生の気質
  (慶應・早稲田・明治など)

といったパターンがあろうかと思われます。
基本的には合唱を楽しむクラブとして活動が開始されたと思われますが、慶應ワグネルのように、管弦楽と合唱を合わせて「慶應ワグネルソサエテイ部員」と表記されているようなケースもあります。
これは、当時の慶應ワグネルは楽器奏者と歌手が兼務というケースが多く、明確にその区別を設けていなかったからであり、恐らく他の大学でもそういうケースがあったのではないかと推測されます。

<SP時代を超えて>
いずれにせよ、東京六大学の各合唱団は戦前にほぼ出揃い、戦時中の活動中止をはさんで、終戦の翌年から再開された合唱コンクール東京都大会でも法政オリオンコール(現在はアリオンとしている)と早稲田グリーが鎬を削ったり、各校に混声や女声の合唱団が出来たり、活況を呈してきました。
昭和30~60年代については、今後の東西四連解説などで触れますので、ここでは省きますが、最近10年の大学合唱について、特に大学男声合唱の衰退については、いろいろな意見もあると思います。
思いますが、山古堂主人としては、これまた前略中略ながら、やはり客席に向かって堂々と胸張って主張出来る演奏をしてもらいたいものです。


東京六大学野球リーグに遅れることおよそ四半世紀、東京六大学合唱連盟は昭和27年(1952)に第1回演奏会を開催。
その際、明治大学のみは男声合唱団が無く混声合唱団が出演しましたが、昭和33年(1958)秋に明治大学グリークラブが創立され、翌昭和34年(1959)の第8回定期演奏会から全6大学が男声となって、今年(2004)5月には第53回定期演奏会を迎えます。

SP時代より70年強、関西六大学合唱連盟は昨年平成15年(2003)で休止のやむなきに至りましたが、東京六大学合唱連盟は各校の個性そのままに、これからも続いて行ってもらいたいものです。
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