それは演目であり演奏スタイルであり、基礎的な発声技術であり、そして、その行き着く先が1980年前後の東西四連爛熟期であります。
まずは20回台の中で屈指の演奏会となった第20回から。
<第20回東西四大学合唱演奏会>

1971/06/27 東京文化会館大ホール
キングKR7068~9/ステレオ
日和佐省一先輩(1971卒)からお借りした貴重なレコードからのデジタル化。第19回・第20回の東西四連ライブレコードは、キングレコードから2枚組2,000円で市販された。残念ながらエール交換がカットされている。
録音は基本的に宙吊りマイクを中心とし、ステージマイクで補正したと思われる。
残響が少々人工的で、またステージ中央部を厚めに録音している感じなので、ホールで聴く演奏とは趣を異にするが、市販を意図したのであればやむを得ないか。以下、あくまで録音を聴いての解説。
1.同志社グリークラブ |
「Messe Solennelle de Sointe Cebile」(男声版初演)
1)Kyrie
2)Gloria
3)Offertory
4)Credo
作曲:Charles Gounod
編曲:福永 陽一郎
指揮:宇宿 允人(うすき まさと)
Orch:ヴィエール室内オーケストラ
恐らく東西四連単独ステージで初の管弦楽付きステージであり、またその演奏レベルからして驚異の記録と言っても良く、宇宿氏の指揮の下、見事に統制の取れた演奏を聴かせる。
当時は随分と評判になったそうである。
とにかく颯爽として伸びやかなオーケストラが素晴らしい。
またソリストを全員学生でこなした同志社の合唱も、録音でこそ多少の粗はあるものの、決してオーケストラに食われていない。
「Gloria」冒頭のテノールも、換声区を越えたあたりで少し鼻に抜いてはいるが、綺麗な頭声でFis-Aあたりの高音を飛ばしてくるし、合唱も端整に仕上がって聴こえる。
プロのオーケストラ指揮者・宇宿允人氏については、下記のサイトに良くまとめられているのでご参照頂きたい。
「宇宿允人の世界 ファンの集い」
ヴィエール室内オーケストラは現在の関西フィルの前身。
その起源は神戸女学院の学生オーケストラにあって、このオーケストラの卒業定期演奏会に際し、指揮者として当初予定されていた近衛秀麿氏が急用のためキャンセルとなったことから、同氏の推薦により急遽宇宿氏が指揮をしたことが契機との由。
この時のオーケストラメンバー達の要請によって、そのまま宇宿氏を指揮者とする「ヴィエール室内合奏団」として発足し、1971年1月に第一回定期演奏会を開催したとのことだが、第20回東西四連は同年の6月なので、ここに収録された演奏は、宇宿氏&ヴィエールとして発足間もない頃の演奏記録ということになる。
もしかして宇宿氏&ヴィエールの東京初お目見えか?
2.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 |
「コダーイ合唱曲集」
1)JELENTI MAGAT JEEZUS
2)RABHAZANAK FIA
3)FOLSZALLOTTA A PAVA
4)KIT KENE ELVENNI
5)KARADI NOTAK
作曲:Kodaly Zoltan
指揮:木下 保
この第20回東西四連の中では最も度肝を抜く演奏と思う。
ハンガリー大使館の協力を得て、コダーイの原語歌唱に挑戦している。
この時代にマジャール語の発音を知ることは、現代に比べれば格段に難しかったであろうし、この攻めの姿勢には敬服する。
この演奏以降、方々の合唱団が原語によるコダーイを採り上げているが、原語であるかどうかはともかくとして、これほど強気なコダーイは他に聴かない。
また人数的にも恵まれていたのではないか。聴いた感じでは70名はいたような感じである。
木下保氏がまさに手兵・慶應ワグネルを引き連れての硬派な音楽である。
山古堂主人の記憶では、確か1960~1970年代初の頃に東欧ブームとも言うべきものがあったような記憶があって、チェコやハンガリーの文化が様々に日本に紹介されていたのではないか。
ハンガリーについても、かの国の舞踏団や民族楽団が来日していたように記憶している。
さて、このコダーイの演奏の基礎をなす慶應ワグネルの発声こそ、「これぞワグネル・トーン」であって、1980年代の「良く言えば重厚/悪く言えば鈍重」とは異なるものである。
端的に言えば母音の響きが統一され、その上で口の動かし方が的確で速い。
また、母音の響きそのものも、同志社とはまた異なる咽頭共鳴のポジションで全パートがしっかりとした芯を鳴らし、それが倍音を呼び込んでいる。そして、上記のようなことを個人レベルではなく、合唱団として可能としているのである。
聴きようによっては発声に耳を奪われ、一本調子の演奏と感じるかも知れないが、日本においてこういう発声で統一された合唱団を作り上げるには相当の訓練を必要とするのであって、それを理解した上で、発声も含めてコダーイの音楽を楽しむのが正道である。
慶應ワグネルは第24回東西四連でもコダーイを取り上げており、この第20回東西四連とセットで名演とされている。
なお、東西四連の演奏記録を聴く限り、最も完成された「ワグネル・トーン」は第23回、第24回あたりで、この第20回東西四連の年に1年生だった世代が大いなる飛翔を遂げる(陳腐な表現ですいません)、ということになる。
・・・但し第21回東西四連の項で後述するが、翌年になるとどうもまとまらない合唱をやっているので、この1971年度には特に優秀な歌手が揃っていたという可能性もある(笑)。
もしそれが事実なら、それは学生団体の宿命というものである。
3.関西学院グリークラブ |
「Seven Beatles Numbers」
1)Day Tripper
2)Here There and Everywhere
3)Girl
4)Ob-la-di, Ob-la-da
5)Michelle
6)Eleanor Rigby
7)Yesterday
編曲:宮島 将郎
指揮:北村 協一
Cemb:塚田 佳男
ポップス編曲物で1ステージ組んだのは、東西四連では初ではないか。
この年の関西学院は、レコードジャケット解説によると「(Beatlesの)4人で演奏されたものを男声四部合唱に編曲し、チェンバロを加えて30余名でまとめようという試み」ということである。
この12年後に160人時代が来るとは誰も予想し得なかったであろう。
前年にはやや粗めの演奏をしていた関西学院だが、この年はいつもの関学クオリティを取り戻し、速いパッセージでもスローテンポでも「なるほどね」という演奏(笑)。
2曲目でカルテットが上手側でリードするのだが、これがマイクの収録範囲から外れ、遠くで聴こえてしまうのが非常に惜しい。
これらの編曲のうち「Eleanor Rigby」を除く6曲は、8年後の第48回リサイタル(1980/1/27)において学生指揮者・広瀬康夫氏によって再演されており、そのライブレコードのジャケットにある名簿によれば、94名による演奏となっている。
なお、この宮島将郎氏の編曲による「Beatles Number」は、東京六大学合唱連盟第52回定期演奏会(2003/05/05、東京文化会館)にて慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団によって蘇演された。
このステージを指揮したのは学生指揮者の仲光甫氏/2004卒(愛称ステーヴ、山古堂専用愛称はロバート)という大変ユニークな傑物で、知識も実行力もあり、人数の激減した昨今の慶應ワグネルでは救世主と言って良く、慶應ワグネル常任指揮者・畑中良輔氏の信頼も厚く、間違いなく慶應ワグネルの歴史に残る人物と思うが(誉め殺し?)、彼の趣味のおかげで東京では32年振りに演奏された。
4.早稲田大学グリークラブ |
「Missa O Magnum Mysterium」
1)Kyrie
2)Gloria
3)Credo
4)Sanctus
5)Benedictus
6)Agnus Dei
作曲:T.L. de Victoria
編曲:皆川 達夫
指揮:濱田 徳昭
1967年度から1971年度まで早稲田グリーを指導された濱田徳昭氏の、東西四連では最後の演奏である。
濱田氏が在任中に取り上げた演目は下記の通りで、9ステージ中7ステージが欧州の宗教曲へと傾斜していることが分かる。
<1968年>
「DEUTSCHE MESSE D872」
F.Schubert
17回東西四連
「MESSE SOLENNELLE」
Albert Duhaupas
16回定演
<1969年>
「コダーイ合唱曲集」
18回東西四連
「MASS FOR 3 VOICES」
William Byrd
17回定演
<1970年>
「合唱のためのコンポジションIII」
19回六連
「MISSA Aeterna Christi Munera」
G.P.da Palestrina
19回東西四連
「Missa C-Moll」
F.Liszt
18回定演
<1971年>
「Missa O Magnum Mysterium」
T.L. de Victoria
29回東西四連
「REQUIEM in D-Moll」
L. Cherubini
19回定演
上記の演目にいくつか含まれているルネサンス期のポリフォニーは、各パートが音質・音量・歌唱法とも均質・対等であること、そして刻々と変化する和声を純正調で組み上げることが要求される。
またロマン派音楽においては様々に音価を変えた対位法が低声系に顕著になるので、必ずしもルネサンス期の奏法が合致せず、むしろ独立した動きを顕在化させた方が良い場合もある。
いずれにせよ「良い耳」と「柔軟に対応可能な楽器」、そして「共通した音楽センス」の涵養が必要である。
かような視点によって、濱田氏は早稲田グリーの音楽的な基盤を最構成しようと意図されたものと推察するが、実際にそれを達成するには、特に唱法においては指揮者だけではなく技術スタッフの総合力を必要とする。
結論から言えば、これまでのミサに比べて完成度が上がっている。
それは終止和声の座りの良さであり、パート間の連携であり、パート間の力学的な対等感である。
しかし、未だギクシャクした部分が残っているのも事実である。・・・録音を聴いて感じたことを率直に記すので、客席で聴いていたなら恐らく感じなかったであろう事もあり、当時現役であった方々からすればとても嫌な言い方に聞こえるとは思いますし、そのような感想を持たれた方にはお詫び申し上げます。
1)つまるところ、濱田氏の指導に対して早稲田グリーがどういうスタンスであったのか、というのが濱田氏常任時代の前期と後期で異なるように感じる。前半では濱田氏と一体となり、これまでに馴染みの薄い演目を以って演奏レベルの建て直しを図ろうと言うことで、演奏に一つの方向性が見えるが、後半では濱田氏と早稲田グリーと欧州宗教曲(指揮者と合唱団と演目)の一体感が見えず、言わば「コンクールの課題曲」に聞こえてしまう。
2)例えば終止形の和音などで、和音を合わせようと言う集中力が前面に出てしまうため、その和音に入る前に躊躇というか溜めというかがあって、それまでの音楽の流れから独立した音として聴こえることが多い。何故和音を合わせに行くことにそこまで留意するのか・・・それは和音を合わせることについて練習中にしつこく注意されていたからではないか。或いはパート内のピッチや響きに、僅かながらも常に不揃いが生じていることも、ルネサンス・ポリフォニーには致命的である。
これらの主たる原因は、発声の基礎としての「母音が統一されていない」ことであると山古堂主人は確信しており、これは1960年代後半から現代に至るまでの早稲田グリーのアキレス腱である。
以下「母音の統一=純化」に関する脱線、ならびに山古堂主人が現役時代にも何も出来なかったが故の慟哭でもある。
現在も演奏活動に携わっている全ての早稲田グリー現役及びOBに申し上げたい。
1960年代後半から現代に至るまでの早稲田グリーの演奏で最大の難点は、母音が統一されていないことである。
この点はいつか記さなければならないから思い切ってここで記すが、早稲田グリーの演奏では妙な母音がたくさん聴こえてくる。日本語として基本的な5つの母音でも;
「i」:平べったい者、uウムラウトに近い者、強声でeに近い者、
「e」:aに近い者、何とoに近い者、平べったい者
「a」:oに近い者、平べったい者
「o」:aに近い者、何とoウムラウトに近い者、弱声でuに近い者
と様々で、「u」に至っては絵にも画けない不揃いであり、特にここ3年間の現役の「u」は既に多くの方も指摘している通りで、問題外の外である(あえて図に描けば下図の通り)。

「その母音がフィン語やドイツ語の時に使えれば最高なのに」みたいな母音を平気で邦人の作品に使う。そしてそういった母音がフィン語やドイツ語の歌で再現性がないのは言うまでも無い(笑)。
母音の発音時、頬や舌や咽頭のポジションによって音程も多少上下するから、母音が揃わないことと音程の振れとの相乗効果で、パートソロや和音が内部崩壊する。これでは倍音も鳴らない。
母音を純化させ、曲中で適切に当てはめること。簡単なようで全然出来ません。
山古堂主人は大学3年の時にこの問題に気付き、未だに苦戦中であります。これは顔から口腔・舌・咽頭、そして呼吸に至る諸々の筋肉の微調整の上に成り立つ「声楽の基礎」であって、そもそも意識しなければ出来るはずも無いことである。
こういう問題が生じて「いない」のは、録音を聴く限りでは1965年より前の早稲田グリーの演奏であり(言い換えれば稲門グリーの音色とも言える)、逆にそれ以降、現代に及ぶまでこの問題が延々として解決していない。
どういうことか?
こういう基礎的な概念が導入されていない結論はただ一つ、こういったことについて指摘し調整するヴォイス・トレーナーの不在である。
その不在を、不思議なまでに毎年入団する美声の数名がカバーしてしまうから問題が顕在化しにくい。
大久保昭男氏の母音を揃える手法こそが至高のものだ、と言うつもりはない。特に「u」を「o」に近くして揃える方法には賛否がある。
しかし、大久保氏の指導する合唱団はいずれも、その合唱団の特徴を残しつつも母音はきちんと揃っていて、パートソロも乱れにくく、従って四声の価値がほぼ均等になってくる。
当然倍音も鳴るし、ポリフォニーも整頓して聴こえる。
これすなわち母音の純化という概念が頭の片隅に置いてあるかどうか、に他ならない。
この問題を乗り越える即効手段はただ一つ、母音の不揃いなんかぶっ飛ばす「魂の演奏」をすることと、そういう演目を選曲することです。
でもそんな演目で定演4ステージは組めないと思いますが。
誤解無きように再度記しますが、上記の指摘は早稲田グリーの現役の皆さんに限らない、過去30年間の早稲田グリーに当て嵌まる話です。そして現代においてはプロ歌手・プロアナウンサーを含め、日本中に蔓延しつつある話です。
そういうことでプロ声楽家ですら、まともな母音で歌えない時代ですが、出来るだけきちんと母音の純化を教えられるヴォイス・トレーナーを据えて下さい。
大丈夫、母音を揃えたくらいで早稲田グリーの特色が失せることなんかありませんから。>現役の皆さん。
ついでに、ベルカントとは何ぞや?
ベルカントは母音を純化することと、呼気の調整に応じて柔軟に声量=響きを変化させることの上に成り立ち、そして何より開放的なイタリア語を最も美しく歌うための歌唱法である。
アクートを鳴らせればベルカントだなんて話ではないし、ましてベルカント=大声量じゃ無いよ。確かに古来のベルカントではまず「ありったけの声を出す」ことから始めるが、それと同時に進められる訓練は「母音の純化」です。
従い、早稲田グリーはベルカントではない。
「いや、早稲田グリーは(俺は、じゃないよ)ベルカントだ」と仰る方がおられるなら、その論旨とベルカントの定義を是非御教示願いたい。
長々と脱線、失礼しました。
5.合同演奏 |
「Hymne An Die Musik(音楽への讃歌)」
作曲:Lauchner
指揮:木下 保
実演わずか6分足らずだが、恐らく人数も多かった慶應ワグネルが核となっているからか、そして木下保氏が音楽を造り込んでいるからか、骨格のしっかりした、そしてずっしりと密度のある演奏。
合同演奏のクオリティを上げる、という第10回東西四連で打ち出した方針については以前述べたが、その後の合同演奏を見ると、演目の選定としてはむしろ「四連合同だから出来る曲」という方向性がある。
この第20回東西四連における合同演奏は、改めて演奏のクオリティを真正面に据えたとの印象が残る、好演である。
また、間違いなく大久保昭男氏の指導が効いている。ということは即ち、低声系において、発声に意識が行ってしまうが故の奏法の硬直性が出ているように聴こえる。
<第21回東西四大学合唱演奏会>

1972/07/02 大阪フェスティバルホール
早稲田大学グリークラブ事務所に保管されていた、レコード用オープンリールマスターのオリジナルコピーによる。この高音質はまさに2トラサンパチ(2トラック・テープ速度38cm/秒)の威力である。マスターテープを発掘した後、レコードを聴く機会にも恵まれたが、やはりオープンリールの音源を採用することとした。
収録は残響が少ないオンマイクで、この時期の録音の特徴として舞台左右ウィングの音があまり拾えていないから、ややベースが薄く聴こえる。客席ではきちんとホール鳴りとベースの響きが聴かれたはずである。
1.エール交換 |
慶應は、前年の演奏に引き続いての強気の歌唱。この時期の塾歌の特徴としてmarcatoで歌っているのだが、テナーを中心に数名、胸から上の準備をせずに息の勢いだけで声を押し出す人がいて、歌い出した後の支えが無くて声に震えが来たり音程が上下したりするが、これはエール交換特有の気負いか? 低声系はかなり安定している印象。
同志社は、録音で聴く限りの推定で40名を割り込んでいる? かなり少ない印象。録音でも同志社だけがステージマイクのゲイン(録音ボリューム)を上げており、マイクに近づいて歌っているように聴こえる。
歌唱はしっかりしているが1960年代からすると合唱の薄さは否めない。
早稲田は、正直に言ってしまえば「水を得た魚」。指揮者と合唱団と演目(笑)が一体化し暴走しかかっている。
関西学院は、低声系が「あのベース系」への道を着々と歩んでいる一方、テナー系のまとまりが今ひとつで、少々気負っている感じがする。
・・・やはりエール交換には魔物が棲みついてます。
2.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 |
「JAGD LIEDER」
1)Zur Hohen Jagd
2)Habet Acht!
3)Jagdmorgen
4)Fruehe
5)Bei der Flasche
作曲: R. Schumann
指揮: 木下 保
Horn: 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
慶應ワグネルが東西四連でこの「Jagdlieder」を3回取り上げていることは第14回東西四連の項でも記した。この第21回東西四連はホルン4本付き、オリジナル譜の指定通りである。
演奏は「オーバーロード(過積載)」というのが率直なところ。
もともとシューマンやメンデルスゾーン、シューベルトの男声合唱曲はかなり高音寄りに書かれており、加えて早口で言葉数が多く、跳躍音形も多いから、声を薄く使わないと大変しんどい。
せっかく前年に見せたワグネル・トーンも、「Jagdlieder」の前では弱点を露わにしたか、という印象。特にテノールは聴いていてとっても大変。和声ももう少し精密さが欲しい。ちょっと狩ではなくてマタギかな(爆)
それとワグネル・オケさん。もう少しちゃんと吹いてよね(笑)
3.同志社グリークラブ |
合唱のための「三つの抒情」(男声版初演)
1)或る風に寄せて(立原 道造)
2)北の海(中原 中也)
3)ふるさとの夜に寄す(立原 道造)
作曲:三善 晃
編曲・指揮:福永 陽一郎
Pf:笠原 進
1970年代前半は、同志社にとって苦難の時代と言われている。
特にこの時期は人数の急激な減少に悩まされ、技術顧問の福永陽一郎氏が苦肉の策・あるいは開き直りとして、この「三つの抒情」や、翌年の第22回東西四連でA.Caplet「三声のミサ」を取り上げる等、選曲にも影響が現れている。
また、福永陽一郎氏の体調もあまり良くない時期であったようだ。
演奏は、まずピアノの笠原氏が素敵なピアノを聴かせていて、これは三善晃氏の作品においては非常に重要なポイントである。
また、少人数と言えどもきちんと旋律を歌いかけて来る同志社のキャラクターが、この演目では特に印象に残る。
そういうことで、まず1曲目の出来が良い。
2曲目は的確にディクションと子音の処理をすれば、あとは作品の方で歌ってくれる曲なので、そつ無く仕上がっている(四連レベルで「そつ無く」ってことよ)。3曲目はテンポがやや工夫に乏しい感じがあって、全体的に遅めでアゴーギグも抑制されているが、これは女声ならば是とするが男声ではやや平板に聴こえるかも知れない。
やはり3曲目は女声の曲であるか。
それに男声だと「いまは 嘆きも 叫びも ささやきも ~」の無色の表現や、「とほくあれ 限り知らない悲しみよ にくしみよ ~」以降一連の言わば熱を持たない感情の高ぶりが、どうしても汗臭く(笑)なってしまう。
それと、少人数ゆえか、旋律と関係なく不用意に鋭い子音を発音する人が何人かいる。これはある意味で男声合唱の永遠の課題である。
それにしても、自由律ソネットの詩とあいまった名曲です。
1970~1980年代の合唱コンクール全国大会では、名だたる高校女声合唱団によってこれでもかと言うほど「三つの抒情」が歌われているが、山古堂主人としては1979年の浦和第一女子高校が歌った「ふるさとの夜に寄す」には特に感銘を受けました。
後年いくつかの男声合唱団がこの男声版「三つの抒情」を取り上げているが、当方の聴いた数少ない演奏の中では早稲田グリー第33回定演(1985、指揮:新井康之
(学生指揮者)/Pf:池谷玲子)の演奏が最も良いと思う。
最大の理由は3曲目のテンポ設定とダイナミクス設定の健康的なエロティシズム(爆)。
4.早稲田大学グリークラブ |
合唱による風土記「阿波」
1)たいしめ(鯛締)
2)麦打ち
3)もちつき(餅搗)
4)水取り
5)たたら(蹈鞴)
作曲:三木 稔
指揮:向川原 愼一(学生指揮者)
昨年までのミサに比べて、この躍動感たるや如何に(笑)。
学生指揮者であることも大きいとは思うし、濱田先生の御尽力によって得られた基礎的能力に、上手く演目が乗った、ということならとってもカッコ良いが、どう聴いても前年とは別物の合唱団である。
後述するように、一度舞台に乗せている演目であることも大きい。
やっぱり早稲田グリーは「野趣」です、とまでは言わないが、やや粗いところはあるものの躍動感と開放感がたまらない、という早稲田グリーの定石を押さえた演奏で、他団とは異なる芯のある低声系の発声もあり、歯切れが良い。
第20回四連の項ではかなり厳しい指摘をさせて頂いたが、他方で早稲田グリーの絶対的な美点はと言うと、
無い。
・・・嘘です。
簡単に記せば、「楽譜からどこまではみ出して演奏して良いか、その許容量ギリギリを攻められる団体」ということです。
だから、楽譜に忠実に演奏することで効果が上がるルネサンス・ポリフォニーより、奏者がどういうパフォーマンスを見せるかで評価が決まる近現代の作品、特に日本語の作品に強いのは当然です。
何か頭悪い人たちみたいに読めますけど、実は頭良くなきゃ出来ないんですよ、これ。
だって合唱団員個々の表現の自主性が問われるんですから。
(蛇足ながら1965年以前は、上記に加えて母音の統一感と指先まで神経の行き届いた、敵無しの演奏が出来ていたように思われます。)
なお、早稲田グリーはこの年の4-5月に米国ニューヨークで開催された第3回世界合唱祭に招聘され、この「阿波」や「五木の子守唄」等の日本民謡を披露している。
また、この年から4年間、音楽監督として小林研一郎氏を迎え、初年度の定演でいきなり東京交響楽団との共演で三木稔「レクイエム」全曲を演奏している。
5.関西学院グリークラブ |
「Sea Shanties」
1) Swansea Town
2) Haul Away, Joe
3) Blow The Man Down
4) What Shall We Do With The Drunken Sailor
5) Low Lands
6) Whup! Jamboree
編曲:R. Shaw
指揮:北村 協一
低声系のパートがポジションを換えずに高音部まで駆け上がってしまうというのが、関西学院の伝統であり驚異の一つであるが、1曲目「Swansea Town」でその威力が遺憾なく発揮されている。
発声の方向としては完全に1980年代の「あのベース系」であり、テナー系にもう少し逞しさが欲しいところ。
北村協一氏の演奏する「Sea Shanties」は、黒人霊歌にも通ずるところがあるが、基本的には切れの良さを前面に押し出したリズム重視のスタイル。ただ、そのスタイルをどの合唱団も出来るかというと決してそうではなく、やはり関西学院のようにきっちり仕込むことの出来る合唱団があってこそである。このスタイルがまた揶揄される対象になりがちなのだが、人それぞれの好き嫌いはあろうとも、一つのスタイルとして認められるものでしょう。
また脱線。いずれもっと詳しく書くことになるでしょうが、黒人霊歌なりシーシャンティーなりの演奏にあたって、北村氏&関学グリーのスタイルに否定的な見解を示す方がおられる。単に好き嫌いの話なら、山古堂主人も何も言わないし、そういうことはあってしかるべきでしょう。
ところが何をどこまで調べて言っているのか、「北村氏&関学グリーのスタイルは誤っている、本来の黒人霊歌/シーシャンティーに鑑み、演奏はこうあるべきだ!」みたいな御高説を述べられている方を、特にお若い方をいろいろなところでお見かけするのである。
そういう方には一言申し上げたくなってしまう。
「本来の黒人霊歌/シーシャンティー」って何だ? と。
そしてそういう「本来の黒人霊歌/シーシャンティー」と、R.Shawなどによる原型を留めないデコレーション編曲(山古堂PAT.PEND)との間に、一体どんな相関を持たせれば成功だというのか、と。
ついでに言うと、本来の黒人霊歌と現代に流行しているゴスペルとは、奏法も目的も全然違いますからね。(現代のゴスペルについてもいろいろあるが割愛。)
本来の黒人霊歌/シーシャンティーについても言い出すと切りが無いし、Webに掲載するには知識も充分ではないからとりあえず割愛するが、日本の曲に置き換えて言えば分かりやすいのではないか。
オリジナルの姿をほとんど留めていない男声四部合唱編曲の「最上川舟歌」や「斎太郎節」や「アイヌのウポポ」を歌うのに、西洋記譜法になじまないオリジナルの地歌の旋法や唱法を持ち出して「本来の演奏はこうあるべきだ!」と言うかね。
言ったとして、それを西洋風の合唱演奏の中でどう歌い込めと言うの(笑)。 そもそも上記の曲の「オリジナル」を聴いたことがあったら凄いです。NHK喉自慢で歌われるような「斎太郎節(大漁唄いこみ)」だって、仙台の漁民の歌から遥かに遠く、洗練されて定型化し西洋音階に移植されているし、最上川舟歌も観光用に復活しているが、あれが明治以前に土着の民俗歌謡として歌われていた旋法・唱法の通りなのかどうか、確かめようが無い。アイヌ音楽に至ってはオリジナルが明確に存在し、それと「アイヌのウポポ」には音楽的な隔たりがあまりにも大きい。
以上、ちょっと難しく言えば、現代文化としての音楽技法によってメタファーとして固定化された過去の文化は、もはや現代文化そのものでしかない、というのが山古堂主人の持論。というか、この点は「山」と「古」でも良く議論され、山古堂本舗としての持論でもあります。
ということで、黒人霊歌を歌うのに本来的にはゴスペル風であるべきだ、なんて寝言には聞く耳を持たない。
ということで、山古堂主人は余計なことを考えず、いかに美味しくデコレーション編曲(山古堂PAT.PEND)をいただくかに専念します。
それと編曲者のR.Shawについても、書いたら長大になりそうなので項を改めます。
6.合同演奏 |
1) 歌劇「フィデリオ」より 囚人の合唱
作曲:L.V. Beethoven
2) 歌劇「さまよえるオランダ人」より 水夫の合唱
3) 同 幽霊船の合唱
作曲:R. Wagner
Pf編曲:福永 陽一郎
指揮:畑中 良輔
Pf:1st/伊奈 和子
2nd/福永 陽一郎
第16回東西四連の合同演奏「さまよえるオランダ人」を再演している訳だが、前回とは大きく異なり、ちゃんと聴ける(爆) いやあ、5年間で立派に成長しました。この背景には発声レベルが全般に向上したことがあろうし、またこういう演目に対してどうアプローチするかという方法論も、学生に分かって来たのかも知れない。そういうノウハウの蓄積は、実は大きいのである。ワーグナーは音域が高いし半音階で難しい旋律だし、専用の体力(笑)も要るから、粗い部分があるのはどうしてもやむを得ないのだが、それでも第16回東西四連のように気合が空回りしているということは無く、最後まで声を出し、歌い切っている。
客席で聴いていたら、さぞ迫力があったことと思う。
福永陽一郎氏がピアノを引き受けておられるのは、第16回東西四連の合同演奏以来二度目で、これが最後である。
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