合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


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第9回 10回代の東西四連のレコード-2(第16回と第19回)

<第16回東西四大学合唱演奏会>


1967/06/25 東京文化会館大ホール
ビクターPRD-2017/ステレオ・演奏会ライブ抜粋盤、日和佐省一先輩(1971卒)からお借りした貴重なレコードからのデジタル化。

第14回の録音に比べると、同じマルチマイク収録(注)でありながら、マイクセッティングやミキシングに気を使っていないようで、ひどい録音というほどでもないが、東京文化会館にしてはホールの残響が無く、しかもマイクが相当合唱団に近いところに設置され、その音を前面に押し出した録音ミキシングなので、まるで合唱団の中に混じって聴いているような印象さえ受ける。
また強弱がかなり圧縮されていて、クレシェンドのはっきりしない部分もある。従い、かなり粗の見える録音なので、その分だけ甘く見ました(笑)
でも早慶ともにシューベルトを歌っているので比較出来てしまう(爆)

注)簡単に言うと複数のマイクを使う録音で、普通は合唱各パートの前(計4本)、ピアノ(普通は低弦用と高弦用で2本)、ソロがいればその前、ステージ全体かホールの残響を拾うのに天井から吊り下げ(2~4本)、と設置し、マイクそれぞれに録音をしておいて、後日その道のプロ(ミキサー)が各マイクのバランスを取りながら、最終的に左右2つ(2チャンネル)の音に集約させる。
ドイツ・グラモフォンには神といわれるミキサーがいて、オーケストラの各楽器、つまり50本以上の音源=50以上のチャンネルから2チャンネルに導き出し、カラヤン&ベルリン・フィルの名録音を制作していた。という方法なので、当然客席で聴くのとはかなり違う録音になるが、楽器ごとのバランスや強弱を人間の耳に合わせて調合することが出来るなど、マルチマイク収録にはマルチマイク収録なりの利点も少なくない

1.エール交換

関西学院のトップがやや粗くて、らしくない感じ。人数が少ないのか。
慶應は立派なトップにやっと低声系が追いついてきたように聞こえる。
同志社は1960年代に特徴的なゆっくり目のテンポ運び。少しテナー系が不揃いになっているかもしれない。
早稲田は少々気負いがあって、張ることが目的の人がいる。(それは現代に至るまで続く。山古堂主人も現役時代を思い返して忸怩たる思いでございます。認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを。)

2.関西学院グリークラブ

男声合唱組曲「中原中也の詩から」より
  1)汚れちまった悲しみに
  2)雲雀
  3)六月の雨
  4)月の光
  作詩:中原 中也
  作曲:多田 武彦
  指揮:北村 協一

「中原中也の詩から」は関西学院グリークラブによる1967年度委嘱作品で、北村協一氏の指揮の下、第4回同関交歓演奏会(1967/06/18 大阪フェスティバルホール)において初演された。ここに収録されたのは、その初演から一週間後の再演である。
ちなみに、録音では割愛されている第3曲「朝鮮女」はその後"発禁"となり、「間奏曲」に差し替えられた。
同様に「発禁」となった男声合唱組曲「雨」の「十一月にふる雨」が現在でもごく稀ながら強行演奏されるのに比して、この「朝鮮女」は現代に連なる国際問題を含むからか、作品のアピール性の問題からか、"発禁"後に演奏したという話を聞かない。
その詩や内容や解釈については、Webで詩の一部「子供の手をば無理に引き」で検索すれば沢山ヒットするので、そちらでどうぞ。
演奏は「汚れちまった悲しみに」ではやや粗さがあるものの、主旋律の回ってきたバリトンがテンポアップしてしまうというありがちな問題をギリギリ踏みとどまっており、また他の3曲は「このレコードの録音設定でここまで粗が目立たないとは大したものだ」なので、客席では聴き栄えしたことと思う。
技術的に言えばいわゆる関学メソッドというか、フレージングやディクションや音色と言った細かな「点」を徹底して作りこんでいて、その「点」が無数にあるので「線」や「面」に見える、という演奏。
このあたりが関西学院の演奏スタイルへの賛否両論の元で、「技術的な欠点は無いのだけど、それだけでは人の心は揺れないよ」という言い方をするのであれば、この演奏がそういう批評の対象になるかも知れない。
この論調は、ある日福永陽一郎氏が「綺麗に刈り込まれた生垣のような演奏への疑問」という形で、多少はみ出した枝があるほうが自然である/あるべき、というような一文を示したことから、一斉にその追従者が現れたもので、この話は少し詳しく説明する必要があろうし、山古堂主人としてもこの話に少し時間をかけたいので、いずれ時間が出来たら別項を設けます。

3.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

「シューベルト男声合唱集」より
  Nachtgesang im Walde(森の夜の歌)
  作曲:F. Schubert
  指揮:木下 保
  Pf:梶川 隆

シューベルト男声合唱曲の中ではかなり大規模な作品。
本来はホルン4本が付くが、この演奏ではピアノを付けている。
ピアノは打鍵楽器だから音の立ち上がりがホルンに比べて鋭く速いのだが、合唱がかなりしっかりピアノに、というかテンポに食いついている。
発声の向上も効いていて、堂々としつつ重くない(ということは、この後のある時期に重い演奏の時代が来ると言いたいわけです)。
高声系を抑えないので低声系の音量がもう一歩と聴こえるが、確実にバランスが向上して来ている。

4.同志社グリークラブ

リヒアルト・シュトラウスの歌曲による「愛の詩集」より(合唱編曲版初演)
  1)Morgen(あしたの朝)
  2)Ich Trage Meine Minne(愛を抱いて)
  3)Caecilie(ツェチーリエ)
  作曲:R. Strauss
  編曲・指揮:福永 陽一郎
  Pf:細川 哲朗

「僕の初期の頃の編曲は、凝りに凝ってたから難しいんだよ」と、故・福永陽一郎先生が生前に良く仰っていたものだが、この通称「リヒャルト歌曲集」は、そもそもこの歌曲集を選んでいる時点で、既に凝っていると言えよう(笑)。
その編曲版の初演である。
このレコードでは3曲のみの収録だが、同年末の定期演奏会ライヴ「創立63周年同志社グリークラブ演奏集」というレコードには下記の5曲が収録されている。

1) Alleseelen(万霊節/詩:Hermann Von Gilm)

2) Heimliche Aufforderung(ひそやかなる誘い/詩:Henry Mackay)

3) Traum durch die Daemmerung(たそがれの夢/詩:Otto Julius Bierbaum)

4) Morgen !(あした!/詩:Henry Mackay)

5) Caecilie(ツェチーリェ/詩:Heinrich Hart)

蛇足ながら、そのレコードには大変珍しい福永陽一郎氏の作曲、男声合唱組曲「夜の扉」全5曲のうち3曲が収録されている。

この編曲集は技巧的にも音域的にも優れたトップテノールと、和声感覚の優れた内声パートを擁していないとまともに仕上がらない。
同志社はこの曲集を言わば持ち歌として度々演奏しているが、この東西四連での演奏は関慶と比べてややトップテナーのまとまりに問題があり、その結果フレージングが途切れがちになる。
元々個人の声を刈り込まない団体だから、特に難曲「Caecilie」ではトップが相当荒れる。
内声は良く頑張っているのだが、全般的に聴いていてやや音楽に没頭出来ない部分がある。
録音技術上の問題も少なくないので、客席で聴いていれば恐らくこれほどシビアな感想は持たなかったかも知れないが。

5.早稲田大学グリークラブ

「シューベルト男声合唱集」より
  1)Geist der Liebe(愛の精)
  2)Grab und Mond(墓と月)
  作曲:F. Schubert
  指揮:石井 歓
  Pf:白石 隆生

元々早稲田は戦前から戦後に至るまで、事あるごとに「野趣に富む」みたいな評価を賜って現在に至るのだが、1962年から1967年まで早稲田グリーを指導された石井歓氏にしても、その後に常任指揮者となる濱田徳昭氏にしても、その評価を変えたいと言う強い想いがあったのだろうか、普通なら「野趣に富む」演奏をしてはいけないような演目を、時折持ってくるのである。
そんな次第でこの四連では早稲田によるシューベルトなのだが、同じ四連の舞台で慶應と早稲田がシューベルトをぶつけているから比較しやすい。
演奏は、フレージングやデュナミークといった基本的な奏法以前に、母音・子音の揃い方やフレーズの終端の丁寧さなど、基本的な技術が摩滅している。
(そして臆面も無く言えば、それはそのまま現代に至るまで続いている。)
 また、この頃を「どん底」と認識して、翌年春までに指導陣の諸先生を総入れ替えした、という事実があることを記しておきます。

6.合同演奏

  歌劇「さまよえるオランダ人」より
  1)水夫の合唱
  2)幽霊船の合唱
  作曲:R. Wagner
  Pf編曲:福永 陽一郎
  指揮:畑中 良輔
  Pf:1st/細川 哲朗
     2nd/福永 陽一郎

演奏は、「良く頑張ってます、でも器からはけっこう溢れてるね」と言っておきましょう。
やはりこういう曲になると素直な合唱発声だけではいかんともし難いところがある。
福永氏の述懐にある通り、この時代にこんな演目をやれるのは確かに東西四連の合同演奏だけかも知れません。
が、ワーグナー歌いの慶應ワグネルですら真っ当な演奏をするにはもう少し待たねばならないという頃でしたし、やはり現代にこの録音を聴く限り「良く頑張ってます、でも器からはけっこう溢れてるね」。
気合はもの凄く感じますけど。特にトップで。

福永陽一郎氏のピアノ伴奏は、この第16回のほか第21回東西四連合同演奏(1972、歌劇「フィデリオ」より囚人の合唱と、歌劇「さまよえるオランダ人」より水夫の合唱&幽霊船の合唱)がある。


<第19回東西四大学合唱演奏会>
1970/10/26 大阪フェスティバルホール
キングKR7034~5/ステレオ、福永暁子ママさんにご無理をお願いし、故・福永陽一郎氏所蔵の貴重なレコードをお借りしたもののデジタル化。

第19回・第20回の東西四連と第19回東京六連はキングから、また第20回東京六連は東芝から、「キャンパス・コンサート・シリーズ」という名で、何と一般向けとしてレコード屋でも2枚組1,500円で販売された。第20回東京六連以外は、残念ながらエール交換がカットされている。

録音技術の観点から言及するならば、この「キャンパス・コンサート・シリーズ」シリーズは販売会社は違っても制作会社は一緒だったのか、あまり録音技術が優れていない。
この第19回東西四連の場合、合唱収録マイクは舞台上の合唱の目の前(マイクが収録対象に近いことをオン・マイクといいます)、しかもやや低めの位置に設定されたようであり、各パート・各人の声が判別出来るほどだが、ホールの残響や空気
感がほとんど無く、また何人くらいで歌っているのか全体的な音像の見当がつかない。何せ、恐らく40名程度だった関学も200名を超えていたであろう合同演奏も、同じような人数に聞こえてしまうのだから。
そんな訳で、ヘッドフォンで効くと耳の中で歌われているような感じ。

それと、推測なのだが、この頃には慶同関とも大久保昭男氏をヴォイストレーナーに迎えていたのだろうか。
早稲田以外の3団については母音の揃いやフレーズの入り方が非常に均質になってきていて、かつ「土管ベース」の萌芽が見えるのである。これは翌年の第20回東西四連ではっきり判るようになる。

1.早稲田大学グリークラブ

 「MISSA Aeterna Christi Munera」
  1)Kyrie
  2)Gloria
  3)Credo
  4)Sanctus
  5)Benedictus
  6)Agnus Dei I
  7)Agnus Dei II
  作曲:G.P.da Palestrina
  編曲:弘山 知直
  指揮:濱田 徳昭

濱田氏の指導体制となって3年目、発声・奏法ともポリフォニーに慣れてきて、第17回東西四連の「DEUTSCHE MESSE D872(F.Schubert)」からは格段に「らしい」演奏になっている。
発声の仕上がりや母音の揃いといった基本問題の積み残しはあるにせよ、響きの捉え方が団として一定の方向に向きつつあり、「Gloria」「Credo」などでは良い雰囲気。
ややメリハリが強い演奏になっているのはルネッサンス期の作品であることを強調したかったからか、合唱が燃えてしまったからか(笑)、何とはなしにイギリス・マドリガルのように飛び跳ねているような部分もある。

2.同志社グリークラブ

「わが歳月」
  1)わが二月
  2)春
  3)空谷
  4)葉月のお月
  5)十月
  6)音立てて
  作詩:阪田 寛夫
  作曲:大中 恩
  指揮:高田 英生

第13回東西四連で委嘱初演したものの再演。
恐らく黄金期の末期だが、表現の精密さではこの演奏会随一で、このオンマイクの収録でもきちんと録れているということは、客席では手に取れるほどの倍音がなっていたはずである。
演奏スタイルは特に奇をてらったものでもなくオーソドックスなものだが、同志社らしいマニアックな練習を重ねた結果か、ディクションで細かい処理が織り込まれ、それが詩の雰囲気を上手く音楽に転換させている。この第19回東西四連の演奏の中で最も強く、大久保昭男氏のヴォイストレーニングの存在を感じるが、果たして事実やいかに。

3.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

「男声合唱のためのコンポジションII番(合唱のためのコンポジションVI番)」
  1)第1楽章
  2)第2楽章
  3)第3楽章
  作曲:間宮 芳生
  指揮:木下 保

慶應は、現在では「コンポ6」との呼称が定着した間宮芳生のライフワークの一連
で、第17回東京六大学合唱連盟定期演奏会(1968/05/26)において、法政大学アリオンコールによって委嘱初演された作品。
曲を解説すると、各楽章の素材となっているのは、実在する日本各地の民謡などである。

第1楽章
前半は岩手の古い稗搗唄、後半は岩手・亀が森村の「田植踊り」の中の「掻田打の唄」の2つを素材とする

第2楽章
青森・八戸神楽「権現舞の唄」と、青森・田植祭えんぶりの芸能の2つを素材とする

第3楽章
前半は兵庫・亀岡神社の風流踊り、中盤の経過部分では東京都下・木場の労働歌、後半は大分・大漁艫囃子を素材とする

声は「ワグネル・トーン」モードに入ってきている頃だが、強声を多用せずに演奏していることや、冒頭に記したとおり「オンマイク」であり、ヘッドフォンで聞くと合唱団が耳の中で歌っているような近さだから、正直に言って、客席で聴いてどうであったか良く判らない。
演奏は、率直に言えば何を意図しているのか掴みづらい。それは下記のような考え方に基づくが、要は音色や奏法の妙がなく、演奏が淡々と過ぎ去ってしまうように感じるのである。
また「囃子」を要素とする第2楽章は、もっと速く演奏しても良いように感じる。

「コンポ」シリーズについて、特に男声のための「III」や「IV」の演奏スタイルを大別すると、いわゆる普通の合唱でマッシヴに行くスタイルと、民族発声の音色(民族発声そのものではない)を使うスタイルとがあり、その演奏数比は9:1くらいか。例えば混声用のシリーズではその演奏スタイル比が6:4程度と感じるから、男声ももう少し音の種類を考えるべきかも知れない。
無論、第17回東西四連における福永&同志社の「コンポIII」のように「ベルカント唱法でやる」と宣言し、あくまで西洋風の奏法を手段として日本の伝統音楽から抽出された結晶を聴覚化するという一般的な奏法が、正しくないということではない。
しかしそれはこの曲へのアプローチとしては一面的であって、「コンポ」の作曲意図は、日本独特の奏法や旋法をユニバーサル・ランゲッジとしての現代記譜法で五線譜上に抽象化しているのだから、それを音に戻す(演奏する)際には日本固有の音や奏法を常に念頭に置いておかねばならない、と、山古堂主人は大雑把に言えばそう思っているので、音色の変化を意識せず怒涛の男声合唱で歌うというのはどうかと思う。
かといってせっかく抽象化された「コンポ(特にIII)」を「これは元々民俗であり民謡だ」と決めつけて、野放図なまでに地歌の世界に還元してしまうのもどうかと思うけれど。
・・・あくまで日本の音を素材とした「合唱のためのコンポジション」である。
効果的に音色を配置するというこの辺のサジ加減は、サウンドパレットの多い混声の方が数段手馴れているように感じる。
男声合唱団では、やはりプロフェッショナルの田中信昭氏が率いる法政大学アリオン・コールに一日も二日も長がある。
そういうことで、近頃骨太な演奏が少ないと嘆いている山古堂主人ですが、コンポIIIだけはマッシヴな声で骨太にやっちゃいけない曲だと思っています。

5.関西学院グリークラブ

「NEGRO SPIRITUALS」
  1)Steal Away To Jesus
  2)Go Down Moses
  3)Josha Fight the Battle of Jericho
  4)Listen to the Lams
  5)Little David Play On Your Harp
  6)Sinner, Please Don't Let Dis Harvest Pass
  7)The Gospel Train
  指揮:北村 協一

関西学院は、「黒人霊歌の解釈に定評がある」と評される北村協一氏の指揮。
この時期の関西学院の人数はあまり多くなかったようで、恐らく40名程度か。
関西学院が次に黒人霊歌を取り上げるのは、第42回・第46回東西四連で、共に人数が80年代の100名超から大幅に減少し、40名前後となった時である。
演奏は、臆せずに言えば、わざと荒れた風に演奏していたのなら良いが、そうでないとすると東西四連の現存する全ての音源の中で、「最も粗い関学グリー」である。
編曲が少し変わっていて、ややブルースのスローテンポに傾いており、デコレーション編曲(山古堂PAT.PEND)のR.Shawとは異なる演奏効果が出ている。
黒人霊歌というモノについては、特にご年配の方に一家言を持っておられる方が多いと思いますが、別途項を改めて真っ向勝負します(笑)

5.合同演奏

男声合唱組曲「海の構図」(男声版初演)
  1)海と蝶
  2)海女礼讃
  3)かもめの歌
  4)神話の巨人
  作詩:小林 純一
  作曲:中田 喜直
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:北村 協一
  Pf:笠原 進

合同演奏「海の構図」は、編曲者の言によれば「混声合唱の響きとしては、やや散漫な音の組み合わせが、演奏を困難なものにしている」とあるが、現実にはロシア人並みに低音の豊かな女声を有する混声合唱団しか演奏出来ないほど、全般的に女声の音域が低いのである。
翻って、男声版の編曲は、原調を変えることなくその問題点をあっさりクリアして、むしろ男声オリジナル作品と思わせるような鳴りと繊細さを包含させている。
編曲者の福永氏は、「『神話の巨人』の半ばから後、終結部にいたるまでの変容の美しさは、まさに「海」というもののイメージを確実にとらえた音楽というべきで、夕映えの光景を眼底にありありとうつし出すような音楽の頂点は、見事というほかはない。」とレコードジャケットに記しており、別のレコードのライナーノーツでも、その部分の描写に「全力を傾ける」と記している。
中田喜直氏の作品中でも白眉の部分である。
この第19回東西四連の合同演奏は、本来は編曲者の福永氏自身が指揮するはずで
あったのだが、福永氏急病のため北村協一氏が指揮することとなったもの。
ごく初期の頃から東西四連に携わってきたお二人の「阿吽の呼吸」である。
蛇足ながら、怪我の功名と言うべきか、客席でこの演奏を聴くことが出来た福永氏は、編曲上のいくつかの問題点を知り、これを修正した改訂版を第22回東西四連の合同で、今度こそ自身の指揮で演奏したのであった。

冒頭に記した通り、この合同演奏も50人程度で歌っているような収録なのが、非常に残念である。
2曲目が遅め、3曲目が速めで、この2曲のテンポが似通っているのは、組曲中の4曲のウェイトを均質化し、後半2曲をattaccaの様に演奏しても重くなり過ぎないようにとの配慮か。


10回台の東西四連、すなわち1960年代の早慶同関を総括的に書くと;

関西学院は人数が少ないようであるが、合唱機能としては完成されたものがある。
まずはそれが感嘆に値するが、それを現代に至るまで維持し続ける仕組みこそ驚異である。
1960年代では、後半には多少粗い場合もあるが、常に一定の水準を守っている。
選曲も結構手堅いが、そのくせデュオパ「荘厳ミサ」を単独でやれちゃったりするから、やはり一目置かれる存在なのでしょう。

慶應は傑出した声が必ずいるトップテナーと、その他3声との整合性がまだ取れていないが、ワグネルトーンが形成されていく経過が分かる。特に低声系が弱いことの克服が少しずつ着実に進んでいるのが興味深い。
演奏は常に骨格のしっかりした演奏で、指導する木下保氏の色が強い。
また、これはあくまで山古堂主人の私見ながら、四連の中では最も自尊心が強い演奏スタイル、つまり

1) 自尊心が強い
→他人に文句を言わせない
→文句を抑えこむ演奏をしてやる
→そのために努力する

2) 努力する
→その成果を必ずや見せてやる
→他団より良い演奏をしてやる
→自尊心を満たせる

という回帰型のシーケンスが見え、必ずしも音楽そのものに対してひたむきではないように聴こえる場合もあるのだが、結果として良い演奏をするし、そもそも校是が「独立自尊」なので仕方ない。

同志社は第10回のやや特殊な演奏スタイルはともかくとして、人数・レベルとも黄金期か。
バレエで言えば、指先やつま先まで神経の行き届いた表現が出来るし、「白鳥の湖」の黒鳥オディールがやる連続32回転みたいな大技(グラン・フェッテ・アントールナンといいます)もこなすという、オールラウンド・プレイヤーである。
とにかく曲を掴むのが上手いので、1960年代のヴァリエーションに富んだ演目のいずれにおいても優れた演奏を聴かせる。
特に第13~17回あたりは福永陽一郎氏も気力充実していたのか、素晴らしい演奏である。

早稲田は1960年代の前半と後半で大きく異なる。
1966年から技術スタッフを総入れ替えしたという事実はあるが、それは結果としてのことであり、そこに至るまでの別の原因があるはずで、その原因は耳にしていないが、容易に推察出来るような気がしないでもない(笑)。
1960年代の前半まで、早稲田は慶同関とは明らかに異なる独特の技術バックボーンがあった。
それは発声の明るさでありフレーズの立ち上がりのスピード感であり、これが団として統一されていることに加えて声量もあったから、「野趣」という言葉に代表される早稲田グリーの特色となっていた。
「野趣」とは悪いイメージではない。
もの凄く分かりやすく例えると、

>洗練されたテーブルマナーを駆使しつつ高級フランス料理を堪能する

> どこかにキャンプに行ってフライフィッシングで釣ったイワナの焼き立てを皆でわいわい頬張る

前者の、フランス料理そのものが関西学院、テーブルマナーを駆使している自分に陶酔しながらワインの説明までしているのが慶應、厨房のシェフが同志社。
後者のキャンピング主催者や、フライフィッシング愛好者、イワナを焼く人、わいわい楽しんでる人、その全員が何となく雑然としながら、その場を共有しているのが早稲田。
無論、上記のどちらが美味しいか(味だけではない)に甲乙はつけられないもので
す。
いずれにせよ、クラシックが高尚な趣味と思われ、その演奏に携わっていることが「ハイソ」であり「スカしてる」であった時代に、早稲田グリーはまさに欧州人にとってのクラシック音楽と同じように、身近で地に足のついた庶民派クラシックをやっていた、というと擁護し過ぎですかね。
この例えで言えば、1960年代の前半までの早稲田は、最終的に「みんなで良いキャンプ・良い思い出を作ろう」みたいな方向性の一致があったが、1960年代の後半では、釣りの穴場を探しに上流へ行ったまま晩飯になっても帰ってこないとか、自分の食うイワナだけを丹念に焼く者とか、近所の女子大生キャンパーにお節介を焼きに行っちゃう者とか、そんな感じ。
もっと言うと、結局帰りは同じクルマだから全員揃うのだけど、その頃にはキャンピングプランナーや責任者はヘトヘトなのに、でかいイワナを釣った奴は妙に元気に自慢話をしてる、みたいな。
これまた1990年代前半まで続く「伝統」になりました、はい。
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