レコードは第13、14、16回がダイジェストで、第19回以降が一応全ステージが収録されるようになります。(といってもエール交換やストームについては、収録されたりされなかったりですが。)
<第13回東西四大学合唱演奏会>

第13回東西四連パンフレット
1964/06/14 大阪フェスティバルホール
東芝SEC-123/モノラル・演奏会ライブ抜粋盤、日和佐省一先輩(1971卒)からお借りした貴重なレコードからのデジタル化。
モノラルであり、またホールの空気感に乏しいが演奏の雰囲気は充分に伝わる収録。
演奏会の全体を通してもかなり高いレベルで、レコードの演奏を聴く限りでは10回台で最も良い演奏会だと思われる。
1.エール交換 |
エールからいきなり嬉しいのは、各団が校歌を歌い始めると客席から歓迎の拍手が沸き起こることである。
こういう拍手が音源として残っているのはこの第13回だけだが、もしかしたらそれ以前の特に関西での東西四連では定例だったのかも知れない。
この雰囲気はとても良い感じ。
実際には各団とも校歌を2番まで歌っているのに、レコードでは収録時間の都合で1番だけになっており、それを知っていたのは幹事校だった同志社だけで、彼らだけが1番の最後にテンポを緩めるなど「収録向け」の演奏をして、後日顰蹙を買ったとのこと。
2.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 |
シューベルト男声合唱集」より
Gesang der Geister ueber den Wassern Op.167
(水の上の精霊の歌)
作曲:Franz Schubert
指揮:木下 保
Pf:辻 敬夫
木下保氏の統率のもと、しっかりした構成のシューベルトを聴かせる。
木下氏の指導は非常に厳格なことで知られ、それが音楽にも顕れている。
合唱が陥りやすい安直で不用意なport./rubato/rit./smorz.を許さない。ピアニストで言えばケンプ、ヴァイオリニストで言えばハイフェッツのように、20世紀末の耳で聞くとやや古典的にも聞こえるが、音楽の流れが決して澱まないのである。
これは山古堂主人には大変好ましい。
技術的には、畑中良輔氏が1960年から、大久保昭男氏がその翌年から慶應ワグネルの指導に携わっているが、まだその成果は道半ばという感あり。
つまりテノールはしっかりしている(凄い人が一人いるというのもある)が、低声系は音量・音質とも未だそれをサポートしきれず、4パートを連ねてのワグネル・トーンを聴かせるには更にあと数年を必要とする、というのが率直なところ。
そのワグネル・トーンの完成に畑中氏の後期ロマン派的な味付けと木下氏の厳格なドイツ音楽が相和して、慶應ワグネルは1970年代の黄金期を迎えるのである。
3.関西学院グリークラブ |
男声合唱のための「アイヌのウポポ」より
1)くじら祭り
2)イヨマンテ(熊祭り)
3)ピリカ ピリカ
4)リムセ(輪舞)
採譜:近藤 鏡二郎
作曲:清水 脩
指揮:北村 協一
関西学院として初めてこの曲を演奏したもの。
組曲自体は1961年の作品で、同年に立教大学グリークラブが初演。
「ウポポ」の演奏では、古今東西の演奏の中でも特に第36回東西四連(1987)の「北村&関学のウポポ」が超絶であるが、この第13回四連において既にそれと変わらない演奏スタイルが出来上がっている。
1曲目でわずかに音の乱れが生ずるが、見事に聴き合って吸収してしまう。
リズムはやや速めだが、それがかえってアイヌ本来の音に近いようにも感ずる。
この曲は、北村&関学が完成された様式美で聴衆を圧倒してきた、関学十八番である。
この第13回東西四連の翌年、1965年に関西学院グリーは米ニューヨーク・リンカーンセンターで開催された「第1回国際大学合唱フェスティバル」に招待されて「アイヌのウポポ」を演奏し、「あれほどの熱狂的な、総立ちの拍手は、かつてあの時しか経験したことが無い」と北村氏が述懐されている。
余談ながら、その国際大学合唱フェスティバルのライブ盤があり、「くじら祭り/リムセ(輪舞)」を聴く事が出来るが、これまた完成された出来栄え。
ほとほと感心する。
4.同志社グリークラブ |
組曲「わが歳月」より (委嘱初演)
1)春
2)葉月のお月
3)音立てて
作詩:阪田 寛夫
作曲:大中 恩
指揮:福永 陽一郎
この作品委嘱は、同志社グリー創立60周年を記念して「大先輩、大中寅二先生の御令息で、現代日本の代表的作曲家の一人である大中恩先生に、永久に記念すべき新作を創っていただくこと」という方針に拠っている。
大中寅二氏は1921年卒の同志社グリーOB。
福永陽一郎氏の言葉をお借りして補足すると、「大中寅二先生は、合唱世界ではもっとも有名な大中恩さんのお父様で、ですから云ってみればもう日本の旧い世代に属している作曲家です。
日本で最初の「作曲家らしい作曲家」であった山田耕筰氏の、最初のお弟子さんの一人でした。
そして、この種の紹介のしかたが、先生のお気に召すかどうかわかりませんが、日本の国民的愛唱歌とも云える「椰子の実」は、大中寅二先生の作品です。」(同志社グリー創立63周年記念演奏会/1967ライヴレコードのライナーノーツより)。
初演でネタを知られていなかったこともあったろうが、「葉月のお月」という少しとぼけた詩による、関西弁のイントネーションを生かした作品の演奏は、所謂間抜け・間延びを抑え、しかもフレーズの終端に至るまで気が抜けていないもので、まるで良く出来た落語を聞いているようで非常に上手く、客席の笑いを誘っている。
福永&同志社の真骨頂である。
その他の2曲も大変に良く仕上がっている。
なお、この1964年は同志社グリークラブ創立60周年であり、記念として初のライヴレコードを制作している。
当時はまだ定期演奏会と言わず、毎年「創立○○周年演奏会」としており、創立60周年記念演奏会では東京公演を含む何と4回公演であった。
勢いのある団の証左である。
1964/11/18 大阪毎日ホール
1964/11/23 京都会館第一ホール(ここに収録された演奏)
1964/11/30 神戸国際会館(同志社校友会神戸支部主催)
1964/12/04 東京文化会館大ホール
日和佐先輩よりお借りした創立60周年記念演奏会プログラムとレコードによると、T1=33,T2=34,B1=39,B2=34 計140名。
恐らく東西四連にも100名というような人数で臨んだのではないか。
1960年代中盤から後半にかけ、同志社の黄金期である。
5.早稲田大学グリークラブ |
「コダーイ合唱曲集」 (邦訳による)
1)ひとりもの
2)酒の唄
作曲:Kodaly Zoltan
訳詩:清水 脩
指揮:石井 歓
邦訳のコダーイというのも現代の感覚ではビックリだが、訳詩が清水脩氏というのもビックリである。
「ひとりもの/KIT KENE ELVENNI」などは原語で聴くと結構切れ味の鋭い曲だが、邦訳だと「ひとりものは さびしかろうに/ヨメにするにゃ 誰が良かろう?」などど歌い出して牧歌的な感じがするから、むしろ邦訳の方が面白いかも知れない。
早稲グリOBメンバーズあたりで蘇演しませんか?
早稲田グリーは1950年代に団員300名と言った時代があるが、実際の稼動人数は170~180名で、更にオンステ人数となるともっと絞っていたらしい。
だから、恐らく実オンステ人数として最大なのはこの1964年と推測され、同年末の第12回定期演奏会プログラムによると、T1=45,T2=48,B1=47,B2=38 計178名となっているから、この東西四連へのオンステも100名超であったと思う。
以前の項でも述べた通りで変な音質の作り込みが無いから、大変に素直でハモりやすく、また良く訓練されていて、好演である。
山古堂個人は、この1964年というのは早稲田グリー史上で最もハイレベルな演奏を聴かせていたように思う。
それは難曲をこなしたとか音圧が凄いとか、そんな局地戦の話ではない。
この演奏レベルで「青いメッセージ」を聴いてみたいな(笑)
6.合同演奏 |
「Missa Solennelle」より
Credo
作曲:Albert Duhaupas
指揮:北村 協一
合同のデュオパ「荘厳ミサ」は、難曲ながらも1970年代までは時折演奏されていたもので、19世紀フランスのオルフェオン運動(注)の中で行われた作曲コンクールでの優勝作品。
従い、テキストこそ典礼文だが、実際の協会儀式での使用は念頭においていない、大変にダイナミックな作品。
第28回東京六連(1979)の東京大学コール・アカデミーのように、オルガンを伴って落ち着いた演奏がされたこともある。
元々関西学院グリーを永く指導しておられる林雄一郎氏の秘蔵の曲であり、1949年に本邦初演されている。
同志社が1957年の合唱コンクールにおいて関西学院を破り、審査員全員が1位をつけて「完全優勝」した時の自由曲も、この「荘厳ミサ」から「Gloria」である。
注)簡単に言えば合唱振興運動。当時の欧州ではチェコやハンガリーでも同様の動きがあったが、基本的に当時の社交サロンにたむろするのが男性であったり、村単位や町内会の如き生活共同体が男性の寄り合いであったことからか、男声合唱が中心である。
山古堂主人の知識を我田引水すれば、例えばチェコではフラホル協会の設立と、この協会の主導する男声合唱振興運動があり、日本で言えばちょうど多田武彦氏のような作曲家がたくさん現れ、フラホル協会会長となったスメタナも「Slavnostni Sbor」等の男声合唱曲を作ったりした。
東欧では特に、芸術としての合唱というよりハプスブルク家の欧州支配力が弱体化したことに呼応しての政治活動に近く、大衆運動の煽動であったり民族独立のプロパガンダの色彩も帯びていた。
OBメンバーズ2001で演奏された「19世紀のチェコ男声合唱曲集」がまさにそれである。
デュオパ「荘厳ミサ」は、当時、東西四連以外のジョイントコンサートや連盟では、到底選択出来る演目では無かったと思われるが、この合同演奏はさすが東西四連というような演奏。
わずかに粗い部分もあるが、それが気にならないほど全体的に均質な発声であり、縦横が揃って仕上がりが良い。
恐らく客席で聴いていたなら音楽の前進力と音量に圧倒されたに違いない。
ちょっと脱線。
ここで解説するのも変ですが、デュオパ「荘厳ミサ」を秘蔵しておられた林雄一郎氏について御紹介させて頂きます。
林雄一郎氏は関西学院グリーOBで、昭和9/1934年関西学院高商部卒。
関西学院グリーが戦前・昭和8/1933年の第7回競演合唱祭(今の全日本合唱コンクール)に初出場でいきなり初優勝した時の指揮者でもある。
東西四連では第5回(昭和31/1956年)と第29回(昭和5/1980)に合同演奏の指揮をされた。
山田耕筰に師事。
宗教曲にも造詣深く、1970~1980年代の関西学院グリークラブ・リサイタルでも本邦初演のミサをいくつか披露している。
また芦屋大学交換教授としてチャイコフスキー音楽院へ留学もしている。
林氏の指揮する関学グリーのミサを聴くと、恐らく関学トーンの基礎はこの方が作ったのではないか、と思われる時がある。
バスを厚くし、その上に精度の高い内声を作りこんで、更にその上に音色を整えた柔らかいトップテノールを乗せる関学トーンは、実は伝統的なロシア混声合唱のスタイルに酷似していて、林氏がそういうロシア合唱への造詣を深められていたのかどうかは存じ上げませんが、そのあたりに関学トーンのルーツがあるように思えてならない。
また林氏の関西学院への音楽的な貢献も見逃すわけには行きません。
手許の資料では、
空の翼
北原白秋作詩/山田耕筰作曲/林雄一郎編曲 昭和8/1933年作
関西学院
逍遥歌
竹友藻風作詩/林雄一郎作曲 昭和11年作
緑濃き甲山
由木康作詩/山田耕筰作曲/林雄一郎編曲 昭和14年作
関西学院
行進曲
池田幸一作詩/林雄一郎作曲 昭和16年作
A SONG FOR KWANSEI
E.Blunden作詩/山田耕筰作曲/林雄一郎編曲 昭和24年作
OLD KWANSEI
H.P.Peck作詩/K.A.Langlots作曲/岡島政尾改編/林雄一郎編曲
原曲:Princeton Univ. "Old Nassau"
といった作品・編曲があり、この他にも山田耕筰歌曲の男声合唱編曲版など多数の編曲がありますし、前述の通り欧米の知られざるミサ曲を本邦初演するという功績もあります。
<第14回東西四大学合唱演奏会>

第14回東西四連パンフレット
1965/06/20 東京文化会館大ホール
キングNAS-5/ステレオ・演奏会ライブ抜粋盤、日和佐省一先輩(1971卒)からお借りした貴重なレコードからのデジタル化。
収録のクオリティは四連の全レコードの中でも最高クラス。むしろ録音エンジニアが腕によりをかけ過ぎて人工的なサウンドに聴こえるほど。アナログレコードが技術的に頂点を極めたのは、実は1960年代であって、その後にコストダウンのために段々と盤の材質が落ち、薄くなり、プレス工程合理化のために音質を後回しにしたいろいろなことをやった、というのがアナログ通の常識だが、確かにそれを実感する。
いわゆる「オンマイク」で、合唱団がすぐ近くで歌っている感じだが、マルチマイクで拾ったと思われるホールの残響が綺麗に乗って、マニアならエール交換から興奮して聴ける。
1.エール交換 |
関西学院は、前年まで「Old Kwansei」だったが、
この年から「A Song for Kwansei」となる。ややマルカートで粗い。
早稲田は、東西四連の現存する音源の中では最高の「都の西北」である。素晴らしい。山古堂主人、太鼓判。
同志社は、この時期の慣例としてやや遅めのテンポ運びで、何故か1番のみ。
慶應は、前年に引き続き突出したトップで、低声系が弱いとの感が否めない。
2.関西学院グリークラブ |
「Requiem D-Moll」より
Introitus und Kyrie
作曲:L. Cherubini
指揮:北村 協一
Pf:沖本 ひとみ、北野 京子
関西学院グリークラブは、この1965年度の第34回リサイタル(1966/01/22神戸国際会館、01/23大阪フェスティバルホール)を収録したレコードが最古のレコードのようである。
もちろんこれ以前のオープンリールもあるだろうが、レコードに関しては、福永陽一郎氏のレコードコレクションにもこれより古いものが無かった。
ちなみにリサイタルの演目を見ると、この第14回四連の単独ステージ「REQUIEM D-MOLL(L. Cherubini)」の他、合同演奏曲の「蛙の歌(南弘明)、そして「イタリア民謡集(北村協一編)」、「雪明りの路(多田武彦)」となっていて、「蛙の歌」を演目に取り込んでいるのが異例である。
四連オンステ人数は恐らく40名弱ではないか。
演奏は、校歌の演奏と同様で、いつもの精密感がやや薄いように感じられる。
もちろんある水準は達成されているし、この程度の粗さなら、客席で聴いていればさして気にならなかっただろうと推測される。
3.早稲田大学グリークラブ |
「枯木と太陽の歌」より
1)冬の夜の木枯の合唱
2)枯木は太陽に祈る
作詩:中田 浩一郎
作曲・指揮:石井 歓
Pf:南院 紀子、新沼 康博
作曲者の石井歓氏御自身による指揮。
前年に続き精密な好演で、「冬の夜の木枯の合唱」の速いパッセージでもきちんと揃っている。
「枯木と太陽の歌」をきちんと演奏出来た記録なんてあまりないので、そういう意味で貴重かも知れない(笑) 低声系が地声のように聞こえるが、これは当時「土管ベース」の文化が無かった証左でもある。
同年の早稲田グリー第13回定演(1965/12/12,13 東京厚生年金会館大ホール)でも同じ顔ぶれで演奏された。
付言すると、山古堂主人はたった一つだけ、本当にきちんと演奏した「枯木と太陽の歌」の記録を聴いたことがあります。
それは現役時代のことで、ドイツ語版「枯木と太陽の歌」をドイツの合唱団が歌ったというオープンリールでしたが、2年前に早稲田グリー現役の事務所で探した時には、もうそのテープは消えていました。
大変に残念。
4.同志社グリークラブ |
「十の詩曲」より(男声版初演)
1)雄々しく進もう
2)歌
作曲:D. Shostakovitch
訳詩:安田 二郎
編曲・指揮:福永 陽一郎
この第14回東西四連では、何と言ってもこの「十の詩曲」が伝説となっており、数年前にはレコードに収録されなかった残り4曲のオープンリールを同志社OBが発掘して全曲版CDを作成し、一部の関係者に珍重されている。
(但しその4曲は、レコードに収録された2曲とは音質も音像定位も大きく異なっており、レコード用マスターテープが発見されてそれから復刻された、ということではないようである)
「私の長い合唱生活の中での、もっとも強い印象に残る名演奏であった(第30回記念東西四大学合唱演奏会パンフレットより)」とあるように、文筆家でもあった故・福永陽一郎氏が、さまざまな場面で名演だと繰り返し述懐されていたことや、当時の関係者による過剰なまでの「名演」宣伝もあって、録音を聴く前にもの凄く期待し想像も膨らんでしまうから、その反動というべきか、現代の評価法でこの演奏を聴いてしまうと、実は首をかしげる部分も少なくない。
また終曲「歌」では、現在使われている楽譜より半音低い変ホ短調(混声の原譜と同じ)で始まり、最初の数小節で音程が下がってしまっているため、通常ならテナーを苦しめる後半部のHが全音低いAになっていることも、通常なら必ず発生する演奏の破綻(笑)を抑える要因になっている。
だからといってこの演奏が良くない、ということを示唆するのではない。
別に同志社に気を遣っても何にももらえないから率直なところを書くが、同志社独特の発声というのが、この曲に必要なドライヴ感を常に与えていて、特に終曲「歌」中盤からの速いパッセージをエネルギッシュに突き進んでいく一連の音楽の推進力は、いまだにこれを超える演奏は無いし、その速いパッセージの精度も非常に高い。変に「聴かせてやる」だの発声への拘泥だのが無いからこそ、純粋に音楽に没頭出来ているよう思われる。
これぞ同志社。
また、ヴェトナム戦争が進行している時代に演奏したという意義は決して小さくなくて、そういう意味では聴衆と合唱がメッセージを共有出来た稀有な演奏なのではないか。
初演は「ヴェトナム戦争で銃殺されたベトコン少年に捧げられた。
また訳詩の「安田二郎」とは福永氏のペンネームであり、太平洋戦争で失った二人の親友、安田保正・松永二郎というお二人の名から取られたとのことである。
このレコードでは2曲しか収録されていないが、同年12月の「同志社グリー・コンサート'65」という定演で再演されており、そちらはモノラルながらライヴレコ-ドで全曲が収録されている。
終曲では音程が下がっていないから、やはりテノールがやや苦しいし、東西四連よりはやや精度に欠ける。
定演の最終ステージですしね、声が持ちませんよ。普通は。
蛇足ながら、1988年だったか、かの東京工業大学コール・クライネスがロシア語で原曲全10曲を演奏している。
山古堂主人は残念ながらコンクール自由曲で演奏した、確か男声版でいう5曲目「鎮魂歌」と、知人に聞かせてもらった定演での終曲「歌」しか聴いていないが、とっても良かったねえ。
5.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 |
「Jagdlieder」より
1)Jagdmorgen
2)Fruehe
3)Bei der Flasche
作曲:R. Schumann
指揮:木下 保
Pf:辻 敬夫
ドイツの男声合唱団というのは、オペラ系の声で重厚に行くタイプと、ウィーン少年合唱団OBといった感じの軽い声で揃えるタイプの大きく2通りあって、ロマン派のシューベルト・シューマン・メンデルスゾーンあたりは後者がふさわしい。
この頃の慶應はその中間(笑)。リズム感は重くないが、テノールの声がかなり立派なので、狩という貴族の野外娯楽の感じがもう少し欲しい・・・というのは贅沢か。
後年のモビルスーツのような演奏よりは、まだずっと良く馬のギャロップが見える。
まだ低声系が薄いが、声の「芯」を大切に保持しようという心構えが見られ、変に息を流した吼え声にしないから、悪い方向ではない。
6.合同演奏 |
男声合唱のための組曲「蛙の歌」より
1)鰻と蛙
2)蛇祭り行進
作詩:草野 心平
作曲:南 弘明
指揮:木下 保
1960年代から1980年代までには大学合唱団で時折演奏され、最近は大学OB系合唱団やおぢさん系合唱団などの演奏会でのリバイバル登場もある作品。
草野心平氏の詩に魅せられた作曲家は多く、特に「蛙」系と「富士山」系は合唱組曲になったものもある。
「蛙」系では堀悦子「蛙(のちに「蛙の歌」として出版)」、多田武彦「蛙」「蛙・第二」、高嶋みどり「青いメッセージ」、そしてこの南弘明「蛙の歌」と、男声合唱に携わった方なら題名を聞いたことがあるでしょう。
作品はオーソドックスなスタイルで、わずかに蛙の匂いがする(笑)のが秀逸。
1950年代の第一次合唱組曲ブーム(と勝手に名付けていますが)の頃、ちょうど作曲家が技量を試しに前衛/実験音楽的な合唱作品か、あるいは当時の一般的な合唱団の技量に合わせたいわゆる商業ベースに乗る合唱作品(大衆への迎合とかそんな話じゃなくて)を作るかといった、器楽作品の作曲で起こっていた進化を合唱に持ち込み始めた頃の作品でしょうか。
「鰻と蛙」冒頭の「ガギグゲゴ~」を木下先生の指示で鼻に抜いた平べったい声で歌い始めるなどの演出はあるが、全体に演奏もオーソドックスで、歌い手も少し余裕を持って楽しんでいるようにも感じる。
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