合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


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第26回 北村先生Love。と30回代の東西四連(第37回四連)

あっというまに労働節(日本のGWと同時期の連休)も過ぎてしまいました。Blogの本来の趣旨を大きく逸脱したこの山古堂エセBlog、更新頻度は中国の連休に準じて春節・労働節・国慶節、の年3回まで堕ちてしまいましょうか、ははは。

前回の更新から早くも4ヶ月、その間に故・北村協一先生追悼コンサートを聴く機会に恵まれた幸運はあったものの、それ以外は相変わらずの生活で、特に3~4月の国内出張はクルマで1万1千キロ、飛行機で5千キロ、合計で地球を0.4周してしまう移動距離でして、さすがに腰や首が痛い。中国駐在者の宿命、この広い国の移動手段はクルマがメインだから、腰や首を痛めたり痔になる人も多く(本当に洒落になんないです)、それでいて上海は見た目の生活が香港・シンガポールと同じように「日本とほぼ同等の生活が出来る安全圏」という理解をされてるから、「危険手当は出さないよ」なんて会社が急増の兆しあるそうで、ホントにひどいわっ!

・・・要はどこのお会社さんでも、日本からお目付がやってくると、上海の良いトコばかりを見せちゃうのよね。そういう共通部門のオエライさんには、一度一緒に出張ドサ回りと、それに付随する飲食に同行してもらえれば、交通事故の現場とか怪しげな食材とか強い酒とか、腰痛とか首ヘルニアの恐怖を判って貰えるのかしらん。少なくとも「白酒危険手当」は支給して欲しいわよ。

で、このBlogは本来音楽系に属するらしく、音楽系のネタが仕上がらないから更新も遅れ遅れな訳ですが、実は高校時代の合唱団で卒団生メーリングリストを持っていて、こちらには「中国不定期通信」と称し、ここより数倍の頻度(笑)でくだらない話をタレ流してます。これをベースにして、まずボリューム稼ぎ。

<和風>
浙江省慈溪というところに「杭州湾大酒店」という、かなり立派なホテルがある。この地域にはアパレルや家電の大規模工場や、各種の部品工場などが多く、欧米からも駐在や買付けの人が来るので、杭州湾大酒店では日・韓のみならず欧米人の姿も多い。そのホテルに隣接する和食レストランの名前が、「和風日本料理」(笑)。

確かに中華風にバケちゃった日本料理店が量産されているから、売り文句としては外していないのでしょうけど。いや、実は店の人に聞いたら、正しくは「和風」が店の名前なんだそうです。だったら 日本料理「和風」 と記せば良いのに。ちなみに味は純和風ではありませんでした。

<万国旗>
賑々しいのが好きなこの国、今でも満艦飾のような万国旗の飾りを目にする機会が多い。また、地方政府が企業誘致をするために広大な土地を用意する、いわゆる工業園区などでも、旗竿がズラリと並んで文字通り色々な旗がはためいていることがとても多い。
そこで気付くのだが、上海とか北京や、日本企業や日本人が重要ポジションを占めている場所ならならまだしも、中国人向けのローカルな百貨店・複合施設や地方の工業園区に行くと、見事に日章旗だけが抹消されている。工業園区などでは、100本以上の旗竿が林立していて、それこそ見たことも無いような国の旗(失礼)まであるのに。相当根深いです、大日本帝国の中国侵略に関する両国の溝。

ちなみに、どこに行っても中国旗が中心にあり、或いは1段高いか大きい、となっていますが、これはそういう掲げ方を定めた国旗法があるからです。

<全館暖房は無い>
中国で会議をする、と言った時、大都市のオフィスビルはともかくとして郊外や地方の工場に行くと、基本的に冷暖房が入っていない。昨今では、それでも冷房はまだ普及しているし、冷房がステイタスみたいな思考もあって、何となく全館冷房だったりもするのだが、暖房に関しては、もはやそういう生活スタイルなのだとしか思えないくらい、暖房が入っていないケースがほとんど。実際、過去の経済事情やインフラ事情がもたらした、言わば習慣なのでしょうけど。

設備はあるのに使っていないとか、客が到着してからスイッチを入れるから暖まる前に会議が終わっちゃうとか、そんなことが多い。会社によっては偉い人の個室でも同じ。だから、社長すら厚着をして凍えながら会議をすることが多い。今年2月初、この冬一番の冷え込みの日に、某会社のまだ内装も出来ていない会議室で打ち合わせをしたが、恐らく室内ですら氷点下だったでしょう、しまいには相手も耐えられなくなって、まだ11時なのに「おい、もうここを出て早く飯を食いに行こう」だって。

<タクシー座り>
日本のタクシーで一人で乗る時、一般的に前席には運転手一人、後席には客一人、という座り方をしますが、中国の方々は違っていて助手席に座ります。慣れていない日本人は、中国に来て後部座席に誰も座っていないタクシーに無視され「乗車拒否だ!」と色めいたりしますが、それでは全然ダメ、シロート丸出し。・・・大体乗車拒否なんて当たり前ですけどね。

客が助手席に座る理由はいくつか考えられますが、どの理由も運転手・客ともに「相手に不正をされないように」といったことばかりが思い浮かびます。で、同僚の中国人スタッフに聞いたら、「そんなこと意識したことないです」。つまり本能的に相手を牽制するしている、ってことか。中国人の商才って、どうも本能から来てるようです。

ちなみにある中国客から聞いた金言。「友人からの借金は死んでも返すが、会社間の借金は返さずに死ぬ。」やはり金は死命を制するのね。

<お抱え運転手>
広大な中国ですから、鉄道などの公共移動網では網目が大き過ぎるので、顧客訪問などに際してはクルマを多用します。リース会社から運転手付きのクルマを月極めや年契約で借りる訳ですが、この運転手達、元々はエリートで高給取りでした。自動車免許があってもクルマ自体が珍しいという時代が長かった、ということもありますが、それだけではありません。

要するに、クルマが故障しても整備拠点があんまりないから自分で治す、道路が新しく出来たり改廃されたりしてもちゃんと目的地に到着する、長距離ドライブをものともしない。そしてちょっとでもぶつけられたらものすごい剣幕で相手の非を鳴らし(勿論自分の非は絶対に認めない)、空いた時間に飯を食い、寝溜めをし、使用者が休日にゴルフに行くと言えば当然自分の休日も潰れる。こういったことがあるから、技能給と時間外手当との相乗効果で、今でも大学新卒くらいの給料(日本円で月2万円くらいですが)を獲っているわけ。

ただ、現代の中国はモ=タリゼーション到来で、今は道路網もある程度完成し、クルマ自体も急増の一途を辿り、自動車整備拠点も急増したので、昔ほどのエリート職業ではありませんけど。まあカーナビがありながら全然使えない現状では、まだ特殊技能は生かされる、かな。

<公共マナーは未だ>
中国は喫煙者天国です。
最近でこそ、一部の高級ホテルや高級レストランや高級美容店などで禁煙・分煙が守られていますが、それでも、例えばホテルの禁煙ルームに灰皿が置いてあったり、レストランの禁煙エリアで「灰皿下さい」というとすぐに持ってきたりするくらいですから、公共エリアなどは言うに及ばず、です。

ただ、当方も違和感を通り越して嫌悪感を覚えるのは、ホントにローカルなレストランや食堂などではろくに灰皿も用意しないから、周囲を見ていると、何と食べ残しのある食器を灰皿に使い、食べ残しに吸殻を突っ込んだりしている。以前にも少し触れましたが、今でもクルマの窓からごみをポイ捨てするのが当然、といった国なのです。

が、実は数十年前の日本も同じようなマナーだったし、恐らくは現在の中国も過渡期なのであって、来年の北京オリンピックや3年後の上海万博までには劇的に改善されるかも知れません。(キタナイ話で恐縮ですが、東京オリンピック開催以前の日本を訪れた欧米人は、公共トイレや食堂や公共交通機関やむき出しの下水道の汚さとか、雨が降った後の道路の水溜りの多さに閉口していたそうですから。)

話はやや外れますが、例えば日本の工業製品が世界に認められ始めたのって、せいぜい1960年代からでしょう。ニコンだってベトナム戦争で著名従軍カメラマンが使ってからだし、クルマだって日産スカイラインが富士スピードウェイでポルシェを追い掛け回してからやっと、世界で認められ出したのだし。

バブル期を境として、日本人の、特にアジア諸国に対する優越的な態度と、欧米への過剰な仲間意識には問題あり、と、最近改めて思ったりしています。

<公主派対(ゴンチュウパードゥイ)>
旧暦の年末(今年は2月下旬でした)が近づくと市中は年末風情一色、という感じです。業種によっては従業員が大量に帰省して一時休業だったりします。そんな中、ちょっとローカルなカラオケの宣伝を見ると、
「公主派対」
という言葉があったりします。なに、これ?

聞いてビックリ、ウヒャ! ズバリ「王様パーティー」です。「公主」は王様の意訳、「派対」は英語に漢字を当てはめた、ハイブリッド単語なのです。この手の単語、沢山あります。「華爾街(フゥアルジェ)」は上記と逆のパターンで、「華爾(フゥアル)」が英語のWallの発音への当て字、「街(ジェ)」がStreetの意訳。すなわち「華爾街」=「Wall Street」。

いや、本題はそれではなくて、「王様パーティー」って何? 聞いてガッカリ(笑)、要は中世ヨーロッパの王侯貴族と中東産油国の王様達とを混同していて、もてなしのコンパニオン達はマリーアントワネット系の衣装(っていうか感覚的には古い劇場の緞帳を切り取って服にしました、みたいな地味なビロードとモールの古めかしいコスチューム)、それでどうすんの? と思っていたら結局サイコロゲームに走って、ある数字の組み合わせが出たら飲んだり飲ませたり、そして飲むのは洋酒を微糖緑茶で割った不味い液体。

ははぁ、やはり結局は外形だけなぞる訳ね。こちらの建物やインテリア・エクステリア、レストランの食器などには、ロココ調やバロック調のゴテゴテしたものが少なくないし、ギリシア彫刻っぽいのも沢山ある。好きなのね。

これもまあ、昔の日本と同じですけどね。ただ中国の場合、どの国家も通過してきた文化・文明の変革儀礼を、昨今の情報過多・流通過剰ゆえに一気に飛び越えてしまったわけだから、いろいろと面白くゆがんだところがあります。

<スーツ>
で、スーツ。ここでのスーツとは、日本でいうビジネス戦士の着る「背広」を指します。
今や日本の量販店のスーツはほぼ100%中国か東南アジア製で、中国にも「アオキ」やら「青山」やらに大量出荷している工場がある。まあ中国も人件費が上がってきたから「脱中国」の動きもありますけどね。

そういったことで、例えばサンプルやB級品が大量に出てくるだろうし、また工場の稼動維持のためにスーツを作りつづけ、過剰在庫になった分が中国国内に放出されるのでしょう、結構な確率でスーツを着た人を見かけます。

はい、オフィス街のことを言っているのではありません。普段着として着てるんです。トラクターやコンバインを運転していたり、後ろに山のようにペットボトル屑を積んだ自転車に乗っていたり、靴磨きをしていたり、偽物タバコを売っていたり、帰省するのに高速のインターチェンジでヒッチハイクしていたり、道端で弁当食べていたり。もちろん作業着ですからシワや汚れもあります。時折はおろしたてと見えるパリッとしたスーツを着てる人が、過積載でドライブシャフトが折れたトラックの下にもぐりこんで修理してたりする。

そして足元はいわゆるズックだったり(平成生まれの方って、ズックって呼び方知ってるのかしら?)、Yシャツ・ネクタイって何?という感じで胸元はランニングシャツだったり、暑い時は玉の素肌にスーツよ。たまに玉の素肌にサスペンダーにスーツ、伊達だねぇ。HG? いや、むしろこれまた戦後の日本だな。

日本も羽田孜アイデアの半袖スーツだの、素材で勝負・クールビズだのぢゃなくて、玉の素肌にスーツ、総理大臣どうだい、ひとつ?
ボクはやらないけど。

ついでに、<チューナーペン>
ボールペンに時計とメトロノームとチューナーがついて2,400円(10英ポンド)。商品名は「WMT-571」か「WMT-573」で、Web検索すればいくつかヒットすると思います。これをイギリスのネットショップで見つけて衝動買いしたのですが、なんと注文した翌日に、いきなりバイク便で届いた。何だと思ったら実は中国製で工場から直送したらしく、しかも中国内で買えば1,500円程度らしい。あぁ、あわれな私よ~~

それは良いとして、メトロノーム機能の方は指定したピッチで電子音が鳴るから、まだ使いようもあるが、チューナーがななな何と、アクティヴチューナーぢゃなくてパッシヴだった!

・・・解説せねばなるまい。一般にチューナーとは、音叉などのように自ら指定ピッチの音を出すもの(アクティヴ/能動)と、オケの音合わせなどでオーボエが音を聞かせてピッチを計るもの(パッシヴ/受動)とあるが、山古堂主人はてっきりこのチューナーペンはアクティヴに指定音を出してくれるものと思い込んでいたのである。ところが説明書を見たらペン頭部の内蔵小型マイクに音を拾わせ、その音程を基音12音(AとかGisとか)と、その基音から10セント単位でプラスマイナス40セントずつまで記号で表示する、という(1セントは全音の1/100)。

そうだよな、ギターなどのチューニングにどうぞ、って宣伝文句だったもんな。結果、マヌケなことにペンに向かってハミングし、その音程が「Aより10セント低い!」などと表示され、ペンごときになじられるハメに。絶対音感養成ギプス、いや、ペン。イヤだぁぁ!

さて、増量剤を注入し終えたところで、2月24日(土)にすみだトリフォニーホールで開催されました北村協一先生追悼コンサート「Love。」のことなどを記してみたいと思います。ちょうどそのタイミングで日本に戻れることが判明し、慌ててチケット手配を推し進めた次第ですが、急なお願いにも拘わりませずチケット確保に奔走して下さいました皆様、お騒がせしましたことをお詫び申し上げますと共に、改めまして厚く御礼申し上げます。夢ちゃま、いつもThanksです。

当日は晴れ、そして強風でした。喫茶店の窓際にいるとやや汗ばむくらいの日差しなのに、外はビュウビュウと寒い。確か昨年の北村先生の告別式も、同じような天気であったように聞きました。

以下、各団の演目。人数は演奏会プログラムに拠ります。

「Love。 IN MEMORY OF KYOICHI KITAMURA」
 2007年2月24日 すみだトリフォニーホール

 1.TOKYO FM少年合唱団(54名)/指揮:太刀川悦代 Pf:頼田恵
   おお牧場は緑
   ビリーブ
   気球に乗ってどこまでも

 2.法政大学アカデミー合唱団(169名)/指揮:村越弘昌 Pf:久邇之宜
   鳥が ~「やさしい魚」より

 3.紐育男声東京合唱団とお友達(49名)/指揮:澤口雅昭 Pf:前田勝則
   You'll Never Walk Alone ~Musical「回転木馬」より

 4.立教大学グリークラブ(男声+女声、120名)/指揮:川野峻一朗
   Kyrie/Gloria/Sanctus/Benedictus/Agnus Dei
    ~J.Reinberger「MISSA in G op.151」より

 5.東京工業大学シュワルベンコール・OB合唱団(59名)/指揮:柳川直則
   父が庭にいる歌/早春/紀の国 ~「父のいる庭」より

 6.AROUND SINGERS(61名)/指揮:坂徹、山田真也 Pf:前田勝則
   Somewhere ~Musical「West Side Story」より
   上を向いて歩こう

 7.女声合唱団しおん(23名):Pf:久邇之宜
   よみがえる光 ~「蝶」より

 8.上智大学グリークラブ・OB合唱団(54名)/指揮:太田務
   Kyrie//Sanctus/0 Salutaris/Agnus Dei
    ~A.Duhaupas「Messe Solennelle」より

 9.藤沢男声合唱団(62名)/指揮:畑中良輔 Pf:黒澤美雪
   L'HEURE EXQUISE/SI MES VERS AVAIENT DES AILES!..
    ~「アーンの五つの歌」より

10:ジャパン・アカデミー・コーラス(46名)/指揮:木下俊彦 Pf:入智子
   My Old Kentucky Home/トゥリッチ-トゥラッチ/マイウェイ

11:立教大学グリークラブOB合唱団(42名)/指揮:坂徹
   浅き春に寄せて ~「ソネット集」より
   Ful Ful Wonderful

12.慶應義塾ワグネル・ソサィエティーOG合唱団(49名)
   /指揮:樋本英一 Pf:中島園枝
   みょうが/ばら・きく・なずな ~「花に寄せて」より

13.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団・OB合唱団(110名)
   /指揮:畑中良輔 Pf:谷池重紬子
   Aprile/L'ultima canzone/Addio! ~「トスティ歌曲集」より

14.関西学院グリークラブ・新月会(94名)/指揮:広瀬康夫
   絵日傘/四十雀/かもめ/ふり売り/追羽根 ~「中勘助の詩から」より

15.Love。メモリアル合唱団(325名)
   女声 The Lord Bless You and Keep You/指揮:太田務 Pf:久邇之宜
   男声 Golden Days ~Musical「The Student Prince」より
      /指揮:佐藤正浩 Pf:久邇之宜
   混声 詩篇23「主はわが牧者」/指揮:畑中良輔 Pf:久邇之宜


合唱出演者が延べ人数で1,317人、これに指揮者13名、ピアニストが7名。客席も、あのすみだトリフォニーが満杯でした。懐かしい・久々の顔ぶれがたくさん。福永ママさんもお変わりなく、いつもと全く変わらずに話し掛けて下さる。ホールに入ると舞台にはタクトを舞わせる北村先生の大きな遺影が吊られ、その下の舞台で各団体が思い思いに演奏をしました。

この会場の響きは、音楽専用ホールの割にはカサカサしてホール鳴りも少なく、あまり面白くないもので、そんな訳できちんとハモらせている団体だけが突出した演奏効果をもたらす結果となりました。無論、ある種のフェスティヴァルであり、いちいち批評すべきものでもないことは重々承知ですが、当日聴きに来られなかった方々への御報告・兼備忘録として、少々記しておきます。

まず全般論として、2月という時期だったし、また当日のリハーサル疲れや待機疲れもあったでしょう、完璧なコンディション(肉体・精神・練習共に)で臨むことが出来た団体は僅かのようでした。また、前述の通りホール特性に相当なクセがあり、残響やホール鳴りを計算に入れることは叶わない中で、きっちり造り込んだアンサンブルをした団体だけが、トリフォニーの天使に微笑んでもらった。更に、舞台上では周囲の音を聞くことが難しいこともあって、どの団体も男声低音系が低めに入ってしまい、不安定な演奏が多かった。かかる状況下、関学グリー・新月会が文字通り圧巻、これは後述。


TOKYO FM少年合唱団(54名)、フレーズを最後まで丁寧に歌い切り、歯切れも良い爽やかな演奏。素直な素材に良い基礎を作り込むとこうなる、という見本。喫茶店でこまっしゃくれた音楽解釈や評論といった座学してるヒマがあって素直でない大学合唱団員の皆さん、この合唱団のツメの垢を煎じて粉末にし毎日携行して朝昼晩に飲みなされ。

法政大学アカデミー合唱団(169名)、陽ちゃん先生が亡くなられてからの色々な話も、ここ数年の演奏レベルも知ってますが、やっぱり脱皮出来ません。期変わりの時期の演奏でもあるから、練習量も限られたでしょうし「参加することに意義がある」的なところもあるでしょうが、それにしても北村先生に捧げる音楽にしては、あまりにデュナミークのないのっぺりとした演奏で、しかも歌手達からは、アルトの2列目にいたほんの一部の表情豊かなメンバーを除けば、楽しさも歓びも感じ取れない。この選曲でそれはないでしょう。大きな要因として、学指揮の音楽に対する視点のズレとBassの棒歌いが挙げられる。「のだカン」良く読んでね。

紐育男声東京合唱団とお友達(49名)、演目と言い聞かせ方と言い、北村先生が一緒に舞台にいたらきっと笑顔満面、そんな素敵な演奏。メンバーがまた、特に「お友達」が最強キラ星なのでした。いいなぁ、いつか上海駐在組も入れて下さいませ。

立教大学グリークラブ(男声+女声、120名)、大所帯でしかも2月の端境期だから、法政アカデミーと同様の問題を抱えていたと思うが、演奏は法政アカデミーと異なるベクトル。スポーツ系指揮者が縦振りの強いタクトで引っ張るから、極端に言えばフレーズを殺した、音符一つ一つの単純な連鎖に聴こえるし、それに加えて指揮が団員への予備動作の指示を出せない、というか歌手側が呼吸を合わせられる指揮ではないから、入りや切りのピントが甘いし、耳がアクティヴでないから(ホール特性もあるけど)和音の濁りも多々あって、これは指揮と合唱との息合わせも、アンサンブル練習も不足だったな、と。底力はあると思いましたけど、、、と今更フォローしてもダメか。

東京工業大学シュワルベンコール・OB合唱団(59名)、バランスの良い演奏。パートバランスだけでなく、音楽の力点の置き方も、押しと引きも。指揮者が優秀なのだな、と感じました。合唱は耳がもう少しアクティヴになれば、和音がもっと良く鳴ると思いましたが、それをどう具現化するか、これがどの団も悩みどころなんですよね、はい。

AROUND SINGERS(61名)、平均年齢が一層上がっちゃいましたね(笑)。最近のAROUND(といっても山古堂主人が知るのは2004年頃までですけど)の流れに沿った音色・スタイルであり、かつ北村先生を良く知る者達の演奏、というように感じました。「上を向いて~」なんて、これまた紐育男声と同様で、北村先生の遺影まで少し嬉しそうに見える。耳も音楽も良く出来ているし、コンサートの趣旨も良く理解しておられるな、と。やはり試合巧者の集団でした。

女声合唱団しおん(23名)、指揮を置かずに久邇先生がリードしながらの演奏。久邇先生のピアノは素晴らしく、またこれに合わせて追い込んでいく歌手達の演奏姿勢も良い。ただ残念ながら、23人ではこのホールを鳴らすことは出来ない。ホール特性に最もマッチしなかった団体かも知れない。歌詩も今ひとつ通ってこないし、ソプラノで2名ほど頑張っちゃってる人の声が、逆にヒステリックに聴こえて来てしまったり。この団の実力を顕すには適切でないホールでした。敦子、入退場でヘラヘラしてんぢゃないよ。

上智大学グリークラブ・OB合唱団(54名)、現役のユニフォームを着ている人は僅か2名。壮年というべき方々が中心なのだが、それでも良くこの演目を出してきましたし、練習を重ねてきたことも解ります。故・林雄一郎先生が関学グリーでミサを演奏する時と同じ、弧を描いたフォーメーションにしたのは、指揮の太田氏に期するものがあった所以か? 演奏は、ちょっとしんどかったですね。デュナミークやテナー高音といった聴かせどころで、客席を惹きつけるまでに至らない。この演目を持ってきたからには、通常のミサの範疇を超えたパフォーマンスが必要なので、そこはやや残念。

藤沢男声合唱団(62名)、畑中先生が舞台に登場し、北村先生の遺影をご覧になり、そして演奏が始まる。この僅か1分に満たない所作で、山古堂主人の涙腺が壊れかけて来ます。年齢構成として50歳前後が中心か。豊かな声量、ということもなく、ややうねりの弱い演奏。最初からややフラット気味で、音符一つ一つに拘泥したような合唱だが、これにピアノ伴奏が、何を考えているのか知らないが、かなり強い音を当ててくるから、何ともギクシャクとして聴こえる。藤沢男声と畑中先生との付き合いは充分に長いのだから、もっと畑中先生の指揮の下で遊べていないと聴く方が消化不良です。山古堂主人は畑中先生の指揮を見るだけで音楽が見えてきますから、耳に入ってくる音とのギャップを修正するのにちょっと頭を使わなければならず、これが少し悲しかった。こういう思い、最近のワグネルの演奏でも良くあるのですが。

ジャパン・アカデミー・コーラス(46名)、女声が妙齢になって参りました(「なって、参りました」と切らないで下さいね)。そうすると往々にしてフォルテでソプラノがヒステリックに聴こえたりするのですが、さすがに訓練されているJAC、良い演奏で聴かせた。とっても厳しいことを言えば、北村先生メモリアル、というより、湘南・松原の如き「いつも安定した演奏」であって、北村先生がイタズラを仕掛けようにも隙が無くて諦めてしまうような感じでした。

立教大学グリークラブOB合唱団(42名)、舞台に並ぶ面々の北村先生への想いが、入場時から溢れている。こりゃ溢れ出しちゃうな、と危惧していたら案の定(笑)。いきなりM葉さんとかM川屋御主人が上ずり始めて、一体どこいっちゃうの? あらら目がイッちゃってるよ。まあこういうところが往年の立教グリーなんですけどね。何だカンだ言っても演奏の統一感は現役を凌駕して逸品。2曲目に入るところで、北村先生の生前の練習風景?からの録音が流れ、北村先生の特徴あるかすれた声が楽しそうに語り、それに続く「Ful Ful Wonderful」を歌うメンバーの笑顔、笑顔。北村先生の遺影も笑ってる。誠に僭越ながら坂先生、一段と良い指揮をされるようになりました。これで立教グリーは一層の安泰。

慶應義塾ワグネル・ソサィエティーOG合唱団(49名)、平均年齢50歳くらいでしょうか。おっとりしたところは現役の演奏と変わらないのですが、ただ「みょうが」でおっとりした演奏はいただけません。乗り切れてません。また、おっとりしているので、通常なら客を泣かせにかかる「ばら・きく・なずな」も何だか他人事のように聴こえてしまいます。元々樋本先生は過大な作り込みをする方ではないので、合唱側が暴走するくらいでちょうど良いかも知れないのですが、そこはこの合唱団に要求してはいけないことかも知れません。でもコンサートの趣旨を考え、もうすこし本音バリバリで歌っても良かったんぢゃございませんこと?

慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団・OB合唱団、あのグレーのユニフォームが100名超も入場・整列するだけで、もう感慨ひとしお。そして畑中先生が入場し、やはり北村先生の遺影をご覧になり、トスティの演奏が始まる。最初ややエンジンのかかりが鈍かったようだが、だんだんとワグネルらしいうねりが立ち始め、大人数を従えた畑中先生の棒が冴え、「Addio!」なんかもう涙腺刺激バリバリ。だって、だってなんだもん(爆)
合唱の音色を支配しているのは1970年代までの、いわゆる「木下ワグネル」で、音の立ち上がりや軽いフレーズの処理なども非常に聴きやすい。但し、舞台上に散見されるワグネル現役が、それこそひと目で現役と分かるのは、顔の若さではなく姿勢の悪さと頬の筋肉の落ちっぷり。こりゃあ良い声なんか死んでも出んわ。

関西学院グリークラブ・新月会(94名)、誰が何をするわけでもなく、それでいて北村先生と全員で語っている。
演奏は、最初こそ低声系に僅かな遅れがあったが、それもすぐに修復され、他団が遂に味方に出来なかったトリフォニーのホール鳴りをあっさりと従え、もはや典雅ともいうべき北村先生の語法を使って、広瀬先生がメンバー全員と呼吸を合わせて音楽を作っていく。紐育男声・AROUND・立教OBの演奏とは違う、関西学院グリークラブの演奏が舞台にあって、聴衆はこのコンサートの意義を改めて認識し、絶賛の拍手を送った。
終曲なんて、どうしても泣けてきちゃう。ソロは橋本尚樹さん/1984卒。山古堂主人の如き余人が語るべきではないが、北村先生の信頼厚い名歌手で、昨年の関西学院グリークラブリサイタル・北村先生最期の「雨」終曲ソロに続き、今回も思いの尽きないソロであったことと推察しますが、それでもやはり、橋本さんのソロで良かった。

Love。メモリアル合唱団(325名)、人数は凄いのだが、やはりアンサンブル精度その他の問題があるようで、関学グリー・新月会で聴こえたホール鳴りが再現されない。まあ前述の通り、一種のフェスティヴァルのしかも合同演奏だから、このステージに関しては特に記述すべきことは無いか。ただ、畑中先生の胸中を察した者達は、山古堂主人同様に涙腺が弛んだかも知れない。

終演後のレセプションにも潜入して、今回もお世話になりました新月会の尾崎様、高谷様、谷川様や、立教グリーOBの前川屋本店御主人とも久々の再会を果たしました。それから栃木屋香阪堂御主人、またゆっくり話そうな、カセットまだ何もしてないけど。

そしてレセ後は流れ流れて立教グリーOB・OGの飲み会に乱入、爆砕(・・・ってほどには飲む時間が無かったので、次回改めまして宜しくお願い申し上げます。)

・・・北村先生の名の下に集った多くの出演者、聴衆。皆様、共にinspireされるものを感じつつ帰路についたことと思います。北村先生がつくったもの、もたらしたもの、のこしたものの普遍さに思いを馳せつつ、山古堂主人も上海で歌い続けています。

さて、ちょっと触れておきましょうか、四連(爆)。

<第37回東西四大学合唱演奏会>
(1988/06/19 大阪フェスティバルホール)

この年からアナログ盤をやめ、CDでの制作となる。が、最近の若者(笑)はご存知無いかも知れないが、初期のCDはトラックの下にインデックスというのがあって、例えばこのライブCDで、早稲田グリーのステージで1トラックあるとしたら、曲の一つ一つにインデックスが振られている。ただ、インデックスに対応したCDプレイヤーは、一般的には1990年代前半には消滅したと思うので、これ即ち、現在のCDプレイヤーで第37回東西四連のCDを再生すると、1ステージ1トラックで曲ごとの頭出しが出来ない。確か、当時はトラック1つ付番するよりインデックス1つ付番する方が安かった、という理由だったように聞いた。

また早稲田グリーが現在使用している襟章は、以前「閑話休題2」で記した通り、この年の第15回早慶交歓演奏会から公式使用を開始し、この第37回東西四連で関西初見(笑)。

第13回東西四連のように、エール交換で各団が校歌を歌い始めるなり客席から歓迎の拍手が湧き上がったことはある。しかし、エール交換からいきなり「ブラボー」が飛んでいるのは(正確にはそういう音源は)、東西四連が始まって以来、この第37回が初めてのことである。

事の真相はこうである。
まず、早稲田グリー卒団後に関西勤務となり、合唱からもすっかり遠ざかっていたOB2名が、数年ぶりに早稲田大学校歌を聴き、それぞれに感極まってしまい、お互い近くに座っていた訳でもないのに、期せずして「ブラボー」と叫んだのである。このOB達の名は判明している(笑)。同志社や関学のOBはこの常識破りの攻撃に当惑してしまうのだが、ここで独立自尊・慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団のOBが黙って引き下がるはずはない(笑)。かくして、慶應ワグネルによる塾歌演奏の後に、一層華々しい「ブラボー」が飛んだのであった。

この第37回東西四連のエール交換を皮切りに、何でもかんでも「ブラボー」を飛ばす悪習がはびこり、学生がバブル崩壊後の就職氷河期で元気が無くなる90年代中盤までの数年の間、演奏終了直後の余韻などお構いなく身内から飛ばされる、無頼野蛮な「ブラボー」に辟易とさせられるのである。ちなみにそういう「ブラボー」を飛ばしているのは、1980年代に現役だった者がほとんどである。

更に蛇足。この年の4校のトップパートリーダーのうち、同志社の松本、慶應の木村、そして早稲田の仲と、実に3名が埼玉県立川越高校音楽部(男声合唱団)の出身。山古堂主人も同じ埼玉県内で高校合唱をやっていて、別に川越高校音楽部には合唱コンクールで負けたことが無かったし(ハハハ)、何の恨みもないが、それでも、川越高校の校風や音楽部の演奏スタイルは良く知っていたから、一抹の不安を感じていたのも確かである。それは、書くかどうかわからないが、書くとすれば、特に浅井一郎氏指導下の川越高校出身者が猛威を振るった早稲田グリーの1990年代の演奏に際して顕かにするかも知れない。

更に更に蛇足。東西四連の前日に「四連祭り」と称して、各団それぞれにちょっとした愛唱曲などの交歓をしたりするが、これが面白かったりする。例えば第35回四連祭りだったか?に席巻したのは関学グリーの「セーラー服を脱がさないで」。あの「イヤよダメよ、我慢なさってェ~」をあのKGバスで吼えられ、「女の子はいつでも耳年増ァ~」なんて翌年の学指揮・近藤丈詞さんのベースソロよ? こんなのを聴いた日にゃキモさ炸裂、大爆笑。夢にまで出た。
で、第37回四連祭りでは早稲田「Soon A Will Be Done」のDur版が必殺技の筈だったが、早稲田大学って秘密を持たせると必ず喋っちゃう奴がいるんだよね、演奏前に「お前らスンナのDur版やるんだろ?」とみんなに言われてドッチラケ。心ある男声合唱ファンの皆様、どうぞ再演して下さい、スンナのDur版、沖縄民謡風。

・・・ちょっとマヂメに。
この年の東西四連は、確かに各団とも方向を模索していたと思う。良く言えば過渡期なのだが、悪く言えば自主性に欠けていた。1960年代中盤にコンクールに出なくなったことのモチベーション維持を、まずは四連や定演や海外演奏に向かって全力投球し、ちょっと疲れてマンネリ化してきた頃、1970年代後半~1980年代中盤にかけて、幸いにも新しい感性の作曲家による面白い作品がゾロゾロと出てきたことでベクトルを補完し得た。さて次は何? という1980年代後半で、それまで大学男声を引っ張って来た指導者・大家達が懐古趣味に走った。学生はそれを止められるほどの自立性は無い。合唱離れも始まり、ファミコンなどの個人娯楽が流行し、何でも決め付け口調のめんどくさい大人たちに無視を決め込んだら「新人類」とレッテルを貼られて切り捨てられる。全体主義的な合唱スタイルの崩壊、開始である。この後の四連でもいくつかの名演がある。しかしそれは関西学院グリークラブを除けば、学指揮やトップテナーなどに優秀もしくは突出したリーダー格が存在してそれに皆が依存する形式、属人的なケースがほとんどで、演奏レベルが年次として継続しない。

1.エール交換(早稲田・同志社・慶應・関学)

早稲田、怒涛・怒号の要素も含まれた、過去2年間の流れに沿った演奏。ただ少し違うのは、トップテナーに1990年代に通ずる、ヘッドヴォイスでない、どうして声帯を発した響きがアクートに立ち寄らずにそのままツルリと出ちゃうのかな、というノドツルリ系(山古堂PAT.PEND)の声が多分に含まれ始めている点。これは、関西学院グリーや立教グリー、そして京産大グリーならいざ知らず、早稲田ではそれまでに無かった声。もとよりヴォイトレの実質的不在でその年に擁する人材だけで勝負していたこともあるが、指針または目標もしくは参考になる声が不在だったこともあるか。個人プレー・放置プレイ、何でもOKの当時の早稲グリトップの良い標本でもある。

同志社、早稲田の力技を聴いて血の温度が1度くらい上がったところを、上手く耐え忍んだ演奏。ブレス位置やフレージングは概ね前年のスタイルを踏襲していて、スッキリした仕上がり。が、同志社もいつものヘッドヴォイスのブリランテがあまりない。勿論、録音技術とかホール特性の問題でそういう収録になっている訳ではない。

慶應、低声系(といっても当時のセカンド4年・大縄氏の威力でセカンドテナーまで含まれるのだが)の下アゴ発声(近藤大酒店総経理PAT.PEND)と、トップの数名の強靭なデッケン発声で、重心は他団よりグッと低い。いつもよりちょっとメリハリが無いように聞こえるのは学指揮・稲田憲彦氏の体型から来るものか? テナーの音色支配はパートリーダーの木村氏だが、同じ川越出身でも開放系の早稲田・仲氏に比べていわゆる「閉じた声」で、いかにもワグネルテナーらしい。

関学、うーん、低声系(こちらはバリトン・バスだけ)のオーソドックスな音場の中で、元々ノドツルリ系のトップテナーにいつもよりノドに引っかかっている人がちらほらいて、彼らがほんの僅かに低い。この出し方で裏返らないのも凄いと言えば凄いが、それだけ声帯も強いわけで、それがテナー系を支配しているから、いつもの関西学院らしくない、少し不安定なアンサンブル。

2.早稲田大学グリークラブ

 男声合唱曲「岬の墓」
  作詩:堀田 善衛
  作曲:團 伊玖磨
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:樋本 英一
  Pf:久邇 之宜

男声版「岬の墓」は、第24回東京六大学合唱連盟定期演奏会(1975/05/03 東京文化会館)において、編曲者の福永陽一郎氏自身の指揮・三浦洋一氏のピアノ・早稲田グリーの合唱で初演された。福永陽一郎氏が早稲田グリーの単独演奏を指揮した端緒である。その後も早稲田グリーに限らず方々で演奏されているが、そういった演奏をかつて聴いたことのある樋本英一氏に早稲田グリー単独ステージの指揮をお願いしたところ、早稲田グリーなら是非「岬の墓」をやりたいという御要望を頂いたことから、当年度の早稲田グリーの演目と決定された。約14分という演奏時間は前年の半分、前々年の1/3だから、これで過去2年に迷惑かけた分の貸し借りは帳消しね。

早稲田は、前年末の第35回定演における評価「凄まじいまでの声量と、凄まじいまでの音楽のディテールの下手さ」を修正しきれない演奏となっている。特に冒頭のテナーなどを聞くと、力任せでとても楽音として聴くに堪えない声を闇雲に引っ張っている者がいることに気付くであろう。中盤以降ではこういった無理な発声してるチンピラが限界を迎えて張れなくなったお陰で雑味が取れ、55名(名簿上は58名だが)とは思われない声量と適度に抑制の効いたアンサンブルとのバランスが取れてくる。が、もう遅いんだな、これが。

基礎的な発声・歌唱訓練がされていないのは明白で、「u」や「e」といった母音の不揃いも耳につくし、他方で元々美声を誇るトップやバリトンの数人がこれ見よがしに聴かせて来る、すなわち浮いてくるところも多いし、全体の統一性の無さは最後まで拭えない。そう言えば、俺も良くそういう上手い人達にバカにされてたよなぁ・・・。

演奏解釈としては、こういう合唱団を信じた、というか勘違いした樋本先生の素直さが全面に出て、いや出てしまっていて、メリハリとか楽曲構成があまり無い。良く言えば素直で癖の無い、悪く言えば言いたいことの分からない演奏。他団の経験豊富で老練な指揮者達の音楽構成に比べてしまうと、聴かせ所がやや薄い。まあ、伝統の早稲田グリーなら、グリー自身が燃焼度を高めて補完したのでしょうけど、この年は、トップは個人プレー放置プレイ、トップ以外の3パートは「技術的建て直し」を主眼に置いて、音程とか正確さとか統一性とかいった基礎成分をチマチマいじっていたから、そのせいもあるでしょう。かくいう山古堂主人も、ベースで徹底しようとしたのはフレージングの統一と、他パートに絶対に遅れないアンサンブル精度、でしたから、下級生はさぞや嫌だったでしょうね。ぐっとこらえた、良く出来たサブパトリ達に感謝です。彼らがいたから翌年の第38回四連での「さす若」が名演になったし、第37回定演でも「修復された楽器」が良く鳴っている。

この「岬の墓」の音楽的解釈や構成はなかなか難しくて、詩の背景に何を見るかで全く変わってくる。戦後日本の復興・再生をテーマに置くのがオーソドックスなようですが、山古堂主人はこの詩と曲を、肌では未だに解さない。いえ、作詩の堀田善衛氏が慶應義塾出身だからと言うことでは全くありませんよ。

ええっと、あ、そうそう蛇足、この年の学指揮ですが、もし学指揮についてnegativeなこと、例えば;

毎回テンポが違ったとか先生の指示と違うことばかりやるから最後はパート練習だけに切り替えさせられたとか「岬の墓」の練習でも唯一楽曲そのものについて言及した指示が「終結部「われら何を聞こう」はセカンドが主旋律だから他パートは抑えろ」だけだったとかビールなんて水よゲロ女とかイカ踊りとかパンク肺とか外道チョンマゲとか八丈富士遭難未遂とか卒論テラロッサとか飛行機怖いとか

そういう事を書いたら、「山古堂主人が定演で歌ったヘタクソなソロを公開するぞ」とか言ってましたけど、別にどうせヘタなんだし定演本番までにパトリ連中が心身ともに疲れ果てるような仕打ちをしたのは貴様の方だし公開されても良いから洗いざらい書いちゃおうかな。とりあえずまだ書かないでおいてやるが、どや、早武よ。

あ、読者の皆様、別に山古堂主人はこの学指揮と仲が悪いわけでは必ずしもないです。10年ほど前にもグリーOB連中で北軽井沢に遊びに行った際、想定通り遅れてくる彼がどこかのスーパーから親切かつ無防備にも「何か食料とか足りないものある?」と電話をくれたから「足りないのは貴様の脳ミソだけだ」と快く返礼して、周囲を和ませたりしていますから。ええ、彼が悪いんじゃないんです、彼の指揮が悪いの(嘘爆)

それにしても腰を入れて弾く久邇先生のピアノ、素晴らしいです。スケルッツォ章の入りなんか、高音がフルートのように聴こえる。

3.同志社グリークラブ

 「CHANTS D'AUVERGNE(オーヴェルニュの歌)」
  1)BAILERO(バイレロ)
  2)CHUT, CHUT(静かに)
  3)LOU COUCUT(かっこう)
  4)BREZAIROLA(こもり歌)
  5)PASSO PEL PRAT(牧場を通っておいで)
  原作曲:Joseph Canteloube
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:富岡 健
  Ob. :三島 文子
  Cb. :石丸 美佳

同志社の演奏は、楽器とのアンサンブルも小気味良く、雰囲気を楽しめる好演である。エールを聴く限りでは例年より硬度が低くなっている高声系だが、逆にこの演目に合わせて発声を作りこんできたのか、と思われるくらい、楽曲にマッチし、オーボエの音色とも良く絡んでくる。バリトンに少々個人プレーが見られる部分もあるが、全体としての音色からはみ出していないから、傷ではない。ただ、その音色と言うのが当時流行の一本調子なので、例えば1曲目で高声系から主フレーズを受け渡されたバリトンが、いきなりズシンと(笑)。もう少し「被り」を減らしても良かったかも。そうしないし出来ないのが同志社ではありますが。

ただね、と思ってしまうのが、数年後の北村協一編曲版の二つの演奏を聴いてしまったが故の蛇足なのだが;
合唱編曲である以上、これまでにも記してきた通り、原曲よりは遥かにストライクガンダム、いや違う、重装備にならざるを得ないのだが、それでも仕掛けようとすればいくつかの仕掛けが出来る。しかし、富岡氏はそうしなかったから、曲そのものの持つ陽気さに合唱と言う鎧をまとったところから、もう一歩の踏み出しが出来なかった。かといって、恐らくこの年の同志社グリーでは、あまり弾けた演奏をするカラーでもなかったから、そこにも限界があったのかも知れない。勿論、そういう仕掛けをしなかったからといって演奏の価値が下がる訳ではないが、あえてこういうプラスアルファを求める言い方をしたのは、渋谷顧問が前年に引き続き、演奏会パンフへの寄稿で「コンクールは全国大会、四連は対抗戦だとして/対抗戦が全国大会に勝ると、すんなりと考えてくれるほど世間は甘くない/Big Fourを自賛して井の中の蛙になるな/コンクール・プラスアルファを期待する」と、これまたズシリと喝破しておられるからである。

富岡氏、同志社グリーOBであり現役学生と年齢も近い、という言わば兄貴分の立場から、同志社グリーに対しても一人の指揮者としてあるべく脱却を図り始めたのも、ちょうどこの頃からだったのかも知れない。

福永版編曲による演奏は、東西四連においてはこの演奏が最後となり、第45回東西四連での関西学院、翌年の第46回東西四連での慶應ワグネルとも、北村協一氏の編曲による演奏となる。

蛇足。
この年、山古堂主人は同志社グリーに入り浸りで、延べ半月近くは京都にいたかな。4月の新入生勧誘も手伝ったし、四連の後も同志社グリーが出演すると言うマーラー8番(ロリン・マゼール指揮!)の練習会場である神戸女学院にも潜入したりしつつ、結局4日ほど京都をぶらついて帰った。チャーリー野村、瀬戸、栃木、大島、雨宮、内田、安池、みんないい奴でね。早稲田も同志社も4回生が少なかったことや、また福永先生の体調の問題など、いろいろ共通の悩みがあったし、何となく団の雰囲気も似ているところがあったから、同志社グリーに対するsympathyはちょっと特別なものがあって、それは変わらない。そういう言い方を敷衍すれば、関学は憧れ、慶應は羨望、かな。ビミョ~(爆)

4.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

 「シューベルト男声合唱曲集」より
  1)Gott Meine Zuversicht(詩篇23)
  2)Widerspruch(反抗)
  3)Die Nacht(夜)
  4)Die Nachtigall(ナイチンゲール)
  5)Nachtgesang im Walde(森の夜の歌)
  作曲:Franz Schubert
  指揮:畑中 良輔
  Pf:三浦 洋一

慶應は、過去に何度も取り上げている曲集だが、今回は特に重い声・重い旋律感の演奏である。以上。

・・・・何故ここでシューちゃん取り上げちゃったのさ、ってのが本音。重かったねえ、ホントに。1985-1987年と北村先生を招聘した成果は何処に?

慶應ワグネルがその名の通りドイツに範を取るとして、ドイツ/オーストリアあたりの合唱には大きく2通りある。一つはライプツィヒやベルリンといった主要オペラ劇場のコーラスなど重厚な合唱であり、もう一つはウィーン男声合唱団やC.M. von Weber合唱団のような、ウィーン少年合唱団がそのまま中年になったような歌い方の合唱。で、シューベルトはやはり後者の歌い方だと思うのです。ピアノやヴァイオリンなどの器楽奏者だと、作曲者や時代毎に演奏スタイルを変えることが当然、なのでしょうけど、合唱ではそう簡単ではない。だから上記の合唱団達も、自団のカラーからあんまり乖離しない演目を取り上げる。

ちょっと外れますが、例えば、ミラノ・スカラ座歌劇場合唱団の歌ったシューベルト合唱曲のCDなんて、買ったのを後悔するくらいひどいもんですし、ヘルシンキ大合唱団が上海公演で歌ったシューベルトも何だこれ? でしたが、他方でウィーン男声や、同じ北欧でもスウェーデン系やポリテククワイヤのような軽くてハーモナイズされた合唱では、シューベルトの音楽そのものが雄弁に語り出す。

そういうことで、重厚さやネバりが極限まで行ってしまった慶應ワグネルが、自団の現状に鑑みて取り上げるべきは、シューベルトではなくて邦人の古典的なベッタリ系合唱(前年の清水脩追悼の延長で「智恵子抄」とか)に行くか、或いは逆張りして「季節へのまなざし」みたいなハイスピード・ポップサウンドを選択してショック療法に代えるか、ではなかったか? (そういう意味では同年の定演で学指揮・稲田氏が選んだブルックナーは、恐らく畑中先生のSuggestが強かったのだろうが、確かにツボだったかも知れない。)

慶應ワグネルは、これまでにも散々記してきたように、木下ワグネルと畑中ワグネルで明らかに奏法が異なっている。その双輪が機能している時、そして木下世代が卒業してしまうまでは、厳格な演奏構成の美と、それに見合う歌唱を見せつけることが可能であったが、完全な畑中ワグネルになってからの音楽は、声楽家の指導に相応しくフレージングで聴かせる事が中心となった。この大きな転換の後にあって、フレーズ運びの重さは時としてワグネルの絶対的美点と自他共に認識されるようになったが、どんな演目にも同じ奏法を当てはめることには限界がある。そして実際に、演目によっては聴衆が当惑するような演奏も出てきた。

・・・しかし、それがワグネル十八番であるはずのシューベルトだったとは。

それと、アンサンブル能力にやや問題があって、「ワグネル」たらんことを意識するあまりか、発音や発声に拘泥して自縄自縛的にどんどん重くなりテンポ感が薄れていく、そして重さを支えきれなくなって音程までもフラット気味になっていく。3曲目「Die Nacht」がそうで、この曲は前年の合唱コンクール課題曲に入っていて、京都産業大学グリークラブがこれを演奏し、軽い&ハモった良いアンサンブルを聴かせて全国金賞を獲っていたし、その京産大グリーがこの四連の客席にも聴きに来ていたと思うのだが、「畑中&ワグネル&ドイツ物」と三拍子揃って、その演奏が「重い&厚い&低い」では、京産大グリーメンがほくそ笑むのも「We are No.1」Tシャツ作っちゃうのも、さもありなん、です。

前年あたりから名ピアニストの三浦氏がそろそろ引退か、というピアノ演奏をし始めたことの影響もあろう。この演奏会、いや、これに先立つ早慶交歓演奏会でもそうだったが、2曲目冒頭の前奏フレーズで指が回らず、オクターヴを掴みきれない派手なミスタッチを繰り返し、早慶交歓では客席がざわついたのを記憶している。関西の合唱団などで大したことないピアニストを使わざるを得ず、これがつまらない伴奏したというならともかく、あの「Naenie」で超絶のピアノを聴かせた三浦氏である。お年を召して来られた所以ではありますが、淋しいものがありました。かく言う私達も、ベストコンディションで歌えるのは、思い通りに声が出るのはあと何年だろう、と。

5.関西学院グリークラブ

 「動物達のコラール 第Ⅳ集」
  1)かめの祈り
  2)小豚の祈り
  3)牡牛の祈り
  4)子馬の祈り
  5)みつばちの祈り
  詩:C. B. デ・ガストルド
  訳詩:宮澤 邦子
  作曲:萩原 英彦
  指揮:北村 協一

萩原英彦氏の作曲による数少ないオリジナル男声曲のうちの一つを取り上げている。
アンサンブルは、基本的に関学グリー伝統そのままの端正な造りであるが、80年代前半から中盤にかけて驚異的な鳴りを誇った「日本一」のベースに翳りが出始めた時期であり、他方でテナーに学指揮の長尾雅典氏や古賀準一氏などといった美声が揃っているからか、テナーがやや強めに聞こえる。

そして、そのテナーの音程が、エール交換でも記した通り今ひとつヘッドに上がりきっていないので、常に僅かにフラットして聴こえる。他方でベースはいつもと変わらずマイペースで絨毯爆撃しているから、これではいかにアクティヴな耳をもつKGグリーメンの内声といえども合わせづらい。また、この年の関西学院グリーは例年に比べてフレーズの滑らかさが不足していて、音符一つ一つを歌っているように聴こえる。これは低声系に顕著で、端的に例示すれば、終曲のベース主旋律で「おろそかに思ってはおりません」というフレーズが「おろオそかに思オってはおりまーアせん」というように、タイで結ばれた2つの音符の第2音をいちいち押し込んでくる。

萩原英彦氏は、高田三郎氏と双璧をなす優れた耳の持ち主で、更に記譜法レトリック大好きだったから、別に転調させて記譜すれば良いものをわざわざダブルシャープたくさん使ってみたり、結構な衒学趣味がある。そういう人の作品をさらりと演奏するのは難しい。難しいのだが方法論はある。そしてその方法論を見事に実践してきたのが関西学院グリークラブなのであるが、それがこの年はちょっと、あれ?

頭の中に音楽が流れ、それをトレースするように、あるいはそれに併せて歌う。これは真に楽譜を離れた状態なのだが、ここでアンサンブルに際して重要なのは、メンバー各人の頭の中に流れている音楽が同じなのかどうか、であって、気の合う少人数精鋭アンサンブルなら訳は無いが、所詮は合唱経験者3割程度の大学合唱団ではそうそう同じ音楽は流れない。これを豊富な練習量や、上級生とのダブルチーム・トリプルチームでカバーするのが関西学院グリークラブの真髄で、だからこそメンタル・ハーモニーを標榜できたし実践できたのだ、と理解している。

それが、この年の関西学院グリークラブでは、どうも同じ音楽が流れているのではないようなのである。パート別とかいう話ではない。個々人での開きがかなりありそうだ。この曲に対する好き嫌いもあるだろうし、演奏効果の割に難しい譜面に嫌気が差した人もいたかも知れない。そしてもっと普遍的な話として、そういう個々人の好き嫌いが個々人の行動指針として、実行されてしまう時代が到来した、ということなのかも知れない。時代背景は合唱スタイルに大きく影響している。これは、論理的でなく誠に申し訳ないが、「聴けば解る」としか言えないし、逆に1950年代から現代に至るまでの大学合唱を、その時々の世相を睨みつつ聴くと、ホントに良く解るのである。

話はややズレたが、そんな訳で海は神ではないし関学グリーも(世情の前では)完璧ではない。


6.合同演奏

 「ドイツ男声合唱曲集」
  1)Das ist der Tag des Herrn(これこそ主の日)
  2)Das Heimattal(故郷)
  3)Der Jaeger Abschied(狩人の別れ)
  4)Ich bete an die Macht der Liebe(愛の力)
  5)Die Ehre Gottes aus der Natur(自然における神の栄光)
  指揮:福永 陽一郎
  Brass:大阪教育大学ウィンドアンサンブル


アンコール

Ave verum corpus(作曲:W.A. Mozart)

合同演奏は、四連に先立つ第15回早慶交歓演奏会でも披露されたが、その早慶交歓でブラスセクションを担当したのが慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラであった。初合わせ練習のその日、このワグネル・ブラスの面々はどういう訳か全く音も拾えていないし指揮も見ないし、全く練習してこなかったとしか思われない状態で、福永先生をして「真面目に練習してきた合唱側に対して失礼だ、害悪だ、帰れ」と一喝せしめるに足る出来であった。当時の山古堂主人は、学生オケといえばどちらかといえば古典派に強いと思われる東大管弦楽団と、やはりどちらかと言えばロマン派以降に強いと思われる早大交響楽団しか聴いたことが無かったが、その2団とも凄ンげぇ演奏をしていたものだから、当然歴史あるワグネル・オケだって凄いもんだと思っていた。だから、この出来事はなかなかのショックであり、ワグネル男声の練習部門もえらく申し訳なさそうにしていたのも良く覚えている。

大阪での合同演奏でも事件があった。・・・と客観的に書いて良いはずも無く、山古堂主人も主犯の一人なのだが、当日のステージリハーサルに際し、学生側が指揮者の故・福永陽一郎氏に譜持ちを要請したのである。
「うちの団は暗譜している」と言い切れた団が無かったと記憶している。名誉のために付言すれば、関西学院だけが「うちはだいたい暗譜させているし、暗譜で歌えと言われれば今からでも暗譜を徹底させる」と言っていた。結局暗譜となったが、最後列には口ごもる者が列をなしていた。
「男声合唱に携わっていながら、リーダーシャッツや黒人霊歌のあの恍惚感を知らない、という者が増加した」ことを嘆いた福永陽一郎氏が選曲したのは、まさにリーダーシャッツであって、戦前から戦後にかけて愛唱されたドイツ語の愛唱曲集である。これらは、ドイツ語を学ぶ事の出来た学生の優越感をくすぐったものであり、また堂々たるクラシック曲集でもあった。
そういった福永氏の想いと、「新人類」の嗜好とのギャップが表面化したもの、と分析出来よう。

そしてヘソを曲げちゃった陽ちゃん先生が仕掛けたのが、時間軸で言えば通常の1.5倍はある、Adagio troppoとも言うべき異様にゆっくりとしたテンポである。なお、4曲目で美声を響かせているテナーは関西学院グリークラブ4回生の長尾雅典氏。あのテンポで良くもまあ、歌い切りました。ハナマル。

ステージストーム

  1)早稲田 :斎太郎節
  2)同志社 :DIXIE
  3)慶應義塾:Slavnostni sbor
  4)関西学院:U Boj

早稲田、お祭り騒ぎも度を越して、特にトップの放置プレイが炸裂して最後の音程なんか無いに等しい。さすがに嫌悪感。4年生の心下級生知らず、ですわ。
同志社、この年の指導学年のカラーが出た演目、演奏。柔らかく包容力ある演奏。
慶應、もうパトリ連中が好き放題。でも重いけど。
関学、ちょっとテナーが数人の声だけになっちゃって薄いけど、市川元章君とか低声系が意地で張ってるからよろしい。



ちょっとNegativeな記述が多いのは、やはり自身がやれるだけの事をやっても届かないものがあった、という、無い物ねだりの所為もあります。早稲田グリーに限らず、この年の2年生・3年生には優秀な人材が数多いが、彼らがやんちゃ放題したのもこの演奏会で、それで毒気が抜けて翌年につながっていったのかな、というのも率直な思いです。早稲田の「さす若」、同志社の「月ピエ」、関学の「コダーイ」、良いアンサンブル・良いフレージングしてます。ただ、慶應の「Liebeslieder」だけは、率直に言ってBrahmsぢゃないです、愛の歌ぢゃないです、縄文Liederです、Brahmsが墓から出てきてびっししししゃあになりそうな演奏。

ということで、次はいつになりましょうか。国慶節だと10月だから、せめて「あきらめのにおい」、8月までには何とか。
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