合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


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第21回 30回代の東西四連(第32回)

山古堂TPの更新が本当に3ヶ月に1度になってきてしまい、我ながら情けないのですが、かといって広大な中国を飛び回る日々、このペースを上げるための方策もなく、このまま流されて行くしかない山古堂主人でございます。ご愛読の皆様、どうぞお見捨てなどございませぬよう(って、毎回同じようなことですいません)。

OBメンバーズの水面下では、早くも2006年の企画などで熱い議論が始まっているようですが、そういうストーブリーグにも参加出来ない山古堂主人、ウサ晴らしにせめて上海蟹でも腹一杯食ってやろうと思ったら、副業の方の顧客訪問で会食になるとどんなにイヤと言っても必ず上海蟹が出てきて、しかも昼夜とも出てきて、断ることも出来ずに毎日毎日ほぼ3週間も連続で食うハメに。出張とカニでいい加減疲れ果てたところで、つい先日は上海から飛行機で2時間半プラス車で3時間という四川省の奥地に行き、せっかくの四川料理を食う間もなく、現地のオヂサンたちから白酒(52度)一気呑み合戦の十字砲火を浴び、ウサを晴らすべき体力は微かなチリに、、、ああ哀れなワタシよ~(爆)

ちなみに上海蟹(一部の方にはしつこい話題かもね)、雑食なので何を食っているか分からないから、カニミソは食っても胃袋は食ってはいけないのだそうです。もののWEBサイトによると「胃袋には蟹の食った腐肉が入ってるかも」なんて書かれていて、もしかしたら蟹のにおいがする湖で、葦と藻草に隠れてしまった水死体を食ってるかも知れない、なんていうどこかで聴いた男声合唱曲の一節みたいな想像がヴィジュアルに思い浮かんでしまい、本気で蟹の胃袋を探して取り除いている山古堂主人なのでした。

さて、中国に来て3ヶ月が過ぎているのに、いまだに語学学校にも通えていない山古堂主人ですが、そんなワタクシの視点からみたちょっと面白かった話など。書けばきりがないので、ほんの一部。

◆「ありました」
上海エリアでは日本人が数万人、出張や旅行などの短期滞在も含めれば10万人を超えると言われており、日本語が通じる店も少なからずあります。そんな中で先日、あるレストランで食事を終え、支払いを済ませた際に、店員からいきなり「アリマシタっ!」
・・・おしゃべりで早口の中国人、「ありがとうございました」と正確に言わないのでした。

◆ネ○カフェの缶コーヒー
中国ではワイン同様、缶コーヒーなども一般的にあまり飲む習慣が無いように見受けられます。そんな中、部下の中国人スタッフが良く缶コーヒーを飲むようで、先日も出張移動中にドライブインで缶コーヒーを買ってきてくれました。で、何気なく原材料を見てビックリ!
英文表記で「N○scafe Instant Coffee(中文は忘れた)」と書いてある(爆)
豆から淹れて造るのとどっちがコスト高いんだろ?

◆試験に出る漢詩
冒頭に記した四川省への出張ですが、相手からすれば「ほんに遠いところを良う来て下さった」というのが率直なところだそうで、夜の会食で「中国の古い諺に、遠くから友がやって来るのはとても嬉しいことだ、というのがある」なんて言われたから、「あ、それって 友、遠方より来たる、また嬉しからずや、とか言う詩ですよね」なんて、中学校の教科書に乗っている、誰でも知ってるような漢文の知識をエラそうにひけらかしたら、同席の中国人の皆さんビックリしちゃって、この日本人は中国の古典を知ってるぞ、何だか凄い奴だ、とすっかり尊敬されまくって、ますます飲まされたのでした。余計なことは言うもんぢゃない。沈黙は酒、雄弁も酒。

◆シャングリラ
無論「上海グリーの我ら」の略ですけど・・・もういいよ、そういうの(爆)
略称はともかく、縁あって1度顔を出してみました。今後のレポートに乞う御期待。

◆ハンコ

印刻の文化の国・中国に来たので、面白半分に山古堂本舗の印鑑など作ってみました。一応翡翠で壱萬伍千円くらい取られましたが、少々朱の乗りが悪くて、実際には画像ほど綺麗には押せません。


そうそう、輸入に際しては引越し荷物であろうと企業の正規輸入であろうと、通関で何が起こるか分からないここ中国ですが、思い切って録音機材やレコード、CDなどを船便で持ち込むことにしました。問題が無ければ12月初旬からデジタル化作業を再開させることが出来そうです。もし通関で問題があったら、一部の関係者の皆さん、あきらめて下さいね。

また、デジタル録再機を更に1台、プロ用CDレコーダー・兼複製機(TASCAM CD-RW 402 Ver.3.0)を導入しました。10月初に家族引き纏めの関係で瞬時帰国した際、四連・東京六連・早稲田グリー定演など400枚のCD(約25Kg)と一緒に持ち込んで来ました。荷物の総重量は60Kgにも達し、CDの重みでトランクケースの車輪が壊れて動かなくなったりして、泣きたいほどつらい思いをして持ち込みましたが、おかげで今は、大学男声合唱の往年の名演を編集したCDを作り、それを聴きながら上海の街を徘徊しております。数年前に妹の結婚式でハワイに行った際、「鐘の音を聴け」(by関西学院グリー/第33回四連)を聴きながらワイキキビーチでシンガポールスリング飲んでる奴も珍しいだろうな、と思いましたが、上海の市場で「祈りの虹」(by早稲田グリー/第32回定演)を聴きながら上海蟹を買い漁ってる奴も、さぞ珍しいことでしょう。

・・・実際のデジタル化については、こちらでの備品・消耗品の入手がほぼ不可能なこともあり、これまで以上にペースが落ちると思います。もし上海へご出張の予定がある方で、かつ山古堂の備品運搬係を請け負って下さると言う優しいお方がおられましたら、どうぞ事前に御一報下さいませ。

今回は前振りをこれくらいにして、本題の方に移りましょう。

実はこの第32回東西四連、あまり筆が進まなかったのであります。
その最も大きい理由は、故・福永陽一郎氏をして「これまでの東西四連で三本の指に入る演奏会」と言わしめた事にあります。いえ、それほどの素晴らしい演奏会をワタクシ如きが批評するのは恐れ多い、なんて事ではありません。

当時オンステした多くのメンバーや関係者がこの演奏会に携わったことを大変誇りに思っていて、それはごもっともと思いますが、時にはこの演奏会をレファレンス基準にして、これ以外の演奏に対する批判が行われ、純粋な演奏技術・演奏解釈や絶対的評価基準と、相対的評価とがゴチャ混ぜになっていることが気になったのです。そしてそのゴチャ混ぜを解きほぐすことが、当時のメンバーや関係者にとってあまり耳当たりのよろしくない結果をもたらしてしまう恐れがあったからです。しかも、それら関係者が現在のアマチュア合唱界の中核としてバリバリであったり致しまして、山古堂主人もそういった方々に大変お世話になっている手前、ついつい安易に尻尾を振っちゃおうか、なんて迷ったり(笑)。でもいつも通り書いちゃうし、予想通りほとんど杞憂でしたけど。

なお、絶対的評価基準なんてものを定義しようとすると、コンクール功罪論的カオス(山古堂PAT.PEND)にハマるのですが、あえて言えば、これまでこの山古堂TPで示してきた基準、と御理解下さい。要は、

 -合唱という形態で音楽を奏するために要求される、個人または集団の機能

 -音楽によって何らかの思想(広義の意味ですよ)や感情を聴く者に伝えたり、
  あるいはそれらを共有するする上で、普遍的に要求される演奏技法

 -イイタイコト(駿台の筒井師か、カビ笑)

といったあたりです。いつもフレージングやディクション、各パートの音程や音色や独立性・整合性などについて言及していますが、これらは全て上記1、2番目の具体的な要素ですし、またそういうことが少々(多少ぢゃないよ)不出来でも、それをカヴァーして余りある演奏もありますので、3番目も大切な基準です、特に同志社と早稲田には。

で、話を戻して、何故この第32回東西四連が殊に優れた演奏会と言われるのか、ということについて、先に結論を述べるならば、この第32回東西四連の時だけ、何か特別な、あるいは特殊な練習をしたということでは無いと思いますし、むしろ普遍的な要因が良い方向で相乗効果を挙げた、という理解です。要因とは、例えば人材や人数であり、例えば発声や演奏スタイルであり、例えば選曲や作曲家の作風と合唱団とのマッチングであり、例えば指揮者や伴奏者であり。その結果、確かに史上屈指の演奏会となった、ということに異論はありません。
他方、これまでにも指摘してきた問題が片付いているかと言うと、そんなことはありません。やっぱり内声が上ずったりフレージングの立ち上がりが遅かったり音符1つ1つ歌うことに没頭しちゃったり。だが、誠に幸いなことに、例えば早稲田グリー「縄文」などは音符1つ1つ歌ったからこそ効果が上がったりするなど、何だか本当に良い方向に転がっているのでした。
星の巡りが良かったのでしょうか、第23回東西四連とある意味で対極かな。

この第32回東西四連などの時代について当事者として語れる方々が、前述の通り、その良い演奏会と良い思い出を基準に合唱音楽を語ってしまうことも、またその反動で、1990年代以降に大学男声合唱で歌っている世代が、いや精密に言えば北欧の近現代合唱作品上演やコダーイ復古に伴うごく一部の東欧合唱スタイルの模倣を目新しいものと思っておられる方の一部が、こういった前述の要因の整理を行わず、1970~80年代に対して妙な論陣を張って妙な批判をしたり否定をしたりするのも、あまり好ましいものではありません。この辺も、誰かが煽情しているような気がしないでもないですが。

(どこかで記したかも知れませんが、ノンヴィヴラートの純正調や良し、みたいな話は戦前からあったのであり、単に選曲がウィーン少年合唱団系から拡張されただけで、別にODの来日やら松下耕さん系合唱団のコンクール制覇に重大な合唱文化の転換期を見ようとすることも、有り難がることも無いと思うのよ。この辺り、議論したいと言う人がいくらでもいると思うけど、何が正解でもないし、ワタシはアカデミー・ロシア合唱団が好きだ、とかいう結論で終わるしかないっちゃ。ただ合唱コンクール運営側がエラそうに流行を作ろうとし過ぎるのがイヤ。)

・・・等々と思いつつ、これも前々から記してきた通り、その団を運営する方がご自由に方針を決めて運営すれば良いので、別にそういう2つの世代がお互いにけなしあうのも止めなければ、そういう2つの世代の橋渡しをしよう、と大上段に構える気もありませんし、OBメンバーズがトルミスを演奏するようになったり、逆に(?)1980年代までの恐竜向け作品を演奏しなくなって「あの1980年代の演奏スタイルが聴ける団体」の看板を降ろすとしても別に関心ありません。

いずれにせよ、これまでの東西四連に関する記述でも、あまり遠慮せずに書きたいことを書き散らしてきたので、前述の通り、山古堂的基準に照らし、粛々と記してみましょう。


<第32回東西四大学合唱演奏会>
1983/06/26 ゆうぽうと東京簡易保険会館大ホール

VICTOR PRC-30352~4

この第32回四連は単独ステージから合同演奏まで、どのステージもハイレベルかつ燃焼度が高く、故・福永陽一郎氏をして「これまでの東西四連で三本の指に入る演奏会」と言わしめた。他の二本の指は、音源の残存している限りでは第13回と第20回かな、と山古堂主人は思うが、それはともかく、人数・声量、弱声も吼えることも出来る声質、そしてそれに見合った作品と、大学男声合唱界が隆盛を極めていた時代の記録としても、この演奏会ライヴ録音には価値がある。

まず、エール交換からして各団とも異様にエネルギッシュで、気力に溢れている。
また、どの団もテナーが充実し、かつそれを支える低声系もしっかりしていて、しかもそれらを全く抑え込まなくて良い選曲をしているから、1970年代から始まったマッシヴ(質量感のある=重戦車)で声量重視の「恐竜時代」の標本としても最適である。但し、同志社については元々マッシヴに聴こえない音作りをしてきているので、必ずしも「恐竜」とは言えず、むしろ2億年を渋く生き残ってきたシーラカンスかも。ちなみにシーラカンス、初めて日本に冷凍サンプルが持ち込まれた際に、何とそれを食ってみた科学者がいて、「カマボコのような食感だった、醤油とワサビで食ったら結構いけた」そうな。

第32・34・36回東西四連の録音はビクターの制作で、マルチマイクでの音場調整やイコライジングも上手いから、ベースがテナーに比べて奥まって聴こえるという良くありがちな問題もなく、またややオフマイクでホール鳴りも良く収録されており、東西四連の録音の中ではなかなか優秀な部類に入る。

1.エール交換(慶應・関西学院・同志社・早稲田)

関西学院、過去2年間のゆったりたっぷりしたふくよかな表現から一転して、久々の体育会系威圧式な演奏。テンポとしてはこれまでの「A Song for Kwansei」の中では最も速く、またテンポも概ね一定で、テナーもかつてなくしっかりした音色なので非常にガッチリして聴こえる。言い換えれば、いつもなら声量や個人のプライドを抑え込んで合唱機能を優先させるのに、この演奏では限定解除(古いねェ)、本来楽曲から要求される曲想からも乖離しており、「ハモろうぜ!」時代のOBの方々が顔をしかめたかも。長音符でテナーやバリトンが少々上ずっており、間違いなく魔物の指に首筋を撫でられてます。

慶應義塾、これまたいつも以上にメリハリの利いた押しの強い塾歌で、少々上ずってはいるもののフレージングも綺麗でとてもカッコ良い。木下保氏亡き後の最初の東西四連ということも手伝ってか、強烈な気合が感じられる。やはりワグネルの歌う塾歌は、聴いていて背筋がピンとします。それにしても何だか凄いセカンドでんな、太くて鋭くて、例えるならマサイ族の槍。42度上方に向けて力技で投げ出し、その重さと落下速度で遠くの獲物の脊髄を砕く、それでライオンを倒したら勇者です。

同志社、この年は西山勲氏率いるトップだけではないのです。勿論、後述するように、このテナーが無ければ成し得ない演奏ではあるが、4声のバランスも音色も気合も、全てが良い方に噛みあっていて、久々に聴く素晴らしいCollege Song。最初の数秒で引きずり込まれます。いや、まさにこれぞ同志社グリー黄金期の音、というと黄金期の方々は機嫌を悪くしたりして(笑)。

早稲田、学指揮・笹原優樹氏の豪気な気質に加え、単独演目がアレだから音符一つ一つが銀シャリの粒立ちで、これまた校歌から気合一本槍といった演奏。全体的にマルカートで歌い、結尾の「早稲田、早稲田」でも通常と異なり「わせだ、わせだ、」と一つずつ区切られていることもあって、下方五度展開の後なんて精力絶倫(爆) 聴いてて鼻血が出そう。アーモンドチョコレート1Kgを一気食いした感じ、聴いた後に歯磨きしたくなります。

2.関西学院グリークラブ

 「ギルガメシュ叙事詩《後篇》」
  ~ア・カペラ男声合唱とナレーターのための(1983)~ (委嘱初演)
  1)光をめざして
  2)追悼歌
  3)航海
  4)ノアの函舟の物語
  5)試練
  6)神話のおわり
  7)終末の合唱
  訳詩:矢島 文夫
  作曲:青島 広志
  指揮:北村 協一

前年の第31回東西四連「ギルガメシュ叙事詩《前篇》」に引く続く委嘱作品。
前年よりも青島広志氏の作風に慣れていることもあろうし、またSoloやSoliも前年より人材に恵まれたようで、《前篇》より更に完成度が高い。その上、1曲目冒頭で「ギルガメシュは~」と地の底から這い上がってくるベースなんて、もはや気持ち悪いくらいのKGベース(笑)。とは言っても、《前篇》よりも更に面倒な作曲技法が含まれた、関学グリー史上屈指の難曲であることには変わりが無い。《後篇》にはクラスター書法(旋律とは正反対の、いくつかの音やごく短いフレーズを塊にして演奏させる、1960年代の器楽で流行した現代音楽の手法)やチャンス・オペレーション(いわば演奏者に任せた即興演奏)等も織り込まれ、更に演奏を困難なものにしている。しかも作品の完成が遅れ、《前篇》では本番の1ヶ月前に完成したからまだ良かったが(笑)、《後篇》に至っては本番の僅か1週間前に最終稿が上がったという。だが、「日本一」の名に恥じない関西学院グリーは、2回生以上のオンステにも拘わらず100名という大人数が一糸乱れず、何と完全暗譜で上演し、《前篇》に続いて初演ながら空前絶後の超名演で応えている。しかも《前篇》より更に安定感と余裕が感じられるので、まさに磐石という感じ。日本の大学男声合唱史上に残る「日本一の大学男声合唱団」の黄金期であり、この演目において、この演奏記録を超える演奏は二度と無い。ちなみに演奏直後の「ブラヴォー!」第一声は青島広志氏御本人様であらせられます。お気持ち、よ~く分かります。

作品そのものは、聴く上では《前篇》同様、そんなに難しくないもので、《前篇》で親友エンキドウを失ったギルガメシュが「不死」を求めて困難な旅をし、唯一死を免れたというウトナピシュティム老人を訪ねるが、この老人は「ノアの方舟」のノアとしての責務を全うした特別功労賞で不死になったから、お前さんには無理だよ、とあしらわれ、その上この老人の奥様が「手ブラで帰すのは可哀想だ」とせっかく恵んでくれた若返りの草を、ちょっとした隙に蛇に食われてしまって(この蛇のあたりの青島氏の書法がまたトボケてて素晴らしい)、すごすごと帰ってくる、というあらすじ。《前篇》に比べると英雄らしさとか勇壮さなどがあまり無いので、やはり上海蟹と刻み生姜、いや違う、《前篇》と《後篇》を合わせて聴くのが良い。ちょうどCD1枚に収まりますし。

余談ながら、この東西四連での演奏を機に東芝から市販することが決まっており、《前篇》《後篇》とも初演メンバーでレコーディングが行われていた。が、信じがたいことに《後篇》のマスターテープ紛失という東芝の?大失態が生じ、ために関西学院グリーは《後篇》のみを6年後の第58回リサイタル(1990/01/28 大阪フェスティバルホール)でわざわざ再演した上で、改めて録音し直したのである。
その頃にはもう人数も減り音色も軽くなっているから、この《前篇》《後篇》のカップリングは少々かわいそうなことになってしまった。つまり恐竜時代全盛期と、恐竜衰退期の対比にもなってしまったし、作品表現としての連続性も失われてしまっている。

そういうことで、この東西四連における《前篇》《後篇》の関西学院グリー演奏ライヴの記録こそ、この作品のベスト録音であるのみならず、「ブロントサウルス」の原型を留めた完璧な化石標本であります。ホントに凄いですよ、この演奏。慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団様のWEBサイトで聴けますので、是非お試し下さいまし。

・・・やはり関西学院グリーは草食の巨大恐竜のイメージかな。慶應ワグネルこそ肉食ティラノサウルス、同志社は敢えて恐竜に例えれば剛柔併せ持つステゴサウルス、早稲田は、、、石炭?

更に余談ながら、関西学院グリーは「ギルガメシュ叙事詩」に続き、翌年度の第52回リサイタル(1984/01/29)にて「マザー・グースの歌」を青島氏のピアノ伴奏で演奏し、続く第53回リサイタル(1985/01/27)にて「11ぴきのネコ」男声版を、やはり青島氏のピアノ伴奏で演奏するなど、3年半の間に青島氏の作品を4つ立て続けに取り上げた。
このような親密な関係の中、団員公募の詩(当時1回生の近藤丈詞氏、1987年度学生指揮者の作)に青島氏が曲を付けた関西学院グリークラブソング「メンタルハーモニー讃歌」が贈られ、第53回リサイタルのアンコールステージにおいて、これもまた青島氏のピアノ伴奏で披露された。

加えて蛇足。上記「11ぴきのネコ」の中で、あるネコが死ぬ(ホントは寝てただけ)のだが、そのシーンでギルガメ《後篇》冒頭の葬送テーマが引用されている。
それを聴いて客席から失笑が漏れるという、マニアックな聴衆を集める関学グリーも変なら、その笑い声に女子大生と思しき若い女性達が多いのも変である。やっぱり関西学院グリークラブ、えも言われぬマニアックなクラブです。

3.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

 「Zigeunerlieder」
  1)He, Zigeuner!
  2)Hochget?rmte Rimaflut
  3)Himmelgabes Liebe
  4)Einst ein k?sschen gab
  5)Der Tanz
  6)Ledig bleiben S?nde w?r!
  7)Heiligem Eide
  8)Gute Nacht
  9)Meine Abendstern
 10)Mond verh?llt sein Angesicht
 11)Abendwolken
  作詩:Hugo Conrat
  作曲:Johannes Brahms
  編曲・指揮:畑中 良輔
  Pf:三浦 洋一
  独唱:瀬山 詠子、永田 峰雄

慶應義塾は、ソプラノ独唱はともかく、テナー独唱も残念ながらプロ歌手に委ねている。同志社グリーの西山勲氏が、3回生ながら前年の第9回関西六大学合唱演奏会(1982/11/03)においてこの曲集のテナー独唱をこなし、伝説を残すと共に「トップの同志社」の名声を決定的なものとしたのだから、負けず嫌いの慶應ワグネルだって学生ソロでやっちゃえば良かったのに。塾歌を聴いたって結構なトップテナーがいそうぢゃないですか。せっかくの1曲目冒頭のツカミなんてプロが歌ったら当たり前過ぎて、しらけちゃうのよね。
でもその分、合唱が負けじと燃えているような感じで、そのスリリングさが良い。
前年に比べたらワグネリアンの意欲が元通り前面に出ているし、そのことが19世紀当時に欧州の作曲家達を掻き立てたジプシー音楽の奔放さと情熱と哀愁とを表現する上で、一層の効果を挙げている。

それはともかく、以前にも記した通り、ドイツ語発音のメカニズムをきちんと理解して歌う慶應ワグネルのディクションや子音捌きは、他団の数段上を行っていて、東西四連における慶應ワグネル単独ステージでは初登場となる畑中良輔氏の指揮とあいまって、ドイツ後期ロマン派のうねりやブラームスらしい粘りや渋さも良く表出した好演。ところによりテナーがもう少し声を薄く使えば、もっと弱音での高音などで音程がピシッとはまり、更にメリハリの利いた演奏になったかも知れないが、ブラームス・サウンドとしては充分満足出来る。
フライングしちゃうと、この演奏があったから、翌年第33回東西四連のブラームス「哀悼歌」の素晴らしい名演があるのでしょう。

ただ、他の3団があまりに心・技・曲が一体で、ちょっと別世界の演奏なのに対し、慶應ワグネルの演奏はワグネル・クオリティによるいつもの好演(それだって凄いのよ)なので、聴衆に対するインパクトの大きさ、ということではちょっと目立たなくなっちゃっているかも知れない。

なお、終曲の最後の和声における8度から10度への展開は、慶應ワグネル、というより畑中先生が好んで行う奏法で、ドヴォルザークのジプシーでも必ずそうする。でもドヴォルザークはまだしも、ブラームスさんの作品ではやらないほうが良いかもね。あのおじさん野暮だもの、派手な10度展開を楽譜に書くような性格なら一生独身なんてことになってないわよ。

ところで、このブラ・ジプの編曲者について。

 第32回四連のプログラムでは「補編曲:畑中良輔」
 第32回四連レコードのライナーでは「編曲:畑中良輔」

と、微妙に違う。実は過去から諸説あって、

 慶應ワグネル第86回定演(1961)では編曲者の記述無し
 関西学院グリー第35回リサイタル(1967)では「編曲:福永陽一郎」
 同志社グリー第9回関西六連(1982)では「編曲:福永陽一郎」
 慶應ワグネル第108回定演(1983)では「編曲:O. Wurf」

良く分からんが、やはり第108回定演パンフが正解なのでしょう。O. Wurfという人のことは不明だが、この人の編曲に福永陽一郎氏が少々手を入れた、ということが推測される。で、第32四連にある「補編曲:畑中良輔」とは恐らく、パートソロを独唱にしたのと、終曲の最後の和音を8度から10度に展開させたことを指しているのでは?

それと、この頃からピアニスト・三浦洋一氏の指の回りに翳りが見えてくる。1950~60年代の独唱伴奏ピアニストといえば、三浦氏が第一人者であったが、三浦氏に限らず、1980年代には音楽界において新旧交代が少なからずあったように思います。マリオ・デル・モナコ、1982年10月16日没。

4.同志社グリークラブ

  「MISSA MATER PATRIS」
  1)Kyrie
  2)Gloria
  3)Credo
  4)Sanctus - Benedictus
  5)Agnus Dei
  作曲:Josquin Des Prez
  編曲:Eliot Forbes
  指揮:福永 陽一郎

同志社の演奏で使用された編曲を手がけたのは、1961年に来日したハーヴァード大学グリークラブの指揮者であったE.フォーブス教授で、同年に同志社グリークラブとジョイントコンサートを持った際に、故・福永陽一郎氏が楽譜の贈呈を受けたとの由。この版による演奏は国内では初めてではないか、とのことである。この編曲は、山古堂と濃厚で密接な関係を結んでいる前川屋本店・御主人の表現をお借りすれば;

ジョスカンという作曲家は、ポリフォニーの極めて洗練された技法を持ちつつも、音の動きそのものはかなり悪魔的な、びっくりするような面を持っている。各パートに与えられた音域の広さは尋常でない。おそらく当時の「名歌手」を対象として書かれているのでしょう。
これを音にするのは、当然のことながら、とても難しい。しかも、この時代の作品のモダナイズ化の常として、音域の問題がある。この曲の場合も、トップは、カウンターテナー(アルト)の音域の少し下で歌いきらねばならない。そして、セカンドがほぼトップの音域まで背伸びをする。だったらもっと下げればいい…でも、これより下げると今度はベースの音域の制約が出る(低すぎる)。
そこで皆川教授は、かなりの音の入替を実施することで、そうした音域の制約からのがれるための工夫をした。それはとても巧妙で、一つの完成された領域だったと、今でも思います。
ところがフォーブス版は、そのオリジナルの音の配置を極力替えずにおいてあります。そこでは、皆川版で一部寸断されてしまった音の流れや、密集してしまった音の積み重なりが、より大きな「広がり」を持って表されたのです。


そんな編曲を、並みの男声合唱団では処理しきれない音域を、しかもそういう無茶な音を含みつつも繊細な旋律と和声を、この年の同志社グリーは現実のものとして鳴らした。
伝説/化物と冠詞の付く西山勲氏に率いられたトップテナーの高音部におけるmezza voceは、まさに同志社の独壇場であり、これに絡む低声系も、響きのポジションこそ胸に置いているが、前年までと異なりどんな音形でも理性的で破綻せず、音場の構築物としての機能を全うしている。こういった、ポリフォニーの縦横を揃えての端正な演奏は、往年の同志社のカラーそのものである。各パートが楽譜に記された音価を忠実に再生した音響は、福永氏のこれまた神憑り的に巧妙な棒さばきと相まって聴衆の意識に浸透しており、第32回東西四連各ステージの中でもこの演奏を第一に推す方が少なくない。神を畏れずに言うならば、この演奏こそ神の領域に足を踏み入れた演奏である、と山古堂主人は思っている。実際、特に「Credo」以降においては、何かが何度も背筋を走る。

その前年まで必ずしもベストな演奏をしていなかった同志社グリーに対し、当時やや厳しい評価があったことも事実だが、「第32回東西四連に先立つ同関交歓演奏会において、同志社が奇跡の復活をした、という評判が立ち、関東にもその評判が聞こえてきた。ウッソ~、と思ったら、あいつら四連でホントに凄い演奏しやがった」とは当時の早稲田グリー学指揮・笹原氏の弁。
この演奏会で歌った同志社グリーのメンバーの述懐を下記、無断転載。

この四連の一ヶ月あまり後にウィーンのパレス・アウエルスベルク宮殿という場所で、この「Missa Mater Patris」を演奏したんです。
その曲中の「Credo」のなかばぐらいのこと。客席の一人の老婆が席からおり、通路にひざまずいたかと思うと、胸の前で手を組み、頭を垂れて祈り始めました。メンバー全員、涙が込み上げてきて、歌うのに苦労しました。
この曲、切実にもう一回歌いたい作品です。E・フォーブズ教授は、御自身の編曲した楽譜の表紙に、「ジョスカンが、その偉大さをあらわにする最初の作品」みたいな詞書を入れておられます。


このE.フォーブス版はその後、同志社グリー第87回定期演奏会(1991/12/18ザ・シンフォニーホール)において学生指揮者・永島健一氏の指揮で再演されている。それも聴きましたが、合唱機能はともかくとしてやはりナルシスト健ちゃん、想定範囲内の音楽(笑)。

5.早稲田大学グリークラブ

 「繩文」-男声合唱とピアノのための- (男声版初演)
  1)透明
  2)曙
  3)行進
  4)波の墓
  作詩:宗 左近
  作曲:荻久保 和明
  指揮:小林 研一郎
  Pf:西川 秀人

早稲田グリーの「繩文」男声版初演は、指揮者・ピアニストに豪華キャストを配した、この演目での決定的な名演でもある。・・・などと書くと、いかにも市販レコードの「売らんかな」キャッチコピーのようで面白くない。

話は逸れるが、最近の日本のクラシックレコード界における「売らんかな」キャッチコピーや販売企画には参ります。世紀の天才や超新星が量産され、かたや若手育成・次世代育成の労を惜しんで、コンクール入賞者などの出来合いに一点張りをする。で、ほとんどの場合、キャッチコピーと演奏が乖離していて、いわゆる平積みのCDを買っても騙され率80%だし、逆にホントに良い演奏があっても、キャッチコピーや販売企画で「花」が添えられないので、いつまで経っても陽が当たらない。ピアノで言えばフリードリヒ・グルダの最期の録音にあるシューベルトなんかはまさに世紀の演奏だけど、ちっとも売り込まれていないし、古くは1980年、ソヴィエト国立アカデミー・ロシア合唱団の演奏によるラフマニノフ「晩祷」が欧米で絶賛され、多くの賞を獲ったにも拘わらず、これまた日本ではちっとも売り込まれなかった。
つくづく、最近レコード会社やマスコミがお墨付きで売り出すCDは何だかおかしいです。どう思いますか、洗濯屋E次師匠?

話を戻して、著名な指揮者やピアニストをコネや札ビラで引っ張ってきて、それだけで名演が出来るなら、ある意味でそんな安上がりなことはありません。そりゃあ指揮者やピアニストもプロだし、合唱団側だって頑張るだろうから、良い演奏になる確率は上がるでしょうけれど。
しかし、この「縄文」演奏は、指揮者・ピアニストとの相乗効果こそあれ、当時の早稲田グリーのカラーがあればこそ成し得た演奏であり、「豪華キャストを配し」たら誰でも出来るような演奏ではない。

同志社グリーが踏み入れたのがキリスト教における神、関西学院グリーが踏み入れたのがメソポタミアの神、とすれば、早稲田グリーが踏み入れ、いや、踏み込んだのはどの神の領域でもない、まさに作詩の宗左近氏と作曲の荻久保氏が意図した「縄文なるもの」で、聴く者はこの演奏に訳も分からず圧倒され、引きずり込まれていた。早稲田グリーの演奏記録の中で、聴衆の咳払いが曲間にのみ集中する、という、まるで関西学院グリーの演奏みたいな状況は滅多に無いが、この「縄文」はその数少ない実例である。コバケン&早稲グリのみが創出する音場が、ここに明確に存在する。ホールの温度が数度下がるような、重心の低い「透明」から始まって、ササクレ立った曲想を猛進していく様には、同志社グリーの演奏とは全く違うものが背筋を走る。

この終曲で独唱を受け持ったのは共に2年生で、バリトン独唱は後の学生指揮者・「神様」と呼ばれた新井康之氏、テナー独唱はこの演奏が「泣きのSolo」と賞賛された、後のトップテナーパートリーダー、大村治郎氏。その声は一聴して即座に判別出来る美声である。山古堂の「古」いわく、「2回生でソロ獲るなんて早稲田だけに許されることだよ」。

早稲田グリーが荻久保和明氏の作品を取り上げたのは第28回定期演奏会(1980/12/17)、荻久保氏自身の指揮による「炎える母」委嘱初演以来であるが、荻久保氏はそれ以前、第27回東西四大学合唱演奏会(1978)での三木稔「レクイエム」のピアノ連弾伴奏や、第27回定期演奏会(1979/12/01)での「枯木と太陽の歌」のピアノ伴奏でも早稲田グリーと共演しており、この「縄文」男声版においても、早稲田グリーの特性を念頭に置いた上での編曲であろう事は想像に難くない。
早稲田グリーによる荻久保氏への作編曲委嘱は、この後にも;

 「季節へのまなざし」男声版委嘱初演 -第35回送別演奏会
  (1986/02/21 指揮:山田敦/Pf:久邇之宜)

 「縄文ラプソディー」委嘱初演 -第36回東西四大学合唱演奏会
  (1987/06/20 指揮:黒岩英臣/Pf:久邇之宜)

 「縄文ラプソディー」オーケストラ版委嘱初演 -第40回定期演奏会
  (1992/11/29 指揮:荻久保和明/
         管弦楽:TOKYO SYMPHONY チェンバーグループ)

 「黙示録・縄文」委嘱初演 -第47回定期演奏会
  (1999/11/28 指揮:荻久保和明/Pf:久邇之宜/Perc:菅原淳)

と続いて行く。

6.合同演奏

 男声合唱とピアノのための「ゆうやけの歌」
  作詩:川崎 洋
  作曲:湯山 昭
  指揮:関屋 晋
  Pf:大久保 洋子

関屋晋氏の仕掛けたっぷりな「ゆうやけの歌」。和声も分厚くてマッシヴだし、トップテナーで最後に出て来る最高音・嬰イ(Ais)が存分に響き渡るところなども、この東西四連の醍醐味でしょう。まあ良く声の出ていることよ。今時の男声合唱では流行らない演目なんでしょうけどね。
4年後の第36回東西四連の合同でも「ゆうやけの歌」が演奏されているが、主観的に言えば、第36回の方が良いかな、と感じる。というのは、第32回の方は凄みがあり過ぎ、つい合唱を楽しんぢゃって、作品を楽しんでる余裕が無いのよ。
蛇足。この第32回四連の2年前に埼玉県立川越高校音楽部の「ゆうやけの歌」を聴いたのですけど、同じ作品とは思えませんね、何せ川越高校はコンクール自由曲で、時間制限の都合上わずか9分で歌っちゃったから、目の前をトビウオの団体様が通り過ぎたような演奏でした。

7.ステージストーム
 
 1)関西学院:U Boj
 2)慶應義塾:Ave Maria(Franz Biebl)
 3)同志社 :鮪組(作詩:北原白秋/作曲:多田武彦
        男声合唱組曲「三崎のうた」より)
 4)早稲田 :斎太郎節

演奏会全体を考えたら、少々想定外(爆) さすがにお祭りの後、お疲れかな。
関学はいつもの定番なので想定内。慶應、裾が乱れちゃってますが「このままではヤバイ」と思われたのでしょう、中盤から良くなります。同志社、マグロ釣り過ぎで鼻血出てる。早稲田、大漁で喜んでるというより、「大漁だ、大漁だ」と囃し立てる行為に喜びを見出してしまいました(笑)
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