合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


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第16回 20回代の東西四連(第27回)

ちょっと重いイントロですが。

思えば山古堂主人の「旧制音源電子復刻」のきっかけは、第26~28回の東西四連と東京六連のレコードを所有する人が、突然身近に現れたことにある。
それまで身近にあった古い音源は、早稲田グリー事務所に保管されていた、1960年代から1970年代初頭までのオープンリールと、1980年台以降のいくつかのレコードだけであった。
もう20年も前、現役当時の話だから、まだ機材も無かったのでオープンリールに手を出す気はなく、保管されていたレコード(最古でも第29回四連/1980)をカセットに移し変えることで満足していて、それ以前のレコードを捜す伝手を持っていなかった。
そんな現役時代もあと1年となった頃、姉が結婚することとなり、そのお相手が慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団1980年卒の高橋文弘氏であったことは、誠に幸運であった。
無遠慮にも「現役当時のレコードをお持ちですか?」と聞いたら「ありますよ」。
え、うそ!? そんな安直な!(笑)
早速お借りして聴いてみたら、キラ星の如き演奏や貴重な初演記録の数々がそこにある。
これは何としてでも全部網羅せねばいかん、と思ったのは良いが、残念ながらそれ以上の音源探索の伝手が当時の山古堂主人には無かった。何故ならその当時、誠に恥ずかしいことながら、自分の団のOBの協力を受けたくなかったからである。

当方が現役4年生の時、誠にくだらないことを発端として、OBすなわち稲門グリーのうち一部の主導により、現役に対する恐らく史上最悪の干渉と妨害が行われた。山古堂主人は、この全く以って恥ずかしくも傲慢な一部卒団生の干渉と妨害を絶対に忘れないし、更にその首謀者連中を絶対に許さないし、また自分は後輩に対して絶対にそんなくだらないことはしない、と誓った。その詳細はOB会側の視点によるOB会50年史には当然記されていないから、山古堂ブログ第37回東西四連の項で必ずや記します。

その干渉と妨害は、山古堂主人以外の当時の現役連中がどう受け止めたか知らないが、少なくとも山古堂主人にはOB会=稲門グリーに所属する1950-1970年代前半卒のOB(の一部)への絶対的な不信感をもたらした。従って彼らが古い貴重な音源を所有しているのが明白であっても「頭を下げられるか!」であった。
・・・ここまで書くだけでもかなりしつこく推敲して、マイルドな文章にした山古堂主人である。

その不信感と稲グリの壁が個人レベルで解消され始めたのが、早稲田グリーOBメンバーズの萌芽となった1999年11月のOB有志シンガポール公演である。
これは、シンガポール日本人会から早稲田大学グリークラブを招聘して演奏会を開催するとの話が舞い込んだ際、グリー現役は定演が間近のためこの話を断り、お鉢の回ってきた稲門グリーも断ったのだが、この時の現地窓口を務めていた木村寛之氏(1978卒)の熱意に何とか応えたい、と、同期の三品智氏を始め、古くは清水實氏(1963卒)から、若手では早稲田グリーの人数再興作戦を立案実行して、世の男声合唱団が人数減少に喘ぐ中で早稲田グリーのみが100名超を誇る基礎を作った稲毛学氏(1997卒)、そして最若手の戸崎智支氏(1998卒)までの41名が結集し、このシンガポール公演を大成功に導いた。

この時の確かな手応えが深く静かに熱を蓄え、そして溢れ出し、OBメンバーズとして集まり散ずる現在の活動につながっている。集まり散ずるのだから「シンガポールの初心忘るるべからず」とは申しません。
ただ、あのシンガポールは練習から本番まで、本当に真剣で楽しくて熱かった。

シンガポール公演にまつわる話も尽きないが、それはいつか語るべき時に譲るとして、この公演で清水實氏をはじめ多くの親切で義侠心のあるOBと知り合うことが出来たのが、山古堂主人にとっての最大の収穫であり、「旧制音源電子復刻」の活性化につながる出会いであった。
シンガポール公演メンバーで、その後音源を快く貸し出して下さった方は、6名に及びます。

清水實先輩(1963卒)、安斎真治先輩(1972卒)、木村寛之先輩(1978卒)、細金雅彦先輩(1980卒)、仲村弘之先輩(1980卒)、泉沢信哉先輩(1983卒)

改めまして厚くお礼申し上げます。
細金・仲村両先輩からお借りしたレコードも、まさに第26~28回の東西四連と、その同時期の東京六連・早稲グリ定演でした。
(仲村様、4年ほど借りたままのレコード、年内にはお返しします、すいません。)

その後、上記の諸先輩方からの垂直・水平展開や他大学OBとの交流によって、かなりの音源が「発掘」されましたが、他方でこれまた情けないし恥ずかしいことに、一部OBからまたもや干渉と妨害を受けたのも事実です。
歴史には必ず闇があります。
山古堂主人の音源探索の途上にも、音源を隠匿されたり訳の分からないねじ込みが入ったり、いろいろあるのでございます。
もっと言っちゃえば他団OBからの妨害すらありましたけどね。
・・・負けないぞ、と。

シンガポール公演の後、自宅でデジタル録音やCDR編集が出来るような時代が急速に訪れ、また山古堂本舗取締役営業部長・兼関西九州方面作戦本部司令長官・兼「中洲の白い龍」古賀準一君との再会もあり、5年間でかなりの「旧制音源電子復刻」作業を進めることが出来た。
そして2004年初夏、ついに東西四連の音源を網羅しCD化するという前人未到の偉業(自分で言ってりゃ世話無いな)を達成することも出来た。その背景には親身に相談に乗って下さった多くの早稲田大学グリークラブOB、そして四連OBがいる。

そういうことで、長くなりましたが、タイムカプセルの扉の鍵となった第26~28回の東西四連のレコードには、単に音源確保の一環というだけでなく、特別に思い入れがある山古堂主人でした。

<第27回東西四大学合唱演奏会>

1978/06/25 大阪フェスティバルホール


東芝EMI LRS413~4/ステレオ

第26回・第27回東西四連のレコードは最終的に3セット発掘され、中でも状態の良かった仲村弘之先輩/1980卒所蔵のレコードをデジタル化している。

録音としては前年とあまり変わらないパターンで、ホールの空間をゆったりと捉えているので、フォルテではかなりの迫力を伴うし、弱声でもカサカサしない。
低声系のホール鳴りも、不自然ではないトーンコントロールがなされている。
やっと録音エンジニアさんもコツが分かってきて、きちんと仕事してくれるようになったのね。

1.エール交換(早稲田・同志社・慶應・関学)

早稲田、録音のお蔭だけではない骨太な声でどっしりと聴かせ、特にベースの仕上がりが良く、div.後も低声系の動きがはっきり分かる、なかなか良い校歌。最後の「わーせだー」が前年に引き続いて少しテヌートですけど。やはりコバケンの年は違う。予想外に立派な演奏だから?客席の拍手の立ち上がりにも少し動揺が感じられる(笑)。そんな演奏のおかげで「魔物」が頭をもたげて、続く各団の演奏に噛み付いている。
そんな中、1番のユニゾンでただ張っているだけのリキんだ声が1名(恐らくバリトン)おり、それが少し上ずっていて、全体の上ずりを主導している。これには近親憎悪ですな。

同志社、魔物に噛まれて少し気負ってます(笑)。
大変耳につくのは、23回四連の時と同じく2小節フレーズにしていて、しかもフレーズの頭でいちいち溜めがあるので音楽がいちいち止まる。これを2番でもやられると、さすがに二度と聴く気が起きません。
合唱はセカンドが音程・音質とも一本化されておらず、「土管バリトン」もやや気になるが、ベースが立派な響きで引き締めているので救われている。

慶應、いつもよりややテンポが速いのが魔物に噛まれている様子だが、しっかりと安定してます。セカンドが音程やや高めだが低声系の響きが充実していて、その結果として和声がホールに響き渡っている。テナーも立派な声だが、逆にこれで単独ステージのミサをどう歌うんだろう、と余計なお世話。

関学、もはやこのベースは誰にも止められない。バリトンはやや土管系だが、ノドを深く縦に開けることに終始し首と下顎に力を入れて引き過ぎるから、その結果として母音のポジショニングに不具合が生じ、例えば校歌2番の最後「sweetest」の「ee(i:)」が「エ~」に聴こえたりする。セカンドテナーが常に粗くて音程も悪く、他パートに溶け込んでいないのも、珍しいと言えば珍しい。トップもいつも通りの開いた声で、高声系と低声系のギャップが最も大きい時期だったかも知れない。

2.早稲田大学グリークラブ

「レクイエム」~男声・二台のピアノ伴奏~
  1)第一楽章
  2)第二楽章
  3)第三楽章
  作曲:三木 稔
  指揮:小林 研一郎
  Pf:荻久保 和明、高橋 裕子

南洋・ポリネシアにあるマンガヤ島で採集された、王子の死を悼む言葉(詩という西洋的スタイルだったのかどうか、知らないので、あえて「言葉」と表記します)がベースとなった鎮魂歌。その素朴で直接的な言葉と感情は、まずドイツで出版され、それが更に日本語に翻訳されて「南方原住民の歌謡」という小冊子で出版された。その中に「ヴェラを悼む葬送の歌」という表題で収録されていたものを、三木稔氏が神田の古本屋で入手し、このテクストを「彼岸への対話」と名付けた台詞として構成・作曲したのがこの「レクイエム」である。三木氏の言葉によれば「天寿を全うしなかった全ての魂への鎮魂歌」とのことである。無論、宗教的な観点によるレクイエムではない。

第五楽章まで演奏すると40分を超えるこの作品は、東西四連のような合同演奏の場では常識的に第三楽章までしか演奏されないし、まして東京六連・関西六連みたいに「およそ20分を目処」なんていう条件がつくと、演目候補にも上がらない。そもそも相当な実力が無ければ演奏出来ない曲なので、実はあまり演奏の機会が多くない、特定の合唱団で再演が繰り返されているような作品なのかも知れない。そう言いながら、早稲田グリーでは全曲演奏を4回(早慶交歓演奏会を除く)やっていて、うち2回は東西四連で、他団の迷惑をかえりみずひとりだけ40分も使っている。

<早稲田グリーによる三木稔「レクイエム」全曲演奏>
1972 第20回定演
(小林研一郎/東京交響楽団/独唱:中村義春)
1981 第29回定演
(福永陽一郎/東京アカデミックウインドオーケストラ/独唱:山本健二)
1986 第35回四連
(小林研一郎/Pf:久邇之宜/独唱:勝部太)
1992 第41回四連
(北川博夫/Pf:永岡信幸/独唱:田代和久)

山古堂主人は個人的に第四楽章が好きなのだが、それは第四楽章の音場構成や色彩感が組曲中でも特に独特のもので、「欧米列強クラシック」の音とは一線を画しているからである。

この「レクイエム」はオーケストラ付き男声合唱がオリジナルであり(1963年、東京リーダーターフェルにより初演、三木稔氏ご本人もこの初演に合唱に参加しておられる)、これをベースに様々な伴奏編曲があって、山古堂主人の所蔵音源を見ても、オーケストラ伴奏/二台のピアノ/一台のピアノとエレクトーンと打楽器/1台のピアノ、というヴァリエーションがあるし、ピアノと打楽器という組み合わせで演奏されたこともある。また混声版もある。

この第27回四連の早稲田グリーの演奏ではピアノ2台だが、2台連弾の欠点がモロに露呈したため残念なのは、ピアノ2台にかなりのリズムずれやキータッチの感性の差が生じていることで、特に第二楽章冒頭の7/8+5/8みたいな変拍子高速リズムでメチャクチャなまでにずれているのは誠に興ざめ。それ以外にも、ピアニストのプライドが舞台全体のパフォーマンスより優先されて、楽曲を乱している部分が多数ある。ピアニストの片方が荻久保和明氏だから、ということではないと信じますけど。ついでにピアノ2台の調律がマッチしてないんですけど。

演奏を総括すると、小林研一郎氏のこの曲に対する理解というのは、まさに天才の領域に踏み入っているから、小林氏の要求する音や表現も半端ではないが、恐らくコバケン&早稲グリという組み合わせによる「トリップした世界」によってその音や表現を創出し、一つの精神世界を表現し得た演奏と思う。第一楽章の冒頭1小節「聞こえるか」の歌い出しだけで練習1回分、すなわち2時間を費やしたというが、その歌い出しでホールの体感温度が数度は下がったことと思うし、一切緊張感の途切れない演奏だから聴衆もさぞ聴き応えがあり、疲れたことと思う。団員はもっと疲れたと思うが、その甲斐あって終演後の酒は格別の美味であったことでしょう。なお、ソリストは低声系と高声系の学生ソロ計3名(登場順に Bari.池田浩之氏[S55卒]、Bari.竹野史哉氏[S54卒]、Top奥芝理郎氏[S54卒])で分担しているし、ベースにもすごい声が一人いて(福島さんか?)、個人芸がこの演奏全体の下支えになっていることも特筆しておきます。

3.同志社グリークラブ

  「わが歳月」
  1)わが二月
  2)春
  3)空谷
  4)葉月のお月
  5)十月
  6)音立てて
  作詩:阪田 寛夫
  作曲:大中 恩
  指揮:福永 陽一郎

「わが歳月」は、同志社グリークラブ創立60周年記念として1964年に委嘱され、同年6月の第13回東西四連で初演、また同年11月に行われた創立60周年記念演奏会でも再演されている。
その後、第19回四連でも取り上げられており、間違いなく同志社の持ち歌。
同志社以外の演奏はあまり聴いたことが無く、手持ちの音源では第15回関西六連(1988)の大阪大学男声合唱団くらいしかない。

前年の第26回四連で演奏した「ゆうやけの歌」に比べれば楽曲のインパクトは少ないが、強靭なテナーは変わっておらず、また低声系の充実振りもあって、第13・19回四連における同曲の演奏より押し出しの強い演奏となっている。
特に3曲目「空谷」終結のフォルテなどは圧倒的・・・いや圧倒的過ぎか。
フレーズの運びは相変わらず上手い。
1曲目「わが二月」冒頭で少々和声に乱れが生じるものの、2曲目以降は見事に音楽に乗っており、本番特有のササクレ(笑、同・早特有のと言っても良い)はあるものの、かなり綿密な練習を重ねていることがうかがえる。
そしてこれもベースにすごい声の人が一人。

あえて高望みなことを言えば、これで音程の精密さを上げて不用意な土管バリトンを何とかすれば、完璧です。
また初演の際にはまさに上質の落語のような素晴らしい演奏をした4曲目「葉月のお月」が、高声系のやや鋭い響きと低声系の重厚さとによって、緊張感を伴う誠にシリアスな演奏になってしまい、全然笑えないものになっているのが残念。

4.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

 「MISSA MATER PATRIS」
  1)KYRIE
  2)GLORIA
  3)CREDO
  4)SANCTUS
  5)BENEDICTUS
  6)AGNUS DEI
  作曲:Josquin des Prez
  編曲:皆川 達夫
  指揮:木下 保

慶應ワグネルとして、東西四連では第10回・第18回に次ぐ3回目の「MISSA MATER PATRIS」。
第10回四連の項でも記した通り、木下氏はルネサンス・ポリフォニーを定期的に慶應ワグネルに歌わせており、それは音楽に携わる者の教養の一環として、西洋文化の根幹の一つであるキリスト教系芸術を教材に選んでいたからなのだが、東西四連・東京六連・定演を通じて数度演奏されたこの演目の中では、この第27回東西四連の演奏が最も良い演奏のように思われる。

混声ポリフォニーを男声に編曲した場合、トップテナーに持続した高音域が配置され、他方でその対旋律が同じ音価(トップが十六分音符ならベースも十六分音符という意味)でベースの低音域に配置される。
またセカンドテナーは換声区の難しい音域でトップテナーに3度下で合わせ、バリトンもB-Dあたりの微妙な中高音域を上手く処理しなければならない。

そういう各パートにつきまとう困難に対し、まず高音の綱渡りを成功させようというトップテナーの貪欲さと気合とプライドが奏効し、かなりの難所も上手く処理して旋律をつないでいる。
これが好演の最大の功労者。
ついでセカンドもエール交換と異なり(爆)トップに上手く音色と音程を合わせて、重奏旋律を綺麗に鳴らしている。
バリトンもなかなか難しい峠を上手く乗り越えているが、残念なのは終止和声でフォルテを鳴らす際に「土管バリトン」で吼えるきらいがあり、音程が僅かに浮いてしまう。
ベースは他団に比べてやや鳴りが薄いが、充分にシュアな歌唱をしている。
ただ宿命というべきか、十六分音符で高声系とからむと、リズムのもたつきが露わになってしまう。
現実に「CREDO」の中で、トップとベースが丸裸で16ビートで絡んでいるのだが、ベースが何と16ビートの裏、32ビートのバックビートをトップテナーに付けるという離れ業をやってのけている。
でも楽譜にはそう書いてないから誰も賞賛しません。
楽譜に書いてないことで拍手を取れるのはワセダだけです。

いずれにしても、全体を見れば構成力もあり破綻せず、しっかりした演奏をしていて、皆川版のポリフォニー編曲の中では出色の演奏と思う。
ぶっちゃけ、木下保氏が亡くなられた後にやっと慶應ワグネルを振る機会を得給うた皆川氏ご本人様が指揮をなされ後日NHK-FMで放送された際に「神学部の学生でもないのに神宿る演奏」と自画自賛の解説をお加え遊ばされたという第33回東京六連の「MISSA MATER PATRIS」
(句読点打つのも厭)に比べたら、雲泥の差です。
もちろんこの第27回四連の演奏の方が「雲」。

5.関西学院グリークラブ

 「ことばあそびうたII」-男声合唱とピアノのための- (初演)
  1)かっぱ
  2)うとてとこ
  3)たそがれ
  4)さる
  作詩:谷川 俊太郎
  作曲:新実 徳英
  指揮:北村 協一
  Pf:浅井 康子

この作品は、合唱団の技量を図るバロメーターとして、今日でも実力派合唱団の演目やコンクール自由曲で採り上げられる、男声合唱では重要なレパートリーの一つである。

さて、この関学グリーの演奏こそが「ことばあそびうたII」の記念すべき初演なのだが、正確に言えば委嘱初演ではないようです。
この経緯については、山古堂本舗と密接で濃厚な提携を結んでいる「前川屋本店」主人からの情報を転載します。

小生が伝え聞いたところによれば、この作品の作曲・初演の経緯は以下の通りです。

「ことばあそびうたII」は、当時売りだし中の作曲者が、「畑中先生に演奏してもらいたくて」(=すなわち当時の常識として、畑中&ワグネルコンビで演奏してもらいたくて)作曲し、その楽譜を畑中先生に送った。
畑中先生は、楽譜を一読、「これはいい曲に違いないが、今のぼくにはとても勉強する時間がない」と思われた。
このことを知った北村先生は、畑中先生の書斎からこの楽譜を(勝手に、という説もあるが)持ち出し、演奏の機会をうかがった。最初は1978年夏の立教グリーの欧州遠征、コペンハーゲンでの青少年音楽祭で初演するというもの。
ただしこれには準備期間が短いこと(本音は当時の立教では技術的に不安だった?)、立教初の海外遠征には、立教が委嘱初演した「ウポポ」で臨むべしとの正論もあり断念し、同じ年の四連で(技術的に不安のない?)関学グリーでの初演となった。

・・・というものです。もしこれが事実なら、この曲を初演したのは関学グリーだが、「作曲依頼(委嘱)」したのは関学グリーではないということになります。

後日談その1:
北村先生が次に演奏したのは、初演から2年後の1980年、第29回東京六連での立教グリー(ちなみにコペンハーゲンで「ことばあそびうたII」を見送って「ウポポ」に賭けた北村&立教コンビは、見事グランプリを獲得した)。
この年になっていよいよ、北村先生も「立教で演奏できる」と思ったのか・・・あの高坂 (徹)さんが学指揮の年です。
ちなみにその日、東京文化会館の客席にいたのが、飛ぶ鳥を落とす勢いだった福島県立会津高校男声合唱団の安部先生と、当時高校三年生、ガクランを着た佐藤正浩青年でした。
演奏会がはねた後楽屋へ訪れた安部先生は、まず畑中先生に「今年の会津の定演で是非振って欲しい!」と依頼。
その瞬間、畑中先生の頭の中では、昨年のコンクール(自由曲「ゆうやけの歌」)での彼らのあの「声」が、強烈に蘇ってきたそうですが…過密スケジュールを理由にやんわりと断られる。
次に福永陽一郎先生の楽屋で同じく定演での指揮を依頼、今度は前向きな返事! 
最後に北村先生のところへ行き、「あの曲の楽譜を貸して下さい!」。
ということで、同年の定期演奏会メインは、陽ちゃん先生指揮の「島よ」そしてコンクール自由曲は「たそがれ&さる」(=全国大会で金賞)。
そしてその両方のピアノを弾いたのは、佐藤正浩青年でした。
佐藤青年は翌年春、同じ上野の東京芸大に見事合格し、晴れて憧れの畑中教室の学生となったのでした。

後日談その2:
北村先生に「ことばあそびうたII」の初演を譲った(奪われた?)畑中先生は、そのことを随分と気にされて、作曲者に対しても、「いつかこの埋め合わせをするから」と言われた。
そしてその「埋め合わせ」とは・・・戦後50年での「祈りの虹」(第44回東西四連における慶應ワグネル単独ステージ、1995/06/07 昭和女子大学人見記念講堂)。
大阪大学男声合唱団での初演(第10回関西六大学合唱連盟定期演奏会、1983/11/03 大阪フェスティバルホール)直後から畑中先生はこの曲がお気に入りで、「必ずこの曲をやるから」と作曲者に約束されていたそうです。


今になってこの関学グリーの演奏を聴くと、テナーの開いたノド声が時折耳につくのはいつも通りとして、あまり破綻が無い代わりに「えらい安全運転やな~」と思いますが、当時初めて聴いた客席の面々はさぞ度肝を抜かれたことでしょう。
「ことばあそび」イコール「語呂合わせ」、それを音楽にすれば「刮舌・リズムあそび」なわけで、トラディッショナルなフレーズ解釈だのアゴーギグだのから全く解き放たれた音場が要求されるから、頭の切り替えが鈍い「アマチュア合唱」という楽器でのこういうレパートリーはとても苦労するのだが、それをきっちり演奏した関西学院グリーに対しては、新実徳英氏も大絶賛だったそうです。
・・・だいたいあの「土管ベース」は何で「さる」のリズムでほとんど(笑)遅れないんでしょうね。
ただの土管ぢゃない証拠です。
全国津々浦々のエセ土管の皆さん、現在ではいい中年になっていらっしゃるでしょうけど、周囲の若者が何も言わないからといって図に乗ってないで、改めて自発的にキモに銘じて下さいね。
なお、この「ことばあそびうたII」を、更に磨き抜いて完璧を期そうとしたのであろうか、同年度の第47回リサイタル(1979/01/28)にて再演している。
この演奏を契機として、関学グリーと新実徳英氏は親密さを増していき、その後も、当方が音源を所有しているだけでも下記の通り、かなりの頻度で新実作品を取り上げている。

1984 第33回四連「The Bells -鐘の音を聴け-」委嘱初演
1986 第35回四連「祈りの虹」
1986 第54回リサイタル「ことばあそびうたII」
1988 第15回関西六連「祈り」
1989 第57回リサイタル「やさしい魚」
1994 第43回四連「花に寄せて」
1999 第48回四連「壁きえた」
2000 創立百周年記念演奏会「やさしい魚」

・・・それにしても、この伴奏ピアノは(~~以下自主検閲~~自主検閲~~)え。

6.合同演奏

 男声合唱組曲「富士山」
  1)作品第壹
  2)作品第肆
  3)作品第拾陸
  4)作品第拾捌
  5)作品第貳拾壹(宇宙線富士)
  作詩:草野 心平
  作曲:多田 武彦
  指揮:北村 協一

まあ合同演奏の富士山ですから(笑) でもねえ、いくら合同演奏といえどもね(爆)曲の造りやテンポ運びは、北村協一氏のスタンダードに沿っていて、人によってはもう少し粘り気を好む方もおられるかも知れない。でもねえ、どんな解釈をしようがどんなに細部の造りに凝ろうが、この合唱サファリパーク(文字通り野放図)状態ではねえ。歌っておられた方々はさぞ楽しかったろうと思いますよ。まあ合同演奏の富士山ですから(笑) でもねえ、いくら合同演奏といえどもね(爆)

・・・こういう演奏が「恐竜」の代表的な演奏だと勘違いされて、「小枝きれい」世代が馬鹿にするんです。
世の中って悪い印象こそが後々まで残るでしょ? 
だから山古堂主人、このサイトをいつまでも皆様に覚えていて頂きたいとの思いを込めて、悪い印象を与えそうな表現をあえて沢山しているので。ええ、泣く泣く。
いずれにせよ、山古堂主人もこういう声に任せただけの「富士山」は、一度聞いたらもうケッコーです。

ステージストーム

  1)早稲田 :Slavnostni sbor
  2)同志社 :最上川舟歌
  3)慶應義塾:Soon-Ah will be done
  4)関西学院:U Boj!

ストームは聞き流せば良いのでしょけれど、でもこのクロージング・セレモニーがマズくてシマらなかった東西四連、実は多いんです。
ということで、あえて皆様の印象に残りやすい様に努力してみます。

早稲田、歌詩の意味より派手さを優先させ、曲の最後を「Sla--、(ブレス)、Va--!」ですって。和風に翻訳すれば「にーっ、(ブレス)、ぽーーん!」。あぽーん(爆)この曲は、かのスメタナがスラヴ賛歌としてフラホル協会(注)に献呈した作品。大変に格調高くもあり、親しみやすくもあるものだが、そういう歌い方が出来る団体はなかなか無くて、唯一1980年代から1990年までの慶應ワグネルのみが、この歌をきちんと歌いこなすことが出来たように思う。

注)13回四連の項でも触れたが、19世紀後半に興ったチェコの民族独立の機運とシンクロした男声合唱振興運動に際し、この運動の中心を担ったフラホル協会というのがある。その初代会長はスメタナが務め、スメタナは協会のためにこの「Slavnostni sbor/我らスラヴの歌」を書いた。実は4番まで歌詞があるので、本気で歌うと日本人は絶対に最後まで持たない。ちなみにフラホルとは直訳すれば「騒ぎ/放歌高吟」。当時数多く作曲された、チェコ語の詩によるチェコ人のための男声合唱曲を総称して「Hlahol=フラホル」と呼んだ。

同志社も急流濁流を岩場ギリギリに下っていくスリリングさ、本物(何のこっちゃ)らしくてなかなか良い。そうそう、この演奏会でも同志社のみが唯一「ウ」の母音を1960年代風の颯爽とした「ウ」で歌っている。1998年以降急激に顕著になったウムラウトの「ウ」とは三千億万兆キロメートルくらい隔たりのある、腹からノドまで広く深い、それでいて口元では細く絞った、まるでシャボン玉を吹くみたいな締まりのある綺麗な「ウ」。特にトップテナー。良く日系日本人のオペラ歌手、例えば錦織健とかがポピュラーソングを歌う時の「ウ」です。1970年代中番以降に他団が言語に関係なく「オ」に近い「ウ」で揃えて行く中、いかにも同志社らしくて良いです。ついでで何ですが、今年は同志社グリー創立100周年。おめでとうございます。10月10日の記念演奏会には行かせて頂きます。で、その翌々日には四川省に出張。

慶應のリズム運び、一般に歌われるよりもゆったりした四分音符=132くらいで、2・4拍目をバックビートとしてフレージングを作った演奏。通常日本で歌われる「Soon-Ah」は、略して呼ぶ時「スンナ」となり誰も「スーナ」と呼ばない、それ程にハイスピード(四分音符=180超だから指揮者は2/2拍子で振り、バックビートなんか関係なくなる)で怒涛の演奏がなされるが、それはデ・ポーア合唱団の来日公演を聴いてしまった方々が脈々と受け継ぎ変容してきた奏法である。一方この慶應のスタイルはロバート・ショウ合唱団の解釈を模倣していて、この言わば俗謡的なビートこそがこの曲の歌詩「もうすぐこの世の苦難からおさらばさ」というニュアンスを引き出してくる。ストームとは言え、慶應ワグネルが過去に数回演奏した黒人霊歌の中でも、最も良い演奏である。

関西学院、関西の公演で大トリに「U Boj」なんざぁ、まさに千両役者でんな。途中で多少乱れようが何だろうが、最後の和音をビシっときめて拍手が来るまでズォーーーっと張り倒すあたり、もうたまりません、シビレちゃいます、まさに合唱界の電気ナマズ。
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第15回 20回代の東西四連(第26回)

さすがに文章を書く時間が取れないので、書けたものから小刻みにアップすることにします。
このあたりの四連になってくると、現在もOB合唱団の中核として歌っておられ、山古堂主人も顔を合わせる機会の多い先輩方の世代ですので、下手なことは書けません(笑)
しかしここでグッと踏みとどまってみましょう。

<第26回東西四大学合唱演奏会>

1977/07/26 東京厚生年金会館大ホール


RECORDING PROJECT LTD. MML-1071~73

収録としてはかなり良い感じで、ホールの残響もウィングの広がりもバランス良く捉えられている。
トップやバスのソリストが前に進み出て歌うと、さすがにレンジから外れてしまうが、それはやむを得ないか。

演奏も全体的に「マッシヴな男声合唱」そのものだが、一方で1960年代のような溌剌さというか個々人の自主性というか、そんな雰囲気を感じ取ることが出来、先祖返り率25%という感じ(笑)。

1.エール交換(同志社・早稲田・関学・慶應)

同志社、復活!という感じです。平田耕造氏(早稲田グリー1981年度トップパートリーダー)の表現をお借りすれば「鋼鉄をギリギリとより合わせてヤスリをかけて磨いたような」トップテナーを中核に、芯の強い声で切れ味鋭く歌ってくる。

早稲田は、これも1960年代のような溌剌としたテンポで奔放な中にも統制感のある校歌。
校歌の歌い方では最後の「わっせだー、わっせだー」を「わーせだー、わーせだー」とテヌートで歌っているのが少々ぬる燗かも。

関学、珍しくテナーの上ずりにベースが付いて行かないので、少々裾が乱れているが、それほどまでにベースが不動の地位を築いているということか。

慶應、やはり発声がしっかりしていてカッコ良いが、低声系(バリトンか?)で速いパッセージに際して地声丸出しの人がいるのが少々ワグネル・ダンディズムの襟を乱している。

2.同志社グリークラブ

 「宝石」~組曲「葡萄の歌」より
  作詩:関根 栄一
  作曲:湯山 昭

 「ゆうやけの歌」~男声合唱とピアノのための~
  作詩:川崎 洋
  作曲:湯山 昭

  指揮:福永 陽一郎
  Pf:久邇 之宜

「宝石」は、「ゆうやけの歌」1曲では10分程度で終わってしまうことから、このステージでのカップリングのためだけに編曲されたもの。
今は博物館に飾られ冷たい光を放っている宝石/富と権力によってその宝石を所有した者達も、もはや宝石の代りに山に埋もれ朽ちている、といった内容で、起承転結のはっきりした曲。
この同志社以外に演奏記録を耳にしたことが無いが、演奏効果も小さくなく、もっと再演されて良い作品と思う。

「ゆうやけの歌」は、前年に広島の崇徳高等学校グリークラブによって委嘱初演された作品。
楽譜の冒頭にある作曲者の一文「ブルガリアの怒涛の男声合唱」を日本人に求めたって、そりゃムリってもんです(邦人作曲家だってウィンナワルツや狩の歌は書けないでしょ)が、演奏効果のある作品だけに、声のある団体が演奏すれば聴衆を完膚なきまでに圧倒出来ます。
そういう観点からも、多少の荒れ球を配置しながら豪速球で仕留める村田とかどこに打つか分からない水谷とかがいた職人集団、昔のロッテ・オリオンズのような同志社には打ってつけである。
切れ味のある演奏。
まだあまり演奏回数を重ねていなかったから、聴衆もこの曲を知らない方が少なくなかったと見えて、最後にピアノが派手に鳴った後のlungaで拍手が起きてしまうのが微笑ましい。
後日同じ顔ぶれでリテイクされ東芝から発売されているが、そちらはマイクセッティングとか電気処理エコーのせいであまり面白く聴こえない。

蛇足だが、この曲の歌詩に「なんぞというくそったれのとしよりは、はやくしね」というのがあって、後年これをコンクール全国大会で演奏した崇徳高等学校グリークラブに対して「高校生にこんな詩を歌わせるなんて」と大減点した審査員がおり、そのために崇徳が金賞を逃した、なんて話がありましたね。
この曲の真髄は「何モノにも縛られないこと」だと思うのですけど。

3.早稲田大学グリークラブ

 男声合唱組曲「北斗の海」(改訂版初演)
  1)Bering-fantasy
  2)窓
  3)風景
  4)海
  5)エリモ岬
  作詩:草野 心平
  作曲:多田 武彦
  指揮:三品 智(学生指揮者)

早稲田グリーはこの東西四連までにも数回、学生指揮者で東西四連に臨んでいたが、この演奏会の三品氏は、特に1980年代の早稲グリ在籍者には伝説の存在である。現在も多忙な社業の間隙を突いて、数年に一度は早稲グリOB合唱団の指揮台に立つ、女子高生的に表現すれば「スゴくな~い?」である。三品氏のあと、早稲グリの東西四連での学指揮登場は14年後まで空く。

この改訂版「北斗の海」は、早稲田グリー第16回定期演奏会(1968/12/07&10)において委嘱初演された初演譜に、「4)海」を加えた5曲構成となっての初演である。

今後この曲を演奏する方の参考になるかどうか分からないが、少し詳しく見ていく。

「1)Bering-fantasy」の冒頭、確か楽譜には「速く激しく」というような指示があったかと思う。
が、早稲田グリーはそういう演奏をしたことが一度も無く、海底から湧き上がるかのように重く厳かに歌い始める。
これがすっかりデファクト(事実上の)スタンダードとなって、その後のどの演奏を聴いても、ほとんどが「重く厳か」である。

「1)Bering-fantasy」の中の歌詩「四肢」について、作詩の草野心平氏は「アシ」と読みを当てているが、早稲田グリーでは初演、再演(第19回定演、1971/12/05)、この第26回四連と一貫して「四股(しこ)」と歌っている。
市販譜の通り歌うように修正したのは、第37回送別演奏会(1988/03)以降である。
まさか偏差値70の学生さんが「肢」と「股」を誤認したとも思えないので、何らかの意図はあったと思うが、謎である。

「3)風景」の中の歌詩「微塵」は、この演奏では「びじん」と歌われる。このあたり、何が正解というでもなく感性の世界と思うが、山古堂主人としては柔らかい「みじん」より好ましい。

「5)エリモ岬」の中の歌詩「セピアの」は、この曲の冒頭と結尾の再現部で2回出てくるが、初演譜ではその両方を八分音符で「セピアの~」と歌い、現行の改訂譜ではその両方とも「セ」が四分音符になって「セーピアの~」となる。この26回四連では冒頭を改訂通り「セーピアの~」、結尾では初演譜の「セピアの~」と歌っている。

以上、楽譜に書かれていないことが実行された多くのアイテムのうち、いくつかを御紹介した。

当時オンステしたメンバーは口々に「あのステージは楽しかった」と仰る。OBを恐れずに記すが、「さもありなん、あそこまで奔放に解釈し奔放に歌ったのなら」というのが、録音を聴いての率直な感想。
ここでは多田氏の音楽でも草野氏の詩でもない、早稲グリの個性が最上位にある。無論、奔放といったって要所は締めているし一定の水準は超えているし、また再現性のないアマチュアライヴゆえ、そういう演奏の是非は問う必要もないのだろうが、あえて言えば、山古堂主人としては申し訳ないが「是」ではありません。いや、偏屈な山古堂主人にのみ上述のように聴こえてしまった、という事なのかも知れないし、ライヴでなくレコードで聴いたからかも知れませんが。

最後に、貴重な文献を御紹介しておく。早稲田グリー第16回定演の演奏会プログラムにある多田武彦氏の文章なのだが、白眉はむしろ草野心平氏の人となりが垣間見られることである。
多田氏の作曲に限らず、草野氏の詩を用いた作品を演奏する際に大いに参考になると確信している。なお、当時多田氏は1年を限って、「レクチャラー」として早稲田グリーの音楽指導を行っていた。

男声合唱組曲「北斗の海」委嘱初演
早稲田大学グリークラブ 第16回定期演奏会
1968年12月7日渋谷公会堂、および1968年12月8日東京厚生年金会館
指揮者:土屋信吾(学生指揮者)
演奏会プログラムの名簿では、T1=33,T2=37,B1=33,B2=21、計124名。

以下、改行含め原文まま。

「御挨拶」レクチャラー 多田武彦

 私は子供の時から歌舞伎のほか色々な舞台芸術をみて来たが、物心ついてからは、その芝居の良し悪しを自分で確めると同時に、観客の反応をも感じ取る習慣をつけて来た。そして、観客の感動を呼ぶ芝居の場合には、ある独特の緊迫感と静寂間との繰り返しと、儀礼的ではない拍手のトーンが滲み出てくることを知った。音楽の場合にも、これが存在することも判った。
 ところで、先般の早慶ジョイントコンサートでの早大グリーの組曲「雨」の演奏で、東京文化会館大ホールの客席には、前述の独特の雰囲気が滲み出ていた。これは、その日の好調さもあったであろうが、グリーの方々の努力の結果だと、私は信じている。
 私は、昨年リサイタル直後から、私が最近機会ある毎に提唱している「楽譜に書かれていない表現方法」(世界第一級名演奏家達が忠実におこなっているところの「拍子の強弱関係の変化による表現」「音の開始時の硬軟の変化による表現」「残響型と持続型音型の使い分けによる表現」「子音に費す時間の長短による表現」「音色変化による表現」「先行するモチーフへの追随の変化による表現」等)を中心に、指導に当って来たが、メンバーの呑み込みが早く、一年も経たないうちに、この大綱をマスターし、前述の「雨」の好演や、演奏旅行での好評に結びつけてくれた。
 しかしながら、こうしたことは、「頭で考えるだけで出来る」と思うのは大間違いで、こういう表現方法を知った上で数多くの練習を今後、充分に積み重ねていってほしい。野球にたとえるなら、考えなくても条件反射的に強烈なサードゴロをさばいたり、シュートとカーブでカウントをとっておいて勝負球はコーナー一ぱいの豪速球で三振に打ちとるような、早稲田大学グリークラブらしい実力を、蓄積していってほしい。
 本年度早大グリーから委嘱を受け、今宵初演をしていただくことになった組曲「北斗の海」は、こうした早大グリーの伝統的な力強さを頭において作曲したつもりである。
 はじめの約束通り、私と早大グリーとの付き合いも、このリサイタルで一応終るが、機能的に動きはじめたエネルギーを基盤にして、より水準の高い指導のもとに大きい発展をとげていただきたい。
 今宵の演奏会のご成功と今後のご活躍を祈る。


「曲目解説」 多田武彦

詩人草野心平先生の家は西武線所沢から徒歩で30分位のところにある。まわりには、新興住宅がぽつぽつ立ちはじめているとは謂え、まだまだ欅や櫟が雑木林が散在し、雨上りの午後などには何ともいえない奥ゆかしさがただよっている。
 (山崎注:欅=けやき、櫟=くぬぎ)
 早大グリークラブからの委嘱作品をつくるに際して、私は、この団体の伝統的な力強さを念頭におくことにした結果選んだのが、草野心平先生の一連の海の詩である。結局、「Bering-fantasy」「窓」「風景」「エリモ岬」の4曲からの構成とし、この表題を頂くために先生のご自宅を訪問した。「北斗の海」というこの組曲の表題は、こうして草野心平先生ご自身の手で生まれた。
 草野先生の家の庭には、先生が旅先でとってこられた小枝をさし木して育てられた色々な木が植えられてある。木だけではなくて、下草などにも、そういうものがある。名もない植物を小さいうちから育てて行くところに喜びを見出しておられるのである。
 庭の手前には10平方米ばかりの池がつくってあって、そこには数十匹の大小の鯉が飼ってある。丁度餌をやる時間だったので、先生は「一寸、失礼」と言って台所に行くと、ありあわせのソーセージを細かく刻んで持って来られた。水面に先生の手がぴしゃぴしゃ動くと、鯉たちが一せいに先生の手を吸いに来る。「うなぎもいるんですよ」と言われるので見ると1メートルぐらいのが4、5匹もいた。 帰途、途中まで犬の散歩かたがた送って下さったとき、私が「この辺は武蔵野の風情が残っていていいですね」と言うと、「それもいいけれども、こういうのも、いいんですよ」と言って指差されたのが、雑草のそばに、一つだけ咲いていた松葉ぼたんであった。
 「富士山」や「天」や「北斗の海」などのスケールの大きい詩を書かれる先生が、植物を育て、鯉を愛し、こうした人がかえりみない様な自然の寸景に感動される場面に接した私は、あの独特な低い声とともに、先生の別の一面を発見出来たような気がした。
 草野先生の詩に惹かれて私が作曲した今迄の作品は、昭和31年の組曲「富士山」と、36年の組曲「草野心平の詩から」であるが、前者は精力的過ぎて、後者は音程等が難かし過ぎて、両方とも各大学グリークラブ泣かせの作品になってしまっている。にも拘らず両方とも広く愛唱されているのは、一に、草野先生の詩の偉大さと美しさによるものだと私は思っている。今回、組曲「北斗の海」を作るに当って、私は前2作の難かしさを何とか改めようと思ったが、草野先生の詩の真髄に近づこうとすればするほど、安易な表現方法は採れなくなってしまった。特に第1曲「Bering-fantasy」では吹雪をあらわすポルタメントの連続の箇所、第2曲「窓」では、終始感傷的な甘さは絶対許されない次元での透きとうる様な詩情の表現、第3曲「風景」では、短時間内の強烈な凝集美の表現、第4曲目「エリモ岬」では、溢れ出ようとする感動を、一歩手前で押えこんで、しみじみと表現しなければならない点、などにおいて、またまたグリークラブ泣かせの組曲となってしまった。
 しかしながら、前2作は詩そのものだけを通しての制作であったが、今回は、前述した様な草野心平先生の姿や声を想い出しながら、先生が海にのぞんで此等の詩を考えておられる図を私なりに想定して作曲して行ったので、そう言った意味での親近感を、この組曲に対して感じる結果となっている。


4.関西学院グリークラブ

 合唱組曲「日曜日(ひとりぼっちの祈り)」
  1)朝
  2)街で
  3)かえり道
  4)てがみ
  5)おやすみ
  作詩:蓬莱 泰三
  作曲:南 安雄
  指揮:北村 協一
  Pf:久邇 之宜

関西学院は第43回リサイタル(1975/01/19)でもこの「日曜日」を取り上げているが、この第26回東西四大学合唱演奏会では人数も増加し、音の厚さもグッと増して、より安定し洗練された印象を受ける。

あえて第22回東西四連における、同曲の早稲田グリーの演奏と比較してみる。
まず、この関学グリーの演奏は、曲の構造や輪郭がはっきりして、カメラのフィルムならフジカラー「ベルビア」、デジタルビデオならパナソニックの3CCD系、といった風情で、クッキリハッキリ鮮やか、逆説的に言えば虚構の世界/TVドラマのような印象が残る。
特に1曲目。
おとうちゃんおかあちゃんとおでかけするというので両親に支度をせかす子供の表現、そして現実にはその両親共に交通事故で亡くなっており、日曜が来るたびに両親と出かけたことを思い出す、という詩の構成が、悪く言えばあからさまなまでに構成美を以って演奏されている。
まさにTVドラマのカメラ割り・場面転換である。
この傾向は5曲全てに通ずるもので、北村協一氏が極め、多くの学生指揮者が半端に模倣したこのスタイルを山古堂主人は「テレビっ子時代の演奏スタイル(PAT.PEND)」と名付けるのだが、だからといってこれを否定するものでもない。
ツボにはまれば後年の伝説「ギルガメシュ叙事詩・前後篇」のように演奏効果炸裂なのである。但しこの組曲にはやや合わなかったかも知れない、ということであり、そう思ったのはその後、運悪く(?)早稲田の演奏を聴いてしまったからである。

わずかに距離を置いたり間接光のイメージで表現したり、あるいは障子や玉砂利に映る影で表現したりというのは、日本人の感性として重要なことで(これが行き過ぎると「ナーバスなピアニシモ」が多用されるのだが)、早稲田グリーの演奏は奇跡的に(爆)一貫して(驚)、障子の向こう側から8ミリを映写しているかのような、時間軸を喪失した名状し難い雰囲気を持ち、その結果、これらの詩・そして子供達がまだ解決されていない現実であることを、非常に丁寧に表現しているのである。
本来は関学グリーの方がそういう表現は得意なはずで、だからこそ多田武彦作品で名演がたくさんあるのだが。

そんな訳で、この関学グリーの演奏は決して悪くない、いや秀逸な演奏なのだが、題材が題材だけに舞台の上だけで完結してしまったところがやや惜しい。・・・
すっげえ高度なレベルの要求してますけど、四連ではそういう高度な演奏が本当にあるから、これくらいは言わせてもらいます。

<訃報>
2004年8月19日、関西学院グリークラブの伝統を文字通り支えて来られた林雄一郎先生が逝去されました。
第8回の項で記した林先生の御紹介を再掲します。

林雄一郎氏は関西学院グリーOBで、昭和9/1934年関西学院高商部卒。
関西学院グリーが戦前・昭和8/1933年の第7回競演合唱祭(今の全日本合唱コンクール)に初出場でいきなり初優勝した時の指揮者でもある。
東西四連では第5回(昭和31/1956年)と第29回(昭和5/1980)に合同演奏の指揮をされた。
山田耕筰に師事。

宗教曲にも造詣深く、1970~1980年代の関西学院グリークラブ・リサイタルでも本邦初演のミサをいくつか披露している。
また芦屋大学交換教授としてチャイコフスキー音楽院へ留学もしている。

林氏の指揮する関学グリーのミサを聴くと、恐らく関学トーンの基礎はこの方が作ったのではないか、と思われる時がある。
バスを厚くし、その上に精度の高い内声を作りこんで、更にその上に音色を整えた柔らかいトップテノールを乗せる関学トーンは、実は伝統的なロシア混声合唱のスタイルに酷似していて、林氏がそういうロシア合唱への造詣を深められていたのかどうかは存じ上げませんが、そのあたりに関学トーンのルーツがあるように思えてならない。

5.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

 「シューベルト男声合唱集」より
  1)主は我がまもり
  2)矛盾
  3)昔を今に
  4)夜のささやき
  5)森の夜の歌
  作曲:F. Schubert
  指揮:木下 保
  Pf:川口 耕平
  Horn:慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
  独唱:砂川 稔(慶應義塾ワグネルOB)

誰がどう読んでいるか分からないのに書いちゃうと、この独唱の方は大変不思議な声の方で、ヴィントガッセンというドイツのヘルデンテナー(英雄的な役を演ずるとても立派な大声のテナー)の声色を真似しているのかしら? でも4曲目の終盤では完全にそのムリな発声のために声がヘタれてきて、完全に合唱のジャマになっている。ワグネルは時折独唱陣の選択でポカをやるのだが、その中でも取り分けこの独唱は、学生の1年間の修練を無にするシロモノである。こういうオトナは関西方面のピアニストだけでたくさん(爆)。対照的に5曲目のホルン付きの合唱はなかなか颯爽としており、変に重くなくて良い。全般的に少し前のワグネルに戻ったというか、若返りしたというか、ベタつきや粘り感が無くすっきりとした酢メシである。

6.合同演奏

 「オペラ合唱名曲集」
  1)僧侶の合唱 W.A. Mozart「魔笛」より
  2)囚人の合唱 L.V. Beethoven「フィデリオ」より
  3)巡礼の合唱 R. Wagner「タンホイザー」より
  4)狩人の合唱 C.M.V. Weber「魔弾の射手」より
  5)水夫の合唱 R. Wagner「さまよえるオランダ人」より
  6)学生の合唱 J. Offenbach「ホフマン物語」より
  7)Encore:J. Offenbach「ホフマン物語」より第1幕フィナーレ
  指揮:エルヴィン・ボルン
  Pf:中村 健

エルヴィン・ボルン氏については、当方の調査ではほとんど不明だったので、情報を募集します。
ドイツのオペラ指揮者で、たまたまこの時期に来日しており、畑中良輔先生の口添えで指揮が実現した、というようなことしか分かりません。
さて、その演奏はというと、やや学生の自主性に任せてしまい、あまり制御していないようにも聴こえる。特に舞台向って左側(要は高声系)の数名によるお祭り気分は時折うざったいものがある。
オペラ合唱は当然に声を要求されるから、そちらに意識が行ってしまいがちであり、アマチュア学生合唱では声を張り上げるのもやむなし、なのだが。かくいう山古堂主人も学生時代には「オペラは声を/第九はツバを飛ばすもの」という統制下におり、なんの疑いも持ちませんでした。勿論いまは違いますよ。

ステージストーム

  1)同志社 :Didn't My Lord Deliver Daniel
  2)早稲田 :遠くへ行きたい(Pf:三品智)
  3)関西学院:U Boj!
  4)慶應義塾:塩田小唄

東西四連の演奏記録として、初めてステージストームが収録されている。あまり論評するものでもないが、同志社のボロボロぶりが頼もしい(笑)。WRCラリーとかでクラッシュしたマシンがなりふり構わずに爆走してるじゃないですか、あれですよ、あれ(爆)
その他、ステージストームで伴奏付きだったのは恐らく史上でもこの早稲田だけではないでしょうか。関学グリーは高声系と低声系でややニュアンスにズレがあるようだが、それでもDNAに染み込んだ曲の凄みがある。きっとカカトを付けずに歌った2回生は後刻反省会でシバカれたことでしょう。慶應は上手い。さすが。

とにかく、この演奏会は全般的に溌剌さというか個人の自主性というか、そんなものが割合と前面に出ていて、徹底的に磨き抜いた芸術品というよりも、もっと大衆的演芸という感じで、前後数年の東西四連とは少し毛色が違います。
キャンディーズとかピンクレディーとかが流行していた頃ですしね。

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