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合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


第10回 最古級の大学女声合唱の録音

これまでの一連の文章で、東西四連の最古の録音が昭和36/1961年の第10回記念レコードであることは述べました。
いずれ書くことになりましょう早稲田大学グリークラブの話を少し書きますと、最古のレコードは昭和34/1959年3月の第6回定期演奏会のドーナツ盤で、これには「南部牛追い歌」など4曲が収録されています。
しかし早稲田グリーの最古のライヴ録音は、さらに3年を遡る昭和30/1955年の夏季演奏旅行(九州)オープンリールという信じられないものです。
以前も書きましたが、この頃のオープンリールデッキは大変に高価であり、しかも昭和30年というと国産ポータブルデッキがまだ発売されていない頃です。

ここで少し目を転じて、そういう最古級の大学男声合唱の録音の谷間に咲く、一輪の花を御紹介しましょう。
早稲田大学と致しましては戦前より「目白の女子大」として親しくさせて頂いております、日本女子大学合唱団の御登場です。早稲田グリーOBでも、奥様が日本女子大学合唱団OGという方が少なくありません。

日本女子大学は「にほんじょしだいがく」と読みますが、校歌の歌詞に「ここに生まれてニッポンの文化をおこす使命あり」と歌われているからか、略称は「ポンジョ」です。このポンジョ合唱団は歴史的にも実力的にも、押しも押されもせぬ名門で、詳しくは彼女達のWEBサイトにある歴史の項をご参照頂きたいのですが、

大学創立は1902年。1932年に合唱団が創立し、1935年には慶應ワグネルも指導しておられた木下保氏を指導者に加え、1954年から1982年まで木下氏が常任指揮者を務めています。
その間、1963年から1965年まで合唱コンクール全国大会で3連覇の快挙を成し遂げるなど、演奏レベルも高いものでした。
そのレベルの高さを知る上で、極めて重要なレコードがあります。恐らく日本女子大学合唱団初のレコードかとも思われますが、早稲田グリー演奏音源デジタル化の一連の音源発掘作業で出土(笑)した極めて貴重な音源で、あの三善晃「三つの抒情(1962)」初演が含まれているのでした。
鈴木紘輝先輩(1966卒)所蔵の貴重なレコードをお借りし、デジタル化したものです。

(実は、この他にもう1枚伝説のレコードが存在していて、それは木下保氏が亡くなられる1ヶ月前、1982年10月の日本女子大学合唱団第27回定期演奏会のライヴレコードで、客席で聴いていた早稲田グリー・慶應ワグネルの面々を唸らせたと言う女声合唱組曲「蝶」が収録されています。山古堂では未入手ですので、もしどなたかよりお借り出来るようでしたら最優先でデジタル化させて頂きます。なるべく盤質の良いものをお待ちしております。tmohki@fides.dti.ne.jp まで。)

日本女子大学合唱団第7回定期演奏会

(モノラル/抜粋、VICTOR PRD-2003)
指揮:木下 保
昭和37/1962年5月31日(木) 共立講堂

1.Missa Brevis in D-Dur
  1)Kyrie
  2)Gloria
  3)Credo
  4)Sanctus
  5)Benedictus
  6)Agnus Dei
   作曲:W.A. Mozart
   Pf:加藤 芳野

2.Sechs Maedchenlieder 娘のうたう六つの歌
  1)Der Traum(夢)
  2)Stelldichein(ランデブー)
  3)Trutzlied(戯れうた)
   作曲:Heinrich von Herzogenberg
   Pf:内田 碧

3.Opera 女声合唱曲より
  Хор Девушек(苺摘みの合唱)
   歌劇「エフゲニ・オネーギン」より
   作曲:P.I. Tchaikovsky
   Pf:加藤 芳野

4.三つの抒情 (委嘱初演)
  1)或る風に寄せて(立原 道造)
  2)北の海(中原 中也)
  3)ふるさとの夜に寄す(立原 道造)
   作曲:三善 晃
   Pf:加藤 芳野

5.Marienlieder マリアの歌
  1)Der Englische Gruss(天使の挨拶)
  2)Der Jaeger(狩人)
  3)Ruf zur Maria(マリアへの願い)
  4)Magdalena(マグダレーナ)
  5)Marias Lob(マリア讃歌)
   作曲:Johannes Brahms

6.赤いサラファン(卒業生とともに)
   ロシア民謡を題材とする
   作曲:A.E. Varlamov

7.柴の折戸
   日本古謡

演奏会の全プログラムは以下の通りで、意欲的かつ多彩なものです。

1. Missa Brevis in D-Dur

2. Marienlieder

3. Sechs Maedchenlieder

4. 三つの抒情

5. Opera 女声合唱曲(魔弾の射手、愛の妙薬、エフゲニ・オネーギン、さまよえるオランダ人、カルメン)

6. 卒業生とともに(流浪の民、赤いサラファン、通りゃんせ、Hallelujah)

実はこのレコード、30センチLPを33.3回転で再生するという、何の変哲もないレコードに見えるのですが、実は当時にありがちなケースで、再生音がやや高め(笑)なのです。
従って、ピッチを1.6%下げるという小細工が必要でした。

さて、40年前のレコードから湧き出す音楽は、木下保氏に鍛えられた厳格で緊張感を伴うものでありますが、ソプラノの明るく澄んだ発声による華やかさと、ドスの効いたアルト(爆)によるしっかりした低音によって、誠に爽やかで聴き応えのある演奏となっています。
人数もこの演奏会で97名(卒業生を含む出演者数は153名に及ぶ)と充実していたようです。
この演奏会の翌年以降、合唱コンクール全国大会学生の部において3連覇という偉業を達成するのですが、現在の金賞乱発とは異なる時代に3連覇以上を達成した大学合唱団は日本女子大、法政アカデミー、そして関西学院(以前にも記しましたが、戦前3連覇/戦後6連覇・実際は招待演奏を挟んで8連覇)だけです。

演奏は、とにかく何度聴いても飽きませんが、感想は後回しにして、まずは歴史的な「三つの抒情」初演について。
日本女子大学合唱団50年史より引用、原文まま。

三つの抒情作曲に当って   三善 晃

<日本女子大学合唱団の皆さんへ>
 昨1961年7月、Oさん御夫妻に紹介されて合唱団の方達とお目にかかり、今度の曲の打ち合わせをしました。
実は、女子大というところは、僕にはスフィンクスの様に不思議なしろもの、ガタラルを飲んで眠る永遠の神秘だったのですが、実際にお会いした皆さんは、僕と同じコーヒーを喫む、まぎれもない日本のレディ達で安心しました。
 O夫人から、木下先生と皆さんの輝かしい歴史、実績、現在を伺いながら練習中の皆さんをお訪ねした夕方の事をよく覚えています。
木下先生の深く綿密な譜読みと丹念で巧みな御指導、応える皆さんのそれは心のこもった練習に僕は感動し、百以上の芥子の花びらの告げる「ふるさと」の前に、ほとんど立ちすくんだことでした。
 そうだ、あの、作曲中の孤独な情感は、今この人達の優しい手に拾われて、たくさんの微光の粒となり、人間の愛に通おうとしている・・・・・・・・・
 作曲する者にとって、それはまさしく幸わせの確かな手触りでした。
あの時、多分その感動のために血が逆流して、私の未熟な書法についてのお詫びや、私を先生と呼ばないで下さいというお願いを、言い忘れてしまいました。
<「三つの抒情」について>
 昨1961年7月から今年の2月にかけて、立原道造の詩2篇、中原中也の詩1篇を、日本女子大学合唱団のために作曲しました。
詩人の、雲や波の情感が、ロマンと象徴の間に揺蕩(たゆた)って居、曲想は全くそれらの反映に導かれて生れた、と言えます。
 波と言えば、以前、水の精の物語を音楽にしたことがあり、この時初めて女声コーラスを用いたのですが、それは、水晶の透明な響き、こだま風の優しい応(いら)えに守られた世界を描くためでした。
 抒情は確かに、均質で優美な女声コーラスの音声に相応しい。
けれども、この3篇の詩には、その様な情感の告白ばかりでなく、ロマンの前後、アポロへの賛美から虚無の自覚までを、確実に告げることの出来る、柔軟な共鳴体が必要でした。
曲は女声コーラスに、抒情の、その様な巾広い意味を託して居ます。
 それは知の中核に近附いて、例えば外界に投じた私の影、影を指さす私の希求を担う筈です。「抒情」はその様な意味で名附けました。


この初演を4年生で歌い、現在もOG団体の桜楓合唱団で歌っておられる方のお話では、

当時は委嘱初演の意味することも知らず、「抒情」が女声合唱にとって、あれほどのエポックメーキングな曲になるとも思わず、ただ、曲の新しさと、素晴らしさだけに感動しておりました。
三善先生もまだ音楽界にデビューしたばかりで、今日のように日本の音楽界を背負う方とも思わず、たまたま、巡り合わせで、あの時初演の演奏会をすることになりましたが、それ以来、桜楓合唱団はまだ今も三善先生にお世話になっているわけで、私個人にとっても、あの曲はとても重い意味を持っています。

ということです。まさにこの演奏で三善晃氏は大ブレイクしたのかも知れません。
超有名人なのでご存知の方も多いかと思いますし、山古堂主人としても荷が重いことですが、三善晃氏についてごく簡単に記します。
三善晃氏は1933年生、幼少の頃からヴァイオリンとピアノの教育を受け、また東大仏文科からフランスに留学した経験を持つ方です。
著書「遠方より無へ」に幼少の頃の話や留学中の話、そして音楽そのものについての考えが語られています。
合唱音楽に絞って記しますと、三善氏の初期の音楽は「花鳥風月的な/庶民派」と言われることもありますが、この「三つの抒情」「嫁ぐ娘に」「月夜三唱」など、詩に対しての深い洞察を、やや難しくて洒落た和声とピアノの洒落たアルペジオで表して一世を風靡し、1971年に戦争/不条理の死をテーマとする大作「レクイエム」で新しい方向を示し、その後も童声・混声・女声を中心に様々なスタイルの作品を発表しています。
特に1980年代からは全日本合唱コンクールの自由曲において三善氏の作品が圧倒的な人気を誇り、現在に至っています。
桐朋音楽大学学長や東京文化会館館長等の要職も歴任しておられ、まさに日本を代表する作曲家です。
詳しくはWebで検索されますと読みきれないほどヒットしますので、そちらをどうぞ。

三善晃氏の創る音楽とコンクールで選曲される機会が多いこととの相関については、ここで主観的なことを記すのは避けます。
コンクール功罪論的カオス(山古堂PAT.PEND)にハマりたくはないので。
ただ、一つだけ挿話として、

1999年4月、新宿文化センターにおいて「女声合唱フェスティバル」が開催され、山古堂主人はその裏方手伝いをしたのですが、その演奏会の合同演奏にて三善晃氏の書き下ろし小品「ゆめのはじまり(詩:矢崎節夫)」が委嘱初演されました。
(指揮:辻正行、ピアノ:山内和子)
その曲は「あなたと出会えて良かった」的な歌詞で、平易とまでは言えないが決して難しくはなく、優しい雰囲気の曲でした。
22団体も出た演奏会ですから、合同といっても各団から選抜した60名で歌われたのですが、ステージリハーサルをするというので客席で聴いた時のことです。
三善晃氏ご自身がリハーサル指導をされるというので、選抜メンバーに緊張が走り、緊迫した空気の中で気迫に満ちた合唱の第一声が響きました。
・・・客席の山古堂主人は椅子から転げ落ちそうになりました。
合唱の目尻を吊り上げ声を張り上げ、まるで短距離競争みたいに火花散る女達! 加えて「舞台メイク」の厚化粧!!
恐いっ!!!
一応最後まで通した後、三善氏が「声(発声技術の意)が主役ではない、どんな気持ちでこの詩を語るべきか考えなさい」と言った途端、ハッとした顔になった人が多くいたのが救いでした。その時の三善氏は、かなり声を荒げており、また主観的には悲しそうな感じもしました。

話を戻します。
このレコードの白眉は、というと迷いますが、とにかく溌剌とした声と演奏、そして木下氏の創る途方もなく誠実な音楽がたまりません。
個人的にはロシアオペラ合唱曲を原語で歌う「苺摘みの合唱(原題:娘達の合唱)」が大好きですが、「Marienlieder」もまるでジュリー・アンドリュース扮する「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアが集団になったような伸びやかさで良いし、その中でも特に「Der Jaeger(狩人)」などは、慶應ワグネルの歌う「Jagdlieder」よりもずっと狩の歌らしく躍動感に溢れています。
また「Missa Brevis」で次々と出てくる学生ソリストも、やはり木下氏の指導の賜物か、芸大系(抽象的ですいません、中沢桂さん系と言えばお判りになりましょうか)の声でビュンビュン飛ばしてきます。
「三つの抒情」は、やはり当時のピアニストには(現代においてもか)やや難しい譜面だったのでしょうか、ピアノの運指ミスが少々耳に残ってしまいます。
また2曲目「北の海」などは現代の演奏よりはテンポが遅めで、少し切れ味に欠けるような感もあります。ですが全体的なフレージングやアクセントの置き方などは緻密に練り上げられていて非常に勉強になりますし、また終曲は3パートの響きが融合して素晴らしい。
他のステージが割合オーソドックスな欧州クラシックだから、聴衆はこの曲の斬新な音にさぞ驚き、また喝采を送ったことでしょう。
Closing Songの「柴の折戸」は、早稲田グリーの「遥かな友に」や関西学院グリーの「U Boj」のように、現代に至るまで連綿と続く日本女子大学合唱団のエンディングテーマです。

このレコードをデジタル化した後、1980年代のポンジョ合唱団のレコードを数枚CD化する機会を得ました。
それらの中にも例えば1985年/第30回定演の「有明の海」などのなかなか凄い演奏があるのですが、率直に申し上げれば、舞台から客席に溢れてくる何かを感じる演奏ということで、やはりこの第7回定演の方が心動かされるものがあります。
そういうことで、男声合唱しか興味ないという方にも一聴の価値があります。
単に木下氏の指導下だから慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の「女声版」、などという話ではありません。
木下氏の音楽観と合唱団の生命力がストレートに伝わってくるという観点において、聴いていて素直に楽しいのです。

山古堂主人の数少ない愛聴盤の中でも、大切な一枚であります。
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