ということで、東西四連全集の完成から遅れること約2年、ここに東京六連演奏記録集が完成した。
だが、この六連記録集は、山古堂本舗ではあえて「全集」とは呼ばない。その理由は以下の2点である。
1点目は、第19回東京六連より旧い記録については全くの虫食い状態であるが、例えばここに収録した第11回東京六連の音源のように、当時の幹事校などからオープンリールが発見され、そういった音源が山古堂の手に拠らずしてデジタル化される可能性が充分にあるからである。
2点目は、第26回・第28回東京六連がそうなのだが、状態の悪いレコードしか見つからず、結局20年近く前にカセットテープに落としておいた音源が一番良いという判断で、それをCD化したものがある。当時使用していた録音機材もベストとは言えないものだし、そのため、いつかもっと状態の良いレコードが見つかったところで、改めて再デジタル化をする可能性があるからである。
また、第33回東京六連のデジタル化に際しては、山古堂として、東西四連・東京六連のデジタル化作業の中で、唯一デジタル編集ソフトウェア(Roxio Easy CD & DVD Creator 6)を使用した。明治グリー「ギルガメシュ叙事詩《後篇》」及び合同演奏「男声合唱のためのカオス」が、それぞれレコードの両面にわたって収録されているため、これを聴感上無理無く連続再生するために、やむなくデジタル編集を実施している。
現在のパソコンのサウンドカードやソフトウェアの性能からすれば、音質に対する影響度は低いとも思うし、実際に前川屋本店とのコラボレーションによる、ある音源のデジタル化プロジェクトでは、編集ソフトを駆使した実績もあるのだが、それでも何となく心理的な引っかかりがあって、山古堂としてはあまり使わない方向であった。しかし、そうも言っていられない事態に直面したのである。
まず明治グリー「ギルガメシュ叙事詩《後篇》」については、実は些細なこだわりによる。つまり楽譜上では第5曲「試練」の後にナレーションが語られ、そしてページをめくって第6曲「神話のおわり」に入るのだが、ライヴレコードではA面が「試練」で終わり、B面冒頭でナレーションと「神話のおわり」が一緒になっている。要はナレーションの位置という些細なズレである。ストーリーとしては、別に楽譜通りでなくとも問題ないし、レコードのA-B面の接続をアナログのFade-in/out処理でつなげても良いのだが、あえて楽譜通りのインデックス付番にこだわり、その結果、A-B面の接続、すなわち「試練」とナレーションの間で、デジタルクロスフェードを0.03秒かけた接続とした。無論、継ぎ目ははっきりと分かるのだが、「ブチ切れ」に聴こえないようにとの配慮である。これは実質的には音質に影響するものではない。
他方、「男声合唱のためのカオス」は必然的にデジタル編集を行わざるを得ないと判断した。このステージの録音は、演奏開始後約11分のところでFade-outしてA面を閉じ、B面ではそこからやや遡った、演奏開始後約10分のところからFade-inしてくるようになっている。そのため、A面最後とB面最初の部分を波形編集ソフトで照合し、演奏開始から10'28"辺りで波形が重なる、丁度手拍子のインパクトの瞬間を選び、継ぎ目が分からないように接合させている。
上記のような例外を除いて、レコードやオープンリールからのデジタル化については、まずアナログでの再生音を磨き抜いて、それに何も足さず何も引かず、かつ余すところなくデジタル化する、と言うポリシーには変わりは無い。
前述の通り、10回台が虫食い状態であったりはするが、音質として参照に堪え得る範囲に収まり、かつ相当な連続性をカヴァーした記録集(第19回~第50回でも32年間の記録である)と言う意味において、山古堂の手による東西四連に引き続く一大プロジェクトの完了を、まずは素直に喜びたい。既に東西四連デジタル化プロジェクト完遂の際に記したような苦労が、当然ながらこの東京六連のデジタル化においても伴っていた訳で、しかも一演奏会当たりのステージ数は東西四連より多いのである。くどくどとは書かないが、東西四連プロジェクトよりも大変なケースがいくつかあった。
この東京六連演奏記録集は、面白さという観点では、東西四連よりも面白いかも知れない。つまり、東西四連がコンクール以上にハイレベルな「競争」を宿命付けられたものであり、そこでの演目も言わば遊びのない勝負曲であるとすれば、東京六連は加盟各団体がそのカラーを存分に発揮し主張する場であり、各団それぞれに戦前からの旧き良き伝統と個性を開陳する場であって、早慶であれば東西四連ほど肩の凝らない演目を、東大コールはカウンターテナーを主体としたポリフォニーによって練られた精緻なハーモニーを、法政アリオンは様々な技法を要する現代作品への挑戦を、明治グリーは思いのほか(笑)クセのない素直な演奏スタイルで積極的に委嘱作品を、立教グリーはオーソドックスな作品をきちんと丁寧に、それぞれ用意してくるので、作品にしても演奏スタイルにしても、比較するのはおかしいかも知れぬが、関学・同志社という突出して歴史の長い2団体の強い影響を受けている関西六連とは比較にならないVarietyを誇る。
(なお、明治大学グリークラブの歴史について、最近知り合った40歳代のある方から面白い話を聞いた。その方は明治大学のご出身なのだが、その方の祖母が戦前に演奏旅行で来訪したという明治グリーの演奏を聴いており、孫が明治大学に入学した際に、そのエピソードを交えて大変喜んで下さった、というのである。以前「山古堂」で記載した通り、やはり明治大学には戦前から合唱団、それも男声合唱団が存在していたことの証左に他ならない。確かに、現代の明治グリーが仕切り直しとして戦後新たに歴史を築いていて、それは戦前とは連続性はないのだろうが、明治大学の学生音楽活動の記録としては、やはりしっかり留めておくべきだと思うし、それを明治大学グリークラブが記し伝えて良いように思いますけど。)
全く個人的な意見ながら記すなら、1990年頃まででは、聴いていて安心できるのは慶應、立教、時折名曲を紹介し或いは名演を成すのが東大・法政、作品が良いほどに演奏も良い明治、という気がする。そして残念ながら東西四連と段違いの拙い演奏を、早稲田は展開して憚らない(ケースがある)のである。ナメてるよな実際、良い時と悪い時の波が大き過ぎです、しかも同じ年の東西四連と東京六連で全然出来映えが違うとかね。
1990年代以降になってくると、人数の問題や指導者の問題など、過去数十年にはなかった局面に晒され、各団が演奏のみならない部分で奮闘している様子がありありで、そういう様々な制約の下での演奏ゆえ、単純にそれ以前との比較が出来なくなっているように思う。
蛇足ながら記すと、30年分の東京六連を聴いてつくづく思うのは、立教グリーのリファレンスに足る安定度である。いや、いつも平均点、ということでは決して無い。その年その年でいろいろに仕上げてくるのだが、合唱としての機能が安定しており、また評価基準たる高い水準を守っている。いぶし銀、ってところでしょうか。
今回の東京六連演奏記録集プロジェクトに際しては、オープンリールの収集においては早稲田グリーの安斎眞治先輩(1972)、レコードの収集においては、早稲田グリーの日和佐省一先輩(1971)、渡辺正美先輩(1976)、細金雅彦先輩(1980)、仲村弘之先輩(1980)、佐々木豊先輩(1981)、泉澤信哉先輩(1983)、小川徹先輩(1988)に御協力頂き、長期間に渡ってレコードをお借りしました。また、第25回と第35回については、早稲田グリー現役の保管していたレコードをお借りしました。
更に、これら東西四連・東京六連の音源を広く公開することに多大なるお力添えを頂きました、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団OBの小嵐正昭様(1968) に厚く御礼申し上げます。小嵐様の管理しておられる慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団公式サイトにおいて、山古堂の音源を含む、現在デジタル化されている限りの東西四連・東京六連の演奏記録をストリーミングで聴くことが出来ます。
勿論、上海に来てまでヘッドフォンを装着してオーディオ機材に対峙し(家族に背を向け!)、休日も部屋にこもり、時には徹夜で作業している
山古堂主人に、何だかんだと言いながらも協力し続けてくれた家族、妻・今日子と2人の息子・玲&悠斗にも、感謝の他はありません。
なお、今回の東京六連デジタル化に際しての山古堂の守備範囲は第50回(2001)までとさせて頂いた。本来はアナログ音源のデジタル化なので第36回までなのだが、東西四連同様、実は40回台前半も保全が必要だったりする一方、最近は山古堂の活動に刺激を受けてかどうか、ここ数年、多くの団で音源保全の動きがあり、付随資料等も管理も行き届いてきているようなので、それでキリ良く第50回まで、ということで。
二〇〇六年二月三日 山古堂主人敬白
<資料>
東京六大学合唱連盟定期演奏会 演目リスト