合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


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第27回 上海で一番音程が悪い山古堂主人と30回代の東西四連(第38回四連)

いやあ、昨年のゴールデンウィーク以来だから、1年ぶり。

「それだけで済ますなボケぇ~!」と仰る方、平身低頭して謝ります、ゴメンナサイ。

いやとにかく、副業のストレスやら何やらで「言霊」がアマテラスオオミカミ(天照大神)の如くお隠れあそばしてしまい、天の岩戸の奇談よろしくタヂカラオ(手力雄命)の出現を待っておったのです。結局、古事記のようなことは起こらず、半裸で滑稽な踊りをするアメノウズメ(天宇受売命)も現れぬまま、後厄も明けた2月7日、心機一転で山古堂的文筆を再開。そして更に3ヶ月でございます。

その間、いろいろありました。音楽面での最大事は、やはり2007年10月20日に開催された早稲田大学グリークラブ創立100周年記念式典、後述。そして、同年9月の上海グリークラブ初の自主公演、11月の中日国交正常化35周年を記念しての上海アマチュア音楽団体合同コンサートへの出演。

2008年2月9日にはインドネシア・ジャカルタで第4回アジア日本人男声合唱祭が開催されました。インドネシアは久しぶりでしたが、10年ほど前までは四半期に1回行っていましたので、そこはかとない愛着がある国です。市街地からちょっと離れるとジャングルのようなところがあったり、昔話で言う「三木レク」「土人」の風情が沢山あるのは変わっていません。

「土人」というと、「ちびくろサンボ」的に差別的な用語にも扱われるものだが、土着民といった言葉もある通り、その土地、いやその「土」に触れて育ってきたという、何ともいえない温かみを感じることがある。日本を離れているからそう思うのも知れないし、最近見たアニメDVD「蟲師」に感化されたのかも知れないが。
そう言えば最後に土を触ったのは何時だったろう・・・。

・・・なんてカッコつけてアーバンカウボーイを気取るつもりも無いが、土、というか泥を触ったのはつい1月末のことである。
ご存知の通り、かどうかは知らないが、中国は1月末から2月上旬にかけて数十年振りの豪雪に見舞われた。上海も6日連続降雪というのは115年前の記録を破るものだと言うし、通常ならせいぜいちらつく程度のものが今年はドカンと降った。1日で15センチも積もったりして、たまたまその日は社用で飲みに行っていたが、22時を過ぎた頃からカラオケ小姐達が「外が大変だ、アナタも早く帰った方がいいよ、もうタクシー呼んだから」と、自分達こそさっさと帰りたいのが丸出し。ただその行為(好意?)は正しくて、外に出たらホントに大雪で、タクシーの運ちゃんが興奮しながら「こんな雪は初めてだ、こんな中で運転したことが無い!」と口角泡を飛ばす。だからさァ興奮しなくていいから安全運転をお願い。そして、翌朝は一面の銀世界。そんな次第で、中国中南部を中心に広い範囲で大雪だったものだから、鉄道、飛行機、道路、送電がメタメタにやられた。

1月30日に広州に出張した時も、緯度で言えばマイアミとさして変わらない広州のくせに気温が8度とかで寒いし、翌31日は中国全土で飛行機が遅れた影響で、暖房設備の無い広州空港で4時間も待たされたし。

ちなみに中国の南の方は冬でもあんまり寒くならないから、冷房はあっても暖房は無い。山古堂主人が習っている中国語の先生によれば、脱いでも暑いから夏のエアコンは急速に普及したが、寒けりゃ室内でも着ぶくれれば良いから、冬の暖房はあまり普及しない、のだと。

華南地区の要、広州。現地の人に聞いたらホントに「家の中でコート着て震えていた」のだそうだ。鉄道の広州駅には、ちょうど旧暦の正月直前で帰省する人がごった返しているのに、列車が遅れたりキャンセルされたりしたから、一時は60万人近い人が溢れ、軍隊まで出動して対応した。

「何だ一旦家に戻って出直せば良いぢゃないか」というのは素人さんの浅知恵。都会も生活費が上がっているから田舎の方が相対的に可処分所得が大きい昨今、春節を最後に田舎に戻って暮らそうと考えている出稼ぎの人達には、借家を引き払っての里帰りが激増。加えて切符を事前に買うという発想が希薄で、当日券窓口にわれ先に殺到するのがこの国の常識。結果、駅に来ちゃった以上もはや後には退けぬ訳で、体育館に誘導されたり軍隊提供のテントで暮らす人達も数十万人出た。ちょっと前まで「日本の東北・北陸では雪で圧壊する家がある」という話がハナで笑われていた中国で、2万軒近い家が倒壊したし、石炭不足などで発電能力も低下し、停電する地域も相次いだ。サツマイモの収穫なんて4百万トンも減った(どんなインパクトか良く判らないが)。

話を戻して1月31日、夕方になって上海虹橋空港に到着したら、タクシー待ちの列は約1000人。仕方が無いのでタクシーを拾えそうなところまで、せいぜい徒歩20分程度だから歩くことにした。そして、ハマったのである。要するに変に合理的な中国、クルマ優先の街作り(いや、優先事項だけやっちゃってるのか?)で、虹橋空港から市街地への車道は大変立派だが、歩道はところどころ「道なき道」なのである。リーガルのウィングチップシューズが泥だらけになったのは言うまでも無く、地上10センチまでがあまりにワイルドになってしまったから、やむなくコンビニでウェットティッシュを買い、靴を拭き上げ、そしてティッシュが役不足だったがゆえに手が泥だらけになったのも、言うまでも無い。

そんな可哀想な山古堂主人、どうも上海に複数存在するらしい。
厳密に言えば「ウリ二つ」ということなのだが、昨秋の副業での新人採用面接で来た人にいきなり「あなたに会ったことがある、とある電気部品の展示会で話したでしょ、絶対あなただ」。実は、その少し前にも、そして少し後にも、複数の店のカラオケ小姐達から「あら、あなた前に来たことあるよ、間違いない、その時ガラスのテーブルを壊した/グラスを割った/タバコでソファに焼け焦げ作った」などと言う。それも初めて行ったカラオケ屋で。更に最近行った健康足裏マッサージ屋で、リンゴ頬っぺのネエちゃんに「あら久しぶりね」。不思議なことに、皆その人物の名前を覚えていない。ドッペルゲンガー? それともいつまで経っても更新されない山古堂ブログに業を煮やした誰かのテロ行為?


話をもう一度仕切り直して、今年2月に開催された第4回アジア日本人男声合唱祭。
インドネシア・シンガポール・マレーシア・フィリピン・タイ・香港・上海から計120名が集って共演(競演すべきものではない)、客席には約1000人/うちインドネシア人70%という集客でした。これだけの規模の行事を滞りなく開催し、そしてこれほど多くの聴衆を集めたジャカルタ男声及び関係の皆様、敬服と共に心より感謝申し上げます。

各団の演目詳細や個別の感想は、申し訳なくも割愛します。
山古堂主人は2年ぶり2度目の参加でしたが、過去の演奏会とやや異なり、各団それぞれにエンターテイメント系に軸足を移した感じで、アンサンブルの精妙さというより「駐在員達の最後の楽園ここにあり!」という同窓会的な雰囲気。

早稲グリで言えば、1987卒の野見山さんと佐藤和哉さんが参加しておられました。お久しぶりでした。香港駐在の野見山さんは素晴らしいBassで正確に低音を鳴らして香港男声を支え、マニラOBとして日本から参加の佐藤さんは、立派なオバQ、もとい、エンタテ系司会者として現役の頃と変わらない芸風を見せていました。また山古堂主人と同じ1989卒の立教グリー学指揮・斎藤さんも現在シンガポール所属で歌っておられました。

上海グリーは、現在の登録は20名強なのだが、実際に演奏活動が出来ているのは10名強で、春節の頃は休暇帰国も多くて稼働率が下がり、この時期に開催されるアジア日本人男声合唱祭には、一昨年に6名で初参加、昨年は2名なので単独演奏はキャンセル。今年も既に帰国している2名を加えて、やっと6名。演目の編曲が完成したのが1月中旬、上海組の4名のアンサンブル練習は2回、帰国組2名が楽譜を見たのが本番の1週間前、6名全員揃ったアンサンブル練習はジャカルタに入ってからなので、名実共に少数精鋭によるぶっつけ本番。

結果として演奏は悪くなかったけど、今回の6名は経験豊富な歌手が揃っていたのだから、極めて特殊な事例。過去の遺産だけで食っていることには一同、自責の念もありますし、例えばですよ、他の団体だって選抜6名に絞り込んで出場するとしたら、それはアンサンブル・コンテストの体をなすことでしょう。アジア日本人男声合唱祭における上海グリーは、本来あるべき姿での演奏ではないこと、今回の参加メンバーも重々承知しております。

それと私見ながら、アジア日本人男声合唱祭という場は、海外駐在という、経験しなければ分からない業務プレッシャーと生活プレッシャーの中で、大切なプライベートタイムを持ち寄って合唱をしている方々が集まる、それだけで充分に涙モノであり意義も価値もあるイヴェントなのです。よって、ごく一部のコンクール的批評や順位付けに拘る輩をものともせず、真の「祭り」であって欲しいと思います。もっと言えば、駐在サラリーマンのスケジュールは自分ではままならないことも多いし、人材流動は激しいものです。団が持続していくだけでも大変なことですから、演奏レベルの維持なんて対策の施しようも無い。皆、より良い演奏を求めつつ、それを阻む外的要因と戦っている訳ですよ。

今回も、ある人物が「上海グリーは上手すぎるからこのイベントから除名だ」とそこらじゅうで言い散らかし、その上、終演・打ち上げ後でほろ酔い気分の山古堂主人にツカツカと歩み寄って、「上海グリーはバリトンが一番音程が悪い! (もひとつおまけに)バリトンが一番音程が悪いっ!」

・・・当日歌ってた上海グリーのバリトンって山古堂主人一人ぢゃん。

そうです、私が上海で一番音程が悪い山古堂主人です。なので、今ここに高らかに宣言しますっ! 私は正しい音程で歌えるようになるまで、決してアジア日本人男声合唱祭に参加しませんっ!!
(つーことで参加しますからよろしく。)

上海は、在留邦人が7万人とも8万人とも言われているし、例えば日本人学校なんて2校もあって生徒も合わせて2千7百人もいる。しかも山古堂主人は2008年度、その1校で生徒数1,500人を誇る虹橋日本人学校のPTA会長だったりする(本当)。そんな上海なのに邦人合唱人口が少ないのだが、これは業務多忙が最大の理由でしょう。日本から管理しやすい距離だし、日本からの出張者への対応も多いし、また絶対的な成長の目標や成果を押し付けやすい市場なのだから、旦那連中はみんな御多忙だし、出張(国内出張と言っても広いし)・不在続きにもなるし、奥さん連中も子供を放って出かける訳にも行きませんし、上海に4つ?ある邦人合唱団のいずれもが人集めに苦労しているようです。最近も、合唱経験を持つ上海在住者が何名か見つかっていますが、ほとんどの方は多忙・出張過多と家族サービスとの兼ね合いを理由に、合唱団に入りません。多かれ少なかれ、各国の駐在員合唱団が抱える共通の悩みではありましょうが、上海駐在員の多忙ぶりは、かつてのアテンド地獄・1990年代中盤のバンコクを超えていると思います。

そんな上海ですが、合唱のみならず音楽活動を続ける日本人が多数いるのは事実で、50名超と最大規模の上海ブラスバンドから弦楽アンサンブル、ビートルズのコピーバンド等々、皆さん頑張っておられます。

話は脱線しかかりますが、知人がやっているビートルズのコピーバンドのライヴに行って来ました。皆楽しんで演奏しているし、場所も欧米人が中心のハウスで、ちょうどボジョレ・ヌーボー解禁日だったからワインなど楽しみつつ、50歳過ぎの白人カップルが演奏に合わせて踊ったりしていて、ああ欧米の人達は楽しみ方を知っているなあ、と感心。

が、暫くしたら知人の勤務先の同僚が数人、ヘベレケに酔って到着し、バンドの目の前に陣取って乱痴気騒ぎを始め高歌放吟、しまいにはステージに乱入。山古堂主人、怒りましたね。アマバンドだってまっとうに練習してステージに臨んでるんだし、こんなステージに乗る資格もない酔っ払いが知人がいるというだけの理由で甘え放題、ステージぶち壊し。欧米人も鼻白んでいたのはともかく、ついにキレてテーブルに勘定を叩きつけ席を蹴った山古堂主人なのでした。ふざけるなよ○○忠商事の面々!

そういう上海生活も既に2年半が過ぎ、せっかくだからあと2年半は駐在したいところですわ。とは言え、東京の事業部定例ミーティングで「コスト削減で海外駐在員を減らす、筆頭は上海で、もはや上海の山古堂主人は不要である」的な事業部長さん発言が、山古堂主人本人への事前アナウンスも無く出たそうですから、今夏にも上海から、いや会社からリストラか? どなたか転職先斡旋してちょうだい。
次に就職する時には、タイル床で靴底がキュッキュッと鳴ったら「お前、靴底が革ぢゃなくて合成ゴムなのか?」とか、シャツの袖ボタンが取れたら「お前、カフスぢゃないの?」とか、「お前、自分の子供にユ○クロなんか着せたいと思うか」とか、そんなことを言われないようなところがいいな。



それと、過去にいろいろとコメントを頂きました方々、全くリアルタイムで返答できませず、失礼致しました。

シベリウス「失われた声」でお問い合わせ頂いたA.S様、「消え去った音」と同じかも知れません。確かに5/4拍子でやや悲しげな語調です。よろしければ慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団のWebSiteで過去の音源を聴いて見て下さい。第33回東西四連(1984)で慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団が演奏しています。

「五つのラメント」でコメント頂いたKI様、発言した人物の特定につながることはあえて記しませんが、やはり総意であるはずはないと思っています。また改訂版に関する情報、ありがとうございました。

ワグネルOBで「草心」の御指摘を頂いた方、ありがとうございます。確かに109回定演(1984)で、当方の記憶違いでした。

同じくワグネルOBのKF様、姉の結婚式以来でございます。長文有難うございました。秘話等々、大変興味深く拝見しました。なお、第14回四連の全曲録音ですが、陽ちゃんママさんにお伺いしたら、「あの時客席にテープレコーダー持ち込んで録音してたのよ」とのことで、それが後日同志社OBがCD復刻したベースなのだ、とのことでした。もしオープンリールが現存し、しかもそれが人知れず死蔵されているのとすれば、仰る通り合唱人に対する人道的大罪です(笑)

116回帝王様、その節はお世話になりました。いやあDK合唱団でつけられた貴殿の尾ひれ背びれは相当デカイです(笑)



では、特大イベントについて。

<早稲田大学グリークラブ創立100周年記念式典 2007年10月20日>

山古堂主人はイベント前日夜遅くに帰国し、イヴェント翌日昼には成田出発でした。それでも参加する意義も義務もある、と思いまして。
この日のイヴェントは大きく5点。

 1)創立100周年記念式典/杉並公会堂

 2)オールワセグリフェスティバル/杉並公会堂

 3)校歌大合唱/早稲田大学大隈講堂前

 4)100周年記念祝賀会/九段下・ホテルグランドパレス

 5)思い思いの二次会/いろいろ・もろもろ

これは、早稲田大学創立125周年記念式典と全く同じ時期に開催され、特に大隈講堂前の大合唱は125周年記念式典の一環に組み入れられていました。

当日は早稲グリ100周年グッズとして、記念ネクタイと百年史が販売されてましたので、当然ゲット。

以下、ごく簡単に概要を記します。

◆創立100周年記念式典/杉並公会堂
中岡先輩@1937卒から現役まで、そして家族や関係者でホールは満席。
各位殿の挨拶はともかく、現役代表の志波部長、ボロボロでしたねえ(爆) ちょっとウケを取って客席が喝采したら舞い上がってしまい(英語表現ではSky-Rockettingともいう)、話は途端に支離滅裂、用意した原稿の存在も忘れ去り、声量はすっかりピアノ。まあそりゃ緊張もしますわね。そんなことで、百年の節目に刻まれた彼のスピーチに幻の焼酎「百年の孤独」で乾杯!

◆オールワセグリフェスティバル/杉並公会堂
同志社グリークラブ百周年記念演奏会「レインボー・コネクション・フェスティバル」と同様に、世代ごとに輪切りした8グループと現役による9ステージ構成。以下、演奏会プログラムによるが、人数は当日に多少の増減あり。

 第1グループ(1937-1958卒)87名 第6回四連以前に相当

  「月光とピエロ」より「秋のピエロ」「ピエロの嘆き」
  「ふるさと」(磯部俶)

 第2グループ(1959-1965卒)146名 第7~13回四連に相当

  「冬のセレナーデ」(サン・サーンス)
  「アルプスにて」(ヘーガー)

 第3グループ(1966-1972卒)116名 第14~20回四連に相当

  「富士山」より「作品第肆」
  「Ride the Chariot」
  「千の風になって」

 第4グループ(1973-1979卒)75名 第21~27回四連に相当

  「月光とピエロ」より「秋のピエロ」「ピエロ」
  「雨」より「雨に日にみる」「雨」

 第5グループ(1980-1986卒)89名 第28~34回四連に相当

  「群馬県吾妻郡長野原町立北軽井沢小学校校歌」
  「Die Lorelei」
  「夜のうた」(佐々木伸尚)
  「Soon Ah Will Be Done」

 第6グループ(1987-1993卒)74名 第35~41回四連に相当

  「斎太郎節」
  「見上げてごらん夜の星を」
  「Sailing, Sailing」
  「Nigra Sum」
  「Ride the Chariot」

 第7グループ(1994-2000卒)74名 第42~48回四連に相当

  「最上川舟歌」
  「君といつまでも」
  「アカシアの径」
  「U Boj」
  ・・・確かもう1曲やっちゃったと思うが、そういうルール違反が
     多いのがこの世代の特色。同志社グリー百周年でも、ちょうど
     この世代だけがカジュアル過ぎる服装でOBから渋い顔されて
     いましたな。

 第8グループ(2001-2007卒)102名 第49~55回四連に相当

  「十の詩曲」より「歌」
  「新しい歌」より「君うたえよ」
  「なごり雪」(宇田川安明編曲)

 現役(2008-2011年卒予定) 99名

  「創立100周年記念愛唱歌」(小田和正)


プログラム上の総勢、実に862名!
各グループの演奏については、山古堂主人も全部を聴けたわけではないので、大したコメントも出来ませんが、備忘録的に。

第1・第2グループ。コンクール知ってる世代はちゃんとした合唱します。基礎もマインドも違います。特に第2グループのヘーガーへの思い入れと挑戦の姿勢に脱帽。

第3~第5グループは聴けませんでした。コンクールとエンタテのヘレニズム、西田指揮者・武内ソロの世代を聴けなかったのが、とても残念。知人に聞いても、第4、第5グループは「そりゃもう絵にも描けない満足感であった」と。

第5グループ、第31回東京六連と同様、Die Loreleiのソロをやった大越氏。当日は風邪で大変な状態だったそうですが、それであの歌唱(リハーサルを聞く限り)。大越氏・目黒氏・渡辺氏の会津三羽カラスが揃って歌うのは、同期の結婚式を除けば卒業以来とのことでしたが、リハーサルから同日開催の稲門祭まではお揃いで合ったものの、残念ながらオールワセグリフェスティバルの本番では、渡辺氏が都合で欠席となりました。

山古堂主人も出演した第6グループの恐竜世代は、働かされ世代だから集まり悪いのは明白、選曲に大きな制限も出るし、練習だってままならないから、「イロモノ選曲」以外に手は無かったと思います。で、ハデ曲とジミ曲の格差が物凄くて、これが恐竜世代だ、と追認されてしまった。カザルスを暴行した世代として百年語り続けられちゃうことでしょう。ホントはナイーヴな演奏だってちゃんと出来るはずなんですが、合唱を食い物にする独唱マニアが最も多く存在する世代、どうにもとまらない、リンダこまっちゃう。

第7グループ、理論派の学指揮が揃っていて、しかもあえてはじけたがる世代なのだが、演奏そのものは思いのほか端正。但しアカシアの演出は客席と共有出来るものではなかったな。「U Boj」は個人的に大好きな狂気の演奏スタイル。

第8グループの「十の詩曲」、客席の昭和世代OB達にはけっこう辛そうにしている方々もおられました。あの歌に思い入れを持っている人は沢山いますから、そういう情念の世界から切り離された、あまりに健康的な(即物的でもあるか)ショスタコには言いたい事があったことでしょう。

現役は、かの小田和正さんへの委嘱。アンサンブル的にはやや凝った造りですが、一聴して小田さんの作品と分かるもの。
藤原歌劇の和田君@1991卒がボイトレをしてるから、トップとベースは正しい道に戻りつつあって、あとは内声のキャラを作り、キャラがちゃんと立って来ればOK。恐らく大学合唱でああいう芯と共鳴のある声が出せるのは早稲グリだけではないかしら。ノドツルリ系(山古堂PAT.PEND)のエセ北欧東欧発声からの脱却は急ぐべし。いまだ隆盛を誇る「北欧的発声にsuitableな演目」を選び続けるなら別ですが、ノドツルリで1960~1980年代の邦人作品を選ぶなら。

(北欧合唱団の演奏を生で聞けば分かりますが、実は相当な音圧を誇ります。シリコンオーディオを耳にあてがって不可逆圧縮音源を聴いてると、道を踏み外しますよん。)

指揮者の後姿の変遷も面白かった。合唱団から何かを引き出そうとする、あるいはまとめ役として団員と一体化した演奏をする1960~70年代の正統派に比べ、平成以降は君臨の仕方が全然違う。指揮者が主役であり独裁であり、背中やオーバーアクションで自身を客席に「魅せる」ことに価値を求めてる、という気がした。だから、当日にメンバーから自律性を引き出そうとした早武@89卒を、真夜中になってから誉めたげました。現役時代に出来なかったことが今は出来ている(ハハハ)、素晴らしい。

それと、独唱に対する価値観の変遷、でしょうか。声量だの声の立派さぢゃないのよね。伝えることを念頭に置き、そういう観点で歌心を失ってない世代の先輩たち、それが合唱の構成要素として違和感なく聴ける世代、というのは、演目も含めて、やはり昭和50年代までなのかな。第6グループなんてティラノサウルスよろしく腹圧かけまくりの大音声で、そんでもって音程はチョー甘い。耳ワル。

◆校歌大合唱/早稲田大学大隈講堂前
オールワセグリフェスティバルの後、早稲田大学大隈講堂前に再結集した現役・OB合わせて800名が校歌と応援歌を大合唱。暗いし指揮なんて見えないし、良く破綻しなかったな、というのが率直なところ。DNA、でしょうか。でも大隈講堂をバックに大先輩から現役まで800名、早稲田大学と早稲田グリーの歴史と未来を誇りに歌う、これには何とも言えない感激がありました。

◆100周年記念祝賀会
この年で表彰状を頂くとは思いませんでした。
決して建前ではなく、早稲田大学グリークラブの百年の歩みは、当然在籍した全てのメンバーが共有すべきものである。が、時にはその歴史と変遷を振り返り、共有するために記憶と記録を整備する必要もある。そういう整備に貢献した2名、100周年記念誌の編集長として膨大な資料や記憶を取りまとめられた徳田浩先輩@1956卒と、音源整備に著しい功績を残された山古堂主人が表彰された。

以下、自慢に聞こえるかも知れないが・・・
以前、岡村喬生先輩@1954卒が1976年にリリースされた「イタリア四大歌劇作曲家歌曲集」のレコードをCD化し、岡村先輩に差し上げたことがある。岡村先生がイタリア留学時代にお世話になったという、ピアニストのジョルジオ・ファヴァレット先生との共演によるこの演奏は、僭越ながらも、掛け値なしに素晴らしい演奏である。その岡村先輩が表彰式の後でわざわざお礼に来られた。
他にも、とても多くの方々からお礼の言葉、ねぎらいの言葉を頂いた。その中には涙を浮かべておられる大先輩方も。・・・ああ、やってよかった。

東西四連、東京六連、定演、その他多くの音源。何度も繰り返すが、これらの演奏に携わったメンバーを想う時、手を抜こうとは全く思わなかった。表彰スピーチの際につい口をついて出たが、「執念、なんですかねえ」。そして、この音源デジタル化の集大成であるCD数百枚を携えて表彰状を受け取った時、まさに演奏に携わった大勢のメンバー達が拍手喝采して下さる。関西学院合格発表以来(爆)の誇らしい瞬間であった。

◆思い思いの二次会
当日の式典から二次会までを通して、延べとは言え学年の全員が揃ったのは、山古堂主人も含む1989卒だけでした。大宮高校音楽部といい、早稲田グリーといい、同期には恵まれていますわ、音楽面はともかく。
それにしてもメタモボ(メタボリック症候群ですっかりメタモルフォゼ~変容~した往年のモダンボーイズ、山古堂PAT.PEND)が大勢いて、こんな人いたっけ?みたいな。かく言う山古堂主人も学生時代は58Kgだったのが今ぢゃすっかり78Kg、他人のこと言えませんが。

なお、個人的記念として、早稲グリ百周年記念Zippoを作ってみました。表裏それぞれに彫刻したから少々値が張りますが、百年に1回くらい、まあ良いかと。Blogだと画像が劣化してしまうケースもあるので、キレイに見えるかどうか分かりませんが、どうです?

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<第38回東西四大学合唱演奏会(1989/06/24 東京文化会館大ホール)>

演奏会プログラムの表紙に「BIG FOUR」と大書きした、最初の東西四連である。
これが四連ステージマネージャーの先走りかと言うと、実はそうでもなくて、この時代の学生の風潮でもあり、「聴かない奴には歌ってやらない」というプロダクトアウト発言がはびこった割には、特に工夫のないマンネリの演奏プログラムを継続した真のノンポリ時代でもあり、その他趣味の多様化・B級礼賛・サブカル顕在化・内輪ウケの押し付け普遍化などモロモロの理由により、結果として「密集隊形で突き進むのが男声合唱」の衰退化が本格的に始まった時期でもある。

少し話題が逸れるようだし、合唱ではなく当時在籍した学生達の批判にもなってしまうようだが、それでも四連50年の歴史における一つの転換点でもあると思うので、記しておく。

山古堂主人が音源の収集整理を開始したのがグリー現役の頃からであったことは、以前にも記した。そういう音源を欲しいとか、こんな音源はないかとか、そういうリクエストが来たり、或いは貴重な音源を持って来てダビングないしデジタル化してくれ、という話も多かったが、四連で言えばこの第38回(1989)から第40回(1991)にオンステした世代だけに共通のリクエストがある。それは、「四連加盟団体の名ソリストによる名歌唱集」である。

要は、個人合唱主義というか、個人と合唱の分離礼賛というか、個人神話好きというか、ミーハー、いや、あえて言おう、カスであると。これら軟弱の集団が、合唱というフィールドに立ちながら、合唱をないがしろにし、個人の声を録音に残して喜んでいるとすれば、初心者の新入生などはついていくはずも無い。まあ気持ちはわかるけどね(山古堂主人も思いのほか甘いようで。)

以前第10回四連の項にも書いたが、ただ声だけ出るのは「バカ声」というのであり、声量や声質云々よりも、いかにその独唱が楽曲とマッチするかが重要なのであって、そこが80年台前半までの独唱者とこの時代とで決定的に違う点だと思うよ。だからどんな曲も一緒くたの張り倒し独唱などは収録しない。というか、既に公言している通り、山古堂主人は「合唱ストーカー」なんだから。人間がそんなに便利になれるわけ、ないでしょう。

・・・ファーストガンダムTV放映版・全14枚のDVDが120元(1,800円)で売ってたので、つい買ってしまいました(爆) RX78リアル世代としてはその影響絶大なもんだから、つい言葉が過激になったのはお許しを。ちなみにこのDVD、普通にPCで複製出来ちゃうんですけど。

エール交換(関学・早稲田・同志社・慶應)

関学のトップ、頭声の要素が前年から更に激減しているし、セカンドもポジションが低くキャラが全く立っていない。これに加え低声系が上昇音形での半音が狭いから、合わせ技によってわずか1フレーズで半音、終わる頃には全音下がっている。かかる中、それでもまだ低声系には関学としての自負心が感じられるが、高声系のこの惑いは何か。ボイトレの大久保昭男氏がコダーイ作品を目の前にして、声作りを失敗したのか? この唱法が単独ステージでも続く。関学はもはや男声合唱界の重要無形文化財なのだから、演目が何だろうと人数がどうだろうと、いつものスタイルで押し出したらええねん。

早稲田、全音上ずって終わるのは予定調和だが、バリトンが突出しない分だけ統一感が増し、威厳が漂う。パートリーダーが4人揃ってしっかりしてる年は、良いです。

同志社、トップに大樹公の小貫岩夫氏がいて、張りどころを全部張る。(大樹公、それは例えば徳川幕府にあっては徳川将軍のことを指す。寄らば大樹、とあるように皆が寄りかかろうとし、また寄りかかられても動じない、というような比喩であろうか。) 1980年代の同志社グリーの、ひとつの典型的攻撃隊形であり、1980年代最後を飾るにふさわしい。それでも全体がギクシャクしないのは、他パートにもしっかりした声がいるし、加えてそれらを統べる学指揮がまだ青い時代の伊東恵司氏だから、でしょうか。

慶応、あれ? なんだ? パートごとのテンポ感覚がバラバラ、短音符の扱いは消化不良なのに、長音符における「俺は発声知ってるぞどーだ偉いだろ的張り上げ」だけは突出して立派。おかげで田んぼのあぜ道をベンツS600がお通り、という風情。陳腐な言い方だが、音楽としてベクトルが合ってない。

エール交換聴いただけで、単独ステージの仕上がりが手に取れそうな予感。

関西学院グリークラブ

 「コダーイ男声合唱曲集」より
  1)Huszt(廃墟)
  2)Foelszallott A Pava(孔雀が飛んだ)
  3)Esti Dal(夕べの歌)
  4)Kit Kene Elevenni(誰をもらおうか)
  5)Karadi Notak(コラーディ地方の歌)
  作曲:Kodaly Zoltan
  指揮:北村 協一

つい数年前まで東西四連の舞台(すなわち2回生以上)で百名を超えていた関西学院だが、人数が急激に減少してきた事もあってか、これまでとはやや異なるレパートリーを東西四連に載せ始めた。関西学院グリーは、リサイタルでは結構マニアックな演目も取り上げているのだが、東西四連においてはまさに絢爛の勝負服を纏って来た。それが今回の東西四連から大きく方針転換したような観がある。

但し人数減少とは言うものの、1960~70年代にも40名前後のオンステ人数が続いた時期がある訳で、人数に関係無く倍音に包まれた演奏を可能にする関西学院の伝統が、この時期から改めて印象づけられるようになって来る。

ただこの年は過渡期と言うより方向模索、モラトリアムの感がある。

クラシック・バレエの中には「ラ・シルフィード」のように「バレエ・ブラン(白いバレエ)」と呼ばれるカテゴリーがある。端的には白い衣装での舞踏なのだが、これは言わば人間としての対外的な装飾虚飾を省き、作品の精神的な部分の表現を重視した衣装と振付による舞踏、ということである。以前から山古堂主人は関学グリーのカラーを「白」としているのもこの認識からであり、歌い手個人の過剰な表現突出を抑え、一つの楽器として表現一本化が完璧に出来ていることで、作品そのものが雄弁に語る、関学グリーの演奏に対してそういう理解をしている。
その楽器に迷いが見える、ということは、恐らく指導陣にも迷いがあったのだ、と思う。団の規模や学生の気質の変化にも戸惑っていたのではないだろうか。

北村協一氏によるコダーイ作品の解釈は、ここ数年の東欧合唱ブームの中では非常に日本音楽的なものに感じられてしまうが、それも当時としてはとしてはやむを得ないことか。尤も、海外作品を海外演奏者と同じに演奏せねばならぬ、ということでもない。

楽器として、コダーイをコダーイらしく演奏するために必要なのが、強靭なノドと長大なブレスなのはご存知の通りだが、そこは民族の違い、日本人がそんな無いものねだりに努力を重ねても無駄である。あえて言えば、第20回/第24回東西四連(1971/1975)の木下保&慶応ワグネルでは、絶頂期のワグネル・トーンそのもので聴かせることが出来たが、これは逆に圧倒的な声に終始してコダーイの作風などはどうでも良い、ある意味での超絶演奏であった。こういう例外に範を求めても無駄なのであって、各団の持つ個性に作品を合わせて行くしかない。

さて、では関学グリーの個性にコダーイを合わせるとどうなるか、ということだが、ご想像の通りである(笑)。
但し、それは音響特性というか、演奏上の音色のみに関する部分であって、総合的な演奏そのものでは、やや重要無形文化財に曇りが出ている。どんな事情があるのかは解らないし、単純にこの時期の学生の気質に拠るところもあるのかとは思うが、反復練習の鬼が島(山古堂PAT.PEND)である関学グリーだからこそ、基礎をしっかりと鍛え込んで合唱という形態を最も正しい形で具現化出来ているはずなのに、どうもその鬼が島の匂いがしないのである。とにかく、ザッツが揃わないなんて、同志社や早稲田なら問題にもならない(爆)が、関学グリーなら苔のむすまで反省会が開かれるはずだ。そんなザッツの不揃いみたいのが、今回の演奏では数知れないのである。それでも「日本一」の看板を背負ったベースはまだ、短音符の立ち上がりなどもさすがであり、五線をはみ出す高音でも揺らぐことなく張る安定感があり、バリトンも対抗意識から良く支えているのだが、高声系がいけない。自信なさげでリズム感のみならず音楽への理解度すら低声系と隔たりがあるように聴こえる。ザッツの不揃いも、実は高声系と低声系の間で生じているのがほとんどである。

かかる高声系、まずトップだが、声そのものは高い音にきちんと届くのだから、もっと自信を持って能動的に歌えば良いのに、練習の段階で相当ヘコまされたのか、何かコンプレックスでもあるのか、常に一歩引いた感じがして、これが低声系とフェイズが合わない。山古堂の「古」の後輩とは思われない(笑) 何せ「古」ったら、九州転勤に際して自ら「ゴジラ、海を渡る」って言ってましたから。

次いでセカンド、このアクティヴ耳の放棄度合いは尋常ではない。音色もキャラが立っていないが、それでも音程で貢献出来るところがセカンドの旨みなのに何処のパートにも合わせて来ない。

そしてコダーイ作品の演奏として結構致命的なのが、前年から引き続いて音符一つ一つを歌ってしまうこと、である。長音符で流すような部分や短音符が高速で連続する部分なら目立たないが、中速で4分音符が連続するところなどはギクシャクした感じで聴こえちゃう。

これらの結果、確かに関学トーンが響く部分もあるのだが、やはり消化不良の観があり、いつもの関学グリーに比べると作品そのものが語り出して来ていないのが残念。

早稲田大学グリークラブ

 「さすらう若人の歌」
  1)君が嫁ぐ日
  2)露しげき朝の野辺に
  3)灼熱せる短刀もて
  4)君が青きひとみ
  作詩・作曲:Gustav Mahler
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:小林 研一郎
  Pf:久邇 之宜

早稲田グリーによる「さすらう若人の歌」は、東西四連では第29回(1980)以来2度目の演奏で、前回と同じ小林研一郎氏の指揮による。前回の演奏に比べ、小林氏のアプローチは一層の「後期ロマン派」化を遂げ、人心の内面を抉るような押し引きと重さを伴う。これは下手をすると50年前の欧州で日本の演奏家が受けたジャパネスク的イロモノ評価、すなわち演歌民謡的なクサさを伴う恐れもあるのだが、他方で歌手が20歳前後の若者達であり、変に造り込んでいない声の若さと表現のシンプルさがその陥穽にしっかりフタをしている。クサいものにフタ、ワセダの持ち芸ですかね、福田首相。

この年の早稲田グリーは、パートリーダー4人の歯車が見事にかみ合っており、変に暴走したり突出してしまうパートがなく、かといってソリスト級もちゃんと存在するし各パートにもそれぞれの個性がしっかりあって、楽器としては数年ぶりに良い状態に仕上げて来ている。この楽器を小林研一郎氏がドライブした時、歌手各々が何をすべきかが明確に提示された上で、小林氏の棒の下で余裕を持って遊ぶことが出来、よって「若さゆえの過ち」的要素が皆無で良い意味での青臭さに欠けるものの、一つのプロジェクトされた世界を提示することが出来たのではないか。特に終曲を聴けば「恐竜世代」とか「ファイト一発の早稲グリ」と端的に括ってしまうことの無意味さが良く分かると思う。それほどに、作為的でない繊細なppppを聴かせる。楽譜にフォルテと書いてあるのが実装出来た上で、このppppが使えたら、聴衆はさぞや惹きつけられたことでしょう。

ダイナミクス(気取ってデュナミークと言っても良いけど)は、作曲者・演奏者の意図に基づいた、音量についての動的ないし可変要因の付加とそれに伴う表現の多様化、であって、これの目的は言うまでもなく、聴く者の心情感情に対して作曲者・演奏者のプロジェクトとして何らかの変化をもたらすことである。恐竜世代の演奏の中には、フォルテは立派だがピアノはしょぼい、という演奏が確かに存在して、こんなのばかりがまるで中国におけるチベット問題のように端的に取り上げられるが、現実に当時の演奏を聴けば、ダイナミクスをきちんと作動させて作品の仕様に従ったデータランになっている方が多いことが理解頂けると思う。問題は、フォルテになると仕様を無視して熱暴走したり、表現の多様化につながらないフォルテであったり、あるいはピアノになるとリソース不足でハングアップすることであって、それが確かに1980年代には発生する確率が高かったし、またそれを是とする聴衆も多かった。

でもねえ、逆に昨今では団員人数に関係なく、フォルテを鳴らさない団体がとっても多くて、楽譜にフォルテと書いてあるのを実装しないばかりか、中弱音ばかりにこだわり、結果としてフォルテの必要な曲を選択しているのにダイナミクスの効果を用いられず、聴く者の心情感情を動かせない、というのも、本当に聴衆が是認しているのかね。ここでコンクールマニアをくすぐるのはやめておくが、初心者が聴いて「なんか分からんがスゴイ」というのもあり、だと思うんですけど。

それと、「さす若」を取り上げた多くの演奏では、怒りや悲しみといった表現はどの団体でも遜色ないが、ささやかな幸福や微笑みたいな複雑な表現は全然ダメなことが多い。2曲目などは良いバロメーターになるが、この早稲田グリーの演奏ではまさに2曲目できちんと曲想を掴めており、音色まで含めて総合的に表現出来ているから、続く3、4曲目への聴衆の集中力が削がれない。

CDのクリアな音で聴いてしまうことで、昭和世代の山古堂主人にはやや人工的な音色にも感じられてしまうのだが、もしアナログレコードでこの演奏を聴いていたら、第29回東西四連における早稲田グリーの演奏より気に入っていたかも知れない。

同志社グリークラブ

 男声合唱組曲「月光とピエロ」
  1)月夜
  2)秋のピエロ
  3)ピエロ
  4)ピエロの嘆き
  5)月光とピエロとピエレットの唐草模様
  作詩:堀口 大學
  作曲:清水 脩
  指揮:福永 陽一郎

福永&同志社による最後の「ピエロ」である。ここで「ピエロ」を持ってきた福永先生の心中は図りかねるが、前年末の早稲田グリー第36回定期演奏会(1988)で同志社グリー伝家の宝刀「十の詩曲」をやっちゃったものだから、伝家の宝刀をネコババされた同志社グリーとしても、「十の詩曲」を振るのは今回が最後、と明言しちゃった福永先生としても、後には退けない演目をやるしかない、そうであれば「ピエロ」、だったのだろうか?

後にプロとなるテナー・小貫岩夫氏や、土方サイボーグ(ひじかたではない、どかたバイトで「変身サイボーグ1号」のように鍛えたそうな)バリトン佐土原陽二氏、後に関西合唱界を席巻する学指揮・伊東恵司氏を擁した同志社は、この時期にいくつかの好演を残しているが、この「ピエロ」は1980年代の、トップテナー主導型とも言うべき同志社カラーを良く顕した演奏である。

演奏スタイルは、福永先生の定番解釈で、これもまた人心の内面を抉るような押し引きと、時にはギラリとした感情表出を伴うが、全く重くならない。むしろ同志社グリーの鯛の白身のようなハーモニー(なんのこっちゃ?、いえ、繊細で引き締まり、歯ごたえのある、ということです、はい)によって、熱くも寒くもない、そしてわずかに寂しく青い月の光が十分に感じられる中で、各場でのピエロの心情が語られて行く。

当日客席で聴いたという方々に伺うと、この「ピエロ」が最も良かった、という声が多い。このあたり、どうしても録音で聴くのとは異なってくるが、ともかく録音を一聴して、まずG以上になるとトップ小貫氏のターボ領域に入り、一段抜けた声が響く。1曲目14小節の「白ければ」の「け」のG音などの突出は面食らってしまう。が、これで耳になじんでしまうと、その後この音色が耳当たりの良いものとなり、しかも同志社としての音響からもはみ出さない声だから、音楽の構成上もプラスになる。加えてセカンドが上手くこなしてますね、職人小町、いや違う、職人横丁ここにあり。これを支える低声形も贅肉がなく、楽器として非常に応答性に優れたものである。

なお、第36回東西四連(1987)に慶応ワグネルが「ピエロ」を演奏した時と同様、曲間での音の取り直しをしなかったようだが、ワグネルは下がり、同志社はやっぱり上がっている。

山古堂主人的に、ではこの「ピエロ」と早稲グリ「さす若」でどっちがお気に入りか、というと、同志社の演奏で唯一隔靴掻痒なのが、音色の変化があまり効果として用いられていないところがあり、これは「ピエロ」では音響的な遊びシロがほとんど無いのでやむをえないとは言え、作品そのものもひっくるめて、早稲田のほうがアタマ1ミリ出てるかな。

もう少し記せば、この同志社の演奏は、声質や和音の響きなどがクリアで見通しの良いものなので、和声や構成が極めてシンプルな「月光とピエロ」がきちんと見えてくる。これを見せることが出来る団体は実に少ない。他方、早稲田グリーの「さす若」も雑味の無い音響だが、こちらは4つの曲にそれぞれ遊べる「音楽的な懐の深さ」があって、その懐でちゃんと遊べているところが立派かな。で、もしこの年の早稲グリが「ピエロ」やったらどうだったろうか? でも早稲グリだとピエロが時折「衣装をつけろ」(しかもNHKイタオペのデル・モナコ)になっちゃうのよね。で最後にピエレット刺しちゃったりして喜劇が悲劇になって幕、みたいな(爆)


慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

 「Liebeslieder」
  1)Rede, Madchen, allzuliebes!
  2)Am Gesteine rauscht die Flut
  3)O die Frauen
  4)Sieh; Wie ist die Welle Klar!
  5)Nachtigall, Sie singt so schon
  6)Ein dunkeler Schacht ist Liebe
  7)Wenn so lind dein Auge mir
  8)Ein Kleiner, hubscher Vogel
  9)Am Donaustrande
 10)Nein, es ist nicht auszukommen
 11)Schlosser auf, und mache Schlosser
 12)Zum Schlus
  作詩:G.F. Daumer, J.W. Goethe
  作曲:J. Brahms
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:畑中 良輔
  Pf:三浦 洋一、谷池 重紬子

前年の第37回東西四連におけるシューベルトに次いで、今回もドイツ・ロマン派からの選曲だが、演奏も前年同様に重く固く、いかにブラームスの指定した「レントラー・ワルツ」というテンポが田舎臭さを要求するものであっても、これはさすがにワルツの域を逸脱している。
フレージングや子音処理の粗さも目立ち、やや慶應らしからぬ演奏である。いや、あえて言おう、いやらしい演奏。無論エロチックというのではなくて、ドイツロマン派音楽かくあるべし、それを一番上手く演奏できるのは我々ワグネルだ、みたいなアピールが最前面にあって、ブラームスの音楽が二の次になっているような気もする。

まず1曲目からして、イントロのピアノが軽やかに入ってきたところに合唱が重くのしかかって急ブレーキがかかり、アンチロックブレーキが作動したかのようにゴツゴツとリズムが崩れる。このようにピアノと合唱がずれてリズムが崩れるパターンが、多くの曲で繰り返される。また、エール交換で指摘したが、長母音では張ろうとする意識が見えて、80年代ワグネルの発声による重厚な音がパイプオルガンの低音のように立ち上がりもおっとりと鳴るが、短母音では発声もテンポ感覚もバラバラしちゃう、こういう、発声的には均質性に欠く歌い方もまた多く聞かれる。結果、まるで練習不足のようにも聞こえるのである。

邪推とは思うし、異見も多々あろうと思うが、一応記して置く。実はこの前年末の1988年11月、早稲田グリーが第36回定期演奏会において井上道義氏の指揮で「Liebeslieder」を演奏している。この演奏は故・福永陽一郎が「大変ユニークな演奏」と感想を述べたから、何か気に入らないところがあったのでしょうが、それは恐らく、福永氏と全く違うアプローチだったからではなく、井上氏の棒によって早稲グリが「遊べていた」ことに対する嫉妬だったのではないか、と思っている。そう思うのも、福永氏は第32回東京六連(1983)で早稲田グリーと「Liebeslieder」をやっており、その演奏会プログラムに「楽しく歌わせるのは、相変わらず難しかった」と記しておられるし、1980年代の福永氏は、特に早稲田グリーにおいて積極的にエンタテ系の演目を好んでいたからである。更に言えばこの早稲田グリー第36回定期演奏会で福永氏が指揮したのが、自身に厳しく封印してきた「十の詩曲」で、まさに真っ向勝負の演目であり、同じ音楽で遊ぶにもエンタテ系では全く無かったからである。

この早稲田グリーの「Liebeslieder」を聴いた慶応ワグネルの面々は複雑な面持ちであった。ある者いわく「こんなのはブラームスじゃない」、またある者いわく「早稲グリにここまで演奏されて悔しい」。ちなみに同志社のある者は「お前ら井上先生と楽しそうに遊んどったな」、関学のある者は「早稲グリが倍音鳴りまくりだよ」。その他、早稲グリOBのごく一部は「おい、今年の現役は全然ダメだな/こじんまりして早稲グリじゃねえな」・・・ユタ州行って恐竜発掘でもしてて下さい。

そして、その半年後の東西四連で「Liebeslieder」を持ってきた慶応ワグネル、もしかしなくても「こっちが本家だ」みたいな気負いがあったのかも知れない。その結果、その時期の慶応ワグネルにとって唯一の心の拠り処である、ワグネル発声とドイツ語さばきに益々寄りかかり、しかもそれが重厚で重く歯切れ悪い、となれば、ブラームスが自身でも楽しむために書いた小品集がドイツレクイエムに化けても、致し方ないところか。

アナリーゼでもないけど、ブラームスは14歳で田舎の男声合唱団の指揮を始めて以来、多くの合唱団で指導をし、合唱作品を書いており、自身も一緒に歌って楽しむこともあった。
また、17歳の時からロベルト&クララ・シューマン夫妻のファンだったのだが、21歳の時にロベルトがライン川に身投げして自殺未遂を起こしたことから、シューマン夫妻と6人もいた子供達(実はその後更に1名増えてたりする)の世話を親身にやって、すっかり仲良しになったのでした。
そのブラームス、36歳にもなって、シューマン夫妻の三女ユーリエ・シューマンに恋しちゃって、その後当然のように振られるのですが、「Liebelieder Op.52」は、三女ユーリエに恋してから振られるまでに作られた作品。ちなみに、振られた後に書いたのが「アルト独唱と男声合唱とオーケストラのためのアルト・ラプソディー Op.53」というのだから、この人の作品は作曲当時の背景丸出しで笑えることが良く分かります。ブラームスってとっても情熱的で生真面目で、周囲が見えなくなっちゃうタイプのオヂサンだったらしいです。しかも恋多きオヂサンが結局は生涯独身。だから今回の慶応ワグネルの演奏は、ある意味ではブラームス丸出しかも。あ、音楽ぢゃなくて性格の方ね。


合同演奏

 歌劇「タンホイザー」より
  1)Einzug der Gaste(大行進曲)
  2)Pilgerchor(巡礼の合唱)
  3)Abentstern(夕星の歌)
  4)Finale(フィナーレ)
  作曲:R. Wagner
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:畑中 良輔
  Pf:佐藤 正浩

アンコール Love's Old Sweet Song

まあ合同、ですが、トップが良く頑張ってますね。さすが合同。一方で何となく合唱全体の音程が甘いしリズムも各団まちまちなのがくっきり。それにしても、巡礼の第二主題の和声進行の気持ち悪さは許し難い。こんなに音程悪いのは四連合同でもかつて無かったことでは?
一方で夕星のソロ、良く頑張りました! それと、これだけの大人数を向こうに回してガンガン聴こえてくる「白クマ」こと佐藤先生のピアノ、凄い。


ステージストーム

  1)関西学院:U Boj
  2)早稲田 :斎太郎節
  3)同志社 :Set down Servant
  4)慶應義塾:Londonderry Air

関学、歌詩が伝統の口伝版ではなくオペラ譜正式版。1988年度ウィーン公演に伴って「U Boj」を終曲とする歌劇「Nikola Subic Zrinski」が初演されたザグレブまで足を伸ばし、わざわざ「Nikola Subic Zrinski」を蘇演までしてもらったのだから、ということなのでしょう。それはともかくとして、人数が少なめなこと以上に、何かテナーに安定感がないので、安心して聴けません。

早稲田、前年ストームでメチャクチャやって毒が抜けたのでしょう、フツーの斎太郎節です。ということはつまり、演奏効果が文字通り満点。

同志社、ここでこの選曲とは恐れ入るが理解は出来ない。要は「ピエロ」の様式美のカウンターバランスをここに置いた訳ですか。ああ、それならよく判る、というかホントにカウンターになっちゃってますけど。相殺。

慶応、もう一回整理すると、短音符の雑な扱い、長音符で発声に拘泥するから立ち上がりの鈍さとリズム感の喪失が生じる。結果、短音符と長音符で歌い方や音質やリズム感覚が異なる、ということです。このストームの小品ではあくせくした短音符があまり無い代わり、過度の長母音歌い込みが多々あります。

1989年から1992年まで、山古堂主人は岡山県倉敷市で勤務していたので、早稲田グリーを含む学生合唱から遠く離れていました。ちょうど色々なことが変化している時の生演奏に触れていない訳で、そういう者が何をどこまで記述して良いものか、当事者達とズレた感覚なのではなかろうか、という思いもありますが、一方で記録の一つとして音源を聴いた率直な思いを備忘録的に記しておきたい、という思いもあり、そんな訳でとりあえず当面はこの路線で記していこう、と思います。

・・・ということで、1年ぶりの更新、長文ですいません。次回はいつになっちゃうのでしょうか。とりあえず夏を目処に頑張りますけど、場合によっては「来年もまた見てくださいね」かも。
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