・・・ちなみに「坊さんが塀を飛び越える」というのは広東など華南地域の名物高級料理「坊跳墻(最後の字が文字化けしちゃうかな、壁と言う意味の中国字です)」の名前で、一人分の小さな壷にアワビやらフカヒレやらホタテやら、高級食材や良いダシの出る具をぶち込んでトロトロに煮込んだもの。修行を積んで達観した坊さんですら、あまりの美味さに飛び上がり塀壁を飛び越えちゃうほどだ、という比喩がそのまま料理の名前になっているそうで。
さて、更新がここまで遅くなってしまったのは、別にアナログ音源デジタル化作業の三本柱が一応の完成をみて、これで燃え尽きてしまったから、ではありません。副業のほうで、この広い中国での営業エリアを拡張し続けた結果、移動の距離と時間が大変なことになってしまい、特に10月以降は月の半分は出張、みたいな状況に置かれ、心身ともに充実から程遠い状態だったためです。どれだけ移動しているかと言うと、地名を言われてもピンと来ないかもしれませんが、半月のうちに、例えば浙江省で4日→安徽省1日→韓国2日→浙江省2日→四川省3日→福建省1日→江蘇省1日、みたいな移動を車と飛行機でこなし、ざっと飛行機で5千キロ、車で2千2百キロ、みたいな感じです。要するに飛行機ではアメリカ大陸横断、車では東京-広島を往復したような感じ。勿論その間の昼夜はお客様とお食事、酒付き。
別に大したこと無いじゃん、と仰る方は、中国の繊維産業系ビジネスに向いておられるか、既にこの業界の方でしょう。気温0度の道路よりも室内の方が寒い、蛍光灯の切れたコンクリート打ち放しの食堂で、震えながら生煮えの地鶏を食ったり、高速道路で絶対に何人か死んでるような20台以上の玉突き衝突事故を見たり、犬肉や孵化しかかったアヒルの卵を茹でたやつやどういう汚染状況の川で採って来たか分からない「野生のウナギやスッポン」を勧められて失礼の無いようにちゃんと食べたり、52度の白酒をなみなみと注がれたワイングラスで乾杯したり、そんな付録も是非併せ呑んで下さいね。
そんな生活の中で、この年末に実質1日だけ帰国して、東西四連・東京六連・早稲グリ定演、そしていくつかの貴重な音源・歴史的な音源を、早稲田大学グリークラブOB会会長殿に寄贈致しました。結構10Kgくらいあって持ち運びも大変でしたが、これで本来の目的の一つを達成。2007年・早稲田大学グリークラブ創立百周年を前にして、肩の荷が少し下りました。
さて、季節の風物詩的に現在の上海を語ると、まず内陸からの西風のために晴れれば寒いのですが、結構小雨が多く、霧も出ています。従って、予想以上に集団風邪が抑えられているような感じがします。また、今年の冬は思いのほか上海蟹で接待されることが少なくて、助かっています。これがどうしてかは分かりませんが、別に例年より不作だとか高いとか言うのではなく、我々が訪問している合繊関係の事業主達(すなわちここ数年で急にお金持ちになった人達)が、上海蟹を有り難がって食う時代を過去のものにし始めたのかも知れません。
上海に住むことが出来ている中国人の方々は、中国全体からすればかなり裕福な方が多くて、今年もまたクリスマスシーズンにLVとかOMEGAとか、世界的ブランドショップがごった返したりしました。
昨年暮れに、アジア最大のユニクロと、これまたアジア最大のトイザらスが、上海浦東地区・珍奇な格好の東方明珠電波塔の向かいにある正大広場という巨大複合施設にオープンし、以前に少し記した通り「モノの値段が高いか安いかの二者択一で、中間価格層のモノ、例えばちょっと気の利いたプレゼントを買うのに困る」という状況にある上海において購買層をプチ刺激しています。といっても、やはりまだまだこれから、という感じで、お客さんは20代の小金持ちが主体かな。但し、アジア最大のユニクロやトイザらスと言っても、日本人からすれば全然驚きません。日本で普通にあるようなフロア面積ですし、品揃えも日本の方が良い。ちなみに価格は、ユニクロは日本より少し高め、トイザらスは、特に日本製のキャラクター物は日本より2~3割は高い。中国製なのに、物流費かけて日本に持っていった方が安いとはこれ如何に?
それにしても、中国における日本物オモチャ(日本製という意味ではない、中国等で製造された日本版権キャラクター物)の圧倒的な強さ。それは品質でありブランドであり流行であり。ガンダムに代表されるメカキャラ系、ハローキティに代表されるファンシー系、ポケモンやムシキングに代表される小物キャラ系、ウルトラマンや仮面ライダーや何とかレンジャー系に代表されるヒーロー系、そしてTVゲームやPCゲーム。どんな田舎や奥地に行っても、それらを売っている店や、それらを持っている中国人の子供達がいる。驚きますよ、これは。だって四川省の本当の山奥の竹藪の中にポツンと建っている掘っ立て小屋のような農家から出てきた洟垂れ小僧達が、ポケモンやら頭文字DやらのTシャツ着てんのよ。もっと言うと、中国での日本の漫画やアニメに対するコアなファンと言うのはもの凄くて、例えば数ヶ月前に中国で開催されたコスプレコンテストなんかだと、「聖闘士星矢」という複雑な鎧を着て戦うアニメなどのコスプレで、完全自作で年収の3割くらいかけ、コスプレ衣装を身に着けるのに6時間もかけるとか、恐らく日本を超えている部分もあります。
また、日本のファッションなどの流行トレンドも、現在は極めて速やかに中国に移植されます。これは、日本で売られるアパレルも多くが中国製で、そういったデザインのアパレルが、生地や素材の質を少し下げて安くして中国で売られるのも一因ですが、恐らく海賊版DVDの存在が大きいのではないか。当地での海賊版制作は完璧に組織化していて、日本で放映されたTVドラマはその日のうちに中国のアングラ組織に高速回線を通じて高品質デジタルデータで送られ、3日後には中国語字幕まで付いたDVDになって流出します。恐ろしい。昨年日本でウケた?「花より男子(井上真央ちゃんが出てるやつ)」なんて、最終回の1週間後にDVD5枚組900円!で出回ってる。山古堂主人の中国語の先生は、山古堂主人より日本の最新TVドラマを、しかもほとんどリアルタイムで見ているようです。デジタル処理のおかげで画質も綺麗ですし、時折テロップで流れる「地震速報」も笑えますし、そもそも1枚当り百円玉2枚くらいで買えちゃうのが凄い。なので、そこに出てくる流行トレンドを真似るのも速攻!
中国の文化や消費はあまりアメリカ寄りではなくて、スターウォーズやスーパーマンといったアメリカ系のオモチャは、あるけれどあまり売れていない。例えばクルマや白物家電や高級ブランドは西欧が昔から根付いているし、オモチャは日本、デジカメやビデオやフラットテレビ等の電子系は日韓、と言う感じ。パソコンソフトこそWindowsが主流だが、ノートパソコンもIBMのThinkPadは既に中国資本の聯想(Lenovo)に売却されているし、民生用パソコンは多くが日韓台中。米国ブランドで見かけるといえば、クルマでBUICK、携帯電話でMotorola、そして一部のお金持ちの若者がiPod、くらいでしょうか。そうそう、映画の世界もハリウッド系が苦労していて、例えばWarner-Brothersは中国での直接営業から撤退を決めたし、20世紀Foxだったか?は海賊版DVDに勝てないからと中国でのみ正規版を格安で販売するという。
メンツと中華思想のこの国、居丈高な人は嫌いなのよね。気をつけなくちゃ。
それに加えて、この国の方々の思考は変に合理的だから、例えばクルマが便利とあればクルマに合わせた法律や道路整備をする。例えば対面信号が赤でもクルマは右折OKとか、知っておかないと殺されかねない規則もありますからね。
そういう中国ですが、中国の小中学校でも日本と同じように全国共通・定形の体操があるそうです。ラジオ体操(広播体操と言う)、日本では第3体操まで(これは工場作業員向けの腰痛解消目的なので、学校では第2までしかやらない)なのが、こちらでは第8まであるそうです。数だけなら別に良いのですが、なんと運動会の種目に「広播体操」があるそうです。
・・・そう、聡明な方はお分かりですね。ここは共産圏、マスゲーム大好きな国です。クラス対抗とか、大都市では学校対抗で数百人単位でラジオ体操をやり、そのリズム感とか揃いの美しさを採点するのだそうです。複数の消息筋に確認したので間違いありません。これの練習たるや、「その詳細は言えない(外国人に言うには恥ずかしいから)」というほど、いろいろと厳しい(笑)ものだそうで、揃いの悪い合唱団に適用したら必ずや効果テキメンなのではないか、とも推測されます。どうです、コンクール前に中国で合宿などいかが? 人民解放軍OBのいい先生紹介出来ますよ(爆)
また、こういう全国共通の体操に「眼保健操」というのもあるそうです。これは、簡単に言えば眼の周辺のマッサージみたいなものだそうですが、要は「近視は国家の生産性に影響する」という、これまた共産主義に育まれた立派な理由によるもので、今でも行われているそうです。ただ、これを取り入れたところで、都市部の近視増加の傾向には全く歯止めがかかっていないそうで。
ついでに、このBlogを有り難くも管理せしめられておられまするH田大先輩が、3年ほど前にOBMのメーリスで「おかしな中国語」みたいなお題で、以下のような例文を掲載されました。
寄稿が全然集まらないので、息抜きにネットで見つけた小ネタをちょこっとご紹介します。
けっこうはやったネタなので、見たことある方も多いかと思いますが。。。
中国人向けの日本語試験とその回答(実話らしい)を入手しましたので、ので、採点してあげてください。
問1:「あたかも」を使って短文を作りなさい。
答え:『冷蔵庫に牛乳があたかもしれない』
問2:「どんより」を使って短文を作りなさい。
答え:『僕はうどんよりそばが好きだ』
問3:「もし~なら」を使って短文を作りなさい。
答え:『もしもし奈良県の人ですか?』
問4:「まさか~ろう」を使って短文を作りなさい。
答え:『まさかりかついだ金たろう』
問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答え:『彼は麻薬をうってかわってしまった』
さて、実際に山古堂主人がその現地に駐在して、上記の話が恐らく実話だろうと言う事件に遭遇しました。会社の受付嬢が日本語を習い始め、割合に暇だから受付台で堂々とテキストを開いて勉強している。熱心なんだけど、ちょっとそういう感覚が変。
とは言え、この辺の感覚は日本人と明らかに違っていて、例えば昨年採用した技術屋の女性も、学歴的にはエリートなんだけど、入社してしばらく、パソコンにイヤホンをつないで何か聴きながら仕事をしていた。それで一応注意したら、「日本語の勉強をしながら仕事してました」という。感心してよいのかどうか悩みつつ、その教材を聞かせてもらったら、「踊る大捜査線」でした(爆)
さて話を戻して、そのとっても美人な受付嬢がたまたま近くを通りかかった山古堂主人に、「ちょと教えてください」という。「働く」と言う動詞の使い方なのだが、その例題が、
「私は生活に困って盗みを働いた」
そんな訳で、遅くなりましたが、本年も宜しくお願い申し上げます。
<第36回東西四大学合唱演奏会>
(1987/06/20 サントリーホール)VICTOR PRC-30562~4
![]() |
全般的な話として、合唱アンサンブルより個人の声を優先する風潮によった、また指揮棒に一糸乱れずどころか指揮者との馴れ合いに陥った、何となく雑然とした各声部やアンサンブルで、後述するように謙虚さ・ひたむきさに欠けた演奏会の走りとなった。慶応ワグネルの演奏後にかかる「日本一!」なるブラボー、早稲田グリーの演奏直後の静寂を破る、OB(前年度パートリーダー)による太平の眠りを醒ます蒸気船の如き独唱ブラボーといった、何とも地に足の着いていない、バブルの時代背景がありありと聴き取れる。実はこの風潮は前年に萌芽が見られるのであるが、前述のような変な盛り上げは同関OBより早慶OBの方が激しいため、結果としては東京公演であるこの第36回東西四連のレコードにはっきり刻まれることになった。
音符をデフォルメした「四連小僧」というキャラクターが発案され、それをプリントした「四連Tシャツ」をホールロビーで販売するという試みもなされた。東西四連に事業性を持たせようとした勘違い、である。むしろ、東西四連にIDマークをつけることによるマーケティング戦略の必要性云々より、一部ステージマネージャーが自分自身のID記録と自己顕示欲を示そうとした結果である、と悪意に取ることも可能であり、それを裏付けるかのように、この仕掛け人は本来の活動、即ち歌の練習をそっちのけで没頭し、必要とは思われない「大阪出張」を繰り返し、オーディションはおろか暗譜も出来ておらず、練習部門に殴られると言う失態も生じたと聞いているが、これは余談。また、「ステマネOBで旧交を温めませんか」という宣伝を四連プログラムに、広告スペース一段分を使って堂々と載せている。例えそのスペース買ったのだとしても、生産性がなさすぎ、悪ノリし過ぎでしょう。いずれにせよ、こういった動きや学生自身による四連の位置付けの遷移が、バブル時代の下級生の心情にも伝播し、第38回四連の演奏会プログラムで「The Big Four」と大書きするに至り、第40回四連では掟を破りストームで2曲も演奏して他団から非難される団体が出たりするのである。ま、NHK紅白の変遷のゴタゴタのようだと言えなくも無い。
演奏会プログラムの冒頭に、四連各団の顧問から恒例のコメントが寄せられているが、早慶がありきたりの、学生が代筆した紋切りなのに対し、同志社グリーの渋谷昭彦顧問は略「昨年の四連で、客席で気持ちよくいびきをかいている紳士がいた/これは退出を促されるに値する非礼としても/率直に言えば気持ち良かったが退屈、そんな演奏会であった/四団体とも同じような印象で個性が薄れているようだ/一層の奮起を望む」、そして関学グリーの今田寛顧問は略「四連という言わば内輪の略称が一般的に定着しているが、これはあくまで内輪語であることを忘れてはならない/当事者こそ、四連が当然であるような態度ではなく、謙虚であるべきだ/四連の成立した歴史的事情には誇りを持ち、この特別な組み合わせにふさわしい演奏を期待する」とある。学生側の意識を見事に喝破しているようで、当時の山古堂主人もこのお二人のコメントに、文字通り身の引き締まる思いであったことを覚えている。
サントリーホールは舞台や客席床面にウィスキー熟成樽と同じオーク材をふんだんに使用しているが、この当時はまだその木材やコンクリートが乾ききっておらず、何となくカサカサした響きが残り、PCM録音機器特有のクリア過ぎる音質と相まって、レコード収録音にはやや金属箔を震わせるような響きが僅かながらも常に付きまとう。この雑味が取れるまで、恐らく5年ほど要したように思う。そしてこの録音は、東西四連最後のアナログレコードでもある。
1.エール交換(同志社・慶應・関学・早稲田) |
同志社、前年までと最も異なるのがセカンドテナーで、前年までは音質にせよ音量にせよトップテナーとほぼ等量等価だったから、例えば主・副旋律の重層構造が綺麗に鳴ったり、トップテナーがオブリガートに飛んでセカンドテナーに主旋律が回って来ても音楽や旋律の筋がしっかり通っていたのだが、この年のセカンドテナーはポジションが奥まって頭声の感覚が薄れ、従ってブリランテの金粉が飛び散らず、音程もわずかに低めに推移する。加えて80年代後半の典型である、バリトンの一本槍発声に磨きがかかり、合唱の音色全体にも影響を与えた。その結果、この華々しいCollege Songが、良く言えば黒漆塗り、悪く言えば過荷重で離陸出来ないジェット機のようにも聴こえる。
慶應、発声的には前年の空中分解状態から少し戻ってきているが、トップテナーで音色の統一感がやや薄く、またセカンドか?で1980年代のワグネルには珍しくノド声がいたりする。各フレーズでの頭出しや切りの甘さもあり、音楽の統一感にやや欠けるか。同年の東京六連で丁寧かつ模範的な「Foster歌曲集/R.Shaw編」を演じて、故・福永陽一郎氏をして「自分で編曲すればいいのに、R.Shawの出来合いで、しかもあんなお坊ちゃまな演奏してズルイよ協ちゃん」と言わしめているのだから、これはやはり精神的な事情によるかも知れない。単独ステージの項で後述。
関学、前年から24人も減ったが、それでもまだ74名いる。そんな中でバスが突出しており言わば暴走、マッドマックス(古いねぇ)。後述するようにバスに人材が揃っていたことの優越感もあろうが、例えば「Rejoicing in your fruitful PAST!!」とか最終フレーズ・リフレインの「still true AND!! strong.」といったような上行音形で、cresc.をかけ最終到達高音で張りまくった挙句に歌い放したり、他パートとのバランスにお構いなしの無法状態。アンサンブルも、単独ステージの完成度に比べてかなり粗い感じがする。当時のサントリーホールがやや歌いにくいホールであったことを差し引いても、この歌詩に対してちょっとデリカシーが無いような、妙な残尿感。
早稲田、この年は十数年ぶりに大音声で押しまくる文化の一辺倒で、とにかくありったけの息を力に任せて声帯にこすりつけるだけだったから、フレーズが終わるたびにいちいち息を吸いきれないで目を回している輩が散らかっている。そんな訳で音程も開始から僅か30秒で全音に近く上ずっている、言わば高歌蛮声なのである。が、通常よりやや遅めのテンポで終始したことや、曲が曲だから(爆)、聴衆には圧倒的な印象を残した、らしい。だってサントリーホールがビリビリ言ってるもの。
2.同志社グリークラブ |
「チャイコフスキー歌曲集」
1)何故?
2)語るな 我が友よ
3)さわがしい舞踏会で
4)再びもとのような孤独で
5)憧れを知る者のみが
6)ドン・ファンのセレナーデ
作曲:P. Tchaikovskii
編曲:福永 陽一郎
指揮:富岡 健
Pf:久邇 之宜
東西四連に8年ぶり2度目の登場となる富岡健氏が、男声編曲版チャイカと同志社グリーという素材を上手く活かした演奏。
一聴して同志社と分かるのだが、それまでの同志社とはやや様相が異なる音楽を創っていて、例えるなら、それまではこだわりの職人や、実社会に適応出来なさそうな繊細な感覚の持ち主(笑)が生息しやすい環境の下、相当凝った練習をしたと思しき演奏であったのが、この年以降はその繊細さを活かしつつ、メンバー各自の自由な表現をより前面に出して来るようになった、という感じがする。
ドイツ語による演奏であり、また1980年代に流行であった、やや重めのテンポ運びと各フレーズの終わりでわずかに溜をつくる「慶応ワグネル」的な奏法によることから、本来のチャイコフスキーの旋律の流麗さやほの暗い情熱といった趣を現しにくいのだが、指揮・ピアノ・演奏が噛み合い、音楽が良く流れている。
・・・とデジタル化したCDの簡易ジャケットには記したが、実際にはエール交換で記した通り、セカンドが湿っていて、福永氏の編曲の忠実な復元にはなっていない。だからこそ良かった、のである。演奏会プログラムに福永氏が寄せた一文に略「この作曲家の音楽に親近感がある故に、むしろ耽溺を警戒せねばならぬ」とあるが、それは山古堂主人の私見で言えば、オリジナル独唱にこそこの言葉は当て嵌まるものの、合唱編曲版ではそこを割り切ってしまった方がよほど「半端でない演奏」になる。第30回四連の項で記した通り、「チャイコフスキー歌曲集を素材とする男声合唱的プロジェクション」としては、富岡氏の演奏様式は卓越していると言って良い。即ち、第30回四連の項で指摘した演奏上の問題や編曲上の弱点がほぼ克服された形となっている。もし伝統的な同志社のセカンドテナーであれば、そのハイポジションの張りが、福永編曲において多用されているようなピアノパートを合唱へ移植した部分において、かえって聴感上で主旋律を濁らせたであろうし、或いは音程にしても音色にしても、ドイツ語の折り目正しい演奏に加担して、このプロジェクションに仕込まれた地雷を踏んでしまったに違いない。
いや、結果として演目と噛み合った、ということで、そういうちょっとした「ひとつまみの塩」がステージを引き締めることって、実は結構多いのよ。
いずれにせよ、テンポの変化と強弱の変化を組み合わせ、独唱とは一味違う、言わば管弦楽的なチャイコフスキーの魅力を引き出しているように思う。
2曲目のバリトン独唱は、同年度のバリトンパートリーダー・吉岡康彦氏で、その歌唱はややrecitativoに流れたきらいはあるものの、演奏全体の中では違和感無く、かの1980年代中盤~後半に一世を風靡した同志社バリトン的美声を響かせている。
ただ、良く分からないのは、5曲目と6曲目でそれぞれ1箇所ずつ、独唱譜にも福永編曲出版譜にも過去の演奏にもない和声に変えている点。これは何の意図があったのだろう?
3.慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 |
男声合唱組曲「月光とピエロ」
1)月夜
2)秋のピエロ
3)ピエロ
4)ピエロの嘆き
5)月光とピエロとピエレットの唐草模様
作詩:堀口 大學
作曲:清水 脩
指揮:畑中 良輔
暴露してしまうと、「俺達は最後の四連で月ピを歌うためにワグネルに入ったんじゃない」と放言して憚らない4年生がいたように、どうも畑中氏の意図と慶應ワグネルのモチベーションが噛み合わない時期にさしかかっていたのではないか、という気もする。勿論慶応ワグネルの水準で演奏されているから、ひどいとか聴けないとかそういうことはないのだが、特にバリトンなどでは畑中氏の棒に対するレスポンスが噛み付くように凶暴なことが数箇所あって、指揮者に対する良い意味での自律性は認められるものの、結果としてそれが対決姿勢まで行き着いてしまい、本来畑中氏が表現したかったことの枠からはみ出してしまっているようにも感じられる。
畑中氏の意図することは、非常に良く伝わってくる。そのバックグラウンドには欧州の文化や文学、フランス風の風刺といった仔細に対する演奏家としての分厚い集積が感じられるし、欧州におけるピエロの文化的・社会的・社会的位置付けといったことまでも考慮した上での味付けであろうことも分かる。これに慶應ワグネルがどこまで応えられているのか、というのが今回の四連ステージ成否でのツボ、である。
以前にも記したが、故・木下保氏の時代というのは、それこそ19世紀末から20世紀前半までの言わば徒弟制度にも似た厳しい芸の道を歩むべく、ワグネルは仕込まれてきたのであり、またその中で言わば演奏者としての自立心やクラシカルな表現力が育まれていたのではないか、と推測するが、木下氏亡き後、そういった自立心が弱められて畑中氏に頼りきりとなり、更に今回の四連では畑中氏への言わば甘えが昂じて、少々反抗に近い状態まで踏み込んでしまった者がいるようだ。
例えば、ある社会人男声合唱団において、そこにチッソの現役社員が在籍していても、「「しゅうりりえんえん」を演奏するのは社会人合唱団の言わば存在意義であり責務である」、と言い切ってしまう、そういう人は世の中に一人しかいませんが、それをどう思うか。どう思おうと、演奏のために必要な手段を駆使してステージに載せるのが慶應ワグネルであって、オレはやらないよ、というのは慶應ワグネルぢゃありません。 ・・・少々脱線しましたね、我田引水。
当日の演奏は、曲間での音の取り直しをせず、曲によってはattaccaでつなげての演奏であった。その為、例えば3~4曲目ではやや場面転換に時間がかかったり、5曲目では緊張が解けて凄みのある唐草模様になっちゃったりしているが、いずれにせよ、慶應ワグネルにまだまだ基礎体力があり、特に低声系に芸達者が多かったから、全体としては畑中氏の意図に8割以上は応じられていて、謎解きを楽しみながら(即ち聴く者の知識や教養が問われるということだが)聴くことが出来る。
・・・今時の高校生や大学生でも分かる人はいると思うけどね。
4.関西学院グリークラブ |
男声合唱のための「アイヌのウポポ」
1)くじら祭り
2)イヨマンテ(熊祭り)
3)ピリカ ピリカ
4)日食月食に祈る歌
5)恋歌
6)リムセ(輪舞)
採譜:近藤 鏡二郎
作曲:清水 脩
指揮:北村 協一
前年までの大人数時代を支えた学年が卒団し、見栄えとしてはややこじんまりとした関西学院だが、その演奏はまさに度肝を抜くものであった。もともと北村協一氏と関西学院はこの「アイヌのウポポ」を十八番にしており、以前にも記したが、第13回東西四連(1964/06/14 大阪フェスティバルホール)の単独ステージで初めて手がけて以来、その翌年にニューヨークで開催された第1回世界大学合唱祭にもこの曲で臨み、「あれほどの熱狂的な、総立ちの拍手は、かつてあの時しか経験したことが無い」と北村氏が述懐されるなど、常に完成された様式美で聴衆を圧倒してきた。
この第36回東西四連の演奏は、サントリーホールの音響特性と関西学院の演奏スタイルが上手く噛み合ったこと、約70名という言わば適正人数で演奏したこと、個人の声に頼った前年の演奏から修正して関西学院グリー本来の基本スタイルに立ち返ったこと(山古堂の「古」の言では「小粒が総合力で勝負しようとして、それが上手く出来たんだよ」)、各パートにシュアな歌唱の出来る人材がいたこと、特にベースには各代パートリーダーでもある澤田淳氏(1988卒)・市川元章氏(1989卒)・杉田直樹氏(1990卒)という大砲が揃っていたこと、等々の要因が全てプラスに働き、まさに超絶的な、押しも押されもせぬ名演となった。
無論、山古堂主人も日本全国全ての大学男声合唱の音源をカバーしている訳ではないから、断言出来るものでもないが、しかし、寸分の隙も無い圧倒的なパフォーマンスで、聴衆のみならず共演の他団をも熱狂のどん底、もとい坩堝に叩き込んだ、というのは、恐らくこの演奏以降の大学男声合唱ではほとんど存在しないのではないか。山古堂主人が知る限りでは、他には1980年代末の北村協一氏&立教大学グリークラブによる「優しき歌」「雨」など多田武彦作品で、縦横の揃った、これも寸分の狂いも無い極めて高級なアンサンブルが記録されているが、これらは聴衆を熱狂させる、というような作品ではなかったから、録音で聴いてしまうと、ややもすればその凄みが伝わらない恨みがある。あとは、ちょっと違うけど慶應ワグネル第116回定演のOB合同ステージ「タンホイザー」、かな。
第33回東西四連の「The Bells」ではリハーサルで止まってしまったが、この「アイヌのウポポ」では、夜の部の直前リハーサルで何もすることが無くなって演奏後のお辞儀の練習をしていた/カラスの鳴き声のようなヨーデルのために、何日もかけて厳しいオーディションと特訓をした/ステージマナーに対する厳しさで鳴る関学OBが掟を破り、北村氏が指揮台を降りる前にブラボーを飛ばした/終演後のレセプションで福永陽一郎氏が「完璧」と絶賛した、等々の逸話もある。
この演奏にまつわるウラ話は、残念な形での公表となったが、山古堂の「古」こと古賀準一君が北村先生追悼の文中に記している。
いやぁ、悔しかったよ、舞台袖で見てましたけど、演奏後に降りてくるKGメンツの誇らしげな顔、顔、顔。基礎技術も準備されず練習密度も低く、最初から聴衆をカオスに引きずり込むしか退路のなかった早稲グリに比べて、彼らはどれほどの満足感を持って降りてきたのだろう。ホントなら山古堂主人、KGグリーに入って一緒に歌ってたはずなのに。いや、これは早稲グリ内KGグリーファンクラブ会長の独り言でございます。
後年、北村先生とこの第36回四連の演奏についてお話しした際、「いや、本当にこれで良いのか、この作品・この演奏は本来のアイヌ文化とは全く異なるから、これがアイヌ文化だと間違って伝えていることにならないのか、と思うと、申し訳ないという思いがあるんだよ」、とのことであった。
これは、聴く者の教養を問われていることに他ならないのであるが、しかし、そういう視点を持っておられたことに驚きを覚えたことは確かである。グダグダとは記さないが、ある伝統音楽を西洋的手法で西洋的演奏に馴染むようにトランスクリプトする際、ワールドランゲッジとして、そしてメタファーとしての抽象化を探るのか、或いはあくまでその伝統音楽の場を切り取って舞台に持ち込んでこようというのか、その選択が求められる。そして、この「アイヌのウポポ」「コンポIII」のように作曲の段階で前者を選択した作品においては、演奏スタイルのほぼ8割方が決定させられてしまう。
そして北村先生は、一つの演奏様式を貫いた。現在関学グリーを指揮しておられる太田務氏(1986年度関学グリー学指揮でもある)も、この様式を踏襲しておられる。
5.早稲田大学グリークラブ |
「繩文ラプソディー」 (委嘱初演)
1)噴煙
2)滝壺舞踏
3)讃歌・悲歌
作詩:宗 左近
作曲:荻久保 和明
指揮:黒岩 秀臣
Pf:久邇 之宜
東西四連に向けて作品を委嘱するにあたり、「滝壺舞踏だけはやめてほしい」との練習部門からの願いも虚しく、荻久保和明氏は「縄文」シリーズからはみ出した情念の世界を「縄文ラプソディー」として三楽章編成のピアノ付き男声合唱組曲にまとめ、その中核に「滝壺舞踏」を据えたのである。
早稲田グリーの四連単独ステージでは初の手拍子・足拍子付きの演奏であり、そもそもの変拍子や独特の音階もあって、オーディション落選者が続出、パートリーダー達を悩ませた。が、何故か山古堂主人にはぴったりハマってしまい、ろくにも苦労せず暗譜出来ちゃったりして自分でもビックリ! みたいな。とりあえず修道士でもある黒岩先生が、良くぞ情熱的に御指導下さいました。感謝、感謝。
第3楽章の中間部でトップテナーのパートソロが尺八を模したような旋律をヴォカリーゼで歌うのだが、ある日練習指導に来た荻久保氏、そこに差し掛かった時の指示はたったひと言、「泣け」。あるいは3曲目冒頭のピアノで、練習ピアニストに面と向かって「違う!」と自分で弾き始めたら、これが素晴らしいピアノなのよ。練習ピアニストは憮然としてたけど、はっきりと違いが出ちゃう恐ろしさ、でした。ええ、練習ピアニストは普段正規ステージを弾いて下さっているI谷センセでしたけどね。
音楽の構成・構造としては、一連の縄文シリーズの流れの中に収まっているし、また荻久保氏特有の手法も沢山出てくるので、理解しにくい作品ではない。演奏上の急所として、トップテナーの高音(特にこの作品ではHigh-Hの多用)と、ロックの如きハイスピードサウンドが挙げられる。前者については「人格はともかく歌は上手い」と言われる同年のトップパートリーダー・小川徹氏が中心となってきっちり張っているので、これは聴いていた同業者は震え上がったかもしれない。が、後者については、ちょっと。ええ、そういうことで(笑)。
とにかくこの年の早稲田グリーは音程が定まらなくて、練習においてもフレーズごとに上ずったり下ずったり、アンサンブル能力は史上有数の乱れた年である。一方で何にも抑え込まなかったから、さながら手入れの悪い藪(爆)の如し、これまた早稲田グリー史上でも有数の生命力というか押し出しの強さと声量を誇り、OB達は「ヤマケンの勝利だ!」と大喜びしたのでした。この行き着いたところが同年第35回定演の「コンポIII」、そして奔放初演、もとい本邦初演の「Antigone」でございます。この「縄文ラプソディー」にしても、例えば手拍子足拍子がついた途端、いきなり発声技術なんか頭からふっ飛んだナマ声でしょ? それでも早稲グリOBは大喝采なのさ。とりあえず熱演だったしね。
そういうことで、この演奏を聴く方は、まあ、とりあえず楽譜を見ないで聴いて頂戴。難しい音程はほとんど合ってません。特に、2曲目の「中空に浮かんでいる滝壷」なんて、上からA、F、Cの見事なF-major on Cで、谷川俊太郎氏の表現を借りれば「空中に音の伽藍を築いた」筈なのだが、Cを歌っているバリトンとバスがメチャクチャで、まさにありったけの息を力に任せて声帯にこすりつけてるから、ピアノ伴奏があるのに半音くらい上ずっている。これは、練習中には鳴っていたのでとても残念。本当はカッコ良い音楽なのよ。それと、ここまで書いといて言うのも何ですが、この作品をこの作品っぽく演奏出来る団体って、早稲グリ以外には、多分同時期の同志社グリーくらいしか無いと思いますよ。
後年、この「縄文ラプソディー」のオーケストラ版が、これも早稲田グリーで演奏された(第40回定期演奏会 1992/11/29東京厚生年金会館大ホール、指揮:荻久保和明/管弦楽/TOKYO SYMPHONY チェンバーグループ)。が、冒頭の低音イントロがVl.やVcでpizzicatoだったのが何ともガッカリ。荻久保センセ、そもそもピアノ版初演に際して「バスマリンバを使いたい」って言ってたぢゃない、世界に1台しかない、8Hzが出るやつ! だからそんなのを借りられないし奏者もつけられない当時の早稲グリとして、せめて「ベーゼンドルファー・インペリアル」の左端エクストラベース鍵盤を使ってもらおうと思い、ステマネに吹き込んだら、知ったかぶりのサントリーホールの担当者に「現代曲ならスタインウェイが良い」とか言いくるめられて、あえなく山古堂主人の企みは挫折。んなアホな。ジャズやポップスでベーゼンドルファー愛用者は多いのよン。当時最先鋭のフランツ・リストだってジャズを愛したフリードリヒ・グルダだって、ベーゼン愛用者ぢゃないのさ。(そんなことで、以前OBM2003で「季節へのまなざし」男声版を演った時には、終曲でピアニストの片桐さんにこれでもかとエクストラベース鍵盤を叩いてもらって、せいせいした山古堂主人でした。)
6.合同演奏 |
男声合唱とピアノのための「ゆうやけの歌」
作詩:川崎 洋
作曲:湯山 昭
指揮:松尾 葉子
Pf:大島 義彰
合同演奏については当然、四校合同の練習が出来ないので、東西それぞれに練習する。さて、関東での話のみで恐縮だが、早慶で合同練習を行うということで、練習場所となった港区の幼稚園に松尾葉子先生をお呼びした時の余話。練習途中、先生がふと棒を休めて、「ちょっと早慶個別に聴かせてくれる?」
慶應に歌わせた後、「まるでベルリンフィルみたいね、重たくて指揮についてこない。」慶應の面々はこの言葉の前半のみを印象に刻んで、恍惚の表情(笑)であったが、早稲田の面々はこの言葉の後半のみが真実だとうなずきあったものである。ちなみに早稲田は、確か「反応の速さが動物的・本能的」と評され、早慶ともにあっけなく納得したように記憶している。
演奏そのものは、第32回東西四連の合同演奏に比べると、競争意識から来るギラギラした鋭さが取れている分だけ、まとまりは良いようである。他方で何の仕掛けも無く淡々と演奏したきらいはある。そういう意味でも模範とするに丁度良い演奏かも知れない。惜しむらくはソリストの人材不足、というより、東京公演なので掟に従って関東側から多くソリストを出したからなのですが。
ところで合同演奏の伴奏者、金もらってるくせに最低のマナーでしたね。練習からステリハ・本番に到るまで、ずっと学生をバカにした態度で一貫してた。合唱になんか絶対に合わせなかったし、松尾先生が棒を止めて合唱に注意を始めると途端に「オレは弾けてんのにお前らのせいで止められたじゃねえか」とばかり横(無論合唱側ではない)を向いて「ふんッ!」と溜め鼻息を吐き飛ばす。そうでしたね、あなたは天下の芸大指揮科なのでしたね、はいはい、でもね、指揮者としてここに来たンぢゃないでしょ、分かった分わかった、もうバイバイ。録音聴けば分かる通り、ピアニズムとしても数ヶ所で音の切れが悪くダンゴ状態だったりしますけど、ええ勿論ピアノの専門家ぢゃありませんものね。この人にハクを付けさせようと引っ張ってきた松尾センセのfaultですよ。山古堂主人、四半世紀を過ぎた合唱経験の中で最悪のピアニストでした。金輪際男声合唱に、というかアタシの人生に関わらないで頂戴。
アンコール |
「Heilig(F. Schubert)」
272名(同69、慶74、早56、関73)の男声にこの曲を歌わせたい、という松尾先生の意思ははっきりと存在しました。で、それに応えてフォルテ部分は怒涛の張りまくり競争になっちゃいましたが、松尾先生がそこまで意図しておられたかどうかは、当事者である山古堂主人にも良く分かりません。ダイナミクスの対比や、「ゆうやけの歌」との対比と言う意味合いはありますが、シューちゃんがびっくりして月下の墓場から起きて来そうな演奏でもあります。ただ、ピアニストがいなくなった分だけは正統派男声合唱っぽい演奏。ついでに言えば、ここまでバスが鳴っている合同演奏は、四連史上では恐らくこれが最後でしょう。
ステージストーム |
1)同志社 :O Sacrum Convivium
2)慶應義塾:Beati Mortui
3)関西学院:U Boj
4)早稲田 :斎太郎節
同志社、さすがに30年以上歌い継いでるだけあります、学指揮の武内和朋氏を見て「あいつすんげぇいい笑顔で指揮してたな」とは、同年度早稲グリ練習部門の弁。
慶應、やっぱり上手いのよね、ドイツ物。四重唱はややトップの声質が溶けなかったかも知れない。
関学、かなり端整で聴ける演奏。エールの時ほど低声系が出しまくっていないことが勝因。改めて、関学のテナーは「関学流」に徹してますな。
早稲田、これまた一芸になってますから、別に何でも良いです。
さて、実はデジタル化プロジェクト、という観点で言えば、この第36回東西四連を以ってアナログ時代が終わります。元々何の気なしに書き出してしまった山古堂の雑文の数々、これにておしまい。
・・・なんてことにすると二度と日本の地を生きて踏めなくなるので、とりあえずこのまま当面四連漫談で行くか、新機軸で行くか、乞う御期待。まあ第37回四連については記さねばなりませんね。CDとしても初期の不完全な頃のものだし、それにOB達から当時「いきなりこじんまりした四連」「いきなりレベルが格段に落ちた四連」「四連を名乗ってはいけない低レベル」等々、散々言われていたそうですから。その原因がどこにあるか、これまでも記しては来ましたけどね。
ついでに、今年は旧暦の正月(中国では春節と言う)が2月下旬と遅いのですが、それに合わせて一時帰国します。ご希望の向きにはOFF会をご用意致しますよ~~。恐らく2月23(金)か24(土)になるでしょう。