合唱音源デジタル化プロジェクト 山古堂

早稲田大学グリークラブOBメンバーズ<特別編集> 真性合唱ストーカーによる合唱音源デジタル化プロジェクト。


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第28回 30回代の東西四連(第39回四連)

2011年11月までにほぼ完成していた文章を、ごく一部の関係者向けとして、2012年8月31日に発信したものを、OBM2014年演奏会に行かれない代わりとして、ここに掲載するものです。

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やっと30回代も終わります、と書いて気づくのは、「やっと」なんて偉そうなことを書いてはいけない自分の体たらく。

ところでこの似非ブログ、山古堂主人が執筆時点で関心や興味を持ってることを、適当に散りばめたりしているので、分からない言葉がありましたら、是非検索サイトでお調べ下さいね。検索で引っかからないほどの、もしくは御禁制の用語は使っていませんので。

さて、上海駐在を終え無事っぽく帰国して参りましたが、帰国直前に書き溜めていたことなどを、一応載せておきましょう、但し、これらは2008年時点でのことなので、その後時間が経っているから状況が変わっていることもありますので、念のた
め。

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上海に来て3年、それなりに生活もしてきたし、いろいろなことにも慣れて来たつもりだったが、それでも時々、突然に足元をすくわれるのよ。

◆例えば、新聞紙の活用法について。
上海市内の準高級百貨店の8階にある、モダンな内装の四川料理屋に行った時のこと。
まず最初に、茶葉とお湯の入った透明で小洒落たガラス製のティーポットが、これまた小洒落たガラステーブルに置かれ、これをウェイトレスがこれまた小洒落た透明なガラスの器に注ごうとしたら、ポットの蓋の建て付け(笑)が悪くて、お茶がテーブルに大さじ15杯分くらいこぼれちゃった。

ウェイトレスの手元が狂って、客の膝をお茶漬けにしたりビール漬けにするのも、良くある話。
従って、これもいつものことだ、と早速、別の暇そうなウェイトレスに台布巾を持ってくるようお願いして1分後、ガサガサという音が近づいてくる。そうです、年齢21歳、身長150センチ、体重42キロ(いずれも推定)の、色白で背が小さくおかっぱ童顔丸顔で目が大きいから恐らく四川出身と思われる、言わばアニメ系のちょっとカワイイ小姐が、タブロイドサイズの新聞紙をしわくちゃに揉み込みつつニコニコしながらR2-D2(by STAR WARS)のように近づいて来て、その新聞紙でテーブルをガシガシと拭き始めた。

圧倒されましたね、何にも言えなくなってしまい凍りついた我々、おかしみがこみ上げて噴き出すまで、たっぷり5秒くらいあったでしょうか。そしたら小姐も一緒に笑い出してんの。しかも笑うと更にカワイイ。恩赦萌え。

大抵のことに驚かなくなったつもりが、一本負け。参りました。
この広い中国、大都会と田舎が見事に融合、いや混在? 高級レストランに田舎の習慣が混在していいのか? いや高級レストランですら無かったのかも知らん。


◆もう一つは、合わせ技一本負け、みたいなお話。
日本では数年前から、クールビズでネクタイをしないケースを想定した、いろいろな襟元デザインの、ドレスシャツとも言うべきYシャツがいろいろ流行しているそうな。襟の形状やボタンダウン云々のみならず、ネクタイが無くなって露出する部
分、すなわち襟元の第一ボタンのあたりに特徴付けをしていて、例えば第一ボタンのないイタリアンカラーもあれば、第一ボタンが2つのドゥエ・ボットーニ、3つのトレ・ボットーニ、そしてしまいには4つのクアトロ・ボットーニまで出てきた。

ボットーニ、というのはイタリア語でボタンの意味だそうだから、トレ・ボットーニというのはそのまんま「3つボタン」ということ。それにしてもクアトロ・ボットーニなんてあなた、襟の高さが6センチとかよ。懐かしくも30年前に番長さん達が着ていた長ランの如き襟首。歌舞伎町の黒服ならまだしも、オフィスで着るには、ねえ。

そんな流行のシャツは、中国の縫製工場で生産されているものも間違いなくあるはずなのに、上海ではまだまだ見かけない。そこで日本出張に際して、2とか3とかのボットーニをいくつか買ってみた。

それらの売り文句は「日本製の高品質な生地を使い、日本で縫製した安心の品質」。ということで安心していたのだが、意に反して落とし穴がいくつか。

まず、生地は確かに上等だ。織り傷や染めムラなんて全く無いし、中国の荒っぽいクリーニングに出しても縮まない。だが・・・。

実は「安心の日本縫製」がちっとも安心でなかった。例えばボタンを通す穴なんか、見ると糸や生地がほつれ放題だし、ほかのミシン掛け部分も縫い終わり糸の処理だとか、全く以ってひどいもんだ。

そこでハタと気付いた。そう、日本の優良企業が中国の工場に作らせ日本に持ってくる、例えばユニ○ロなどの品質の高さ。家電製品・電子製品でもそうだが、あれははっきり言って、日本企業が高飛車にも中国工場に押し付ける、厳し過ぎる管理・検査システムの賜物なのだ、と。

恐らく中国で作らせ始めた当初はひどかったでしょうけど、アパレルで言えば三分の一は潰れてもおかしくないと言われる中国の過剰投資・過当競争の中で、日本企業を客に出来れば、日本企業は契約は守るわ、金払いは良いわ、まとまった量のオーダーを出すわ、で安心この上ない。だから必死さの度合いが違う。

(中国の社長さんたちに言わせると、日系企業が「早く請求書を送って下さい」と言って来るのが、そもそも信じられないことなのだそうだ。もし中国企業で早く金を払いたいなんて経営者がいたら、それは早く会社を潰したい人だけだ、と。)

しかもそこで働いてるのは、日本式を凌駕した管理マニュアルに従ってメチャクチャに厳しく指導され管理されている、田舎出身な給料安いの工員達(あれ?中国に感化した?)、もっと言えば、稼いで一旗上げたい/家を買って早く彼(彼女)と結婚したい/親を住まわせる家を都会に買いたいと、這い上がろう、のし上がろうとしている工員達ですよ? 技術が優れれば給料加算、優れなければ簡単にクビ。

勿論、日本企業のお眼鏡にかなう工場は多くないが、お眼鏡にかなった工場から出て来る産品は、皆さんが普段使っている中国製の日本ブランド品でお判りの通り。家電製品やデジカメや玩具では、既に純日本製品がほとんど無いので比較できないでしょうが、アパレルならまだ比較出来ますよ。例えば中国で作られるユ○クロの縫製に匹敵する技術で作られた純日本製のYシャツ、6千円以下ではそうそう見かけません。

ちょっとだけ補足すると、日本だって職人気質の「工場」が生き残っているとは思うけど、それって機械そのものや設備の開発や、あるいは管理マニュアルは世界トップレベルかも知れないが、その隙間で手を動かしている一般的な職工さんの気概は果たしてどうなのかね、と。完全自動化の製造ラインなら、日本は世界一、なのでしょうけど。

(最近、「職人の技を見よ!」みたいな純日本製の爪切りを数千円も払って買ったが、これまた刃付けがひどいものだった。日本って本当に職人さんが減りましたが、それは大して技術も無い人をマスコミなり売らんかな根性で「職人」と担ぎ上げ、「職人」という言葉の本質をマスプロの中で摩滅させているのでありましょう。
以前にもどこかで書きましたが、ここ10年のクラシックCDのあおり文句見ました? 本質的にはこれと同じ。毎年何十人も「天才」が出て来るが、そういう天才のほとんどは既成のコンクールの上位入賞者を漁ってるだけ。それどころか、美人
演奏家だの最近ではセクシー演奏家(片腹笑)までいる。一方で昔の大家の演奏を何度も再発売して、文化をまっとうに受け止めず儲ける事しか知らん。本当に才能を発掘しているレーベルって無いよ。 
というか、最近の日本のTVでつまらないお笑い芸人や現場慣れしてるだけの二世タレントをヨイショしている安直なプロデューサーのレベルの低さと同じやね。)

話を戻して、
くだんのYシャツ、逆説的に「中国製をバカにするなかれ」の見本ですわ。
例の毒入り冷凍ギョーザ事件、あのギョーザ工場だって工員の管理の厳しさが尋常ではなくて、作業中にちょっと手で顔をなでただけでクビ、みたいな状況だったと言うから、工場主なり、そこまで厳しく管理させてる日本人なりを怨んで毒を盛る解雇工員が出たのかも知れない。

よって、中国(なり周辺の低賃金諸国なり)製の産品では、労働集約型産品であればあるほど、日本が押し付ける過剰なまでの品質管理基準によって製造され、見事関門を突破して日本向けに出荷される中国製の日本ブランド品が、もしかしたら世界最高の品質かも知れない、ということです、はい。

無論、中国内の庶民向けに流通する廉価品とか、あるいは最初からコストダウンで品質を犠牲にした、日本のディスカウントショップで売られるようなB級グレード品は別です、はい。


◆JA○マニュアル
(2008年6月に)日本に出張に行った折、○ALエコノミークラスに搭乗した。上海浦東国際空港を出発して成田に着くまでの所要時間は約3時間なのだが、離陸から約20分後、安定飛行に移って、そして暫くして機内食で出てきたポテトサラダが凍っている。

中国生活で自己主張の重要さと、「ストレスは他人に押し付けるのが精神衛生の鉄則である」ことを改めて思い知らされている身の上だから、近くにいた日本人キャビン・アテンダント(旧名スチュワーデス)に向かってメッツォフォルテで「これ
凍ってますけど、そういう仕様なんですか?」 

・・・電子系オタクを装えば相手もビビるだろうと思っての計算ずくの発言なのであるが、目の合った27歳、身長165センチ、体重54キロ(いずれも推定)の日本人女性アテンダント、早速やって来てビビりもせず目も合わせず表情も変えず、血の通った庶民派サービスが評判の○NAさんと違い、マニュアル通りと思しき応対を棒読みしつつ、ほとんど手をつけていない我が食事一式を持って行ってしまった。もしかして経費節減でアンドロイド使ってるのか? だとしたら離着陸時には電子機器の使用は禁止だから役に立たないぢゃない、J○Lさんよ。

で、待たされること約40分後、周囲の乗客の皆様はすっかり食事を終え、食器も片付けられて一眠りの様相。ああ、空にいるだけにおなか空いた。と、そこに現われたる46歳、身長167センチ、体重は自称59キロだが本当は60キロの大台(いずれも推定)の日本人女性のチーフアテンダント、やっと食事一式を持って来たと思ったら通路にしゃがみこみ、そして山古堂主人が超々大ファンなNHK森田美由紀アナのようなアルト声で、機械のように言うのさ、「大変申し訳ありませんでした、お客様には特別にビジネスクラスのお食事をお持ちしました。」
・・・もしかしてこの人、っていうか「これ」、タチコマ?(by攻殻機動隊)

「気を遣う」と言う言葉が日本にあるとすれば、彼女のサービス?は十万億土の彼方にあると思う。
周囲の乗客がこれを聞いて気持ちのいい訳がない。痛いほどの視線十字砲火を浴びせられつつ、極めつけは「あと10分ほどで着陸態勢になりますので、それまでにお召し上がり下さい」。 ああ何と立派なマニュアルだこと! 
山古堂主人ともあろう者が敬語も使わず、「要らないよ!」と言う言葉を脳が指令しワグネルよろしくデッケン・フォルテで口から発されるまでに、所要0.06秒くらいでしたかね。

◆JA○人材
(2008年6月に)日本に出張に行った帰り、久々の日本だったので、上海に住む家族の要望も含めて「うにせん」とかなんちゃらボットーニとかいろいろ大量の買い込みをした結果、規定預け荷物の1個/20Kgを大きくオーバーして、2個/計38Kg。

そこで、成田空港の○ALチェックインカウンターで、「すいませんが、預け荷物を2個お願いしても良いでしょうか?」とおずおずと訊いたところ、カウンターにいた若くてちょっとカワイイ25歳、身長162センチ、体重46キロ(いずれも推定)の日本人グランドパーサーの、ちょっとオレンジの入ったルージュを引いた唇からスラスラと無機質に垂れ流されたのは、

「料金さえ払って頂ければ、いくらでも積んで差し上げますが。」

・・・「ただ今アンドロイドゼロ指令が発令されました」(by初代ウルトラセブン第9話)って言われたのかと思った。なんだこの超新人類、わけ分からん。

それってデフォルトの仕様ですかい? それともこの目の前にいるアンドロイド固有の仕様?バグ? 全く、機内で出すカップめんには「うどんで○かい」「そばです○い」みたいなつまらないダジャレを付ける上、経営危機に付け込まれたか、チ
ブル星人操るところの守銭奴マネキンがカウンターをキープしてるとわ。

漫画「BLACK LAGOON」だったら、ここで山古堂主人が吐くべきは「金払ってやるからてめぇの身体をミンチにして積んでみるか?」というセリフになると思いますが、勿論山古堂主人は紳士でございますから、

「お手数をおかけして申し訳ありませんが追加料金をお支払いいたしますので積んで頂けますか?」 

無論、心の中では「あんたなんかにゃ句読点だって打ってやらないよ!」

それにしても、行きも帰りもこの仕打ちですかい、なぁ○ALさんよ。往復ビンタ、ってこういうことを指すんだろうな。以前にA○Aさんで預け荷物重量オーバーになった際、ちょっと小太りで愛嬌のある43歳、身長163センチ、体重62キロ(いずれも推定)のお姐さんが「お客様申し訳ありません、追加料金が発生してしまいますが、よろしいでしょうか?」でした。ちなみに、その時に山古堂主人の口から流れ出たのは「抵抗しても無駄なんですよね。」

(後日注:そしてその後、2010年1月19日、日本航空が東京地裁に会社更生法の適用を申請したしたのはご存知のことと思います。)
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さて、いろいろありますが。

<第39回東西四大学合唱演奏会(1990/06/24 大阪フェスティバルホール)>

エール交換(慶應・関学・早稲田・同志社)

慶応、「地力に勝る」という言い方が妥当なのだろう、と思う。バブル期だったからか、何なのかは未だにはっきりしないが、少なくとも力強さという尺度が大学男声に薄れてきた時期にあって、しっかりした基礎に根ざした惚れ惚れする肉声を存
分に鳴らす。後半の最高音をこれでもかと鳴らすトップテナーも、塾歌のコンサバなフレージングも、きちんとこなしていくのが非常に好ましい。今となってはお宝サウンド。

関学、雑だな、という感じがする。これは、単独ステージでも時折出てくるところではあるが、そもそも関西学院グリークラブはコンクールから足を洗った後もストイックな理想的基準、分かりやすく言えば演奏レベルのハードルを常に限界以上のレベルに設定して、そこに到達するために反復練習と反省会を重ねてきたはずだ。
それが、人数減少とも関係があるのか、どうも手の届く高さのハードルにせねばならなくなったように見受けられる。その理由は恐らく、関西学院グリーのみならない、大学男声全体に対する何らかの世情的要因なのだろう。ザッツが揃わない、フォルテを力で押す発声に頼るからフレーズの最後で声が揺れちゃってフレージングが収まらない、そんなことが生じている。学指揮の取りまとめ方にも原因があろうか、とも思う。後述。

早稲田、隔世遺伝ですか。声に任せた歌い方はいつも通りとして、前年に復旧し始めたアンサンブルの耳が失せた。つまり1980年代後半の一般的な歌唱、ということです。

同志社、冒頭の歌い出しで重厚で丁寧な感じがするから「お?今年はちょっと良い感じ?」と思った直後「thy name!!!」で唐突に突き放し感。それがその後も継続する。テンポは若干落ち着いた感じなので、それで全体としては破綻が抑えられている。

ということで、エール交換でやはり慶応ワグネルが頭一つ出てます。

さて、あと数年で50歳を迎えるジジイの意地悪をさせてもらうと、この時期あたりからの学指揮やパートリーダーの力量が、それ以前と異なってくるのが分かる。

例えば、そもそも校歌をきちんと作りこんでくる学生合唱団は少なくて、校歌もいわば愛唱曲、合唱団として歌えて当然、「産湯」みたいなもんだ、という予断が根底にあるから、逆にそれを振る学指揮の力量も見えてくる。まがりなりにも客席に聴衆を入れて歌うのに、歌手側にまともなザッツ指示やフレージングを指揮で明示出来ない、というより、校歌を振る自分の姿、=観客に見せる背中のカッコ良さこそが関心事であることが、このエール交換からまざまざと見えてくる。

或いはパートリーダー。特に大学男声では歌唱能力優先、ソリスト級が務めることも多いのだが、歌えてない団員の声を伸ばす努力を疎かにし、俺が張れば問題解決だ!と安易な道に走れてしまう。

ラベルは違うが、YLがFinlandia-hymniを歌う時って、そんな態度かい?

個人合唱主義の一環とも言えるし、言っちゃ悪いが、音大受験とまでは言わないがちゃんと楽典だの和声法だの対位法だの器楽奏法だの音楽史だの何だの、わずかでもかじってればともかく、そんなこともせずにせいぜいクラシック名盤を聴いて、たかだかアマチュア学生合唱団の団内指揮者や技術スタッフやソリスト連中が、なまじ高名な指導者や演奏家と共演してるからと言って、専門教育も受けずにいっぱしの音楽家気取りしちゃって、面子とプライドが最優先、音楽自体は後回し。それを大前提として甘受するアマチュア合唱団の中でも特に「大学男声の雄」たちが、自分で自分を騙して気づかない道化なのであるよ、これは。

そういう意味では故・木下保先生の学生の仕込み方は全く以って正しかったし、この第39回東西四連の開催される4ヶ月前に逝去された福永陽一郎先生が学生の弟子を取らなかったことも全く以って正しい。

この時代以降、1990年代からは各団とも人数減少・指導者不足で修羅の道を歩む。
言い換えれば、合唱の体裁を整えるだけで手一杯、という、歌う喜びを噛み締める上ではとっても良い環境に叩き込まれていく。その時代を知っている、今となっては中堅の世代が、その後の一般男声合唱団の隆盛を担っていく。

珍しく褒めてしまうが(爆)、そういった諸々を思いつつ、このエール交換での慶応ワグネルの塾歌は、良い。


慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団
 「リヒャルト・シュトラウス歌曲集」
  1)HEIMLICHE AUFFORDERUNG
  2)WIEGENLIED
  3)CAECILIE
  4)MORGEN!
  5)FRUEHLINGSFEIER
  作曲:Richard Strauss
  編曲:福永 陽一郎
  指揮:畑中 良輔
  Pf:三浦 洋一

80年代末に異様なまでの重厚さをまとってしまった慶應ワグネルは、センスある数名の美声歌手が支えることで音楽の破綻を逃れていた、と言っても過言ではない。
この時期、テナーの黒須徹弥氏・バリトンの谷口伸氏(共に当時3年生)を擁していたことが幸いし、この二人から今で言う化学反応を起こして、慶応ワグネルと言う楽器が幾分なりとも身軽さを取り戻し、この「リヒャルト歌曲集」では音楽が澱
まずに流れている。

悪く言えば、これまでにも指摘したが、1980年代中盤以降の慶応ワグネルは、習い覚えた「ワグネル発声」の殻に閉じこもり、ともすれば作品より「ワグネル発声」を上位に置く、という状況であったように思われるが、不幸なことに、東西四連で言えば40回台前半以降は人数が激減し、合唱団としての「ワグネル発声」が薄れてしまったので、この悩みは霧散してしまった。(他方ワグネルOB合唱団はどうかと言うと、これが木下先生仕込みの厳格な演奏スタイルが予想外に健在なのよ。良い演奏しますわ、さすが。)

そういう意味では、自身の重力に耐えかねてブラックホールになってしまう少し手前で、頑張って踏みとどまっていた時期、という言い方も出来ようか。ただ、この時期を支えた美声歌手達も、やはり所詮は若造(爆、あくまで「当時は」ですから)、終曲では存分に発声の誇示に走ってて、これはこれで今となっては微笑ましい(爆)。

ピアノの三浦洋一氏、頑張っています、というか、ご自身で何か思うものがあったかも知れません。ちゃんとリヒャルト・シュトラウスを奏でています。

それから、指揮の畑中良輔氏。4ヶ月前に福永陽一郎先生が亡くなられたこと、福永先生の編曲作品を演奏すること、様々な思いがあっただろう、と推察します。声楽家である畑中先生は、声楽作品の合唱編曲版において、本来声楽ではあり得ないテンポ設定を好んで行うのですが、このステージでは2、4曲目のみならず、3曲目などでも、編曲を慈しむようなテンポや音量の設定があります。そして慶応ワグネルもmezza-voceを非常に効果的に鳴らせていて、後期ロマン派の音場を上手に造り上げている。


関西学院グリークラブ
 男声合唱組曲「柳河風俗詩」
  1)柳河
  2)紺屋のおろく
  3)かきつばた
  4)梅雨の晴れ間
  作詩:北原 白秋
  作曲:多田 武彦
  指揮:北村 協一

舞台上の人数が50名を割り込んだ関西学院が、基本に返ろうとしたのか、男声合唱組曲として最古の部類に入る「柳川風俗詩」を採り上げた。終曲の低声系において少々のキズはあるが、合唱団としてハーモニーを創って行く機能は、やはり他団の追随を許さない。北村先生がどのような意図で、この時代に「柳川風俗詩」を選ばれたのか、いろいろ推測は出来るのだが、いずれにせよその意図を知ってか知らずか、関学グリーメンはその時点での持てる力を出し尽くしたのだと思う。この1990年というバブル絶頂の浮わついた年に、真面目に律儀に、基礎を疎かにせず練習し、その成果を演奏会で遺憾なく出来た団体は、ほんの一握りだったはずだ。

個人攻撃のつもりはさらさら無いが、1曲目のテナーソロを聴くと、その後の関学トーン、ひいては日本合唱界が盲目的に歩まされる道の端緒がここにあるのが判る。つまり、1980年代までは曲がりなりにも個々人の身体の筋肉を最大限に活用し、その肉体から発せられる言わばオペラティックな歌唱、個人で充分にホールを鳴らすことが可能となる声への志向があり、これの結果として合唱トーンが形成される、という考え方があったと思う。だが、この時期あたりからそれがすっかり変節し、完全にノドツルリ系テナー(山古堂PAT.PEND)への志向になっている。山古堂の「古」言うところの「抜き当て」の方向と言えば聞こえは良いが、個々人のベストなフォルテを捨てさせ、個人の声より合唱団として機能する声を志向し実践する流れとなっている。

合唱とオペラティック独唱とで発声が違うというのは良く分かる。確かに合唱形態としての演出構成を最大化すべく、その方策として構成員(ヤ○ザかw)の声を倍音の鳴りやすい方向に均質化するのは理想の一部ではあるが、しかし、音量を上げるとアラが出るから音量を出させない、構成員がなべて合唱求道者、合唱修道士であれば理想的、なんてことになると、ホントに理想なのか、皆が皆そういう音質で歌える作品ばかりでもなかろうに、と強い疑念が湧く。すなわち、20世紀の最後10年くらいから合唱コンクールで猛威を振るっていた「Voce di finte」の功罪である。この唱法に見合った外国作品を取り上げるうちは良い。また20世紀末からは、この唱法を念頭に置いた邦人作曲家も多く存在する時代にもなり、確かに「Voce di finte」の威力を見せ付けられる事も少なくなかった。だが、例えば「青いメッセージ」だの「祈りの虹」だのもフィンテでやるっちゅうんだから参るんだわ。この点、いまだにフィンテ・カオスが渦巻いているし、他方で21世紀も10年過ぎた頃になって、合唱コンクールシーンまで含めて、それらの状況に変化があるようなので、ここでこれ以上は書かない。

話を戻して、演奏終了後に客席から「日本一!」。 人数が急激に減少し苦闘している中で、関学クオリティを見せてくれた現役に対する、OBからの「渾身の応援」なのでしょう。

関西学院グリークラブ。かつては合唱コンクールで敵無しでしたが、1960年代にコンクールを「卒業」し、その後も団としての確固たる技術的バックボーンを持ち続け、呆れるほどの反復練習と造り込みで合唱の一つの完成形を保ち続けて来た。20世紀末になり団員が激減していく中で、OBから背中を強く押されたこともあるのでしょう、2001年に全日本合唱コンクールへの出場を再開して、客観的な技術レベルの向上を図ったが、このコンクール出場再開のインパクトは、山古堂的にはとても大きかった。再開初年度は思うような成績を残せず、他方でほぼ同時期にコンクール出場を再開した、これも名門の立命館大学メンネルコールが好成績を残したが、そのあたりから合唱コンクールにおいて、男声合唱に改めて脚光が向けられ始めたように思う(この点も、京都産業大学グリークラブも絡めていろいろ言いたい事はあるが割愛)。
そして2011年、関西学院グリークラブのお膝元・西宮で行われた全日本合唱コンクール全国大会において、大学の部で1位金賞。しかも自由曲が多田武彦「尾崎喜八の詩から」より「冬野」「かけす」で、邦人合唱曲演奏の最高栄誉である「カワイ賞」も獲得。
タダタケで1位金賞! Oh Boy ! もう嬉しいやら何やら(これで全日本合唱コンクールも正常化か、というのは幻想でしょうけれど)。



早稲田大学グリークラブ
 男声合唱のための「季節へのまなざし」
  1)ひらく
  2)のびる
  3)みのる
  4)ゆめみる
  作詩:伊藤 海彦
  作曲:荻久保 和明
  指揮:関屋 晋
  Pf:久邇 之宜

「季節へのまなざし」は早稲田グリーが第35回送別演奏会(1986/02/21)にて男声版を委嘱初演したもので、混声版とはメロディや副旋律の扱いが大きく異なっている。それ故に、やや演奏が困難な部分もあり、また元々作品としての構造的な違和感を覚える部分もあって、なかなか名演が生まれない。この演奏もやや荒れた演奏となっている。

初演は何だかビックリ箱(笑い袋って言ったって平成世代は知らないでしょ?)というか、山古堂の「古」いわく「通り魔が襲いかかった相手がジェイソンだった(って平成世代は「13日の金曜日」ってスプラッターホラー映画も知らないでしょ。スプラッターもいいかげん死語かね)」、みたいなところがあって、まあ初演ゆえに許されたり、聴衆を騙せたりする部分も多かったとは思いますが、レギュラー演目として多くの男声合唱団で取り上げられるようになると、率直に言ってどの団の演奏も以下に記す問題が顕在化してしまうので、山古堂主人的には、やっぱりこの曲は混声のほうが良いな、と。

荒れてしまう理由はいくつかあって、まずメロディアスな部分では、かの名指揮者・秋山和慶氏が「こんな美しい旋律があるものだろうか」と賞賛した、流麗で美しい旋律とピアノの澱みないアルペジオが織り成す心地よいサウンドによって、ついつい男声だと日本歌謡曲的かつ美声押し付け・発声重視的な重い演奏となってしまい、結果として曲の流れが澱んでしまう。ところが縦乗りリズム系の部分では、ハイスピードのロック的サウンドがフォルテで書かれており、ササクレ立った、あるいは生々しい表現をするためについつい「肉体的な解放を伴う男性的合唱」が行き過ぎてしまう。この対比が作品としてはっきりし過ぎており、

そういう二面性にどう折り合いつけるかというと、混声合唱ならばアルトというパートが素晴らしく機能してこの折り合いをつけちゃうし、そういう譜になっているのだが、男声では折り合いがつかない(笑)。よって、青臭く汗臭い男子学生では如何ともしがたいエグみが出てしまう。この作品が作曲家自身によって「ビートルズ以降の世代」の感性に基づく、と定義されてるものだから、特に大学男声の学指揮なんていったら自分のためにこの作品は存在すると勘違いして、(何度も指摘するが)ハイスピードサウンドなところはイヂりまくりキレまくり、そのくせメロディアスなところはグリー発声。部分部分を作りこみ過ぎで全体の統一感がないこと、この上ない。ビートルズ以降の世代でも氷川きよしだっていればAKB48だっているのに。もっと生物多様性を意識してってことよ。

次いで、大抵の日本人指揮者はプロであれアマであれ、合唱団を馬なりに走らせることで合唱を手なずけ掌握したりするのだが、これまた縦乗りリズム系の部分でやっちゃう。無論テンポ設定とか最低限の約束事は作るが、歌う姿勢、というか歌心を馬なりにしてしまった時、ここにオギクボ師の教義が炸裂してしまう。そういう曲なんです、オギクボ師の作品は。

従い、この早稲田グリーの演奏も、メロディアスなところでは「横の流れ」がついつい緩み、ロックンロールなところ(笑)ではホントに「転石(中国語では滾石か)」だったりして、その橋渡しもこなれてなくてフレージングや発声も切り替えられないから、船舶ディーゼルエンジンみたいに全開か全閉の演奏に聴こえちゃう。そして、かの関屋先生さえも男声モードに切り替わっちゃって問題を解決できなかった、と。

よって結論。この曲の男声版を選択した時点で勝負あり。男声版「イタリア古典歌曲集」と同じ帰結でございます。



同志社グリークラブ
 「MESSE SOLENELLE」
  1)KYRIE
  2)GLORIA
  3)CREDO
  4)SANCTUS
  5)O SALUTARIS
  6)AGNUS DEI
  作曲:Albert Duhaupas
  指揮:佐々木 修

「一定の水準以上の合唱団が取り上げる曲」として、1960年代の東西四連において単独・合同で幾度か演奏されたこの「デュオパのミサ」であるが、1970年代以降はあまり採り上げられなくなり、東西四連の関係団体では、関西学院グリー80周年記念演奏会(1979/09/02)における新月会との合同演奏、早稲田グリー第27回定演(1979/12/01)以来の登場である。

この曲は中高音をmezza-voceでも強声でもこなせる、ウィーン男声合唱団みたいな欧州トラディショナル合唱系のテナーがメリハリを付けることで、その本来の効果を顕すと思うのだが、この年度の同志社グリーでは後に大阪音楽大学を首席卒業しプロとなる小貫岩夫氏@91卒を中心とするトップテナーが、第32回東西四連の「Missa Mater Patris」を髣髴とさせる歌唱と音色で縦横無尽に歌いこんでいて、これだけでもはや名演の呼び声がかかっても不思議ではない仕上がりになっている。

指揮は、決して弟子を採らなかった故・福永陽一郎氏の後継者を標榜したと言われる佐々木修氏。しかし、東西四連への出演はこの演奏限りである。この佐々木氏について、及び佐々木氏が指揮台に立つこととなった経緯については、山古堂主人はチラリと噂は聞くものの、ほとんど情報を持たない。オケ指揮者であるという同姓同名の佐々木修氏のHPがあるので見てみたら、そこには同志社グリーとの共演も、故・福永氏との関連も書かれていないようなので、この方は恐らく
別人なのであろう。

演奏を聴いた限りでの佐々木氏の楽曲解釈や指揮さばきについて、率直に言えば、この人は古今の西洋音楽を良く勉強された方のようであり、その結果として楽曲解釈は雑多な時代・スタイルを羅列したパッチワークであって、作品全体を通じての統一感が薄くなっているようであり、また指揮は、恐らく歌手に明確な指示を伝えられる、かなり高いレベルの技法を修得しているものと思われるが、一方で合唱音楽の鳴らし方や仕込み方はほとんど修得しておられないように感じられる。

もう少し詳しく言えば、楽曲解釈では、まず古典から現代までの西洋管弦楽作品アナリーゼについての引き出しをたくさん持っていて、このDuhaupasの作品に対し、ある部分にはメンデルスゾーン、ある部分にはシューマン、またある部分にはベルリオーズといったように、引き出しを的確に活用してパッチワーク的に特徴づけていったものの集成、と見受けられる。つまり、「MESSE SOLENELLE」以外に作品を知られていないこの作曲家(武蔵野音大の図書館で調べつくしても、フランス最北部Arrasの聖堂でオルガニスト兼カペレ指導者としか出ていなかった)に対してのアプローチとしては、正面作戦ではなく佐々木氏が自身のバックグラウンドを信じて、楽譜から受ける印象に「感性で勝負」した、その結果として若干統一感の薄い演奏構成になった、というように思われる。

だが、その部分部分の意図は指揮棒によって歌手側に的確に伝えられたので、同志社グリーという「楽器」側のDNAで補完されリマスターされて、程よい合唱演奏になってアウトプットされた、という感じである。

そのアウトプットが本来あるべきアナリーゼの反映となっているかどうかは判断できないが、ただ山古堂主人が個人的に思うのは、恐らくDuhaupas自身も新古典主義から後期ロマン派の過渡期にあって、彼が生きた時代に存在していた多くの作曲家の作品群に影響されつつ、作曲コンクール入賞のためにあざとい構成も織り込んだであろうから、「MESSE SOLENELLE」自体が根本的に一本の筋が通った重厚な作品ではないようにも思われるので、結果として佐々木氏の手法が外れなかった、もしくは佐々木氏も同じようなことを考えていたのかも知れず、もしそうだとしたら、それはそれで近親憎悪(爆)。



合同演奏
 男声合唱のための「アイヌのウポポ」
  1)くじら祭り
  2)イヨマンテ(熊祭り)
  3)ピリカ ピリカ
  4)日食月食に祈る歌
  5)恋歌
  6)リムセ(輪舞)
  採譜:近藤 鏡二郎
  作曲:清水 脩
  指揮:佐々木 修

アンコール
秋のピエロ(詩:堀口大學/曲:清水 脩)

第36回東西四連における関西学院グリーの超絶演奏を目の当たりにした人が4年生にいる。そして、この作品は器楽的アプローチで充分に足る作品だから、佐々木氏の指揮の下、歌手達のエモーションと演奏効果が噛み合って「上手く収まった演奏」となっている

ステージストーム
  1)慶應義塾:Slavnostni sbor
  2)関西学院:Spanish Ladies
  3)早稲田 :斎太郎節
  4)同志社 :Didn't My Lord Deliver Daniel

関西学院が珍しくストームで「U Boj」ではない曲を歌っている。それもごくわずかな怒気を含んでいるような感じで、ある意味この曲にピッタリな歌唱(爆)。この理由について、山古堂主人が耳にした限りを下記、書き留めておく。関係者の情報
リークを期待しつつ。

ご存知の通り関西学院グリーの歌う「U Boj」の歌詞は、1919年に神戸に逗留したチェコ軍から聞き書きし、それが歌い継がれる中で変質したもので、もはや歌詞でもなく一種の記号と化している。

しかし1974年に正しい歌詞が明らかになり、関西学院グリーとしてもいずれ正式版(現行のグリークラブアルバムにある)に替えよう、という話はあった。そして実際に第38回東西四連(1989)のストームから切り替えている。この背景としては、
第38回東西四連の年の春、1989年3月に「U Boj」の故郷であるクロアチアに演奏旅行に行き、OB団体の新月会と共に現地で「U Boj」歌うというイベントがあったことが挙げられる。このイベントに際してオール関西学院グリーとして正式版
を演奏することにしたのだが、ここでまた一ひねりあって、現地でも暫く上演されていなかった「U Boj」を主題とするオペラ「ニコラ・シュービツ・ズリンスキー」が特別上演されることもあり、関西学院グリーは正式版とは更に一部歌詞の異なるオペラ劇中歌詞版を演奏した(但し正式版とオペラ版では、山古堂主人の知る限り単語が2ヶ所異なるだけである。)。第38回東西四連のストームでも、このオペラ版が演奏されている。

ところがその後、オール関西学院グリーの大号令として、いざ正しい歌詞に修正しようとすると、どちらかと言えばお年をお召しになられたOBのうちかなりのお方々は「今さら古い口伝の歌詞から切り替えることが出来ない」から、現役・OB合
同で歌うことが出来なくなる。そこで、力関係から当然のように、関西学院グリー現役が新旧両方の歌詞の暗譜と、TPOに応じた使い分けを強いられたのだ、ということのようだ。しかし現役からすればそんな必然性がどこにあるのだろう、結局そういったことへの反発として、この第39回東西四連のストームでは「U Boj」を歌わなかった、という。

この話とは異なり、一説では、自己顕示欲の強い学指揮がわがままを通しただけだ、という話もあるが、どうも複数の消息筋によれば、この一説は少数派である。

・・・その後の顛末としては、翌年の第40回東西四連のストームでは正式版の「U Boj」を演奏したが、結局関西学院グリー及び新月会で協議の末、自分達の守ってきた「関学グリー版」を正統とすることで意見がまとまったとのことで、現在は
古い口伝の歌詞に戻っている。

(どうでも良いですが、これまでに関学グリーOBの複数の方々が一様に、「最近のグリークラブアルバムでは正しい歌詞が載っているが、関学口伝版以外での演奏は聞いたことがない」と仰っておられ、「関学口伝版以外では歌われていない」と断言された方もおられる。
・・・しかし、箱根の関所より東側では事情は異なりますので。例えば東京六連の合同アンコールでの演奏(第23回/なんと正しい歌詞の判明した1974年や、その後の第29回/1980年、第32回/1983年、福島引越し公演/1987年、第47回/1998年)は、全て正式版正しい歌詞版でした。まあどうでも良いことです。)
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